第十五話 『All along』
『彼女』は、相も変わらず霧雨そぼ降る夜空を見上げ、瞼を細めた。急がないと。夜が明ける前に戻れなければ、スケジュールが台無しになる。 「うゅ……お、終わった……のよ」「そう。ご苦労さま」 いつまた暴力を振るわれるかと怯える雛苺に、『彼女』は、ねぎらいの言葉を向けた。掘り返された柩は、きちんと蓋をされ、埋め戻されている。その仕事ぶりを確かめて、『彼女』は満足げに頷き、血塗れの顔をニタリと歪めた。 「とりあえず、手と顔を洗って、着替えた方がいいわ。あなた、泥だらけよ」「は、はいなの」「ふふ……いい返事ねぇ。聞き分けのイイお利口さんって、好きよぉ」 そんな安っぽい褒詞を、額面どおりに受け取ることなど、雛苺にはできない。涙ぐんだ双眸を、グッと見開いて、『彼女』の一挙一動を警戒していた。実に健気なものだ。言いなりにはなるが、魂まで売り渡す気はないらしい。――ならば、それ相応に利用するだけ。用が済んだら、処分すればいい。『彼女』は雛苺の頬を両手で挟むと、顔を近づけ、鼻先を触れ合わせた。 「さっきは手荒な真似して、ごめんなさいねぇ。でも解って。仕方なかったのよ。 あなたが私を手伝ってくれる限り、もう危害は加えない。約束するわぁ」 この世は持ちつ持たれつ、でしょ? 聖女のような無垢を、『彼女』は満面に貼りつけている。けれど、それは事実上の脅迫。秘密を知った弱者に許される選択肢は、言いなりになるか、抗って殺されるか。雛苺が選んだのは、したたかに生き残る道だった。 たとえ、『彼女』の傀儡になり果てるとしても。 第十五話 『All along』 家の裏手にある井戸の前で、『彼女』たちは、生まれたままの姿になった。そして、寒さに震えながら、肌や髪にこびりついた血泥を冷水で洗い流した。真夜中とは言え、どこで、誰が見ているか分からない。血泥に塗れた姿で、フォッセー邸の周りを彷徨くわけには、いかなかったのだ。荊や内臓がはみ出してこないよう、傷口にタオルを当て、コルセットで締めあげる。仕上げに、タンスにあった薔薇水晶の服を着て、『彼女』の準備は完了。血で汚れた二人の服や下着などは、残らず暖炉に放り込んで、燃してしまった。寝室の床ばかりは、拭いている暇などないので、そのままにせざるを得なかったが。「さあ、急いで帰るわよ」現在、午前3時――ここに来るときは、道に迷って2時間を費やした。迷わなければ、1時間半くらいで戻れるだろうか。最悪、2時間を要したとして、午前5時。ギリギリのラインだ。なんとしても、夜明け前に。『彼女』は、今夜に拘っていた。「善は急げ……ってねぇ」 ~ ~ ~ ぬかるんだ道はタイヤを取られやすく、こと夜中ともなれば、かなり走りづらい。それでも4時半には、どうにか、寝静まるフォッセー邸に帰り着けた。朝の早い使用人たちも、まだ起き出していないようだ。 「穴掘りまでしたから、疲れたでしょう。あなたは、もう休んでいいわ」「……うい。あのぉ――」「なぁに」「き……きらきーは、寝ないの?」「ちょっと用事を済ませてから、ね。解るでしょう?」 ちょっとした用事。雛苺は、それを小用――つまり、トイレのことだと独り合点した。『彼女』の機嫌を損ねないためにも、余計な詮索はしない。雛苺は素直に、使用人部屋に戻った。お利口さん。遠ざかる背中に囁いて、踵を返した『彼女』が向かった先は―― ドアノブを握り、音を立てないように回す。施錠は、されていない。些細なことも含め、『彼女』は、すべてを知っていた。部屋の位置も、なにもかも。いまや、この身体は『彼女』の意のまま。記憶もまた、かくの如し。 薄くドアを押し開け、真っ暗な室内へと、滑るように身体を滑り込ませる。いかにも若い娘の部屋らしい仄かな薫香に、鼻先をくすぐられた。後ろ手にドアを閉ざし、身動きを止めて、耳をそばだてる。ベッドの中で規則ただしく繰り返される健やかな寝息は、途切れる気配がない。ここまでは順調。ほくそ笑んで、『彼女』はドアの鍵をかけた。 シャツのボタンを外し、前をはだけて、コルセットを外す。湿ったタオルを捨てると、腹の裂け目から、凝固しかけた血が、どろり……。それに続いて、黒い荊も、不快な疼痛を生みながら、ずるずると這い出してきた。 (もうすぐよ。この気持ち悪さも、もう暫くの辛抱だわ) 『彼女』は、擦り足でベッドに近づき、無防備に眠る娘を見おろした。コリンヌ・フォッセー。資産家の一人娘。16歳の可憐な少女。容姿も、境遇も、教養も、文句の付けようがない。父を探すための広い人脈さえも、おまけで付いてくる。まったくもって申し分ない。 「この瑞々しい身体さえ、手に入れれば――お父様に会いに行ける」 バケモノ植物に寄生されて、もうすぐ腐り落ちるジャンク。こんな身体に、未練などあろうものか。 『彼女』はベッドに上がり――コリンヌの腹に跨って、両腕で肩を押さえつけた。黒い荊が、『彼女』の意を汲んだように少女の両脚を束ねる。腕に巻き付いた荊は、そのまま左右に伸びて、ベッドの足に結びついた。さながら、コリンヌは十字架に固定された状態だった。 棘に肌を刺される痛みと、胸苦しさが、少女に速やかな覚醒を促す。コリンヌは目を覚まし、馬乗りになっている人影を目にして、喉を鳴らした。 「うっふふふ……こんばんわぁ。お目覚め?」「その声っ!」 『彼女』を突き飛ばそうとして、腕も脚も動かせないことに気づき、コリンヌは戦慄した。 「なんの真似なの、これは! ふざけないで! すぐに放し――」 怯えを隠し、人を呼ぶ目的もあって、コリンヌは語気を強めた。――が、乙女の柔らかな唇は、『彼女』の唇で塞がれ、貪るように蹂躙される。コリンヌは、せめてもの抵抗とばかりに首を振って暴れ、噛みつこうとした。それを寸前で躱した『彼女』は、見せつけるように、濡れた唇を舐めた。 「んふ。気が強いのねぇ。その方が、征服する愉しみがあって面白いけどぉ」「どうして……こんな」「私のものにしたいからよ。あなたの全てが欲しいの」 「なっ、なに言って――」コリンヌが、上擦った声をあげる。『彼女』の口振りと、この状況から、卑猥な想像が頭をよぎったのだろう。まさか『意識の器』としての身体を欲しているだなんて、夢にも思わなかったに違いない。 「いいでしょ? ねぇ……私に、ちょうだぁい」「や、やめなさい! やめてっ」「いやぁよ。もう時間がないもの。もう……我慢できなぁい」「や……っ! ダメっ、ダメぇっ!」 暴れるコリンヌを組み敷いて、『彼女』は少女の白い首筋に、舌を這わせた。自由になった両手で、イヤイヤをする頭を押さえ付け、そして――コリンヌの細い喉に吸いつき、唾液でヌラつく歯を、焦らすように食い込ませていく。 「あっ! あ、あっ……ぉ、ぁおっ、ぅおっ、ぁおおおぉっ!」 少女らしからぬ獣のような叫びが、『彼女』を昂らせ、理性を麻痺させる。コリンヌの下半身に絡められた『彼女』の白い脚は、獲物を締める大蛇のようでもあった。
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