水銀燈の野望 烈風伝 ~大和攻防編~
<あらすじ>時は戦国の世。備前国に「薔薇乙女」と呼ばれる8人の姉妹がいた。天下統一の野望を抱く長女・水銀燈は、謀反によって一躍戦国大名にのし上がる。備前、播磨、美作を平定し、毛利と同盟して背後を固めた水銀燈はいよいよ東上を開始。念願の上洛を果たし、将軍足利義輝を助けるべく三好家との決戦に臨むのだった。<本編に登場する主な史実武将>○松永久秀(まつなが ひさひで/1510~1577)三好家臣。卓越した智謀で頭角を現し、ついには主家の実権を奪って畿内の覇権を握った。織田信長が上洛するとこれに従うが、のちに足利義昭に呼応し反逆。信長軍に包囲され、茶釜「平蜘蛛」を抱いて自爆した。足利義輝暗殺、東大寺大仏殿焼討など数々の悪行を残したが、本編でも謀略の限りを尽くして暗躍することになる。○三好義賢(みよし よしかた/1527~1562)三好元長の次男。兄・長慶の畿内進出後、本国阿波の政務を担う。長慶の片腕として内政に軍事に活躍したが、和泉久米田の戦いで戦死。以後、三好家の家運は急速に傾いていった。本編では畿内における三好家の勢力を取り戻すため、自ら軍勢を率いて水銀燈と野外決戦を繰り広げる。○三好義興(みよし よしおき/1542~1563)三好長慶の嫡男。幕府御相伴衆を務め、六角家や畠山家との合戦に勝利するなど活躍する。才気溢れる人物で家中でも世継として期待されたが、若くして急死。死因は不明だが松永弾正による毒殺とも伝わる。本編では義賢の山城侵攻軍に従軍。先鋒部隊を率いて薔薇乙女軍に襲い掛かる。――永禄五年十一月。山城国槙島城に本陣を置く水銀燈のもとに敵襲が報らされた。金「三好義賢の率いる軍勢が山城に侵入、数はおよそ五千かしらー!」雪「敵の狙いはこの槙島城。京付近の拠点を奪い返し、畿内の支配権を取り戻すつもりですわ」蒼「いよいよ来たね。義賢といえば長慶が片腕と頼んでいる弟……なかなか手強いハズだよ」翠「なぁに、こっちは既にバリバリの臨戦体制ですぅ」紅「守りを固めたこの城に籠れば、確実に敵を撃退できるのだわ」銀「いいや、籠城は手ぬるくてよ。この水銀燈が直々に野戦で叩きのめしてあげるわ。兵は三千もあれば十分よぉ」机上の地形図を扇子でぴしゃりと叩き、水銀燈が放言した。ジ「そいつはちょっと危ないんじゃないか?」銀「あらぁ、この私が負けるとでも言うのぉ?」ジ「いや、お前の強さは分かってるけどさ……野戦は万に一つということもあり得るからな」銀「野戦を厭うような度胸無しじゃ、これから先とてもやってらんないと思うけどぉ?」紅「度胸の問題とは違うのではなくて? ジュンは味方の油断を戒めているのだわ」銀「油断ですって? ……あーあ、もういいわぁ。義賢は精鋭だけで討つから、残りは城を守って頂戴。ばらしー、ついて来て」薔「……」水銀燈は薔薇水晶を伴って陣を出て行ってしまった。雛「水銀燈、なんだか機嫌悪そうだったの」ジ「別に、そんなに強く咎めたつもりじゃなかったんだけどなぁ」翠「なんだかいつにも増して高慢だったです。上洛を果たしたからって、ちょっと舞い上がってるんじゃねぇんですか?」雪「それは違うと思いますわ。姉上は、私たちの戦いのあり方を問うているのではないでしょうか」巴「戦いの、あり方……」雪華綺晶の言葉に、その場にいた全員が振り向き耳を傾けた。雪「私たちが上洛を果たしたことで、今後は畿内の、いや全国の大小名が私たちの戦い振りに注目することになりますわ」蒼「確かに、そうなるだろうね」雪「そうした者たちに、将軍を擁して戦う私たちの姿を強く印象付けておく必要がある……それが姉上のお考えなのではと」ジ「つまり、ただ勝つだけではダメってことか?」雪「勿論、守りに徹する戦い方も必要でしょう。ただ、今この時に、姉上は私たちに覚悟を見せようとしている気がするのです」紅「覚悟……」真紅の胸中は複雑だった。雪華綺晶の言葉は的を射ていると思えたが、それが果たして正しいことなのかどうかは分かりかねた。紅(自分で何もかも背負い込み過ぎなのよ、水銀燈……そんな姿を見て、お父様は喜ぶと思うの……?)城下の川原に沿った野道を、水銀燈と薔薇水晶は並んで歩いていた。銀「みんなお馬鹿さんねぇ。なぁんにも分かっちゃいないんだから」眼前に垂れた長い銀髪をかきあげて、呟く水銀燈。薔「そうでもないと思う……みんな、銀ちゃんのことが心配なだけ」銀「そいつが余計なのよねぇ。そんなに私が死に急いでいるように見えるぅ?」薔「わからない……生き急いでるようには、見えるけど……」銀「ふふっ、それは違いないかもねぇ」不意に一陣の風が巻き起こり、二人の少女の頬を撫でていく。薔「私は、ついて行くよ。たとえどんなことがあっても……雪華姉もきっと、いっしょ」銀「ありがと、ばらしー」優しく微笑みながら薔薇水晶の髪をそっと撫でる水銀燈。三好勢との決戦を前に、決意を新たにしていた。翌日。水銀燈は雪華綺晶、薔薇水晶を伴って出陣。従う兵は三千余りの精鋭部隊のみであった。一方、三好義賢、義興率いる軍勢も槙島城下に着陣した。雪「三好軍は総勢四千八百。敵将の中には三人衆の三好政康と岩成友通、軍師の松永弾正もいるようですわ」銀「敵も精鋭ねぇ。相手に不足はなさそうだわ」三好義興「弾正、見よ。あの敵陣を」長慶の嫡男・義興に呼ばれた初老の男――松永久秀は、床几からやおら立ち上がると義興の指差す方角を見やった。久秀「ほぅ……敵は鶴翼の陣、ですかな」義興「あれでか? あのような雑然とした並びで陣形の役に立つものかよ」一笑に付す義興。若いものの、その度胸と器量は家中の誰もが認める三好家の後継者である。政康「やはり、所詮女子では兵の統率力は知れたものですな」友通「当然よ。かような小娘に敗れるとは、長逸殿も焼きがまわったようじゃ」豪放な笑いに包まれる三好陣営。だが総大将の義賢は、あくまで冷静に未知数の敵の力を推し量ろうとしていた。義賢「大将自らが小勢で押し出してくるとは尋常ではない……何か策があるのかも知れん。油断はすまいぞ」その中で久秀は一人、諸将とは趣の違う笑みを浮かべ、押し黙っている。久秀(水銀燈とやら、只の小娘ではあるまい。どちらにせよ、女子相手に振り回されるようでは三好家も先が知れておるがのう)義興「ものども続け! 小娘づれを蹴散らしてくれよう!」先に仕掛けたのは三好勢であった。義興、久秀を先鋒として整然たる陣形を組み、ひた押しに押してくる。一方の水銀燈は動かない。陣も雑然としたまま、迎撃の構えも整っていないように見えた。銀「まだ……まだよ。動いたら承知しないわぁ」構わずに接近してくる三好勢。久秀(なぜ敵は動かぬ……妙じゃ)水銀燈の陣に不気味さを感じ取った久秀は、思わず手綱を引いて行軍速度を緩めた。その横を義興の手勢が颯爽と追い抜いていく。義興「あっはは、弾正めは日和りおったか。敵は臆しておる、一番槍の手柄は頂いたぞ!」その時だった。水銀燈は愛刀「迷鳴」をさっと引き抜き、馬上で勢い良く振るったのである。銀「今よぉ! 全軍、突撃態勢!!」檄を受けた精兵たちはそれまでの怠慢ぶりが嘘のように機敏に動き始めた。合図に従い薔薇水晶隊は左翼、雪華綺晶隊が右翼に展開。前進しつつあっという間に新しい陣形を組み上げていく。銀「我が軍ながらいい動きねぇ。日頃の鍛錬の賜物ってやつかしら?」突撃隊形を整えた水銀燈軍はさらに行軍速度を速め、ついには猛獣のような勢いで三好勢先鋒に襲い掛かった。銀「死になさぁい!」三好兵「げえっ!?」水銀燈の壮絶な突撃をまともに受け、義興率いる先鋒部隊は木っ端微塵に砕け散った。先鋒の崩壊した三好勢の混乱は全軍に波及し、陣形が乱れに乱れていく。義興「ばっ馬鹿な! こんな……」崩れた隊列の一角を、水銀燈の騎馬突撃がさらに切り裂いていく。孤立した三好軍の部隊は各個撃破され、その兵力は瞬く間に半数以下にまで減ってしまっていた。久秀「やはり手強いのう……これでは義賢殿をもってしても勝てまい。ここは早々に退散するか」久秀は配下に指示を飛ばし、潰乱を装ってさっさと戦場を離脱してしまった。義賢「皆、諦めるでない! 戦はこれからぞ!」義賢は単騎戦場を駆け回って味方を鼓舞し、何とか陣形を立て直すことに成功した。魚鱗の陣を組んだ三好軍の反撃が始まった。義興「押し出せぇっ! 水銀燈、何するものぞ!」義興に叱咤された先鋒が槍衾を組んで水銀燈隊の突撃に耐え、逆に押し戻していく。銀「この私の突撃を押し返すとは……やるじゃなぁい。そう来なくちゃね」薔「そろそろ、私たちの出番……」雪「雪華薔薇隊、両翼突撃開始ですわ!」水銀燈と入れ替わるようにして二つの精鋭部隊が進撃。左右から猛烈な勢いで三好勢を攻め立てた。義興「ぐっ! こ、このままでは支えきれん!」義賢「義興殿、ここは落ち延びよ。敵は儂が引き受ける」義興「叔父上! しかし……」義賢「そなたが死んでは三好家を継ぐ者が居なくなる。早よう行くのじゃ!」三好軍の敗色が濃厚となる中、義興らは命からがら戦場を離脱。一方総大将の義賢は踏みとどまり、僅かな手勢を率いて雪華綺晶隊を相手に奮戦したが、やがて深手を負って倒れ伏した。義賢「かようなところで果てるとは……無念なり」敵に首を授けることを嫌った義賢は割腹し、壮絶な最期を遂げた。総大将を失った三好軍は完全に戦意を喪失し、大和方面へと潰走。薔薇乙女軍にとって初めての本格的野外決戦は、圧倒的勝利に終わったのであった。水銀燈の勝利と三好義賢の敗死の報は、すぐさま畿内を駆け巡った。小勢で三好軍を打ち破った水銀燈の戦いぶりは、周辺の諸大名を驚嘆させるに十分であった。だが水銀燈は勝利に浮かれることなく、次の出陣へ向けた準備を進めていた。銀「次は大和へ進軍するわ。三好家の手に落ちた多聞山城を奪うわよぉ」ジ「慌しいなおい……少しは兵を労ってやれよ」銀「お馬鹿さんねぇ。義賢を失って三好家中が揺らいでる今が好機じゃなぁい」蒼「そうは言っても、この冬の時期に城攻めは少々酷だと思うけど?」雪「それも道理モッキュモッキュ……この際モッキュ無理な力攻めはモッキュ避けるべきモッキュですわねモッキュモッキュ」薔「雪華姉、食べながらしゃべるのはやめて……ヨミニクイ」翠「ま、多聞山城なんぞこの翠星石にかかれば楽勝です。華麗なる用兵でとっとと落としてやるですぅ♪」銀「それなんだけどぉ……アナタにはちょっと頼みたいことがあるのよねぇ」翠「ほぇ?」――永禄五年十二月。翠「はうぅ~、疲れたですぅ……」歩き疲れた翠星石は興福寺の境内で一休みしていた。有力な武将に会って人物を見定め、あわよくば味方に引き入れるために大和国内の各地を巡っていたのである。翠「水銀燈の奴、よりによって翠星石の一番苦手な仕事を押しつけやがったです。こんなのは金糸雀に任せればいいのに……」?「だいぶ参っとるようじゃの、お嬢さん」見ず知らずの中年男性に声をかけてられても、顔を上げる気力もない翠星石。翠「ホント、参っちまうです。人遣いの荒い姉を持つと苦労するですぅ……って、おっさん誰です?」?「儂はこの辺に住んどるただの地侍じゃよ。なにやらいろんな侍の所を訪ねて回っておるようじゃが、お使いかの?」翠「はぁ、まぁそうですけど……なんでそんなこと知ってるです?」?「なに、儂の知り合いどもが話しておったからの。えらい別嬪の娘さんが訪ねてきたと」翠「まぁ、べっぴんだなんて♪ そりゃあ翠星石を見たら一発でわかって当然ですぅ♪」?「はは、面白い娘御じゃのう」男は白髪の混じったあご髭をさすりながら、低い声で笑った。?「で、まだ訪ね歩かねばならんのかの?」翠「はぁ、あと一人……松永久秀という人ですぅ」?「ほぅ……弾正か」翠「おっさん、知ってるですか? どんな人なんですぅ?」?「話に聞くだけじゃがな。三好家の執事を勤めておる人物じゃが、なかなか腹黒い男だという」翠「へぇ……それじゃ翠星石とは正反対の人物ですねぇ」?「はは、そうじゃのう。しかし、弾正にはおそらく会えぬぞ。自分の城に籠って合戦準備をしておるそうじゃからな」翠「げ。そうなんですか? ……でもまぁいいです。腹黒い奴ならきっと会ってもしょうがねぇですから」?「ま、そうかもしれんの」竹筒の中の水を飲み干すと、翠星石は立ち上がった。翠「さて、と。おっさん、いろいろありがとうです。私はそろそろ行くです」?「そうかそうか。気をつけてな。……そうじゃ、確か姉君の使いだと言っておったの?」翠「そうですけど、それがどうかしたですか?」?「姉君に会ったら伝えておいてくれぬか? 『欲する物が目の前にあるのに、我慢するのは毒ですぞ』……と」翠「ふぇ? どうゆう意味なのですか?」?「戯言じゃよ。では、儂もそろそろ帰るとしよう。達者での」男はしっかりとした足取りでその場を去っていった。翠「何だったんですかねぇ? 妙なおっさんだったです」その頃、水銀燈は五千あまりの兵を率いて大和多聞山城へ行軍中であった。役目を終えた翠星石は引き返し、水銀燈の陣に合流した。銀「お疲れさまぁ。首尾はどぉだった?」翠「味方になってくれそうな武将は結構いたですよ。ま、翠星石の魅力のおかげですねぇ♪」銀「そう、よくやったわぁ。松永弾正はどぉ?」翠「結局そいつには会えなかったですぅ……でもでも、代わりに変なおっさんに会ったのです」銀「変なおっさぁん……?」翠星石は興福寺で出会った男の風体と、男の残した言葉を伝えた。銀「ふうん。確かに変な男ねぇ……」翠星石の話を聞いて、水銀燈は胸中のある一点をちくりと刺されたような気がした。銀(我慢するのは毒、かぁ。その男って、まさか……ねぇ)――年は明け、永禄六年正月。陣中で年を越した水銀燈のもとに、俄かに信じ難い内容の書状が届けられた。紅「で、書状には何と?」銀「……」読み終え、無言のまま真紅に手渡す水銀燈。紅「これは……」昨年末、多聞山城を守っていた三好義興が突然原因不明の急死を遂げた。これをきっかけに松永久秀をはじめとする家臣の一部が城の明渡しと大和からの撤退を主張。それに反発した三好政康らを、久秀の手の者が急襲したのだという。政康らは辛くも命拾いしたが城を追われ、和泉国へ逃れた。雪「……そして多聞山城を手に入れた松永弾正がこの書状を送ってきた、というわけですわね」紅「そういうことのようね。弾正は降伏したいと言ってきているわ」蒼「でも信じていいのかなぁ。三好家の跡取がそんなに簡単に死ぬなんて」薔「陰謀の……匂い」数日後。松永久秀らは正式に薔薇乙女軍に投降。多聞山城に入城した水銀燈は、本丸において久秀を引見した。銀「苦しゅうないわ。面を上げなさぁい」久秀「……は」翠「あっ!!」顔を上げた久秀を見て、引見に立ち会っていた翠星石は愕然とした。先日興福寺で出会った不思議な男と、そっくり同じ顔がそこにはあったのだ。翠「お、おめぇは……!」久秀「松永弾正小弼久秀と申します。これより後は、老いしこの身を水銀燈様に捧げる覚悟にござります」銀「こたびの仕儀、まことに祝着ぅ……今後も私の助けとなってくれるよう、期待してるわぁ」久秀「ははっ」翠「……」その数日後。阿波国勝瑞城の三好長慶のもとにも悲報が届いていた。長慶「義興が死んだ、と? 馬鹿な……左様なことがあって良いものか」居並ぶ家臣たちにも言葉がない。弟に続いて後継まで失うことになった長慶の悲嘆ぶりは、尋常なものではなかった。家臣「これはあくまで噂にございますが……義興様は松永弾正に毒を盛られたのではないかと申す者も」長慶「弾正が……」文字通り、長慶の顔面は蒼白となった。長慶「ありうることじゃ。あやつならば……おのれ弾正、そして水銀燈め……許さん。決して許しはせぬぞ……」しかしその悲壮な決意とは裏腹に、この頃から長慶は体調を崩すようになっていった。それは三好家の今後辿るべき運命をも暗示しているかのようであった。
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