ゆめのはなし
一切の汚点を排除した、白い白い立方体の箱の中。その中心のあたりに、同じように白い白い立方体の箱が二つ、置いてある。そこに向かい合うように座る、二人。少年と、少女。少年は黒い瞳に黒い髪、そして黒いガクランに黒いズボン。真っ白なシャツにぽつん、と、落とされた墨汁のように。この空間の中で、ありえないほどに浮いている。そしてもう一人の、少女。雲のように白い髪。羽毛のように白いドレス。そして、雪のように白く透き通った肌。彼女はこの部屋の一部として溶けて無くなってしまうのではないか。そのぐらい、彼女の白は、穢れから遠い場所にあった。ゆっくりと、白の少女は口を開く。「おかえり」彼女の挨拶に答えるため、少年は、少しいらだった様子で、口を開く。「僕は君の事は知らないのだけれど」白い少女は、うふふ、と笑う。「それもそうね。でも、うれしいわ。また来てくれて」少女がそういうと、少年は勢いよく、椅子から立ち上がる。「ここはどこで、お前はなんなんだよ? まずそれを教えろよ」明らかに、少年は怒っていた。無理もない。気がついたら、わけのわからない場所で、わけのわからない娘と向かい合って座っていたのだから。少女はひとつ、ため息を吐く。「この説明ももう何度目かしらね。 ・・・ここはあなたの夢の中。わたしはさしずめ・・・あなたの夢の分身みたいなものかしら」少年は、まくし立てる。「なんでじゃあ僕は制服を着てるんだよ!?」少女は、取り合わない。「なんで、って。夢だからでしょう。あなたは今寝てるのよ。よく思いだしてごらんなさい」少年は、黙り込む。「思い出してくれたかしら。あなたは今日は11時ちょうどにベッドに入って、 その23分と45秒後に眠りについた。あなたにしては大分早寝の方だわね。 でも、私としては成長期だし、普段からもうちょっと早めに寝たほうがいいとは思うけど」少女は、にこにこと、笑う。「私はあなたの夢の一部。この箱の世界の一部。夢、っていうのはね、心の中の掃除なのよ。 そしてわたしはあなたの心の掃除の結果、生まれたゴミカス、クズ、廃棄物の寄せ集め。 あなたの中のいらなくなった妄想や想像や思想、ジャンクデータを寄せ集めて、作られたものが、わたし。 あなたが廃棄処理した思考だから、今、あなたがもっている思考とは違う考え方を持っている。 でもわたしはあなたを恨んでいるわけじゃないから、そこのところは忘れないでね。 むしろ生みの親なのだから、感謝しているくらいよ」少年は、少女の話を聞いている。部屋が、まるで雪の夜のように、しんと静まりかえる。「あなたに選ばれなかった、がらくた思考の寄せ集めの私は、 あなたが選び取った思考が形作った、あなたと話をしてみたいと思っている」少女は、続ける。「でもね、今のままでは私は名無しのままだわ。 それでも、あなたがそれでいいのなら、『名無し』でいいのならいいけど、どうにも格好が悪いじゃない。 だからね、まずはわたしに名前を頂戴。お父さん」ここまで黙って少女の話を聞いていた少年が、ふふ、と笑う。肩の力が抜け、こわばっていた体のシルエットラインが緩む。「この年で、お父さんなんて呼ばれるなんて、夢にも思わなかったよ。 そうか。名前かぁ。うーん。雪華綺晶、なんてどうかな」少女も、微笑む。「ふふ、あなたは、そればっかり」少年は、聞き返す。「そればっかり、ってどういう意味?」「そればっかり、は、そればっかり、よ。いいわ。私は雪華綺晶。ありがとう、パパ」雪華綺晶は、その長くて白い髪に、手櫛を通す。髪の毛はさらさらと揺れる。「で、あなたは今、学校どう? 楽しい?」少年は、答える。「ううん、あんまり楽しくないね。仲がいい連中ともクラスはなれちゃったし」今度は少女が、黙り込む。「わたしはそうは思わないわ。わたしの中には・・・あなたの中のジャンクデータの中には、 ちゃんと、今の環境で、楽しそうに笑ったり、喋ったりするあなたのデータがあるもの。 些細なことだけれど、とっても小さなことだけれど、特筆することが何もない面白味のない『日常』だけど、 あなたはしっかりその中でちゃんとやってる。 確かに、『楽しくない』ってのは嘘じゃないと、わたしも思うよ。 でも、今の環境を、ちゃんと楽しもうと頑張ってるあなたがいる。 わたしはあなた自身のそういうところ、もうちょっと見てあげるべきじゃないかなと思う。それにわたしは」少女は、口を動かし続ける。「こんな素敵な『日常』を、捨てて欲しくはなかったって思ってる。 あなたにはありふれたものだけれど、わたしには、ないものだから」少年は、笑う。「ずいぶん、説教くさいんだな」「ええ。言ったでしょう。わたしはあなたの平行世界のようなものなのだから。 わたしは、あなたが切り捨てた可能性たちの塊なのよ。わたしはあなたの一部。 捨てられてしまったけど、どこにもいかないで、あなたの中に残り続ける。そしてこうしてあなたに説教する」そう言い、もう一度微笑む。「見ようによっては、わたしはあなたの独り言を、あなたの内省を『会話』という形式にするために生まれた ただのマスコット、ただの道具なのかもしれない。 だってこの世界の神はあなたで、あなたの自由自在に潰せるし、作り直せるし、消せる」そうして、少年は彼をとりまく夢の世界を見回す。白、白、白。白尽くしの世界。奇妙と思えるほどに白に固着した世界。そしてその中の一点。黒い服に身を包む自分自身。はっきりと彩られた個。そうして、彼は自分自身がこの世界では異質あることを自覚する。「そう硬くならなくたっていいのよ。あなたは確かに神だけど、 わたしも、この部屋もまたあなたなのだから。ほら、こんな風に」雪華綺晶は、みずからの顔の前に手をかざす。白くて、形のととのった、小さな手で、自分自身の顔を覆う。「ほら」そして現れた雪華綺晶の顔は、間違いなく、少年の最も親しんでいるであろう顔をして、雪華綺晶の声は、少し違和感があるけれど、少年の最も慣れているであろう声をして。「雪華綺晶だって、桜田ジュン、なんだよ」少女は、少年の声で、笑う。「今日はあんまりお話できなかったけどさ、わたしはあなたと一緒にいれて楽しかったよ。 それじゃあまた次の夢でね。本当の僕。帰りはそっちのドアからね」少年は、ゆっくりと椅子から立ち上がる。「また今度、話そう」そう少年は言い、ふらふらと手を振りながら、ドアの奥へと消える。「じゃあね。もうひとりのわたし」少年がドアを閉めると同時に、白い箱の世界は、そして雪華綺晶は、霧散する。「また今夜も彼が来てくれますように。わたしのこと、忘れててもいいから」そして彼女は、もう一人の自分を想って、消えていった。
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