幕間3 『True colors』
そこまで話すと、私は口を閉ざして、真横に座る男性の反応を観察した。遙かな過去の物語――ましてや他人事ならば、これはもう、おとぎ話に等しい。しかも、オカルト紛いな内容ときている。正気を疑われても仕方がないくらいに。 彼としても、私を介抱した行きがかり上、仕方なく聞いているのだろう。本当はもう、辟易しながら、私の話が終わるのを待っているんじゃないかしら。――そんな私の見立ては、どうやら間違っていたらしい。だって、彼は優しげな瞳を好奇心いっぱいに輝かせて、耳を傾けていたのだから。 「あの……退屈じゃあ、ありませんか?」「いいや、ちっとも。君の話し方は、とても臨場感に溢れているからね」 ほつれひとつなく紡がれた彼の言葉は、多分、本音そのものだろう。でなければ、今までに嘲笑のひとつも浮かべていたはずだ。もしくは、とっくのとうに中座しているか―― 「もっと聞かせてくれないかな。勿論、君の都合がよければ、だけど」「それは構いませんよ。時間なら、たっぷりと。でも……あのぉ」「ん? あ、そうか」 私の仕種から、彼は察してくれた。「喋りっぱなしじゃ、喉が渇いたよね」買ってくるけど、なにが良い? 訊かれて、私は「あなたと同じものを、お願い」と。 彼は、真っ白な半袖のワイシャツに風を孕ませ、自販機めがけて走ってゆく。夏の日射しを受けた広い背中が眩しくて……私は、目を細めずにはいられなかった。 幕間3 『True colors』 「お待たせ。緑茶……ゴエモンで、よかったかな」 午後の伊右衛門。略してゴエモン。街頭テレビのCMを視て、その呼称は知っていた。お礼を言って受け取ったアルミ缶は、指が痛くなるくらい、キンキンに冷えている。潤いを求めて勢いよく口に流し込むと、喉から額にかけて、じわ……と痛みが滲んできた。でも、お陰で舌の滑りは良くなったみたい。 「かなり、突拍子もないお話でしょう?」 急な切り出しに、彼は面食らったらしい。答えに窮して、目を瞬かせている。そして、困ったときの癖なのか、手を後頭部に遣って顎を引いた。 「正直なところ……まだ半信半疑だよ。だって、そうだろう? 死んだ女の子を生き返らせるとか、賢者の石――ローザミスティカだとか。 口さがない連中なら、即座に『厨二病』のレッテル貼って、笑ってるところだ」「あなたは違うの?」「……いや。半分は疑ってるんだから、大差ないと思うよ。 ただ、自分の価値基準に当てはまらない物を、蔑笑の対象にしないってだけで」「要するに、どっちつかずの傍観者ってことね」 傍観者――その一言に、彼はなぜか、過敏な反応を見せた。そうじゃない。そんな人間にだけは、なりたくないんだ。さっきまでとは打って変わった彼の険しい眼差しが、強く語りかけてくる。誰のココロにもある、触れてはいけないデリケートな部分だったのかも知れない。 「ごめんなさい。無神経だったみたい。貶すつもりは、なかったの」「いいんだ。僕の方こそ、なんだか変に意識してしまったみたいで……」 以前、そういう教師が居たんだよ。彼は正面に向き直って、遠い目をした。 なんでも、彼が高校の頃のクラス担任が、そういう人間だったらしい。学校の行事や規則を忠実になぞり、機械的に管理するだけの傍観者。あんたはコンピュータープログラムで動く工業用ロボットかよ……高校生だった彼は、そう思って、その人間味の乏しい教師を嫌悪したという。 「その方は、あなたにとって、本当の意味での『教師』だったんですね」「――うん。反面教師だね。人生の先達の大多数は、若者にとっての反面教師だよ」 些か、説教くさくなってきた。彼も、そんな空気を読んだのだろう。例によって頭に手を遣り、やれやれ。彼流の仕切なおしなのか、頭を小さく振った。 「ところで、先達と言えば……君のお祖母さんは、いつ亡くなられたんだっけ?」「は? あの……去年です。4月でした」「じゃあ、今年で75年前目で、当時が16歳だったから――享年90歳だね」 彼の瞳が、物言いたげに、こちらに向けられる。失礼なことを、いかに言えば角を立てずに済むか、思案している目だ。 「高齢者だから、痴呆と妄想の気があったのではないか、と仰りたいの?」「ごめんな。ひとつの可能性として、思っただけなんだ」「まあ、そう考えるのは至極もっともですし、自然な流れだと思います。 裏付けのない妄言として、一笑に付してしまうのは。でも……これを見て」 言って、私はワンピースの胸元から、真鍮のチェーンを抜き出して見せた。その先に着いている、雪の結晶を模した、青く澄んだ輝きを放つペンダントを。 「お祖母様が亡くなる寸前、私にくれたものです」「君の話に出てきた、槐という人形師が精錬したローザミスティカの紛い物かい?」「そうだと、お祖母様は教えてくれました。雪華綺晶から譲渡された……って」 彼は、私の胸元に――ペンダントに鼻を寄せて、まじまじと眺めた。かのシュリーマンも、トロイの遺跡を発見した瞬間、こんな顔をしたかも知れない。本物か、紛い物か。白か、黒か。疑えば目に鬼を見る。この人は今、どんな鬼を、その瞳に映したのかしら。 次に、私たちの間に言葉が並べられたのは、かなりの時間が経ってから。第一声は、彼の方から。息苦しそうに、ネクタイを弛めながらのことだった。どうやら、この人はグレーの鬼を見たらしい。限りなく白に近い、ねずみ色を。まあ……良いけれど。何を【本当の色】と視るかは、彼の自由だものね。 「どうして、雪華綺晶は君のお祖母さんに、これを譲ったんだろう? ローザミスティカを取り込んだことで、不要になったから……かな」「それは違います。確かに、必須の物ではなくなったかも知れません。 でも……彼女にとっては、父親からのプレゼントでした。 どんな目的、いかなる理由で贈られたとしても、かけがえのない宝物だったんです」「なるほど。とすると……雪華綺晶には、あったんだろうね。 そんな大切な品を、君のお祖母さんに託すだけの理由が」 それは、これから話すこと。つつましく暮らしていた父娘を狂わせた、歪んだ運命の軌跡――思い出すだけで、私は……この胸を締めつける痛みに、呼吸を止められそうになる。 「彼女なりの、ケジメでした。優しく接してくれたお祖母様への、感謝の気持ち…… 親切への対価と餞別という意味が、込められていたんです」 対価と餞別か。言って、彼は安堵したように微笑んだ。父親の元へ戻る雪華綺晶の、幸せに満ちた姿を、ココロに描いたのかも知れない。でも……それは幻想。あなたが思っているほど、優しい色づかいの絵本ばかりじゃないのよ。
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