――姉さんへ――
『姉さんへ』と言う書き出しで始まった僕の手紙は、3時間かけて未だに虚無しか生み出していない。『元気ですか?』と続いたもう一枚目は今はぐしゃぐしゃになってゴミ箱の中に転がっている。『がんばってますか?』と続いた二枚目はその機能を果たせなくなるほどに引き裂かれてバラバラになって地に落ちていた。何を書いても『子供っぽい』『保護者っぽい』『意味がわからない』の三択でいい加減正解を出すのは不可能なんじゃないかと感じ始めた。何を書けばいいのか、何から書けばいいのか。悩んで悩んで悩み抜いて、既に10枚を紙屑に変えている。そして今、『調子はどうですか?』と続いた11枚目も燃えるゴミになろうとしているところだ。「はあ」と大きな溜息をついて、僕はついに握りしめていたペンを手放した。単なる近状報告にこれほど時間がかかるとは。分けて買うのも面倒なので用紙はそれなりに買ってあるけど、問題はそこじゃない。大事なのは時間だ。こうやって同じ所をぐるぐる回って、同時に時計の秒針もぐるぐる回って、気がつけば6時を知らせる時報は2時間前にの出来事になっていた。「はあ」こうして貴重な休日が無に帰っていくと思うとまた溜息がでる。いっそのこと諦めてしまおうか。と、そんな邪な考えがが脳裏をよぎる。いや、別に邪ではないと思うけど。寧ろ賢明な判断なんだけど。「お姉さん心配してたよ」たただそれだけ。地元に住む級友からの言葉が、僕を「手紙」なんて柄でもない行動に駆り立てた。些細すぎて理由として成り立つかわからないほどに、どうでもいい一言のはずだった。友達だって別に深い意味で言ったんじゃない。姉が心配してたから、その様子を僕に話しただけだ。手紙なんて言葉は一言もでていないんだけど……なぜだか「姉が心配している」って言葉は妙に僕の心を揺らしてくる。別に義務じゃないし、あいつのことは好きじゃないし寧ろ嫌いだし、ドジだし、まぬけだし、ノロマだし、天然だし。それでも何かしないと後ろめたいような気がするのは、「血縁の絆」みたいな物が僕の中で働いるからだろうか。「それはない」ないな絶対にない。あるわけない。僕はあいつのこと大嫌いだ。いつも僕の邪魔をする。ないないない。もう見てるだけでむかつくから。今目の前にいたら迷わず罵倒できるほどキライだ。なんだけど……。のはずなんだけど……。多分そうなんだけど……。だけど、姉ちゃんにはいろいろ世話になったからなあ。暗い部屋に閉じこもってた僕を、外に連れ出してくれたのは姉ちゃんだ。堅い殻を破って直接心に触れてくれたのも姉ちゃんだ。なんだかんだ言ったって、姉ちゃんはいい人なんだ。天然でもノロマでも一生懸命に僕の面倒見てくれた。僕がどんなにつらく当たっても。どんなに突き放しても。どんなに罵倒しても。そんな人に今も昔も心配ばかりかけて、本当に駄目なのは僕なんじゃないのか?思い返してみると、改めて湧き上がる感情。どうしようもなく高ぶっていくそれが僕の感情をじわじわと支配していく。感謝なのか義務なのか好意なのか罪悪感なのか。自分でも理解できない感情っていうのは厄介だ。どうにもすっきりしない。ココロにもやもやしたものが残って気にかかってしまう。いい大人だって言うのに、未だに自分の事すら理解しきれていないなんて。自分で自分が情けない。でも、なんていうか。家族ってそんなもんなのかもしれないな。「家族か……」狭いワンルームに溶けて消えるはずの独り言が、壁を反射して僕の鼓膜を刺激する。別に深い意味なんてない。理屈もプライドも関係なしにただ大切な存在が、無償で僕を支えてくれている。こんなに幸せなことはないじゃないか。気にかけ、気にされ。愛し愛され。どんなに離れていても決して劣化しない暖かい心が証明する大切な思い。僕はまだ家族を愛している。僕はもう一度、ペンを手にとって考える。相手を引き込む挨拶とか礼儀正しい言葉遣いとかはとりあえず置いといて、とりあえず書いてみようか。言いたいこと、言えなかったこと、もう既に言ってあること。すこしだけ、素直になってみよう。「ふう」三度目に吐いたため息は、過去二回のものとは意味の違う充実のこもったものだった。普段なら重苦しく地に落ちるそれは、軽快なステップを踏んで満月の光る窓の外へ飛び出していった。目の前には文字で黒く染まった手紙が数枚。一枚に収まるはずが、思いのほか枚数が増えてしまった。僕は目の疲れを癒すために、半分開いた窓を通して空を見た。目の前の紙に焦点のあっていた、目が楽になっていくのがわかる。眩しいほどの月は少し目によくないが、有り余るほどの光を発するそれを見るのは結構久しぶりで、年甲斐もなく綺麗だとか思ってしまった。燦然と輝く月が時の経過を感じさせる。一時間や二時間じゃない。家を出てからもうどれくらい経っただろうか。楽しかった春を駆け抜けて長かった夏を飛び越えて、気がついたら秋が始まっている。忙しさに追われて季節なんかに構っていられなかった自分は、学生の頃と違うということを甚だ感じさせた。毎日一緒にいたはずの仲間は今は遠くで別のことをしている。なんだかとても悲しい感じだ。そう言えばしばらく地元にも帰っていない。忙しさもあったが、それ以上に嫌だったのだ。子供みたいな理由だが、なんとなく恥ずかしくって。もう学生じゃない自分を見られるのが、急激に変化した自分を見られるのが嫌だったのだ。「子供かよ」ほんと、子供かよ。言葉にしないとやりきれない気持ちが自然と唇からはじき出される。恥ずかしいのか、可笑しいのか、それとも悲しいのか。ごちゃ混ぜになった感情が心から溢れて止まらない。「子供かよ」繰り返す言葉は僕をますますそんな気にさせる。僕は学生時代と何も変わっていない。まだまだ遊び足りなくて、いっつも満たされなくて、それでも現状維持に努めてる。なにかを変えたくてしょうがないくせに、変える努力もしないでただ足掻いてる。だけど「それでも僕は大人だ」僕は成長している。現状維持しながら日々確実に前進してる。今日もまた前進できたんだ。「休日がまた無駄になるな」子供みたいなこと言ってないで、そろそろ大人の態度を取ろうか。恥ずかしいとか言ってる場合じゃない。心配してくれてる人がいるってことは、その心配を取り除かないといけないんだ。 それが大人って奴だろう?それに気がつけたことが、今日の進歩だ。一心不乱に書き綴った手紙を、一度読み返してみる。幼稚で、なさけなくて、まとまりがない。文章力まで学生の頃と変わっていないなんて。読めば読むほど恥ずかしい。こんなものを家族に渡すほうがよっぽど恥ずかしい。それにこんな紙で何かが伝えようなんて、図々しいにも程がある。僕は少し自嘲的に笑い、そして数時間の努力の結晶をぐしゃぐしゃに丸めてゴミ箱の中へと投げ入れた。晴れて燃えるゴミの一員となったそれはなぜだか妙に清々しい雰囲気を帯びているように見えた。「はーい」薄い扉を通じて、聞き覚えのある声が僕の耳に届く。チャイムを押した直後、心配性の僕の姉はすぐに返事をしてくれた。駅から徒歩で10分弱の僕の実家は、今も変わらずそこにあった。突然の訪問にも驚かずただその大きな存在感を僕に放ち続けている。中からはバタバタと忙しく廊下を走る音が、昔と同じように聞こえてくる。懐かしい感覚が僕を少しだけ子供に戻してくれた。扉を開けた姉はいったいどんな表情をするんだろうか。約束もなしに押しかけて迷惑がるだろうか。結婚もして、子供もできた姉にとって僕はどう写るんだろう。なんて、ちょっと不安だったりするのも案外心地よかったりして。少しずつ高くなっていく鼓動を全身で感じながら、僕はゆったりと流れる時を待つ。青く透き通った空には、点々と滲むような雲が浮かび上がり窮屈な住宅街のずっと奥へと消えていく。ついて回る太陽はちょうど天頂に座し、成長した僕の行動をニコニコ笑って見届けてくれていた。少し冷たい風が、僕の脇を駆け抜ける。そう言えばもう秋か。妙にしんみり季節を感じながら僕は久しぶりの帰郷を果たすのだった。end
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。