『屋敷ハ聖者ヲ食ラフ』
『屋敷ハ聖者ヲ食ラフ』「僕の友達になってくれないか」彼のその一言で、たまらず吹き出す私。「ちょ、ちょっとあんた、本気で言ってるのぉ?」彼が少し声を上ずらせて、そんなに笑うんじゃないよ、と呟いたのが聞こえた。「ところで」唐突に、青年が私の方に向き直り、尋ねる。陽光に照らされてか、部屋の中の埃が妙に目立った。そして彼の表情は、先ほどまでの緩んだものとはうって変わって、緊張で強張っていた。「ここ、本当にお前だけしかいないのか?」「・・・ええ、お父様が亡くなられてから、ずっとひとりよ」「そうか、じゃあさ・・・」どたん、どこん、ばたん、がりがりがりがり、べりん、べりん。「この音、何なんだよ」それはどこかで何かがのた打ち回る音。それはどこかで何かが壁を引き掻く音。それはどこかで何かが何かを食らう音。その音は真下から聞こえ、真上から聞こえ、私たちのすぐ隣からさえも聞こえた。「え? え!? なんなのこれ!?」いまだに体は殆ど動かせないが、精神的には人並みに狼狽えるだけの余裕は私にも残っていたようだ。薄い壁が軽くたわむ。うめき声とも叫び声ともとれぬ声がありとあらゆる角度から聞こえる。何が何だかよくわからない。だけれど、緊急事態、異常事態であるということは見て取れた。「おい」「な、何よ!」「君と呼ぶのも何だ。名前くらい教えてくれ」「水銀燈」「変わった名前だな。まぁそれは置いといてだ。この屋敷から脱出する。 お前にかけた呪いももう解いてある! 立てるよな?」なるほど、私の体の拘束はすでに解けており、体は自在に動かせる。体中に力がみなぎってくるのを感じる。「・・・でも、この音、一体なんなのよぉ。それも分からずに『逃げろ』って?」「なぁ水銀燈、お前、お父様以外の人間の血、吸った?」彼は私の疑問には答えない。それどころか、さらに私に質問を投げかける。何という態度か。「・・・吸ってないわよぉ。というか何であんたがそれを」「・・・僕の勘だとな、ここにいるのは、吸血鬼に血を吸われた死体。 いわゆるグールやらゾンビやらと呼ばれるものだ。絶対にそうとは限らないけどな。 だが、お前がお父様の血以外吸ってないとなると、なぜこいつらがここにいるのか? なぜ今さらこいつらが目覚めたのか・・・? それに・・・この屋敷にも・・・」私の言葉を無視した彼の説明は、始めは朗々と、聞くには相応しい大きさと響きであったが、だんだん呟くようになり、後半は殆ど聞き取る事ができなかった。「・・・まぁ、難しい話は後だ。とりあえず正面玄関からここを出る。いいね?」私の目を覗き込むようにして、彼は言う。「・・・ここの窓から飛び降りるのは?」私は提案はしてみるが、彼は首を横に振る。「ここは大分高い。君はどうかわからないが、僕が落ちたら最低骨折くらいはするだろうね。 それにここから出て森に入ったとする。それでもおそらく、ここの亡者たちは僕らを追ってくるだろう。 そしてこの森、どうみても日光が射してない。真っ暗闇だ。奴らの独壇場だよ。 僕は骨折ったあげく奴らに追いつかれて食われるなんて目には遭いたくない。 とりあえず、損得勘定で考えるとだ、正面玄関から出たほうがまだ被害は小さくできる」相変わらず壁や天井からの音は聞こえ、ドアは大きく歪んでいる。ここに入ろうとしているのだろうか。彼はため息をついて、ドアの方を向く。「あーあ、退魔用兵器使えりゃ楽なんだけどね…」ゆっくりとした、余裕たっぷりの動作でドアの方を向くジュン。彼がドアめがけて構えたのは、銀色に光る大きな銃。いや、それはもはや『砲』だった。亡者たちのうめき声、叫びは今にでもこの部屋に這入り込んできそうなほど、近く、大きくなってゆく。次の瞬間、歪みを増し、もはや板の形をとることが出来なくなったドアの木は粉々に砕け散り・・・なだれ込むようにして動く死者が部屋へと入り込んできた。腐臭。死臭。吐き気を催す、肉の腐る匂い。しゃりしゃりと死肉を食む蛆のざわめき。飛び回る蝿の羽音。肉がずり落ち、露出した骨。血で紅く濡れる眼球。それらが一斉にジュンへとのしかかって来る。私は鼻に突き刺さる匂いと、目の前のおぞましい亡者たちの姿と、想像上の惨劇に、吐き気を覚える。が、しかし、当事者であるジュンは一向に動じない。ゆっくりと、落ち着いて、しかし確実に銃の引き金を引き絞り・・・。次の瞬間、鼓膜を切り裂くような爆音がこの部屋を蹂躙した。ジュンの目の前にあった死者のなだれは部屋の外で巨大な肉塊と様変わりしていた。ドアのあった場所は、ドアが木っ端微塵になっているだけではなく、周りの壁ごと吹き飛んでいた。そしてジュンはまだもしつこく蠢く肉の塊へと、もう一度弾丸を撃ち込む。「金糸雀も腕上げたなぁ。退魔仕様じゃなくても十分だね、こりゃ」死塊を肉塊へと変貌させた鉄塊をうっとりと眺めながら、青年は言う。「さて、それじゃあ下へと降りようか。 それにしても、ゾンビまみれの洋館の中から脱出だなんてね。こういうゲーム作ったら売れそうだな…」彼の独り言なんて私の知ったことではない、が、少なくともこの状況は面白くも何ともない。冗談を言ったはずの彼の顔も、泉の水のように湧き出し続ける亡者たちにあきれていた。「さて、階段はあっちだっけか」ジュンはそう言い、目的のモノがある方向とは逆方向へと歩いてゆく。・・・そして私の視線は、彼が作り出した肉塊へと向いていた。いまだに未練がましく、ぴくり、ぴくり、と蠢くそれ。紅い血が泡立ち、そして破裂してはまた泡立っている。そこに点々と浮かぶ白いモノは蛆虫だろうか。理性は、分かっていた。それが吐き気を催すほどおぞましく、忌避するべきものであるということに。しかし、私はそれをたべてしまいたい。だってこんなにもおいしそうなのに。たっぷりのち。たっぷりのにく。こんなところにほうっておくなんて、とっても、もったいないわぁ。やっぱり、わたしがたべちゃいましょう。こんなにたくさんのちとにく。ああ、やっぱりわたし、しあわせだわぁ。「水銀燈、そこのそれ、食うなよ。絶対腹壊すからな」そう聞こえた。次の瞬間の爆音で、私ははっ、と目を覚ます。私の腕は、いつの間にか肉塊の中ほどにまで埋まり、肉のひとかけらを掴んでいた。彼の声が聞こえた方向で、びたびたびたと液状のものが叩きつけられる音がする。そして私のいた部屋の壁が大きく歪み、轟音とともに壁を突き破り、肉塊が再び登場した。「本当何体いるんだろうなぁ! これ!」新しく作られた壁穴から、彼は不機嫌そうな顔をして、私のもとへと戻ってきた。「・・・水銀燈、どこに下りの階段あるか、教えてくれるか」「・・・すぐそこよ」彼は私の血でずぶぬれになっている腕を見ても何も言わなかった、が。逆に、やっぱりな、という目をして、私のことを見ていた。「水銀燈、恥じる事はない」やはり、私の心を見透かしたように、慰めの言葉を言うジュン。今さらではあるけれど、私は彼を恐ろしく思った。襲い掛かる暴漢よりも、動く死体よりも。「さぁ、案内してくれ」血で真っ赤に染まった私の腕を、彼が掴んだ。いや、繋いだ、と言ったほうが正確だろうか。「・・・そんな迷うほどの距離も、入り組んだ通路も、ないでしょぉ?」「水銀燈が案内してくれた方が絶対、早いだろ、それに・・・」うめき声が、床板のきしむ音が、壁を引っ掻く音が、液体の滴り落ちる音が、聞こえる。上から、下から、右から、左から。いったい、どこからこれほどまでに沸いてくるのか。地獄はまだ、終わらない。第四夜ニ続ク
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