少年時代2.1
長らくの充電を終えて地中より日の下へと起き出たセミ達が、生涯の旬を謳歌せんと万感の思いをこめてミーンミーンと鳴く8月の頭。全国の子供が堪能している夏季休校もそろそろ折り返しの時期にさしかかり、日本国の某県某市に住む子供達もまた、そろそろ宿題を片付けるペースが気になりだしている様子だった。某市立薔薇乙女小学校。小学生が読み書くには難しすぎる漢字を含み、何となく優美な雰囲気を漂わせる校名だが、実際のところは地元のご家庭のお子さん方が通う、いたって平凡な地域の小学校。校舎の造りも教師の面々も平均すれば標準の域に収まる具合だが、あえて学校に目立つ特徴を探すなら、中庭で鮮やかに色づいている広々としたバラの花壇が目にとまる。四季を通して花をつけるように複数の種類が植わったバラの花壇は、創立当時の校長が生徒達と一緒にこしらえたものとされており、学校の歴史と共に40年間、世代を受け渡しながらその命脈を保っている。 「あっついわねぇ」「うん。 あっつい」時はお昼のすこし前。登校日で久しぶりに学校へ訪れた子供たちが早めの帰宅に入っている頃、校自慢の中庭の隅にこしらえられているいと小さな林にて、ごろっと置かれている苔の緑をまぶした岩に背を預けながら、少年と少女がひとりづつ並んで座っていた。各々色の異なるランドセルを傍らに置いて、豊かに葉をつけた樫の樹の陰で暑気をしのいでいる。学校指定の制服だろうか、少年少女は真っ白な襟付きの半袖Yシャツと地味目な茶色い半ズボン、スカートを着ている。少年はシャツのボタンを上ふたつ開けて風を迎え入れ、少女は摘まんだスカートをバタバタとあおいで内に風を送り込み、思い思いのやり方で陽よりいづる熱気と戦っていた。「ねぇ、ジュンはどこか遊びいった?」「水銀燈は?」「私はやきゅう見に行ったわぁ」「へー」質問に質問を返した少年……ジュンの返答はやや気の抜けたものであったが、影もはじく輝きを孕んだ自身の銀髪を指で弄っている少女……水銀燈の声が意を得たように弾みを増した。やや吊りあがり気味の目尻や端整ですっきりとした顔立ちが気の強そうな風体を醸しているが、喋り口はとろんと間延びしておりジュンとの受け答えも柔らかく、それほどきつい気性では無い様だ。ふたりとも年の頃は同じくらいで、6、7歳といったところだろう。わたしがおうえん行くといつもスワローズ勝つのよぉ、と言いながらへへんと僅かに突っ張らせた水銀燈の胸の押し上げの儚さも、彼女の身が成長期を迎える前の時期にある事を伝えている。「僕はプール行ったよ。いのりのにわ遊園地の」ジュンの鼻の頭が炒り麦色に染まっているのは、なるほど件の遊園地で元気に泳いだからか。幼さの分を差し引いても結構な女顔で、見た限り活発そうな雰囲気の子ではないが、暑気に負けず夏を楽しむ頼もしさは持ち合わせているようだ。「ふーん…… ねぇジュン、今日どこか「さがしたわ、ジュン」腰の一寸手前まで伸ばした髪をくりくりと人差し指に巻きつけつつ、うつむき気味に持ち出した水銀燈の語り口を、せみ達の歌と共にひとつの声が遮った。呼ばれしジュンは呼び声聞こえた左前にふと顔を向け、彼の右脇を固めている水銀燈も右眉を持ち上げながら、左へ倣えで顔を向ける。「あぁ、し「真紅ぅ、なにしに来たのよぅ」「あら水銀燈、いたの」ジュンのぬくい反応と、それを塗りつぶす水銀燈の冷やっこい反応。ふたつの温度を平然と受け止めながら、陽光にてかる赤いランドセルを背負った少女……真紅が、胸元で腕を組みつつ立っていた。威風を醸さんとする姿勢だが、ジュンらと同い年と思しきちんまい身体では、制服姿という格好も加わっていささか締まりを欠く様だ。少なくとも、眼中のふたりには気圧された風は見られない。話題に切り込んできた真紅へ睨みを向ける水銀燈と、どこ吹く風とそれを受け止める真紅。じっと腕組み姿勢を崩さない少女の身の中で、金髪だけが暑気の中のささやかな風を受け揺れている。ときに、どうやらこの学校では、髪型に関する校則が定められていないらしい。水銀燈の背を彩るサラサラの真っ直ぐな髪は世間様的にかなり長く伸ばした部類に入るだろうが、真紅の髪の長さは更に凄まじく、側頭にくくったツインテールの先端は彼女のふくらはぎを掠め、耳の前で伸びているふた房も、隆起の気配が無い胸を通り越してみぞおちまで届いている。しかも、どちらも全長の4分ほどが大きなロールを描き丈を縮めているので、ビッと一本線に伸ばせばどれほどの長さに至るのか想像し難い。「ジュン、これからうちにいらっしゃい。 お母さまがパイをやいてくださるの」「うん、い「むりよぉ、私たち今日デートなのぉ」ジュンの口を再び遮った水銀燈の口撃が、毅然とした雰囲気に守られていた真紅の眉間に縦じわのヒビを穿った。しかし、あくまで冷静な態度を失わないよう徹しているのだろう、彼女の意地は超特急で状態の持ち直しにとりかかり、寄せていた眉が元の位置まで引き戻される。「で…デェト……」が、その一言に加えて水銀燈がジュンに身体をぴったりとすり寄せてくるという、傍目からは幼い子供同士が仲良くしているいたって微笑ましい光景は、真紅にとっては全然微笑ましくない上かなりのダメージを与えたらしい。眉間の状態こそ立て直せたものの、浅いUの字を描いた真紅の口の端はピクピクとひきつれており、その表情全体は微笑んでいるように見えなくも無いが、目が全く笑っていない。「……ジュン、あなたずいぶん手が早くなったのね」「デートって…し、しらないよそんなの」以前のジュンがどうだかはわからないが、確かに今の彼の手は早い。覚えありませんよと言いたげな少年の瞳を背負い、何度も横へと振られる彼の右手のひらの動きは、音と競争でもしているのかと取れる程の猛烈な早さを持っている。「んもぉ、てれてるのぉジュン」頑張るジュンの右腕を両腕でがっちりと固めて、より一層の密着ぶりを見せ付ける水銀燈。この暑い中の見るからにおアツいスキンシップは、肌に浮かんだふたりの汗をもってしてもとんと冷ませない熱量を生んでいるようで、ジュンの顔と水銀燈の頬は発散しきれない熱を持て余すかのように紅潮している。「ちょ、くっつくなよ」「いいじゃないの、真紅に見せつけてやりましょうよぉ」「ふ…ふふふふ…… ジュンとあなたがそういうカンケイとはしらなかったわ」じゃれ合うふたりを前にしても、真紅は腕を組んだ姿勢も口元に湛えた笑いも変えることは無く、さほど変わらない状態で立っている。彼女の外見で先程より変わったところを強いて探し述べるとしたら、この真夏日に寒気でも感じているのかめっちゃ小刻みに身体が震えている事と、にもかかわらず血行が良くなったらしく全身の肌が自身の名前通りの色に染まりあまつさえこめかみ辺りに太い血管が浮き上がっている事と、それに乗じて眼球の血行も良くなり毛細血管が白い部分を埋め尽くして両の瞳が赤々と輝いている事、くらいだろう。「な、なんでおこってんの?」「べェつにィ。 ぜんぜん全くこれっぽっちもおこっちゃいないわ。 ええそうですとも、どうしてこの私におこるひつようが有るというの。あなたと水銀燈がちょっとばかしイチャついたていどで、このせかいのエンプレス真紅様が心をみだすなんてありえないわ。まったくもってありえないのだわ。だわ。だわ」心を乱している真紅。目の前で沸き立っているどうにも尋常でない雰囲気に、ひとり騒ぎ立てていた水銀燈も勝手が狂ったらしく、両腕でしかと抱きしめていたジュンの腕への締め付けをふっと緩めてしまった。とはいえ、うろたえてしまったのは水銀燈だけでなくジュンも同じなのだろう。隣で身を寄せている少女を押し退ける事も忘れ、ひたすらにだわだわと吼える真紅の睨みを耐え忍んでいる。「ねえジュン、あなたには大切なものが4つばかりたりないみたいだわ。教えてあげるからしっかりとそのみじゅくなノーミソにたたきこんで今後のせいちょうのかてとなさい。 今のあなたにたりないものは、この真紅をうやまうことと、この真紅をうやまうことと、この真紅をうやまうことと、この真紅をうやまうことよ。 さあおぼえたかしら、この真紅を何? ほら、言って、いっしょに。 この真紅を? はい、この真紅を? この真紅を」「う…うやまうこと」「そうよ、その通りよ。 いい子ねジュン、よくおぼえたわ。 ちなみにうやまうはそんけいするとも言いなおせるわ、 またひとつおりこうになったわね。 人間は学ぶことのできる生きものよ。 でも上をむく気もちをわすれたしゅんかんから人はくさっていくわ。 あなたもつねにこうじょう心とこっき心とこの真紅をうやまう心とこの真紅をうやまう心とこの真紅をうやまう心とこの真紅をうやまう心をわすれずに日々どりょくをかさねなさい。この真紅とのやくそくよ」加速している真紅。激情と錯乱の矢面に立たされたジュンは、前方からひらつく布に興奮した牛さながらの突進力で眼前へと詰め寄られ、岩を背にしているため退く事もままならず、怒涛のごとくぶちまけられる喋りにただ耳を預けていた。
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