第一話『銀色の夜』
ボクの名前は桜田ジュン。本名はジュン=ブラド・ツェペシュ。吸血鬼の祖とされるツェペシュの名を冠するれっきとした本家の末裔であり、もちろん吸血鬼・・・のハズなのだが純血ではなく混血であるためか強い力を宿しているわけではない。それどころか人間の血が吸血鬼の血を凌駕しているらしくよっぽど人間に近い変り種らしい。そのためかボクは生まれてすぐに吸血鬼の本拠地たるヨーロッパを離れ、ここ日本に来た。親としてもボクのような名前負けの存在は恥でしかなかったのだろう。いろいろと思うところもあるのだが、ボクはこれでよかったのだろうと考えている。文字通りの血生臭い世界に自分が生きている姿など想像できないし、普通に太陽のもとで暮らせる自分をあえて吸血鬼として自覚するようなこともなかったからだ。今日は登校日、学校に向かって真夏の太陽の下を歩いている。日差しは苦手ではあったが灰になったり溶けて消えてしまうようなことはない。そんな自分に本当に吸血鬼なのかと自嘲にも似た笑みがこぼれる。ふと前方を見ると、まるで今にも溶けて消えてしまいそうなほどにふらふらと歩く少女の姿。まがりなりにも吸血鬼の自分よりもそれはそれは吸血鬼らしくみえるその所作を見て思わず笑った。先ほどの自分の自嘲と眼前の光景が奇妙な偶然に思えたからでもあった。ボクの笑いに気づいたか気づかないか、彼女が足をとめ振り返る。気だるそうなゆっくりとした動き、うつろな彼女の赤い瞳の焦点がボクに定まる。ボクはその瞳をまるで血のように美しいと、そう感じていた。のどがカラカラになるような妙な感覚、遅れて罪悪感に似た痛みがボクを駆け巡り。視線を落としたボクは足早に彼女を追い抜いて学校へ向かった。燦然と照りつける真夏の太陽の下、これまで口をきいたこともなかった彼女とボクとの冷たくも美しい真夜中のような物語が始まりを迎えた。
ジュンは彼女に惹かれていた。奥底に潜んだ吸血鬼の血が今になって騒いだのだろうか。彼女の血のように真っ赤な瞳がジュンの心を離れることはなかった。それまで特別意識したこともなかった彼女、クラスメイトであることすら失念していたほどに。そんな彼女が今朝のたった一瞬の出来事で特別な存在に変化してしまっている。
「桜田くん、どうかしたの?」1点を見つめ続けるジュンを心配したのか隣の席に座る柏葉巴が声をかけてくる。「いや、なんでもないよ」「そう、ならいいのだけど。…さっきから水銀燈さんのほうばかり見ているのね」
ジュンはギクリとして辺りを見回した。周囲に感づかれるほどの熱視線を彼女に向けていたのだろうかと気恥ずかしくなり顔を赤らめる。
「そんなに焦ることないわよ、…私くらいしか気づいてないと思うし」巴はジュンの焦る姿を見て少し微笑む。幼馴染として十数年をともに過ごし見てきた彼がついに恋をしたかと思うと複雑な心境ではあったのだが。
「水銀燈さん…最近あまり元気なさそうよね」ポツリと漏らした巴の言葉にジュンはもう一度彼女に視線を送る。
なるほど朝の彼女の姿は元気がないためと解釈するのが正常らしい、とジュンは納得したように朝の光景を思い浮かべる。まさか吸血鬼では?などと考えることがなんとも幼稚で馬鹿らしいことだろうと顔を紅潮させて反省する。
「?」水銀燈に元気が無いと言ったら顔を赤くしたジュン。巴の頭上の疑問符はしばらく消えなかった。
そのときジュンはちっとも気づかなかった。窓の外に忍び寄る暗い影を。≪あれですね、ようやくみつけましたよ。≫木にぶら下がった一匹のコウモリが、怪しげな瞳をジュンに送っていた。
家に帰ると義姉ののりが夕飯を作って待っていた。姉が弟に甘すぎるきらいはあるのだが、2人の関係は大変良好なものであった。「ジュンくん、今日はハンバーグよ~ちゃんと手を洗ってきてね。」過保護すぎる彼女にジュンはたまに辟易とすることもあるが、唯一といってもいいであろう家族たる存在であるのりを、彼もまた嫌ってなどいないことは間違いなかった。
食事を終え、風呂につかり、ベッドに向かう。夜型といえば夜型のジュンではあったが普通の人間の生活習慣を大きく外すようなことはない。夜になったら当然眠るのである。しかしその睡眠をかき消すように真夜中の静寂に電話のベルが響き渡った。いたずら電話かとも思うような時間帯であるが姉はすぐに部屋を飛び出しリビングの電話のもとに行ったようだった。
先ほどのベルから数分が経過して彼女がジュンの部屋の扉を叩く。
「ジュンくん、起きてるかな?ちょっといい?」声と同時に申し訳なさそうにドアが少し開く。「うん・・・さっきの電話なんだったの?」少し話すのをためらうような間をはさんで、のりが言葉を発する。「柏葉さんところからだったんだけどね、その…巴ちゃんがまだ帰らないらしいの。」
真夜中の学校は不気味だ、不安を煽るようにたたずむ門扉をよじのぼり、ひょいと着地する。上を見やると暗くたたずむ校舎と月を覆うように雲が空を支配しているのが見える。月明かりすら恋しいジュンのたどたどしい足取りは、けして吸血鬼のそれには見えない。
なぜ学校に来ることになったか。それはもちろん未だ帰らぬ巴を探すためなのだが、ジュンは巴が帰らぬと聞いた瞬間に学校の情景が頭に浮かんだのだ。吸血鬼的な感が働いたのだろうか、まさか自分にそんなものと思いつつもジュンは学校に行くことを決めた。
「さ・く・ら・だ・くぅん」
突然の後方からの声にジュンはとびあがり地面に倒れこんだ。恐々目を声のしたほうにむけてみてジュンは再度驚いた。
「水銀燈・・・・・さん」相変わらずの暗闇ではあったがその赤い瞳を見間違うはずはなかった。「あらぁ、嬉しいわぁ。名前で呼んでくれるのねぇ」水銀燈はそう言って笑顔を作るとジュンに手を差し伸べる。「どうしてこんな夜中に?一体何を・・・ってその格好、家には帰ってないの?」彼女はまだ制服のままであり、ずっと学校にいたようである。「そんなにたくさん質問されてもぉ、ところでジュンは何故ここにいるのぉ?」「ボクは柏葉を探しに・・・そうだ!柏葉を見なかったかな?」見なかったわねぇ。と返す水銀燈に顔を曇らせるジュンの姿。「ジュンは巴さんと逢引の予定だったのねぇ、でも…逃げられたのかしらぁ?」突拍子も無いことをいう水銀燈に慌てて弁解するジュン。「ち、違うよ!ボクは行方不明の柏葉を探しにきただけで・・・っていうかジュンって」今更ながら名前を呼び捨てられていることに気づいたジュンはもはや思考が混乱している。「あらぁ、先に名前で呼んでくれたのはジュンよぉ?それに私のことも呼び捨てていいわよぉ」「それにしても柏葉さんが行方不明ねぇ。そうだわぁ、私も一緒に探してあげるわ」返事をする間もなく歩き出す水銀燈をしばし呆然として我に返り、慌ててジュンが追いかける。
水銀燈の手引きで難なく校舎に入った2人はまず自分達の教室を目指した。何故、夜の校舎への出入り口を知っているのかとか、今まで学校で何をしていたのかとか。水銀燈に聞きたいことはたくさんあったが、何も口にできないままジュンは教室にたどりついていた。「カバンがある。柏葉、一体どこに・・・」携帯の明かりで照らす柏葉の席、机の上にはしっかりとカバンが残されたままだった。しかし手がかりになるものは何もなく、彼女の行方は依然として知れないままであった。なすすべなく自分のイスに座り込み、何気なく視線をうつすと机の上に違和感があった。≪屋上にて待つ≫血文字のように赤く、それは書かれていたと思いきや霧のように消えてしまった。ジュンは何か嫌な予感に蝕まれながらも屋上へと走り出した。「ちょっとぉ、ジュン!どこにいくのぉ」返事もできないままジュンは走り続けた。柏葉が無事でいることを信じて。
屋上の扉が音を立てて開く。まるでお化け屋敷の扉のように大げさなほどの軋みをあげて。「ジュン君、きてくれたのね。」うつろな瞳。まるで実体を失っているかのようにゆらめきながら立ちつくす巴の姿。今日はよく名前で呼ばれる日だなと思った。子どもの頃は『ジュンくん』と呼んでくれていた巴だったが、今の彼女のそれに懐かしい響きはない。別の何者かがそこに巣食い。彼女を蝕んでいる。
「お前は誰だ、柏葉から離れろよ」口調とは裏腹に背中には汗、震える足、ふつふつと湧き上がる恐怖の色にジュンは支配され始めている。一刻も早くここから逃げ出したい自分と、巴を助けなければならないという自分の戦い。
「震えているよジュン君。・・・ふふふ、これではブラドの名折れだね」
ブラド。それはジュンの真名であり、ヴァンパイアを統べる一族の名でもある。
嫌だ、関わりたくない。ボクは人間だ。光あふれる昼を生きる人間だ。
「君が生きていると少々困る方がおりましてね?ここで死んでもらえませんかね」
巴の周囲に白いもやのようなものがかかる。それは禍々しいウサギの形に見える。
巴の姿が禍々しいモヤに包まれたかと思うや、彼女は手にした竹刀を振り上げジュンに迫りくる。ブラドの名を聞いて錯乱状態に陥ったジュンは頭を抱えてうずくまることしかできなかった。
大きく上段より振り下ろされた竹刀がコンクリートにめり込みジュンの頭上ギリギリのところで止まった。人間であるジュンでは死ぬしかない一太刀。人間のままでは死を受け入れるしかない状況。竹刀が荒々しく引き抜かれ巴が再び上段の構えを取る。
もはや竹刀とはいえない破壊力をもったその凶器の向こう側、無表情な巴の瞳から涙が一粒零れ落ちるのを見てジュンの恐怖は止まった。
「柏葉を・・・解き放て」
強い意思を宿した瞳、立ち上がるジュンの足にもはや振るえはない。
そして夜は目撃することになる。ツェペシュという名前が彼に冠されたその意味を、夜は目撃する。『ツェペシュ』とは『串刺し公』という異名。そのなんたるかを夜は目撃する。
無数の槍。赤い槍。身動きもできないくらいに屋上を支配した無数の赤い槍。刃と柄の境もなく、ただ全体が赤く、先をとがらせただけの槍が空中に静止している。
そのうちの一本を手に取るジュン。その瞬間、ジュンの脳裏に水銀燈の瞳が浮かんだ気がした。
突き刺さるような瞳とはよく言ったものだ。
この槍はまさに彼女の瞳を具現化したかのように美しく鋭い。
ジュンは確信していた。これは全てを貫く最強の矛。
ただ今ひとたびは彼女を蝕む闇だけを貫くだろうと。
手に取った紅い槍を巴に向ける。
「お、おのれぇ」
無数の槍ににらまれて身動き一つできない少女を包むゆらぎが言葉を発すると同時。ジュンの槍は巴の体を通り抜け彼女の背中に止まったコウモリを貫いた。
月明かりを封じ込めていた雲が晴れていく。巴に巣食った暗黒が霧散するのと同時に彼女の身体が地面に崩れ落ちる。
あわてて支えた彼女の身体から生の温みを感じてほっと胸をなでおろす。
月の光が屋上にまで届きはじめた。全てを銀色に染めんとするかのように広がる光が。ふと辺りを見回すとまるで何事もなかったかのような夏の夜が眼前に広がった。しかしくるりと振り向いて、現実と対面させられる。目線の先にはコンクリートをえぐった跡、それは生身の人間に到底できることではない。腕の中の少女とそれを見比べて、大変なことに巻き込んでしまったのではと大きな不安に駆られる。しかし扉の向こうから射抜くような視線を感じふと我にかえる。
「水銀燈・・・」
扉の向こうから月明かりの下へと、少しずつ歩を進める彼女の紅の瞳が、ジュンを激しく貫いていた。
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