第四話 『NECESSARY』
無給でも構わないから、側仕えさせて欲しいだなんて。コリンヌは、そんなつもりで雪華綺晶を保護した訳ではなかった。出会いがあまりにも唐突すぎて、思わず、雰囲気に流されただけ。本当に、ただ、それだけのことだった。「……ダメよ、そんなの。なにを言い出すの?」シャワーを止めたコリンヌは、バスタオルを胸に巻くと、バスタブに身を浸したままの雪華綺晶に、あがるよう促した。けれど、雪華綺晶は子供みたいにイヤイヤをして、立とうとしない。はてさて、困ったものだ。意外に、つむじ曲がりな一面があるらしい。コリンヌは、雪華綺晶の濡れた肩に両手を添えて、ぐっと顔を近付けた。「お友だちを困らせるなんて、いけないわ。そうでしょう?」「……私なんかに付きまとわれたら、あなたは迷惑?」「そういうことじゃなくって――」どうも、お互いの意地が、真っ向ぶつかり合っている。これでは埒が開かない。潤んだ瞳で、真っすぐに見つめ返してくる雪華綺晶の真摯さにも絆されて、コリンヌは「わかったわ」と、雪華綺晶の頬を優しく撫で上げた。「お風呂から出たら、お父様に訊いてあげる」 第四話 『NECESSARY』それからはもう現金なもので、雪華綺晶はシャワーをひと浴びするや、独りでさっさと着替えまで済ませてしまった。途絶えることのない微笑みが、機嫌の良さを如実に物語っている。「ちゃんと、髪を乾かさないとダメよ。ちょっと待ってて」「はぁい」雪華綺晶は、右眼を覆う白薔薇の眼帯を玩びながら、素直に返事をする。そんな彼女の様子を、コリンヌは困り顔で眺めていた。入浴するというのに、雪華綺晶はペンダントと眼帯を外したがらなかった。これを外すくらいなら、お風呂になんか入らないと我を張るものだから、とうとうコリンヌの方が折れて、現在に至っている。「右眼のところも、ちゃんとタオルで拭いたのかしら?」「拭きましたわ~」雛苺とはまた違う明るさで戯ける雪華綺晶は、とても可愛らしい。まるで、天使。コリンヌの唇にも、自然と笑みが広がった。「さあ……服を着たら、次は身だしなみね。わたしのお部屋に、いらっしゃい。 髪をブラッシングして、リボンで結ってあげるわ」言って、彼女は雪華綺晶の背に腕を回した。そっと抱き寄せれば、生乾きの髪からシャンプーのいい香りが、ふわり……。「本当にステキよ、貴女。嫉妬しちゃうくらいにね」コリンヌは満足げに頷いて、雪華綺晶の耳元で、惜しみなく褒めそやした。 ~ ~ ~部屋に戻って、丹念に髪を梳った後――コリンヌは色とりどりのリボンを持ち出して、雪華綺晶の前に並べた。長さは、ほぼ均一。幅は、広いものから紐状のものまで、揃っている。「両耳の上あたりで、結ってあげる。貴女って、どんな色が好きなのかしら」「私は…………えぇとぉ……そうですわねぇ」暫し、並べられたリボンの上を彷徨っていた雪華綺晶の指先が、ひたと止まる。「……これ。この色が良いです」彼女が選んだのは、幅の狭い、紅いリボンだった。清純な白に、鮮烈な紅。もっと落ち着いた、おとなしい色を選ぶかと思いきや、なかなかどうして、自己顕示が強い性格らしい。「雪華綺晶って、赤系の色が好きなの? どうして?」「理由を訊ねられると、困ってしまいますけど…………変、でしょうか?」正対照の色というものは、大概において、互いを最も引き立て合う。無垢なイメージの雪華綺晶が、毒々しい深紅(あるいは漆黒)のドレスを纏ったら――きっと男女の区別なく、多くの者を虜にすることだろう。コリンヌは「いいえ」と頭を振って、雪華綺晶の髪を一房、手に取った。「とても、いい感性よ。貴女に彩りを添えるなら、原色こそが相応しく思えるわ。 少しくらい派手な色じゃないと、貴女の美貌に負けてしまうもの」「そんな……照れてしまいますわ。私なんて――」「もっと自信を持ちなさい。貴女は、わたしの知る限りにおいて、誰より美しいわ」ありがとう。雪華綺晶は、蚊の鳴くような声で呟き、頬を染める。本当に可愛い。コリンヌは、その上気した桃色の頬に、親愛のキスをした。 ~ ~ ~――さて。件の相談に対する、コリンヌの父親の返事は、どうだったのか……。その答えは、雪華綺晶の表情が物語っていた。コリンヌに寄り添い、しなやかに細腕を絡める彼女の顔には、満面の笑み。屋敷の庭園を歩く二人の足取りも、どこか軽やかだ。紅、黄、白――庭園には、色も鮮やかな薔薇が咲き誇って、芳香を漂わせていた。「うふふ……。まさか、あんなにアッサリお許しいただけるなんて」「ホント言うと、わたしも意外だったわ」どれほど美しかろうと、雪華綺晶は真夜中の山中で拾った、素性の知れない娘。そんな怪しい者を、タダ働きとはいえ、愛娘の側に仕えさせるだなんて――常識では考えにくい。猛反対されることは勿論、追い出せと言われることすら、コリンヌは覚悟していた。その時には、雪華綺晶を連れて家を出よう……とも。「でも、良かった。わたしたち、まだ、お友だちでいられるのよね」「ダメです、公私混同なんて。私たちはもう対等ではなく、主従なのですわ」「イヤぁね。変なところで、堅苦しいなんて」ぷっと噴き出したコリンヌは、少しトゲに苦戦しながら、手元の白薔薇を手折った。それを、雪華綺晶の髪を結ったリボンに、つと刺し添える。左右に、一輪ずつ。「立場なんて、関係ないの。ずっと……わたしのお友だちで居てね。ずっとよ」「はい、マスター」「もぉ……ダメよ。名前で呼んでちょうだい。ふたりっきりの時だけは、ね?」「解りましたわ。コリンヌ」よろしい。ご褒美とばかりに、コリンヌは雪華綺晶を、優しく抱擁した。石鹸とシャンプーと、薔薇の芳香が、繭のように二人を包み込んでいった。
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