「少年時代1.2」
「少年時代1.2」「待って、ジュンくーん!待ってってばー」公園の門を過ぎた辺りで足取りをゆるめた少年…ジュンは、アスファルトをパタパタ叩く靴底の音と追いすがる声でもって背をつかまれ、次いで誰かが迫っているであろう後頭の方へと首をひねられた。足を止めて後を振り返る彼の隣に並ぶと、声の主は乱れた前髪を指で整えながら、幾ばくか暴れる胸と息をなだめつけにかかっている。「はふぅ……はぁ……置いてかないでよ……もう」「ん……」しめりを纏った吐息の中に、ひとつまみの恨みがましさのこもった声を交えるその人は、ジュンより2、3cmばかり背丈の劣る女の子だった。水色のボタン以外に飾り気を持たない白地のワンピースを着ており、傍目は肩を並べる少年と同い年くらいだろうか、頬辺りで切りそろえられた髪は、身に纏っている服や不健康さを思い描かせるには至らない程度の白肌と、目にも鮮やかに向き合う黒色をしている。左の目元にはぽつんとほくろがあしらわれ、柔和さを念頭に洗練された和人形へ表情を教えたようなその面持ちは、見る人に将来の株価を期待させて然る事だろう。だが、少女の間近で頬をかいている少年は、相場師としては先程の手芸の様な才腕を持ち合わせていないのか、そもそも隣の優良企業の行く末に興味が無いのか、言葉かどうかも怪しいくらいの短さで応えると、再び歩みを進めはじめた。 「ねぇ、どこで遊ぼうか。久しぶりに探検する?ほら、病院の教会とか、まだ行ったこと無かったよね」「……」黙り込んでさっさと歩くジュンに歩調を合わせながら、ふたりの間の静けさを埋めるかのように、少女は息継ぎもそこそこで言葉を連ねている。何か気に入らない事でもあるのだろうか、ジュンは少女が振りまいてくる話題に対してひたすら口をつぐんでおり、贈られる笑顔にはお返しを渡そうともしない。「あのね、お母さんがうちでお昼……」「ごめん。 用事あるから」ひと息切り、少女が殊更に声を張って手向けられたこんしんの話題は、考えるとか悩むとかいった儀礼を放り捨てて放たれたジュンの二言によって、いと速やかに切り伏せられた。装う態度はまるで違うが、互いに共通して何か、こう、無理し合っている感が察せられる。冷えた面を保ちながらただ前を向いているジュンと、地へと捨てられた話題を追って下を向く少女。昼にはしばし時を残している、陽気と暖気に満ちているはずの往来は、裁縫箱と内容物がガチャガチャとぶつかり合う硬い音に占められていた。「……何よ、用事って」「…………」 暖気に潤いを奪われたのか、少々ばかり喉はかすれていたものの、しばしのだんまりの後に放られたその言葉はジュンの鼓膜を震わせるには十分な大きさであり、また終止において、少女の丸い声色をもってしても包みきれないトゲが含まれていた。言葉の質は明らかに返答を欲してのものだったが、なおもジュンは唇の鍵を外すことなく、ただただ無言を通している。「わたしとは口もきいてくれないんだ。他のコにはやさしいのにねぇ」路側帯の溝を覆っている金格子を、少女が1、2回ほど靴のつま先で叩く。カシャンカシャンと跳ねる金属の音の中で、普段は人がうかがい見る事の無い、綺麗ではないものが沈んでいる溝の底から、暗い泡が水面へと浮かび上がっていた。「……別に」「嘘」重たげな口を開いたジュンを制するように、ポツリと少女が呟き漏らす。単純で単調で淡々とした単発の単語に、何か感じるものがあったのだろうか、頑なに進行方向を向いていたジュンはここにきて足を止め、右背の方へと振り返った。 ざり、とアスファルトの擦れる音は、おそらくジュンの耳には入らなかっただろう。ふた足先でうつむき加減にジュンを見遣るその双眸からは、湛えた潤みが零れ落ちていた。「ずっと仲良くしてたのに、このごろ…ジュンくん、全然…っ、あた…に、構っ……くれな…っ」鼻をすすり、喉をつかえさせながら何とか紡ぎあげたものの、少女の言葉は出だしからどんどん震えが大きくなっていき、終いの方はほとんど声になっていなかった。元来色白な肌をしているだけに、哀によってもたらされたであろう耳や頬の紅潮ぶりは一層めざましい。「トモエちゃん……」ジュンが一歩踏み出すが早いか、少女…トモエは右手の甲を目元に溜まった雫で濡らしながら、彼の抱える裁縫箱の隣を駆け抜けて行く。持ち上げかけたジュンの左の手の平が、求める相手を見失ってゆるく空を握り込み、やがてだらんと支えを失い落ちた。しばらくの間言葉も無く地を向いていたジュンの眼差しは、その間遠ざかり消えていく足音を背に受けながら、アスファルトに染み込んだ幾滴かの雫の跡にじっと縛り付けられていた。
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