『きみとぼくと、えがおのオレンジ』~第7話~
「お、おはよ」「あ、うん……おはよう」朝、時刻は午前八時半。大学の最寄駅前で僕と薔薇水晶は出会う。どっちかが来るまでそこで待つ。俗に言う、『待ち合わせ』。合流すれば二人で並んで大学に向かう。話は他愛のないものばかり。前のように大学の話だけじゃなく、ちょっとしたものという意味で。しかしこの関係、今でも夢のようだと思う。正直、こんな事になるとは思ってなかった。いや、想像なんて出来たか?出来るわけないだろ、馬鹿か、僕?でも、幸せと言うべきなんだろう、幸せと思うべきなんだろう。そう、思わないと。
何で、義務感なんだ?
いや、考えては駄目だ。ようやくこの関係になれたんだ、ありがたいと思わないと。
「ジュン……?」僕の顔を覗き込む薔薇水晶の顔、それが少し怯えてるようでいて。「ん?」僕はどうかしたか的な顔をする事に努める。「……なんでもない」「そか」「うん」ぎこちない関係だ、付き合ってるのに。付き合い始めて2週間、まだ、告白だけの関係。せっかっく告白されたのに僕はその実感を持てない。変だ、そう思う。いや、そんな訳ないじゃないか、そう思う。どっちなんだ、そう思う。こんがらがった頭、イライラする。けど、顔には出さない。モヤモヤする頭が憎らしい。ぽそぽそと話す薔薇水晶は可愛らしい。てっぺん近くで二つに結んだ髪の毛と後ろに流した長髪が揺れるたびそう思う。だけど、そんな彼女を奇異の目で見る奴は絶えない。眼帯をしてるからなんだと言うんだ?
怒りの感情が胸の奥で芽生える。ふつふつと、静かに。
――ほら、やっぱり好きなんじゃないか。
そう思うけど、全肯定できない自分がここにいる。何が、足りないんだ?何が、欠けているんだ?モヤモヤしてたまらない。他愛ない話をしながら、その感情が言葉の端に出ないように気をつける。正直、疲れる。
――せっかく、恋人になれたのに
だから、どうしてそう思うんだ。僕は彼女といて幸せではないと自分で言うつもりか?そうじゃないのか?違うだろ。ああ、くそ。
日差しの強さは既に春から夏よりへと。少しチリチリと射す日光、大教室へ向かう道の横に立ち並ぶ木々は衣替えをして新緑に。ただの緑じゃなくて、生まれたばかりの生命力溢れる緑。その中で、なぜか僕達だけが古ぼけたセピア色に見える。「………」気づけば薔薇水晶は黙っていた。「あ、どうかした?」なんでもないと首を振る薔薇水晶。ただ、その顔は何でもない顔じゃない。悲しい顔だ。さびしい顔だ。僕のせいだ、また。これで、何回目になるんだろうか。薔薇水晶の表情が笑顔に変わる。無理矢理に作った寂しい笑顔だ。「授業……遅れるよ?」分かってるけど、僕は分かってない振りをする。「ああ、そうだな」彼女を傷つけるから。
週末、僕らはデートに出かける。近くの店をぶらぶらして、ぐるりと一周して、それで終わり。もちろん、途中でご飯を食べて、ゲームセンターに寄ったり。ああ、映画も見た。だけど、僕らが心の底から笑い合えた事はない。彼女の微笑みもあの時以来一度も見ていない。笑いはする、だけど、なぜか虚しい。他愛のない話はする。はしゃぐ事もある。キスは1回。だけど、それ以上は一向に。プラトニック?違う。それ以降に進まないだけ。現状維持、それだけで満足している。本当に満足しているのか?肯定できない。気づけば夕方、僕は薔薇水晶を家の近くまで見送る。彼女の家には踏み込まない。彼女のプライバシーに触れない。怖いから。デートはこれで5回目。
キャンパス内、僕らはほとんどの時間を一緒に過ごす。一緒に食堂で時間を潰して、図書館で時間を潰して。ベジータや笹塚がいるときは一緒にだべって。水銀燈がいる時は色々悪戯をされたり。授業が一緒のときは出来る限り近い席。だけど、隣同士には座らない。ベジータや笹塚、水銀燈がいる時も、いない時も。奇妙だと思う。だけど、コレくらいの距離で良いと思っている。お互い馴れ合わないように。馴れ合ってしまうのが怖い?怖いのか?付き合って、深い仲になるのが?それとも、もっと別の何か?
まだ、引きずっているのか?
いや、まさか。もう、あの頃とは違う。だけど。
平坦で抑揚のない二人の時間。電車の中で、デートで、大学で、食堂で。互いに過ごす時間はそんなに短いと言うわけではない。だと言うのに、全てが予定調和で変わり映えがない。薔薇水晶は話をしてくれる。無理矢理にでもお互いの距離を縮めようと。僕も努力する。何かしらの話をしようとする。けど、何かがすれ違っている。いつしか、二人は黙ってしまう。喋っているより沈黙の方が長い。それでも無理矢理に時間を作る。メール、電話、メッセンジャー、情報機器を駆使して。それなのに、遠い。沈黙が勝ってしまう。「ねえ、ジュン」いつだったか、こんな会話があった。「私といて……楽しい?」「うん、そりゃ」「そう……」
「うん、薔薇水晶はカノジョだし、楽しいよ」努める、楽しそうな振りをする。「そっか……」悲しそうな表情。「ジュン?」「何?」「手……繋いで、良い?」「ああ」スっと手を出す。「……」カノジョの手が重ねられる。冷たくて、小さい、華奢な指。僕達は何処かの道を歩いていて、歩幅をあわせていて。だけど、心の歩幅とでも言うのか、それは一緒じゃなかった気がする。バラバラだった、それが酷くむかついた。自分が情けないのか、何も分からなくなっていた。僕は彼女を好きなのか?そんな感情さえも希薄になりつつあった。僕は何も分からなくなっていた。
いつからだろうか、こんな風になったのは。僕は彼女を好きだと思っていたのに。だけど、その感覚が今は思い出せない。本当に僕は彼女を?違ったんじゃないのか?何を理由にして彼女を?いや、彼女はどうだ?『好きな振り』をしているだけでは?本当に好きだと思うのか?心の中では、彼女も……
まさか
あの時とは違う。あの時とは違う。だけど、否定はできない。頭の中がモヤモヤする。ああ、くそ。ああ、畜生。終わってしまいたい、僕は思ってしまった。
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