学校の七不思議(4)
「現在、意識はなんとか回復しましたが、はっきりいって脳の状態は不安定です。 くれぐれも過剰な刺激を与えるような問いかけはしないように気を付けて下さい」 病室の前には担当らしき医師が一人と、看護士が数人いた。 その若い担当医は眼鏡を掛け直しながら、注意事項を伝えていた。「分かりました」「それと……」 担当医はさらに何かを伝えようとしていたが、もはやじっとしていられない。 病室のドアをすかさず開けて、中に入る。 それは、蒼星石も同じだったようで、看護士の制止を振り切るかのように、その横から割り込む形で部屋に踏み込んだ。
「……!!」
中にはベッドが一つ。 そこには頭に包帯を巻いた人物――それはまぎれもなく翠星石だった。 彼女は突如現れた私達にきょとんとした表情を向けていた。
体をゆっくりと起こして、じっと私達の方を見つめている。「翠星石、気が付いたんだね。よかった……」 思わず彼女に抱きつく蒼星石。「ち、ちょっと……」 そんな妹の突然の行動におろおろする翠星石。 どういった反応をすれば良いのか戸惑っている様子だった。 目の前の光景を見て、私はほっと胸を撫で下ろす。
……って、あれ?
その刹那にふと感じる……違和感。
おかしい……。 何かがおかしい……。
それが何なのかは最初はよく分からなかった。 でも、少し考えて思った――それは……。
「…………」 蒼星石をただじっと見つめている翠星石。 そして、彼女の後ろにいた私とを落ち着きなく見比べていた。 無表情で。
私は思わず一つの想像をした。 できれば起こってほしくない内容だったのだが――。
しかし、現実はあまりにも冷酷だった。
「……あなた……誰なの……?」
翠星石の口から出たその言葉に蒼星石は動きを止める。「何言ってるんだい。蒼星石だよ。翠星石らしいけど、こんな所でそのテの冗談はきついよ」 蒼星石は翠星石の意地悪な性格がまた出たのだろうと、笑っていた。
「……冗談なんかじゃない。貴女、誰?」
冷たく言い放つ翠星石。 目の前の妹が、それこそ赤の他人であるかのように。 普段の独特の口調はなく、彼女も翠星石と――瓜二つの赤の他人のように。 途端に――蒼星石の表情から笑みが消え、顔色が一気に白くなる。 私もただ、呆然とその場に立っていることだけしかできなかった。
「……彼女、記憶喪失なんだって……これまでの記憶を全て……」 背後から一部始終を見ていた薔薇水晶が語り出す。 だが、目の前の私や蒼星石の様子を目の当たりにして、それ以上話し出せないでいた。「先ほどは言えなかったのですが、翠星石さんは過去の記憶を全てといっていいほど失っています。自分の名前もです。 申し訳ないですが、これ以上は……」 担当医がその先を続けた。
その事実は――私を、蒼星石を、薔薇水晶をも――どん底に突き落とすには、あまりにも充分すぎた。「そんな……そんなぁ……」 蒼星石に至っては、今にも泣き出しそうな顔でその場に崩れ落ちる。
「先生、彼女はいつ記憶が戻りそうなのですか?」 私は頭に浮かんだ、当然のような質問を投げかける。「はっきり言いますと不明です。翠星石さんの場合、後頭部を思い切り強打されました。その影響で、記憶を司る箇所になにかしらの影響が出たかと思われます。 一応、MRIを行って確認しましたら、脳自体に外傷はない様子ですが、正直な話、記憶に関しては戻ってくるかどうかの保証に関して、現時点では答えかねます」「そうですか……」 私はそれ以上何も言う気がしなかった。
「本当に……覚えてないの?妹の僕のことも」 俯きながらも、翠星石に訴えかけるかのように、問い掛ける蒼星石。「ごめんなさい。本当に分からないの。自分が誰かも分からないの。 知っているなら教えて。私は……だぁれ!」 翠星石は突如興奮し出し、蒼星石に掴みかかる勢いで問い返す始末だ。
「ああっ!」 途端に翠星石は頭を押さえて苦しみ出した。「いけない!」 担当医が私や蒼星石を押しのけるようにして、翠星石に掛けより、容態を瞬時に観察する。そして、内線電話で治療の用意をするように指示を出した。 そして、私達の方を向き直ると真剣なまなざしで言った。「今から緊急処置にはいります。申し訳ありませんが、ご退室お願いします」
私はその場に蹲っている蒼星石のに肩を貸す形で、病室を出た。 その際に、蒼星石はぽつりと漏らした。「先生……翠星石のこと……本当にお願いします」「ええ、分かっています。こちらとしても最善を尽くします。そのためにも今日の所は……」「はい……」 蒼星石は暗い声で返事をする。 そのまま私に引っ張られるようにして病室を彼女と一緒に出た。 すれ違いざまに数人の医師や看護士が慌しく中に入って、病室のドアは閉められた。
「兄ぃ、今日は取り調べは無理じゃのう」「わかっとるわい!」 相変わらず背後では矢部が部下の石原を勢い良く殴っていた。「ありがとうございます!それより、姐さんからすぐに本部に戻ってこいと電話があったじゃけん。会議やるっちゅう話じゃ」「じゃあがしゃあ!」 再び、顔面を殴る音。ありがとうございますと威勢の良い礼。
もはやそんなのはどうでもよい。 幸いだったのはこの刑事どもがいらないことを翠星石に根掘り葉掘り聞くことがなかったということだろう。 私は蒼星石に肩を貸したまま、薔薇水晶と白崎さん、梅岡先生とともに病院を後にした。
白崎さんの運転する車の中にて。 途中、梅岡先生を学校で降ろしたのだが、その際に旧校舎が目に入った。
「…………」 恨めしげにじっと旧校舎を見つめる蒼星石。 車はゆっくりと校門を後にした。 そして、蒼星石の家に向かう。
「……許せない、絶対に許せない……」 蒼星石は下をじっと睨みつけながら、うわ言のように呟いていた。 私は彼女に声を掛けようとした。 が、それはためらわれた。
やがて、彼女の家の前に着く。「すみませんでした。ありがとうございます」 蒼星石は白崎さんに礼を言うと、ゆっくりと車から外に出る。「……大丈夫?私も一緒にいようか……」 薔薇水晶が心配げに声を掛ける。「大丈夫だよ。心配はないよ」 蒼星石はぎこちない笑顔で答える。「でも、本当に大丈夫なの?貴女のお爺様、今日は帰ってこないのでしょう?」「まあね」 私は知っていた。 彼女に両親はいない。 祖父がいるが、現在自分の会社の大きな商談のために南米に滞在して家を空けていることを。そして、帰ってくるのに、飛行機の乗り継ぎとかでどんなに急いでも最低2日はかかることを。
「心配性だね、真紅も。だから大丈夫だって。僕一人で何もできないわけじゃないさ。 それに……今は一人にさせてほしい」 蒼星石は元気のない声でそう言うと、小さく手を振り家の中に入っていった。 あんなことがあったのだ。一人でいて冷静になりたい気分になるのも分かる。 私達はただ、そんな彼女の後姿をただ見送るしかなかった。 そして、車はゆっくりと私の家に向かって走り出した。
「……じゃあ、また明日ね……」「本当にありがとう。じゃあ」 私は車を降りて、薔薇水晶の車が走り去るのを見送る。 時計を見るとすでに5時半。 夏の日とはいえ、太陽は西に傾きかかっていた。 ひぐらしのなく音を耳にしながら、私は家に入っていった。
私は即座に自分の部屋に直行すると、パソコンの電源を入れて、チャットに接続する。 今すぐにでも、一番話をしたい相手は……いた。 昨日からの、翠星石と別れてからのこと……彼女の身に降りかかったことを、ありのままに文字にして打ち込む。
くんくん>大体、話の内容はわかったよ。 最初に心中はお察しするよ。ただ、気を落とさ
ないように。 ルビー >分かっているわ。 くんくん>MRIで外傷が見当たらなかったということは、
記憶に関してはおそらく一時的なものだとい
う可能性が高いけど、でも油断はできないね。 ただ、ともかく今は静かに見守ってやるしか
ない。むしろ、物理的ないし精神的なプレッシ
ャーは絶対にあたえないこと。
ルビー >分かったわ。 それより、彼女を襲った奴を見つけ出して! くんくん>落ち着いて。短気になっても仕方がないよ。 僕は警察じゃない。話をもとにある程度憶測す
るのが関の山だ。 その辺は承知してね。 ルビー >ごめんなさい。ちょっと興奮してしまったのだ
わ。 くんくん>それはそうと、恐らくその友達はなにか見ては
いけないものを見てしまった、もしくは拾ってし
まったという可能性はあるね。調べなければ
いけないことは、彼女の持ち物全部だね。
それと、旧校舎の現状も知りたいなあ。 ルビー >貴方は旧校舎の呪いと関係があると考えて
いるの。 くんくん>ちょっと違う。呪いなんてものは、人間がやっ
た出来事を無理矢理思い込んだ結果に出来
た代物さ。 ルビー >でも、彼女の私物は盗まれるか燃やされたり
したわ。 くんくん>そうだね。とにかく今は記憶が戻るのを待つし
かないね。 それより、さっきいった件で、もし分かったら僕
に伝えてね。 但し、無茶は絶対にしないこと。連中は放火ま
でやるんだ。命をとることなぞ全く気にしていな
い可能性が非常に高い。 ルビー >分かったのだわ。まずいと思ったら警察にも
伝えるのだわ。 くんくん>それもいいかもしれない。 あと気になるのは、君の友達の妹さん。君の話
を聞いた限り、普段は冷静でいるけど、一度頭
に来ると短気を起こしてしまう可能性が高い。 一人にさせてくれなんて言い出したのは、その
前兆かもしれない。 とにかく、彼女からあまり目を離さないこと。 ルビー >了解なのだわ。
その後、私はある程度の会話を交わして、チャットを終えた。 時計は既に9時前。 姉は相変わらず帰ってこない。 また、宅配の弁当でも頼むしかないのかと、居間まで降りて受話器を取ろうとした。
その時、呼び出し音がけたたましく室内に鳴り響いた。 私は即座に受話器を取る。 電話は……薔薇水晶からだった。
「……蒼星石……そっちに来ていない?」「いないけど。どうかしたの?」「さっき、彼女の家に電話を掛けたら誰も出なかった……。 あんなことがあった後だから、何となく気になって……」「何か買い物をしに行ったか、それとも電話に出る気がしないとかじゃなくて?」「だったらいいのだけど……彼女結構ムキになっていたから、ひょっとしたら犯人を探し出しにいったかも……虫の知らせってやつかな……嫌な予感がして……」 薔薇水晶にまさかと返そうとした時……ふとさっきのチャットでの会話を思い出す。
一度頭に来ると短気を起こす……。
「分かったわ。今から蒼星石の家に行くわ。貴方も来て頂戴」「……言われなくても、彼女の家に向かっている……」 私は電話を切ると、即座に家を飛び出した。
※※※※※※
同時刻。警視庁○○警察署の一室にて。 その部屋の前には『○○地区通り魔および放火事件捜査本部』と書かれた看板が張ってあり、数十人の捜査員が慌しく出入りを繰り返している。
私はうんざりしながら、目の前のヅラの部下の報告を聞いていた。「なお、高校の事件の放火事件でありますが、燃やされたのは旧校舎から持ち出した資料類とのことです。それは今回通り魔に襲われた翠星石が持ち出しており」「兄ぃ、それはさっき姐さんに報告したじゃけ」 矢部の報告を遮るように石原が口を挟む。 また、お約束のように鉄拳制裁を喰らうのだろうと思っていたら、案の定。 ありがとうございますだなんて、相変わらず脳天気な反応をする石原。 もういいと、彼らを手を振って追いやった時、私の携帯に着信が入った。
「お姉様。ごきげんよう」 従姉妹の雪華綺晶からだった。 神戸で医学生をやってる彼女から、なんでこんな時に電話を掛けてくるのかと思う。 今は忙しいので後で掛けなおすと言って、電話を切る。 そして、胸ポケットから煙草を取り出して火をつけた――。
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(今回登場の他キャラ)
矢部謙三および石原達也@TRICK
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