『ただ、健やかに・・・』
ちゃぶ台に食事が運ばれてくる。ごはん、たくあん。水。それだけ。「ごめんね、ジュン。育ち盛りなのに・・・。お姉ちゃんのごはんも食べる・・・?」「いいよ。だって薔薇水晶姉さんが食べないと・・・」ジュンは首を横に振る。二人は欠けた茶碗に手を合わせる。「・・・いただきます」
もう一年近くなる。両親が死んだのは。僕たちが相続するはずだった遺産や生命保険。卑しい親戚たちがなにかにかこつけて、全部持っていってしまった。両親名義でサラ金を借りられ、借金も残った。ただ残ったのは姉と僕。薔薇水晶姉さんは高校への入学を取りやめ、働きに出た。中学三年の僕は働けるけれど、法律の壁の前では働くこともままならない。だけど、薔薇水晶姉さんのおかげで借金を少しずつ返しながら、なんとかギリギリの生活を送ることができている。
~『ただ、健やかに・・・』~
「今月も・・・・なんとか、ギリギリ・・・」薔薇水晶は家計簿をつけ終わるとため息をついた。「ガソリンスタンド終わってから・・・コンビニでもいれよう・・・かな、でも朝は新聞配達があるし・・・」薔薇水晶は、朝三時に起床してから新聞配達を行い、六時前に帰宅する。それから朝食をつくり、ジュンを見送ってから洗濯を行い、八時にはガソリンスタンドへ仕事に行き、七時には帰宅し、夕食を作り、家事を行い、銭湯へいったら死んだように眠る。それでも、利息分の返済だけで借金は減る気配はない。唯一の救いは借金が増えていないことだ。「薔薇水晶姉さん、銭湯行こう」薔薇水晶は時計を見る。八時半だった。あまり食事を取ることができない薔薇水晶にとって、睡眠はただ一つの体力回復法である。「そうね・・・あまり遅くなると・・・いけないわ」
風が吹くと街灯がチカチカと点滅した。先に風呂を出たジュンは外で薔薇水晶が出てくるのを待っていた。「うー、ちょっと寒いか・・・」ジュンは腕を組みながら夜空を見上げる。「満月・・・か・・・」月は満ちても、僕たち姉弟のお腹や懐が満ちることは無い。「歯がゆいよな・・・」たった一つ年齢が足りないというだけで、働くことができない。自分はこんなに体力が有り余っているというのに。触ってしまえば崩れてしまいそうな姉が二人、生きるために必死になっているというのに。給食の残ったパンは必ず回収し、家計の足しにすることしかできない。「卑しい奴」と罵られても、姉の苦労に比べれば蚊ほどにも思わない。己の腹が減るのは我慢ができる。姉を気遣い、逆に姉に勉強しろと怒られるのも我慢ができる。ただ、姉が衰弱していくのは我慢ができない。「・・・そういえば、そろそろ薔薇水晶姉さんの誕生日だな」ジュンは自分の財布の中身を見る。1250円。「全財産がこれじゃあ世話ないな・・・」薔薇水晶は少ない家計の中から、いつもジュンにお小遣いをくれる。だが、ジュンはその小額の小遣いで生活用品の足しに使っていたから、あまり貯めることはできなかったのだが。電柱に寄りかかると、ふと足元になにか落ちていることに気づいた。「なんだこれ?財布」財布にしてはやけに分厚い。とりあえずジュンは中身を確認することにした「うわ・・・」一万円がいっぱいあった。それも尋常じゃないほど。これほどの現金をなぜ?と思ったが、(・・・この中の一枚くらい抜いたって・・・バレっこないよな。これで薔薇水晶姉さんにいいものが買ってあげられる。)ジュンはそう思いながら、札束の中の一枚をそっとつまみだす。福沢諭吉の顔が出てきたところで、指が止まった。「・・・バカだな。こんなことして。落し物じゃないか。それに、盗んだお金でプレゼントを買ってあげても薔薇水晶姉さんはきっと悲しむ」もとあった場所に福沢先生を押し込むと、ジュンは交番へ駆けた。
ジュンが銭湯へ戻ると薔薇水晶が手持ち無沙汰で待っていた。「・・・どこへ行ってたの?・・・はやくかえろ」「う、うん。ちょっと落し物をね。はやく帰ろう」長い時間を待っていたらしく、薔薇水晶は手に息を吹きかけていた。「姉さん。たまには手をつないで歩こう」薔薇水晶が手を寒そうにしているのを見て、ジュンは彼女の手を握った。「いや・・・いいよ。お姉ちゃん、恥ずかしいから・・・」薔薇水晶はジュンの手の平からするりと手を抜くと、先を歩き出した。(姉さんの手・・・年ごろの女の子の手とは思えないほど・・・荒れていた)ジュンはしばらくその場に立ち止まると、下唇を噛んだ。「そうだ・・・ハンドクリームでも買おう」ジュンの影が動き出した。
「薔薇水晶姉さん。これ、誕生日おめでとう」次の日の銭湯の帰り道、ジュンは月の
光の下、薔薇水晶にハンドクリームを手渡した。薔薇水晶の荒れた指に触れたとき、薔薇水晶は自分らの辛い思い出が一気に流れ出た気がした。せめて、ジュンだけでも人並みに生活をしてやることはできないのか。なんて自分は無力なのか。ぎりぎりの生活はさぞかし辛いというのに、つめに火をともす生活はとても苦しいのに。
自分の愛はもう擦り切れているかもしれないのに。ジュンを優しさで包んでやることも満足にできないのに。
「ありがとう・・・」薔薇水晶の目に涙が流れた。「薔薇水晶姉さん!」ジュンが薔薇水晶の手を握る。冷たくて荒れている手。暖かくしてあげたいのに。「ううん・・・なんでもないの。ジュンが・・・ただ、ただ、健やかに育っているだけで・・・お姉ちゃんは満足なの」薔薇水晶は指で涙を救うと、ニコっと笑った。「ハンドクリーム、塗ってあげるね・・・」ハンドクリームの蓋を外し、ジュンは薔薇水晶の荒れている手にクリームを塗りこむ。「あれ・・・?おかしいな・・・薔薇水晶姉さんの・・・手が・・・スベスベに・・・ならない」ジュンは涙を流しながら、何度もハンドクリームを塗りこむ。しかし、何度も塗っても薔薇水晶の手に潤いは戻らない。「ジュン・・・ごめんね・・・」薔薇水晶はジュンを抱きしめてやることしかできなかった。寒い夜風が吹く中、ただ、月の光だけが優しかった。
深夜。玄関を叩く音がした。「はい。どちらさま?」眠い目をこすって、薔薇水晶が玄関をあける。扉の向こうには見たこともない三人が立っていた。背の小さい男の両脇に背の高い男が二人。三人ともスーツを着ていた。「夜分遅く申し訳ありません。お宅に桜田ジュンくんはいらっしゃいますか?」真ん中の小さな男が挨拶をすると、薔薇水晶は、外は寒いから。と部屋の中へ招き入れた。「あの、家のジュンが・・・なにかしましたか?」薔薇水晶は恐る恐る話しかけた。先ほどは薄暗くてわからなかったが、三人の着ているスーツはサラリーマンのそれとは違う。つまり、ヤクザのいでたちであると理解したからだ。「ホホホ。そんなに脅えることはありませんよお嬢さん。おっと自己紹介が遅れましたね。私はフリーザ組の組長、フリーザです。脇にいる二人は私の懐刀のザーボンさんとドドリアさんです」紹介されて、ザーボンとドドリアの二人は頭を下げた。「あの、今すぐ・・・お茶・・・淹れます・・・」席を立とうとした薔薇水晶をフリーザが制す。「いえいえ。結構ですよ。そもそもこんな深夜に押しかけた私たちのが無礼なのですから。それで、話というのは・・・」そう言ってフリーザはテーブルの上に肘を置く。「先日、ジュンくんが私の財布を拾ってくれたようなので、そのお礼をしに参りました」フリーザは目で合図すると、ザーボンが懐から、一通の封筒を出した。「お礼の一割です。お納めください」薔薇水晶の前に封筒が出される。封筒をあけるまでもなく、中身がわかった。異常に分厚い。おそらく大金が入っているのだろう。「・・・・・・・・」薔薇水晶は手を伸ばす。封筒の真上まで来たとき、手が止まった。確かにこの封筒の中には大金が入っている。厚さからして、100万はあるだろう。でもそれでいいのか?苦しかった。生活費ですらおぼつかない収入。一日、満足に食事できない日もあった。一つのカップめんを分け合った日もあった。借金取りに脅える日もあった。己の体を売ったほうが楽に大金を稼ぐことができるだろうと何度も考えた日もあった。二人だけで生きていこうと誓った日があった。目の前の大金を受け取れば、確かに生活は楽になる。それでいいのか?
自分がジュンに言い聞かせている言葉。今の今まで、薔薇水晶が挫けずにいられるのも、その言葉を己に戒めているからである。ジュンが健やかに生きるには自分が折れずに働かなければいけない。ジュンに笑顔を絶やさないためには自分に言い聞かせなければならない。他人から大金を貰ってしまうと、その信念が根元から崩れてしまいそうで。
「・・・いりません」薔薇水晶は目の前の封筒をフリーザに返す。フリーザは返された封筒を無言で見つめる。「・・・お気持ちは嬉しいです。・・・でもジュンは見返りを求めて・・・財布を拾ったのでは・・・ないと思います・・・それに・・・私たちは・・・貧乏でも・・・・生活できれば・・・かまいません。・・・私が笑顔で・・・・ジュンも笑ってくれれば・・・それだけで・・・幸せ・・・なんです・・・・それに・・・私は・・・あと何年も生きられなくても・・・いいです・・・ジュンが・・・一人立ち・・・できるその日・・・まで・・・動ければ・・・いいんです」薔薇水晶の決意があった。ジュンは自分が責任を持って育てるという。そのためには自分はどうなってもかまわないという決意が。さし返された封筒の上に雫が、いくつか落ちた。「き、ききましたか・・・ザーボンさん、ドドリアさん・・・なんという素晴らしい姉弟愛なのでしょう・・・このような若者がまだいたとは・・・目先の利益には捉われず、将来を見据える。そのためには姉である自分は死んでもかまわないと・・・。彼女らを社会の底辺に埋もらせることは大きな損失です」フリーザはただ、ただ、涙した。「あ、あの。組長には御子がいやせん!よろしかったら、養子になってもらえやせんでしょうか?」「おいドドリア!口が過ぎるぞ!」「うるせえザーボン!お前には、このお方の素晴らしさがわからねえのか!」「そ、そんなことは・・・ない」ザーボンは目を覆う。薔薇水晶の言葉に心打たれないわけがない。「まあまあ二人とも。そのような話はいまこの場ですべきではありません。しかし、このフリーザ。財布を拾ったお礼ではなく、心の底からあなたがた姉弟の力になってあげたいと思いました。見たところ、あなたは学校にも行ってない様子。それならば、私が来年からジュンくんと同じ学校に通えるようにしましょう」フリーザの話を薔薇水晶は飲み込むことができず、固まっていた。「ああ、すいません。わかりにくかったですか。つまり、私はあなたがた姉弟の後見人になりたい。ということです。あなたがたが希望すれば、養子にだって受け入れる気持ちもあります」「組長!学校は薔薇学にしましょうぜ!あそこなら、来年から我が組傘下のサイヤ組のべジータが通う学校です!」「ほっほっほ。べジータさんも心優しいから、きっと仲良くしてくれるでしょう。いかがですか?あなたはよく頑張りました。もう無理しなくても、いいですよ」「・・・その言葉。信じても・・・いいのですか・・・?」「フリーザ組長は仁義のあるお方で有名だ!一度も約束を違えたことはない!」ザーボンがフリーザを弁護する。フリーザは嘘を言ってるようには思えないし、ザーボンとドドリアの二人も己の組長を信頼している。フリーザの言うとおり、今でさえ、無理しているというのに、ジュンが高校へいったら、経済的にも苦しい。自分ではもうまかなうことはできない。薔薇水晶はしばらく、考えた。そして、口を開いた。「よろしく・・・お願いします」「そうですか!わかりました。いやーザーボンさん、ドドリアさん。私は嬉しいですよ!」子供のようにはしゃぐフリーザの脇で二人は苦笑していた。
僕は隣の部屋で寝ていたけど、話は全部聞いていた。これはあとから聞いた話なんだけど、フリーザさんは東奔西走して、僕たちの相続すべき遺産や、親戚に残された『借金』の『カタ』をつけてくれたそうだ。隙間風の吹くアパートから、風呂とトイレのついているアパートへ引っ越し、三食満足に食事が出来て、服にも困らない。やっと『普通の子』になった僕と薔薇水晶姉さんが一緒に机を並べるのはまた後の話。フリーザさんは僕たち二人を本当の子供のようにかわいがってくれて、薔薇水晶姉さんと相談して、フリーザさんの養子になるのも恩返しの一つかなと考えている。
そして、フリーザさんたちが帰った日の朝、ちゃぶ台で突っ伏して寝ている姉さんの脇には、コンビニで買ってきた唐揚げが一つ置いてあった。豪華なものが唐揚げしか思い浮かばなかったらしい。僕は薔薇水晶姉さんに布団をかけて、小声でいった。
『僕は健やかに育っているよ・・・そして、ありがとう。僕の誇りで・・・大好きな薔薇水晶姉さん』
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