―文月の頃 その3―
翠×雛の『マターリ歳時記』―文月の頃 その3― 【7月20日 夏の土用入り】いよいよ、待ちに待った夏休みが目前と迫ってきた、7月下旬の晴れた日。多くの大学では、この時期に前期日程の期末試験が行われる。講義の履修状況によっては、日に三つ四つと試験を受ける羽目になるのだが、四年次ともなると必修科目も殆どなくなり、その数はグンと減る。翠星石と雛苺も、十教科くらいしか履修しておらず、しかも、その内の幾つかはレポート提出で単位が貰える講義だったから気楽なものだ。今週の火曜日から試験が始まり、既に三教科を済ませているので、今後のスケジュールは一日に一教科のペースとなっていた。「お待たせ。遅くなって、すまねぇですぅ」午前中の試験終了後、やや息を切らせ気味に学食へと駆け込んできた翠星石は、既に顔を揃えていた親友に、片手をあげて挨拶した。向かい合わせに座った翠星石に、雛苺は水を汲んだコップを差し出しながら、にこやかに訊ねた。「随分と遅かったのねー。何か、急用でもあったの?」「来る途中、みっちゃんに捕まって、長話に付き合わされたですよ」「うよ……災難だったのね」「気軽に、過去形に出来れば良いですけどね」なにやら意味深長な翠星石の口振りに、雛苺が「?」マークを頭の上に浮かべて、小首を傾げた。まるで、まだ災難は終わっていないとでも言いたげだ。雛苺が説明を求める前に、彼女の態度でそれと察したらしく、コップの水を一息に呷った翠星石は、ノートで顔を扇ぎながら語り始めた。「どこで聞きつけたんだか、夏休みの旅行の予定を訊いてきたですよ」「……それで、どうだったの?」「なし崩し的に参加することが決定したです。 ホントに、誰がペラペラと喋りやがったですかねぇ」「…………」一瞬の、気まずい沈黙。探るように、じっとりと雛苺を見つめる翠星石。雛苺は引き攣った笑みを顔に張り付かせたまま、全ての動きを止めてしまった。彼女の行動が意味するところは――「やっぱり、おバカ苺が喋りやがったですね?」「ごめんなさいなの。つい、口が滑ったのよー」「……まあ、しゃーねぇです。それに、デメリットばかりでも、ねぇですからね。 みっちゃんも、車を出してくれるって話です」予定では、参加人数に比して車の台数が確保できない問題があったため、公共の交通手段で移動する事になっていたのだ。その為、出費の中でも交通費の占める割合が、大きくなっていた。無論、車の場合でもガソリン代が必要となるが、頭割りで換算すれば、列車を使うより安上がりである。時間に縛られないという利点もある。長時間のドライブで疲れる事さえ我慢すれば、予算的に得な方だろう。「旅行の件は、蒼星石が帰ってきて、出発日が近付いたら話を纏めるとして……。 まずは昼食にするですよ。一科目だけとは言え、アタマ使ったら腹減ったですぅ」「ういー!」今日は土用入り。丑の日は三日後なのだが、鰻の蒲焼きを宣伝する幟が、あちこちで風に翻っている。気温が30度を超す中、暑気対策と称して激辛カレーを平らげた二人は、汗を拭き拭き、帰宅途中に駅前の商店街を歩いていた。珍しく、雛苺の方から誘ってきたのだ。なんでも、画材を買いたいとか……。あまり芸術に興味のない翠星石にしてみれば、雛苺が画材を買っている様子を隣で眺めているのは、面白みに欠けた。なにか退屈しのぎになるモノを探して、きょろきょろしていると、少し先に、並んで歩く水銀燈と真紅のサッパリした夏服姿が――これ幸いと、翠星石は彼女たちに旅行の件で話をしてくると、雛苺に告げた。雛苺としても、翠星石を付き合わせることに気が引けていたのだろう。「じゃあ、ヒナは買い物してくるから、何処かで待ち合わせするの」「私のケータイに電話してくれりゃいーですよ。それじゃ、また後で」手を振り合って一時的に別行動に移ると、翠星石は真紅たちの元へ小走りに近寄った。どうやら、彼女たちもショッピングの途中らしい。「銀ちゃん、真紅~、何を買ってやがるです?」「あら、翠星石。こんな所で会うなんて、奇遇ね」「今日は、真紅の旅行鞄を選ぶのに、付き合ってあげてるワケぇ」今度の旅行に使う鞄だろうか? しかし、彼女たちが見繕っているのは、どうみてもスーツケース。海辺の温泉宿に持って行くにしては、大きすぎる。翠星石が怪訝な表情を浮かべるのを見て、水銀燈は笑いながら、彼女に用途を教えた。「実はねぇ、真紅が就職内定もらったからぁ、お祝いに、カナダへ旅行するのよぅ」「カナダですか。もしかして、オカナガン湖にオゴポゴを探しに行くです?」「なによ、それぇ。オカナガンって、ブリティッシュコロンビア州でしょぉ? 私たちが行くのは、アルバータ州のカルガリーよぅ」水銀燈の話によると、カルガリーまで飛行機で飛び、カナディアンロッキーや、ジャスパー国立公園、バンフ国立公園を巡る予定らしい。自然が豊かで、眺望も素晴らしい、世界的にも有名な観光地だ。ここで一旦、水銀燈は話を区切って肩越しに振り返り、真紅の様子を窺った。真紅は店員に説明を受けたりしていて、水銀燈と翠星石には注意を払っていない。水銀燈は、鬼の居ぬ間に――とばかりに、コソコソっと翠星石に耳打ちした。「なぁんて言うのは、表向きの理由よぉ。本当の目的はねぇ、カルガリーの西、 バンフの南に位置するアシニボイン山に登ることなのよぅ」「あ、足に……ボイン?」「アシニボイン山よ。標高3618mもあるんですってぇ。富士山なみよねぇ」「……ははぁん、読めたですぅ。大方、銀ちゃんが調子に乗って、 『インディアンの伝説で、この山に登るとボインになれる』 とでも言ったですね。そんなウソを、真紅が真に受けたってトコですか?」「そうなのよぅ。でも、良く分かったわねぇ」「銀ちゃんの考えそうなことぐらい、察しがつくですぅ」水銀燈は、素直に驚きの表情を見せたが、それも一時のこと。すぐに、ニンマリと笑って、翠星石の肩に腕を回した。「私たちって、意外に気が合うわねぇ。前世では、姉妹だったりしてぇ」「それも、どーんと七人姉妹だったかも知れねぇですぅ」「ふぅん? 面白いわね、それ。でもぉ、何人姉妹でも、やっぱり長女は私よねぇ♪」「あるあるwwwですぅ。次女は、しっかり者の秀才と見せかけて、実はドジっ娘とかですね」「なにげに有り得そうだわぁ。だったら、三女は、どんなタイプぅ?」「そりゃあモチロン、私みてぇな才色兼備のキャラですぅ。 四女は、寂しがりのクセに他人と打ち解けるのが苦手って、不器用なヤツですね。 五女くらいになると、生意気で高飛車なタイプが出てくるです」「幾つか疑問点はあるけど、まあ……ありがちな設定かしらぁ。 そうなると――六女は、みんなのマスコット的な存在ぃ?」「……と思わせておいて、実はエグいキャラだったりするですぅ。 で、七女ともなると、居るのか居ないのか分からねぇ、空気みたいなヤツになるですよ」「あはははっ! 居るわねぇ、そういう存在感の薄い、お地蔵さんみたいなキャラ」――その頃の雪華綺晶と、薔薇水晶。 「くちゅん! くちゅん! 嫌ですわ……風邪でしょうか」 「お姉ちゃん。くしゃみ二回だと、誰かに誹られてるんだよ?」 「え? 私、悪口を言われるような振る舞いなんて、してませんわ」 「……じゃあ、夏風邪。夏風邪はバカがひく」 「…………薔薇しぃちゃん、一週間のシュー禁ですわ」 「なにそれ?」 「シューマイ食べちゃダメ。食卓にも出させませんからね。 もし買い食いなんかしたら……うふふふ。解ってますわよね?」 「うぁ~ん。お父さまぁ。お姉ちゃんがイジメるよぅ」――そして、また水銀燈と翠星石。「あら、真紅の買い物も終わったみたいねぇ」「タイミングいいですね。私の方にも、雛苺から電話が掛かってきたですぅ」翠星石は携帯電話を取り出して、まだ水銀燈たちと一緒に居るところだと伝えた。すると、雛苺が猛烈に水銀燈に会いたがったので、『これからお茶でもどう?』という流れとなった。高校時代から、雛苺は実の姉妹かと思えるほど、水銀燈にベッタリなところがある。なぜ、そこまで懐いているのかは定かでないが、多分、どこかウマが合うのだろう。袖振り合うも他生の縁……というやつかも知れない。それが、違う大学に通うようになって、めっきり会う機会が減ってしまったので、雛苺も寂しさを募らせていたのだろう。五分と経たずに、雛苺は待っていた三人の元に駆け込んできた。正確には、笑顔を輝かせながら両腕を広げて待つ、水銀燈の元へ――「ヒナちゃぁーん。久しぶりねぇ」「銀ちゃーんっ! ひっさしぶりなのーっ!!」嬉々として飛び付いて行く様は、まさに飼い主にじゃれつく子犬状態。真紅も、翠星石も、やれやれと肩を竦めて苦笑った。――が、次に瞬間、その笑みは驚愕に凍り付く。 ズゴンッ!「あぐぅっ!」あまりに勢い良く抱き付いた為、雛苺の頭突きが水銀燈の顎にクリティカルヒット。しかも、明らかに故意と解る右膝が、水銀燈の鳩尾にメリ込んでいた。真紅と翠星石の頭から、音を立てて血が退いていった。「う、うよ~。銀ちゃん、大丈夫なのー?」しおらしく謝りながらも、雛苺は水銀燈の耳元で、ぼそりと……。「真紅とばっかり仲良くしてちゃ、めー、なのよぉ?」囁いて、微かに口の端を歪めた。先手を取られた挙げ句、文句を言う前に凄まれては、流石の水銀燈といえども気勢を殺がれてしまった。「銀ちゃん、お返事は?」「…………はぁい」「よく出来ましたなのっ。今度は、いっぱいヒナと遊んでなの」「まったく……敵わないわねぇ。痛たたぁ」「うふふっ。銀ちゃん、だぁい好きぃ~」全く悪びれた素振りも見せず、ニコニコと水銀燈に抱きつく雛苺。水銀燈も、いつもみたいに激情を炸裂させたりせず、彼女の気の済むようにさせている。そんな二人の様子を、少し離れた場所から眺めていた真紅と翠星石は――「実は、雛苺こそ最恐最悪の存在に思えてきたですぅ」「貴女と意見が合うのも、珍しいわね。私も、同感なのだわ」「真紅……そのスーツケース、雛苺くらいなら押し込めれば入るんじゃねぇですか?」「多分ね。まさか、カナダに捨ててこい、と? そんな事、出来っこな――」「悪い話じゃねぇですよ? よぉーく考えてみるです。 雛苺が居なくなれば、次回から第2部、紅×翠の『マターリ歳時記』が始まるですぅ」「……………………おいしい話ね、それ。ホントに殺っちゃうわよ、私」夏休みが待ち遠しくて――――みんなの心は、ちょっとだけ暴走気味だったとさ。
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