「第5話“ローゼンメイデン”」
―――二〇一〇年十二月二十一日 午前十一時十四分 防衛空軍参謀室―――
独裁者が住まう無愛想な建物に吹雪が当たっているころ、東京では朝から真冬の冷めたい小雨がぱらついていた。
「ふぅ……どうしたものか……」
空軍の作戦部長に昇進した梅岡少将は今後の作戦予定を記された書類を見ながら不満そうに言った。ベリーベル攻略を目指す「天一号作戦」の第一段階は終了した。しかし今後要塞攻略に投入される兵力は相当の数に上り、それをかき集めて再編成するにはかなりの時間がかかる。 気が短い梅岡にとってそれは耐えられないことであった。まして神聖なる国土をエイリス人に踏み荒らされていると思うとそれだけで鳥肌が立った。だから一刻も早くエイリスの奴らにわからせたいと思っていた。ここはお前達が居ていい場所ではないということを。
梅岡は机の上に置かれていた数枚の青写真を手に取った。そこには数日前にベリーベル近辺で偵察飛行隊が撮影した数機の航空機が写っている。その航空隊は機体の色が赤、黄、緑、蒼、白、黒、桃、の七色に分かれていた。梅岡は目を細める。七色の航空隊……我が軍のエース達をことごとく打ち破った最悪の敵があの要塞にいる。いずれ、ベリーベルの決戦には大量の航空隊を投入することになるだろう。しかし、いかに数をそろえたところで、七色の航空隊を生かしておいては被害が増えることが目に見えている。梅岡の本音としてはこれ以上無駄に航空機を失いたくなかった。機体があってもそれを乗りこなせるパイロットの育成が思ったよりも進んでいないためだ。さて、一体どうするか……
そのとき梅岡に一つの案が浮かんだ。そうだ、ひょっとすると彼らなら倒せるかもしれない。これは自分の独断専行になるが、成功したら空軍全体の被害を最小限に抑えることができる。うまくいけばまた昇進できるかもしれない。大丈夫、彼らは英雄だ、負けるわけがない。梅岡は決断した。日本の……いや、自分の出世のために……
「でも厚木から要塞までは遠いな……よし、あの基地に転属してもらうか」
――ACE COMBAT ROZEN―――「第5話“ローゼンメイデン”」
―――二〇一〇年十二月二十一日 午後二時四分 ベリーベル要塞ブリーフィングルーム―――
ベリーベル―――山形市内に築かれたそれは、そこかしこに配備されたCIWS、ジャミング装置による激しい電波干渉、総勢百機以上の航空隊と五万人以上の将兵を有する難攻不落の要塞である。その要塞の一画にあるブリーフィングルーム。大学の教室を縮小したようなその部屋に七人の少女と一人の男がいた。十七・八ぐらいであろう七人の少女達は皆エイリス空軍指定の士官服を着ており、男は空軍の将軍服を着ていた。エースの証である赤の士官服に身を包んだ彼女達こそ、日本の誇る幾多のエースを打ち破り、「七色の航空隊」として恐れられているエイリス最強のトップガンにしてローゼンの愛娘、エイリス空軍第一航空師団第一戦闘飛行隊 通称「メイデン隊」のメンバー、真紅、水銀燈、雛苺、翠星石、蒼星石、金糸雀、雪華綺晶だ。
「……では、貴女方はどうしても出撃したくないと仰るのですね?」
白色の将軍服を着用している白崎と同じ顔をした男―――エイリス日本方面軍綜司令官ラプラスは半ば呆れた様子で言った。ローゼンへの報告を終えて先程本国から帰還したラプラスは、真っ先にこのベリーベルへ向かい要塞内で待機中だった彼女達を召集した。その目的はただ一つ、彼女達を説得し、メイデン隊を再び戦場へ赴かせるためだ。
「ええそうよぉ。何を言われたって私達はもう戦わないわぁ」
ラプラスの問いにメイデン隊隊長水銀燈が憮然とした態度で答えた。
「ほぅ、それはどうして」
ラプラスまるで兎のように目を細めた。その目には彼女達に対する侮蔑の色が窺える。水銀燈は目をそらすことなくラプラスを真っ直ぐに睨み返していた。
「翠星石は……もうだれも殺したくないんですぅ……」
隣に座っていた三番機パイロットの翠星石が沈痛な面持ちで呟く。
「これはこれは、二万人の日本人を虐殺した人とは思えない口ぶりですねぇ」
ラプラスがはははと声を上げて笑った。
「なんですってぇ!!!」
大声を張り上げて翠星石が席をたったのに其処に居た全員が注目した。普段の温厚な彼女からは想像できないくらい怒りに満ち溢れたその表情……翠星石は人を睨み殺せそうなくらいに殺意と憎悪の込もった視線を、ラプラスに向けていた。
「ふざけんじゃねえです!!おめぇ言ってたじゃないですか!!ちょっと眠ってもらうだけだ、心配無いって!!だから、だから翠星石は!!」
二年前の十月八日。桃種市へのガス入りの爆弾投下を命じられた彼女達は出撃前に『こんなことして大丈夫なのか』とラプラスに聞いてみたら、そのとき彼はこう答えた。
『なあに心配いりません。ちょっと眠ってもらうだけです。これ以上エイリスに抵抗するならこうしてやるぞというただの脅しですよ』
彼女達はその言葉を信じて、目標であった薔薇学園、有栖川病院、柴崎時計店のある中央商店街、草笛みつが住むマンションがある市街地、桜田宅のある住宅街に爆弾を投下した。 ……しかし、実際に撃ち込んでみたら、それは毒ガスだった。強風に煽られたガスはあっという間に街中に広がって……気付いたときには、眼下のほとんどの住民が死んでいた。
「これはこれは、私はウソを吐いてませんよ。だって実際に眠ってもらってたじゃないですか……永遠にね」「―――っ!!!お前えええええ!!!!!!!!」「よしなさい翠星石!!」
ラプラスに殴りかかろうとした彼女を後から羽交い締めにして止めた者がいた。金髪のツインテールをした少女。五番機パイロットの真紅だ。
「真紅!!でも!!」「仮にもあの人は上官よ。ヘタに手を出したら軍法会議にかけられてしまうわ」「でも……でも……」「それに……今更何を言っても……ジュンは帰ってこないのだわ」
真紅の悲痛な叫び……翠星石はしばらくラプラスを睨みつけていたが、すぐにぺたんと席に腰を下ろした。それを傍観していた水銀燈は安堵の溜息をつき、ラプラスに向き直った。
「そうねぇ、確かに私達は沢山の人を殺したわぁ。軍人も民間人も、それに、掛け替えの無い人もこの手で……」
あの作戦の後メイデン隊は全員心を病んだ。翠星石は毎晩あの日の悪夢に苦しみ、雛苺は戦闘機を見ただけで嘔吐し、金糸雀は言葉を失い喋れなくなった。比較的ショックが軽かった真紅と雪華綺晶と蒼星石もコックピットに座るだけで眩暈や頭痛を感じることがあった。……その中でも一番酷かったのが水銀燈だった。親友と恋人を自らの手で葬ってしまった(メイデン隊はまだジュン達が生きてることを知らない)彼女は、あまりのショックに倒れ、意識が回復した後は自分の部屋に引きこもり、うつろな目でぶつぶつと歌を歌い続けた。恋人くれた指輪を握り締めて、親友が好きだったあの歌を。朝も夜もずっとずっと……今ではすっかり元に戻ったように見える彼女も、精神安定剤の助け無しでは正気を保てない状態が続いている。あの事件は当事者である彼女達の心にも暗い影を落としていた。
「私の手は……こんなに汚れちゃったけど……もう……ジュンと同じ所には逝けないけど……けど……もうあんなの嫌なのぉ…… あんな思いはしたくないのぉ……もう……もう誰も傷つけたくないのよぉ……」
水銀燈が涙を流しながら訴える。傷つけたくない。殺したくない。おそらくそれは、彼女達全員の心からの願いだろう。だが、その懇願にもラプラスは苦笑いをしながら首を振るだけだった。
「まったく何を言うかと思えば……貴女にはローゼン様より大事な方なんて存在しないはずでしょう?」
ラプラスは肩を竦めた。
「そ、それは!!」「それに今の貴女達は軍人です。上の命令がどんなに理不尽なものでも決してNOと言ってはいけない。そう教育されたはずでしょう?」
彼のいうことは軍人として当然のことだった。戦場に個人の意思は関係ない。所詮兵士はただの駒なのだ……。上官の命令に服従し、討てと言われれば、それが誰であっても討たねばならない軍の犬。それが軍人だ。
ラプラスは彼女達の方へ一歩づつ足を踏み出した。
「ヘキサ隊、キエル隊、ショマ―隊、シュミット隊、フォッセ―隊……皆メイデン隊の代わりに出撃し、戻ってこなかった部隊です。 貴女達の我侭のせいで死ななくてもよかった味方が一体どれだけ死んだかおわかりですか?まさか敵を殺すのは嫌だけど味方が死ぬのは構わないと仰るつもりじゃないでしょうね」 「そ、それは……」
反論できない水銀燈。ラプラスはにやりと笑いつつ、試験中に見まわりをする教師のように彼女達のまわりをぐるりと回っていた。
「もしメイデン隊が出撃していれば、これらの隊を失うことも無く、作戦も成功し、被害は最小限に抑えられていたでしょう。 やれやれ、貴方達のせいでどれだけ無駄な犠牲が出たのやら……」
相変わらず周りをぐるぐると回っていたラプラスは、六番機パイロット雛苺の隣に来ると、その肩にぽんと手を置いて耳元で
「貴女が出ていたらオディール中尉も死なずにすんだとは思いませんか?」
と囁いた。雛苺の体がビクリと震えた。オディール・フォッセ―……巴とジュンを失い失意の中に沈んでいた雛苺を励げまし、立ち直らせた人物。それ以来、彼女と雛苺は親友とも呼べる間柄となったが、一ヶ月前、オディールは出撃を渋ったメイデン隊の代わりに茨木で……ラプラスはクガクと体を震わせ、瞳からハイライトが無くなっていく雛苺を満足そうな笑顔で見詰めると、顔を上げて他のメイデン隊の面々を見回した。彼女達は皆一様に顔を強張らせ、口元が歪んでいた。
「貴女達のふざけた行為にはローゼン様も心底お怒りです。もしまた出撃を拒否することがあれば貴女達全員を勘当すると仰っていました」
誰かがうっとうめいた。
「米代が陥落し、敵がこの要塞に殺到するのも時間の問題です。そのときは嫌でも働いてもらいますよ。 まあせいぜい頑張ってください。貴女達自身のためにも、ローゼン様のためにもね」
ラプラスはそう言って一瞬彼女達を馬鹿にしたような笑みを浮かべると、ドアを開けて部屋を後にした。ラプラスが居なくなっても、彼女達はなにも言わず、部屋から出ていく者もいなかった。
「すみません、ご一緒してよろしいですか?」
召集の後、搭乗員待機室で一人紅茶を飲んでいた真紅に七番機パイロットの雪華綺晶が訊ねた。それに対して真紅は「ええどうぞ」と憮然とした表情で答えると、雪華綺晶は真紅の前の椅子に座り、事前に用意したマイカップに紅茶を注いでもらった。真紅と雪華綺晶は二年前の事件以来、こうやってよく一緒に紅茶を飲んでいた。理由は簡単、他の者が皆正気を失っており、雪華綺晶以外に一緒に飲める者がいなかったためだ。そのためか、今ではすっかり気心が知れる仲となっており、今でも時々こうやって一緒に紅茶を飲んでいる。
「…………」「…………」
いつもなら紅茶を味わいながら談笑する二人も、今日は一言も発せず黙って紅茶をすすっている。やはり先程ラプラスに言われたことが堪えているのだろうか?ややあって雪華綺晶がおもむろに口を開いた。
「……なぜ」「え?」「なぜ私達はこんなところで戦っているのでしょう?」「それは……」
真紅は答えられなかった。一年前の彼女に同じ問いをしたら、きっとこう答えただろう。
『全てはお父様の為に』
しかし、今の真紅はそのことに疑問を感じていた。
元々彼女達は自分から軍に志願したわけではなかった。二年前、日本で普通の学園生活を送っていた彼女達は、突然拉致同然にエイリスに連れていかれ、そこで再会したローゼンに無理矢理軍に入隊させられた。普通の暮らしを奪われ、戦うことを強制された彼女達。そんな異常な日々の中で精神の安定を保つには『愛する父のために戦う』と思うしかなかったのだろう。それに、当時ローゼンは『戦争が終わったら桃種市に帰っていい』と言っていた。それを信じて彼女達は辛い訓練にも耐え、覚えたくない人殺しの術を覚え、乗りたくない戦闘機に乗って命じられるままに敵を殺していった。……その結果があの惨劇だ。知らなかったとはいえ、彼女達は自分自身の手で第二の故郷を消し去ってしまった。桃種市には大事なものが山ほどあったのに、それは遠い記憶の彼方へ消え去り、もう二度と戻らない。そんなことをさせられてもなお、『お父様の為に武器を取る』と言えるほどローゼンへ盲目的な愛情を持ってはいない。だったら何の為に?誰の為に自分はここにいるのだろう?真紅はカップを置いて考え込み……それでも答えは出なかった。
「戦争は何時まで続くんでしょう」
雪華綺晶はぽつりと呟いた。
「憎み、殺しあった先に何があるのでしょう……何のため?こうしている間にもまた双方の尊い命が失われたでしょう」「なぜ総統はこんなことを平然と……」
彼女は残っている右目からつうっと一筋の涙を流した。この子は他者の痛みを自分の痛みとして涙を流せる。そういえば桃種市に居たときも、TVで流れる世界の戦争報道を見て人知れず嘆いていたこともあった。人一倍平和を望んでいるんだな。そう真紅は思った。
「戦争なんて無くなれば良いのに……真紅さんはどうすればこの世から戦争をなくせると思いますか?」
話を降られた真紅は横に首を振った。無理もない、わずか十八歳の少女にこの問いに答えることなど出来はしない。
「じゃあ貴女は?なにか考えでもあるの?」
質問を返された雪華綺晶は黙り込んで目を伏せた。随分考え込んだようだったが、彼女はゆっくりと言った。
「そうですね……この世から国境という境を取り払ってしまえば、こんな醜いパイの奪い合いも終わり、 戦争という愚かな行為も無くなるかもしれませんね」
普通に聞けば、それはとてつもない暴論だろう。しかし、真紅はそれを真剣に受けとめた。もしそんな世の中が訪れたら、自分はもう戦わなくて済むのだろうか。もうあんな思いをしなくて済むのだろうか。もう……戦争をしなくても済むのだろうか。
「境を取り払った世の中……国境なき世界……」
真紅はそれについてもう少し詳しく聞こう思った。
「雪華綺晶、それ……」「忘れてください。ただの戯言ですわ」
雪華綺晶は真紅の言葉を遮り、それ以上の質問を許さなかった。真紅は彼女の表情がとても悲しそうに見えた。
「一体なにが正義でなにが悪で平和って何なんでしょう?私は時々それがわからなくなるんです」「そうね、私もわからないわ。でも一つだけ言えることは……」
真紅は一旦言葉を切り、雪華綺晶の目を見据えながら再び続けた。
「この戦争に限って言えば、私達は正義ではない。それだけなのだわ」
雪華綺晶はなにも答えず、黙って紅茶を啜った。真紅もカップを手に取って紅茶を味わい、そのまま無言の茶会は続いてった。
―――二〇一〇年十二月二十一日 午後二時五十一分 厚木空軍基地―――
「お呼びでしょうか柴崎司令」
呼び出しを受けて長官室に出頭した白崎は柴崎の様子がおかしいことに気が付いた。いつもは笑顔で迎えてくれる柴崎が、今日は腕を組んで無表情のまま椅子に座っている。
「……軍本部が君達に転属命令を出した」「はい、それで、転属先はどこでしょうか?」
別に驚いた様子も無く聞き返した白崎。柴崎は組んでいた腕を解いて言った。
「福島基地だ」
白崎の表情が曇る。その原因はそこがかなりの激戦区であるからだ。七色打倒を決断した梅岡は小沢司令長官を説得し、ミーディアム隊をベリーベルに最も近い福島基地に転属させることに成功したのだ。
「我が厚木基地としても君達を手放すのは惜しい。しかし軍本部の命令とあっては逆らうわけにもいかん」
言い訳がましいことを呟きつつ、柴崎は机に肘をついて白崎に声をかけた。
「行ってくれるな?」
白崎はしばらく床に視線を落として考え込んでいた。それがとても長い時間に感じられた後、白崎は静かに顔を上げてから言った。
「……了解しました」
福島基地―――それは戦争の激化に伴い、急遽福島県に作られた小規模の空軍基地。しかし、三十八度線に最も近く、航空消耗率も他の基地より高いため、その基地は兵の間でこう呼ばれている。
―――”戦死者養成所”
次回予告
厚木を離れ福島へ降り立ったミーディアム隊。其処で彼らは前線基地の真実を目の当たりにする。そして、ベリーベルにいる彼女達にもとある任務が下された。
次回、ACE COMBAT ROZEN 第6話”最前線”
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