『走れ!雛苺』
混雑する空港のロビーで真紅はため息をついた。「もうあいつがいない日本にくるなんて・・・嫌だったのに」先日、急な国際電話は、愛する従兄妹の死。現実を受け止めるのに時間のかかった真紅は線香の一つでもあげてやろうと日本へきたのだ。「$%#☆○■★+*?!」「雛苺。ここはもう日本なんだから、日本語で喋りなさい」真紅は雛苺のおでこを突っついた。「うゆー。ごめんなさいなのー」雛苺はおでこをさすりながら、スーツケースを転がした。「行きましょう」「はいなのー」
BAR『ザーボン』
「ねえべジータ・・・」「なんだ?水銀燈」「私たち。周りから見たら、付き合ってる風に見えるのかな?」グラスに浮かんでるロックを転がしながら水銀燈はいった。「さあな。でも俺はお前と付き合うつもりなんてさらさらないぜ」緑色のカクテルをゆっくりと飲み干す。「マスター。『ナメック』を一つ」マスターと呼ばれた男は紳士的な面持ちで、にこりと笑うとシェイカーを振り始めた。リズミカルな音を立て、逆三角形のグラスにカクテルを注ぐ。薄い、エメラルド色のカクテルの上にサクランボを二つのせ、べジータに差し出した。「べジータ。最近、バイトを休みがちではありませんか?フリーザさまが寂しがっておられましたよ」「フン!今はそんな気分ではない!」くいっと一気に飲み干すとテーブルにうなだれた。「飲みすぎよべジータ・・・」水銀燈は優しく、べジータの背中をさする。
真紅たちはジュンの家、墓、学校を訪れた。どの場所も最初から彼が存在していなかったように、時間が流れていた。昔、彼と一緒にピクニックだと称して上った山にも今ではきっちりと舗装がされ、昼は車通りが激しい。「・・・時間の流れとは、残酷なものね」街が見ろせる山の頂上で、力なく沈んでゆく太陽を見ながら、真紅は漏らすようにいった。「そうなのー。雛も時間がたつとお腹が空くのー」「くす。雛苺は食いしん坊なんだから。いいわ。あとにでもドドリア堂の苺大福でも買いに行きましょう」真紅は夕日を背に雛苺の頭を撫でる。「うわーい!うにゅー早く食べたいのー」「でも、もう少しだけ・・・ここにいさせて」
地面が斜めに見える。べジータは膝をする勢いで、コーナーを曲がっていった。ぬぐえない。頭の中のモヤモヤが。離れない。影のある水銀燈の笑顔が。後ろめたい。双子の邪気のない瞳が。でも一番嫌悪すべきなのは、自分。なにもできなかった。自分。(くそ!教えてくれよ・・・。俺はこれから・・・)邪念を振り払うかのように、ただ狂ったようにスピードを上げてゆく。
だから、目の前を横切る空き缶に、気づくことなどできやしなかった。
夕日が完全に沈んだ。夜になると、真紅たちのいる場所はぱったりと人がいなくなる。真紅たちの足元には何本も空いた缶ジュースが転がっていた。「そろそろいきましょう」「わかったのー。ちょっと寒いのー」二人は街に向かって歩き出す。
少しして、金属を思い切り引きちぎったような音がした。
驚いた二人は音のしたほうへ向かう。同い年くらいの少年が倒れていた。べジータだった。少し離れたところにグチャグチャになったバイクがある。真紅は周りを見渡す。誰もいない。単独事故のようだ。故に彼を助けられるのは、真紅たちだけ。「ちょっと!大丈夫ですか!?」真紅が駆け寄る。「あ、ああ・・・な、なんとか・・・」話すことができる。荒いが呼吸もある。首に異常はないようだ。「と、とりあえず、端へ・・・雛苺!手伝って!」「は、はいなのー・・・」真紅がべジータの足を触るとべジータはうめき声を上げた。「い、痛い!」「は!」ぬるりとした生温かい感触。かすかな鉄の臭い。血だ。それもかなりの量。「ひい!」驚いた雛苺はさっと引いてしまう。真紅は僅かな街灯の光で怪我を確認する。足から、白いものが出ている。骨だ。
「これは・・・マズイわね」骨が出ているとなると動脈を傷つけている可能性がある。そうでなくても出血多量の恐れも。「救急車・・・救急車をよばないと・・・」真紅はあたりを見回した。公衆電話を探して。「そういえば上ってくるときにも公衆電話はなかったのー」異常なまでの携帯電話の普及率。用済みとなった公衆電話は次々と撤去されている。真紅たちはまだ日本に短期滞在のため、携帯電話なぞない。急がなければ。誰かを呼ばないと。目の前の人が死んでしまう。真紅は深く、細く呼吸をした。「走りなさい・・・雛苺」「え?」「走りなさい雛苺!街へ行って助けを呼んできて!でないと彼、死んでしまうわ!」「でも、雛・・・」雛苺の声が震える。「あなたがここにいてなにができるというの!走りなさい・・・走れ!雛苺!」「わ、わかったのー!」雛苺は一目散に走り出した。「行ったわね・・・」雛苺が街へ向かったのを確認すると、真紅はべジータに話しかけた。なにも治療する道具がないこの場所では、彼の意識を途絶えさせないことしかできないからだ。
「うえーん!しんくー!」走った。泣きながら走った。人が死に逝くのを目の当たりにしながら、雛苺は泣きながら走った。この山の上まで駅からタクシーで20分弱かかったというのに。知らない街で病院を探し当て、真紅のいる場所に戻ってくる時間は、絶望的だった。だが雛苺は走る。恐怖を振り払うために。蜘蛛の糸よりも細い、希望のために。「あん!」石につまづいた。雛苺は顔から転ぶ。「もうダメなのー。あの人死んじゃうのー」膝に力が入らない。立てない。目から絞られるように涙が出る。手のひらに感じるアスファルトは、限りなく冷たい。「雛が・・・雛が走って・・・お医者さん・・・呼んでこないと・・・」なんとか立ち上がった雛苺を一つのヘッドライトが照らした。
「どうしたの?」優しい声で雛苺に話しかける。やっと誰かに会えた。そんな安心感から雛苺は泣き崩れてしまう。「ひっぐ・・・あのね・・・お山の上・・・でね・・・バイクの人がころんで・・・それで・・・血だらけで・・・真紅が・・・見てるんだけど・・・救急車よんでこいって・・・でも病院の場所はしらないし・・・街まで・・遠いし・・・」バイク乗りの人はヘルメットを脱ぐ。銀色の髪に紅い瞳。水銀燈だった。(きっとそれは・・・べジータのことね)背骨に氷を詰められた感覚になる。今晩、べジータと会う約束をしていたのだ。約束の時間は:1900。今は18:55 5分前に着てるとして、雛苺の足から考えると5分ほどたっているだろうか。
また死んでしまう。大事な人が。いなくなってしまう。あの人の大切な人が。いや、そんなことはさせない。絶対に。この私が。今度は私が。命を助ける番だ。だってあの人の心臓が鼓動している。助けろ。と。「これ、被って・・・」雛苺にヘルメットを被せると、後ろに乗るように促す。「目を閉じて・・・口を開けたりしないで・・・そして、絶対に私を放さないで・・・」背中でヘルメットが動く感触がする。(ジュン・・・私を守って・・・べジータを助けたいの!!)思い切りアクセルをひねると前輪が浮いた。二人のりで不安定な車体をムリヤリねじ込ませると、どんどん加速していく。道路のセンターラインはやがて、白い一本線になり、街灯がつながっていく。回転計は1万を越え、速度計も振り切っている。チタンマフラーから、悲鳴のような音が響く。(べジータが事故を起こしてから6分・・・、救急車がこの場に到着するまでどんなに早く見積もっても22分・・・往復して44分・・・5分ね・・・病院でグダグダして5分。致命傷でない出血なら一時間って所ね。間に合うわ・・・5分以内で病院につけば!)水銀燈は不思議な感覚に襲われていた。ありえないスピードなのに・・・事故る感覚はしない。人や車通りが少なく・・・道をあけるように、信号が次々と青になっていく。(ジュン・・・ありがとう)
4分で着いた。病院の受付までバイクで侵入して、強盗かと間違われたが、以前手術をうけた医師と会い、事情を説明すると心よく引き受けてくれた。救急隊でもないのに自らハンドルを握ってくれ、ありえない速度で飛ばす水銀燈に離されることなくついてきてかろうじてべジータを助けることができた。「セイ!血が必要だ。彼と同じ血液型の人間を・・・」「私が同じだわ」真紅が採血室へと入ってゆく。「ありがとうございます。住谷先生」水銀燈は頭を下げた。急とはいえ、ロビーをタイヤ痕だらけにしてしまったのだ。住谷医師はノープロブレム!と腰を振りながら手術室へ入っていった。
目が覚める。指が動く。首を動かす。どうやらここは地獄ではないらしい。ベッドの上にはライダースーツのままの水銀燈が突っ伏していた。「・・・すまないな」べジータはポツリとつぶやくと、眠りに落ちた。
「真紅ぅ。話かけないのー?」「野暮用ってものよ雛苺」真紅は雛苺の襟首を掴む。「さ、ドドリア堂の苺大福買って、帰りましょう」「うわーい!うにゅー早く食べたいのー」
私には、ジュンを助けることができなかったけど、彼の大切な友達を助けることができた。助けが来る前の数十分。いろいろ話を聞けて、べジータには悪いけど、満足している。今も彼が鼓動していること。今も彼が世界をみていること。
真紅が足を止めると、雛苺が背中へぶつかった。「その前に紅茶を飲みましょうか?」
『走れ!雛苺』 ~完~
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。