【愛の行く末】第十七話 中編
――――――――――――――――――――――――――――――+++薔薇水晶(6/23PM1:28薔薇学園3-B教室)+++
――― ガキィンッ!!
ナイフと教室の床が激突する甲高い音が響いた。私は真横に転がって、水銀燈の攻撃をなんとか回避した。そして、その勢いを利用して立ちあがり彼女と距離を取る。
(はぁ……はぁ……こっちも怪我してるけどね、これくらいの攻撃をかわすことくらいは出来るんだよ)
……刺されたところが酷く痛む。ナイフは右肩を完全に貫通し、しかも乱暴に抜き取られたせいか、傷口は大きく破け、そこからじくじくと血が湧き出していた。血は全然止まる気配は無く、右腕を伝わり、指先から細い筋になって、床にピチャッピチャッと滴り落ちている。右腕を少し動かしただけで激痛が走り、少しも動かすことが出来ない。鼻を衝く鉄臭い匂いに体温がゆっくりと降下していき、全身が寒気に支配されていく。止められない震えが隅々まで行き渡り、私はカタカタと歯を鳴らしていた。私を仕留め損なった水銀燈は非常に緩慢な動作で立ちあがり、傷を抑えて硬直している私の方へ体を向け、距離を詰めてきた。
「もう。ちょっとチクッとするだけなんだからぁ逃げちゃダメじゃなぁい」
水銀燈は、まるで注射を嫌がる子供をやんわりと諭すかのように、穏やかな口調で私に語りかける。その顔には厭らしい笑みを張りつけている。常人にはけっして浮かべることの出来ない、狂気に彩られた邪悪な笑みを。全神経が瞬時にわなないた。ぜいぜいと荒ぶる呼吸。肌の下を巡る血は今にも冷え切って心臓を止めてしまいそう。それでも私は、残った力を総動員して、水銀燈を睨みつけていた。
―――失敗した。
殴られることも覚悟していた。蹴られるとも思っていた。でも、まさかナイフまで持ち出してくるなんて、それ以前になんの躊躇も無く私を殺そうとするなんて思わなかった。それに、まさかジュンが水銀燈をあれほどまでに罵倒するとも思っていなかった。……完全な私の作戦ミスだ。
「私、先生呼んでくる!!」「先に警察を呼べ!!いや、救急車か?」「お前あいつ止めてこいよ!!」「ふざけんなよ!!俺まだ死にたくねぇし!!」
ギャラリーは混乱していてだれもあいつを止めようとはしなかった。当たり前だ。さっきも止めようとしただけで、腹を思いきり殴られたのだ。彼女がナイフを持っている今、ヘタに止めに入ったら、冗談抜きで殺されかねない。友達でも恋人でもないただのクラスメイトのために命を張る者など、このクラスには一人もいない。こういうときに真っ先に止めに入ってくるはずの真紅達も、今は皆冷ややかな目で私を見つめている。まるで『言い気味だ』と言わんばかりに。クソッ!!こんなことになるんだったら誰でもいいから味方につけておくべきだった!!ジュンは、この女の邪気に当てられたのか、目を見開いたまま動こうとしない。どうやら足が竦んでしまったようだ。もう!!恋人のピンチなのになんで助けてくんないの!!いろいろと考えている間も、水銀燈は私に向かってゆっくりと近づいてくる。その手に握られた鋭く光るモノを認め、私の脳裏に、あれで生きたまま切り刻まれる自分の姿が明滅した。死は、今私のすぐ目の前にある。周りは助けてくれない。ジュンもなにもしてくれない。当てになるものはなにもない。どうする?どうするどうするどうする!!!
「……きゃあ!!」
そうこう考えているうちに、水銀燈は私の目の前にまで迫っていた。私が反射的に後ろに仰け反ったのと、彼女が手を横に払ったのはほぼ同時だった。ほんの一瞬前まで私の喉があった空間をナイフが勢い良く切り裂いた。そのまま私は後ろに翻って再び彼女と距離をとる。―――危なかった。体を逸らして、それを避けられたのは奇跡的だったのかも知れない。それほどまでに、恐ろしく速い一撃だった。もし、あのとき後ろに仰け反らなかったら、今ごろ私は首から赤い噴水を噴き出して絶命していただろう。今すぐ逃げ出したい。しかし、すぐに差を埋められて追いつかれることは目に見えている。泣きたくなった。怖い。痛みが怖い。捕まるのが怖い。殺されるのが怖い。
「ぐ、うう」
えづく。大声でジュンを呼んで助けを求めたくなった。すうっと息を大きく吸って、それを実行に移そうとした。
「………………」
でも、やめた。声が出なかったからではない。ここで叫んで助けがくるのなら、初めから誰かがこいつを止めに入っている。誰も助けてはくれない。ここで頼れるのは自分のみ。目を瞑り、深呼吸をして気持ちを落ちつかせる。
(助けは来ない。逃げても追いつかれる。だったら―――)
私は水銀燈に背を向け、ある場所へ向かって走り出した。目的地は……自分の席。水銀燈も当然後から追いかけてきた。後ろから彼女の足音が聞こえてくる。だが、私は決して振り返らずに席へと急ぐ。……いつも見なれている教室。目を瞑っても行き来できるはずの空間。だが今は、机と椅子で私の行く手を遮る魔の迷宮と化していた。こんなことなら最前列の教卓前なんかに志願するんじゃなかった。でも進まないと行けない。泣き言を言っている暇なんて無い。足を止めたらそれでおしまい。死神は、私のすぐ後ろにいる!!
「このっこのっ!!」
私は近くの机を手当たり次第にひっくり返した。机の中身がそこら中に散らばって行く。こんなことをしても、ほんの少ししか時間は稼げないだろう。だけど、今の私にはその少しの時間が必要なのだ。一秒でもいいから水銀燈を足止めすること。それが生還の鍵だ。
「はあっ、はあっ……ふうっ……はあっ……」
息を切らして進みに進み。私はどうにか自分の席へ辿りついた。すぐに机の中に手を入れ、中から筆箱を取り出した。すぐにチャックを開けようとするも、右腕が使えないせいか、チャックをなかなか開けることが出来ない。
(あーもう!!なんで開かないのよぉ!!)
コッ……コッ……
一歩づつ、だが確実に、死が私に迫ってくる。なのにまだ開かない。早くしないと。早くしないと本当に殺される!!そんなの嫌だ!!死ぬのは嫌!!なにもしないで死ぬのは嫌!!早く開けないと!!早く!!早く!!早く!!
ジィー――
左腕と顎を使って、なんとかチャックを開けることに成功した。やった!!間に合った!!私が中から目的の物を取り出た。大丈夫だ、十分使える。それの状態を確かめると、私は立ち上がって後ろを振り返った。水銀燈は、私のすぐ後ろにまで迫っていた。
「さあ薔薇水晶♪地獄に行く時間よぉ~♪ふふっ」
何が可笑しいのかくすくす笑う、私の敵。そして、敵は顔に笑顔を張りつかせたまま、ナイフを大きく振りかぶった。冗談じゃない……地獄に逝くのは……お前の方だ!!
私は今にもナイフを振り下ろさんとする水銀燈の顔に目掛けて筆箱を投げ付けた!
「ぅぁ……!!」
チャックを開けたままにしておいた筆箱が見事に命中。中身のシャーペンやボールペンが辺りに飛び散り、水銀燈は一瞬怯んだ。私はその隙を見逃さず、取り出した物……カッターナイフを彼女の喉元目掛けて突き出した!!
「くっ……!!」
だが、ギリギリのところで避けられ、カッターは首筋を少しかすっただけだった。水銀燈は、切られた首筋を抑えて数歩後ろに下がった。
(助けは来ない。逃げても追いつかれる。だったら―――戦ってやる)
私は、本当は強くなんかない。これだってただの強がりでしかないけれど。強がるべき正念場は心得ているつもりだ。直接的な助けなんてなくてもいい。ジュンの存在自体が私の心を支えている。私の愛は信仰であり、信念であり、命題だ。ジュンのことを想う。それだけで力が湧いてくる。他に何が必要なものか。
──―いいよ。水銀燈。戦ってあげる。
もう二度とジュンに近づけないようにキッチリと屠殺してあげる。私も覚悟は出来ている。手を汚すのがイヤとか、甘っちょろい発言もやめ。殺らなきゃ殺られる。だったら、躊躇する必要なんて全くない。今の私には、もう怖い物なんて何も無いんだから。
私は教室の後ろでこの光景を見守っているジュンに目を向けた。待っててね。この異常者は私がキッチリと始末するから。でもその後の処理は手伝ってね。気が触れてしまった元幼馴染、その残骸を廃棄したところでジュンはなんとも思わないよね。あるべきものをあるべきところへ還すだけなんだから。
チキチキチキチキ……
私は水銀燈へ目を戻すと、カッターの刃を最大まで出しきって、その切っ先を水銀燈へと向けた。私だって、殺れば出来るんだから。
「さあ水銀燈。地獄へ逝く時間だよ」
私は顔に笑みを浮かべながら、彼女に言い放った。でも、今の私には彼女に勝つ方法なんて一つも思い浮かんでなどいなかった。舌戦や謀略戦ならまだしも、暴力で私が水銀燈に勝つなんてことは不可能に近い。水銀燈の運動能力は、単純に考えても私の倍以上はある。それに今の私は、右肩負傷による右腕使用不能、後頭部強打、全身打撲に出血過多と、数多くのハンデを抱えている。普段の私でも勝つことは難しいのに、この状態では引き分けに持ち込むことすらもかなわない。それに加えて私の武器はナイフの中でも最弱の部類に入るカッターナイフ。少し血を被っただけで切れ味が落ち、数合打ち合いしただけで簡単に折れてしまうような代物だ。それに比べて水銀燈の武器は刃渡り十五センチ程のサバイバルナイフ。自衛隊でも正式採用されているそれは、切れ味も丈夫さも、カッターを遥かに上回っていた。はっきり言って私が勝てる要素なんてまったくない。でも、やるしかない。泣き言なんて言ってられない。私は泣き叫びながら怯えて逃げ惑い、運命の判決に身を委ねるほど弱い女じゃない。今しなければいけないことは、残った左腕と、動く足と、震える体と、この頼りない武器を使って彼女と戦い勝利すること。諦めたらそこで終わり。諦めてしまったら、仮借なき怨嗟が私の体を引き裂き、私はジュンを手に入れることなく……死ぬ。
―――冗談じゃない!!
この体も心も全てはジュンの物。だから私を殺していいのは『桜田ジュン』ただ一人!!揺るがせぬ愛情の掟……私の生殺与奪は彼にあり!!だからこの命……お前なんかには絶対渡さない!!私は頭を振って襲い来る恐怖感を払いつつ、精一杯の迫力を込めて水銀燈を睨みつけた。水銀燈は、そんな私には目もくれず、首筋に当てていた手を目の前に持っていった。その手のひらには、首から流れ出た少量の血が不着している。水銀燈はそれを綺麗に舐め取った。
「……傷が付いちゃった」
ポツリと、そう、水銀燈は呟いた。
「ジュンに抱かれるまでは傷なんて付けたくなかったのになぁ」
水銀燈の口調は飽くまで静かであった。でも、彼女の手は小刻みに震えていた。
「……さっきも廊下で戻しちゃったし、もう最悪よぉ……ふふ、じゃあ、私がそんなになっちゃったのは一体誰の所為なのぉ?」
水銀燈はくすくす笑い始めていた。込み上げて来る衝動を抑えられないといった感じの笑い方だった。喉に力が入ってないのか、ほとんど声になっておらず、ほとんど無言で笑っている。
「この傷も、戻しちゃったのも、一体誰の所為なのぉ?」
水銀燈の声に微か怒気が混じってきた。それを証明するかのように、彼女が血の付いていた手のひらをギュッと握り締める。それを見て、私はごくりと唾を飲み込んだ。
「答えなさいよぉ。薔薇水晶おおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!」
水銀燈の殺気に満ち溢れた叫びが教室中に響き渡った!!それと同時に、彼女の地獄の業火にも似た真紅の瞳が、私の心を射貫いた。
「ひぅ……」
私の口からは、なんとも力の抜けるような声が洩れた。それが合図となったように、水銀燈が素早い動きでまっすぐに突っ込んできた。その動きに私は驚いた。今までゆっくりと動いていた水銀燈が、一瞬の内に前に出て、ぴったりと私の眼前の間合いにまで詰めていたのだから。
(消えた!?)
水銀燈のナイフを持っている右手が見えなくなった。私は咄嗟の判断で、左手に持っていたカッターを上げた。
―――キィィィィィン
金属同士がぶつかり合った甲高い音が響く。やっぱりだ。水銀燈は私の死角である左目付近を狙ってナイフを横なぎに振るっていた。私はなんとかそれを受けとめた。だが、水銀燈はそれを意に介さず得物を振り回し、刺突と斬撃を繰り返す。私はカッターを使ってなんとか軌道を逸らす。さっきのように何度もまともに攻撃を防御していると、強度に劣るカッターはいとも簡単に折れてしまう。それを免れるためには軌道を逸らして受け流すしかない。でも、大した器量のない私では、致命傷を免れるだけで精一杯だ。防御するたびに体に細かい切り傷が増えていく。
咲き乱れる火花。響き渡る金属音。──押し寄せる殺意!いつのまにか、私の周囲は倒された机や椅子で囲まれた、ある意味教室から隔絶された空白のエリアのようになっていた。それはさながら、水銀燈と私の闘技場のようだった。片方しか生きて出ることの出来ない、命がけのコロシアム。生き残った方だけが、明日とジュンの寵愛を掴み取ることが出来る!!だから私は、絶対に負けられない!!
「くっ……!」
だけど私は反撃する余裕もなく、防戦一方。一合、二合、三合……打ち合いもついに十合を超えた。緊張と負傷のせいか息も乱れてきた。相手は少しも疲れた様子がなく、むしろ何かに憑かれた様子でしぶとく攻撃を継続してくる。終わりのない攻防。スタミナは、血に飢えた悪鬼と化した水銀燈に分があるようだ。……徐々に押されてきた。右肩からの出血も段々と酷くなり、私の体の右半分は血で完全に赤黒く染まっていた。このままではいずれ出血多量で動けなくなってしまう。そうなったら、この女は喜んで私を殺すだろう。その凶器で、私の体を嬉々と切り刻むだろう。そうなる前に決着をつけないと……私はあきらかに焦っていた。
「このぉ!!」
私は水銀燈に対して反撃を試みた。水銀燈の攻撃を受け流した隙に、カッターを彼女の目に向かって突き出した!!
(貴女も私と同じにしてあげる!!)
―――けど、それがいけなかった。
―――パキィィィィィィィン
「……えっ?」
カッターは彼女の顔面数センチ手前で止まっていた。カッターの刃は、その三分のニ以上が喪失していた。さっきの金属音は、水銀燈が顔の前に上げたナイフで私のカッターを叩き折ったときの音だった。いくらカッターが脆いと言っても、普通ならこんなことはありえない。でも、受け流していたとはいえ、何度も何度も打ち合いをしているうちに、刃こぼれが発生し、金属疲労が溜り、そのせいで、一撃をまともに受けただけで刃がポッキリと折れてしまったのだ。 私は、刃がほとんどなくなったカッターをしばし呆然と見つめていた。その隙を水銀燈は見逃さなかった。水銀燈はそこらに転がっていた椅子に足を掛け、それを私目掛けて蹴り飛ばした!!呆けていたせいで防御する間もなく、私は真っ直ぐに飛んできた椅子をまともに受けてしまった。倒れまいと足を踏ん張ったところで床をびしゃびしゃに濡らしていた血液に足を取られてつるっと滑って倒れてしまった。水銀燈は、そんな私に歩み寄ると、片足を持ち上げ、がら空きになってる私の腹部を踏みつけた!!
「げほっ!!」
彼女はそのまま体重を掛けた。私はなんとか足をどけようと、もがき、力無く殴りつけ、掻き毟った。そして、まだ刃がほんの少しだけ残っているカッターで足を刺そうとした瞬間、彼女の足は私の腹部から離れた。だが、水銀燈はそのまま横腹を思いきり蹴り上げた!!その衝撃で、私は横に転がった。
「げふっ!げほっ!」
起き上がろうとするも、激しい吐き気と腹痛に襲われ、満足に動くことすら叶わない。それでも、カッターを落とさずに握り締めているのは、なにかの執念なのか。
「危ないわぁ。これ以上私の体に傷つけないでよぉ」
水銀燈は近づいてくる。トドメをさそうと近づいてくる。でも、私は逃げることも戦うことも叶わず。彼女に掴まった。私の側でしゃがんだ水銀燈は私の髪を掴んで、私の顔を自分の目線に合わせるように持ち上げた。
「うふふ♪さっきと同じねぇ。どうしたの?今度は笑わないのぉ?」
もう声も出ない。私はパクパクと口を開けたり閉めたりしながら脂汗を流している。全身に痛みが走り、吐き気と寒気が荒れ狂う。そんな私の姿が愉快なのか、水銀燈はにたにたと例の厭らしい笑みを振り撒きながらナイフを構えて、ゆっくりと振りかぶった。
「すぐには殺さないわぁ。私の体に傷を付けたんだから、苦しんでもらわないとねぇ。せいぜい良い声で泣いてちょうだぁい」
た、戦わなきゃ……それとも諦めて逃げだそうか?でも、どうやって?たいした武器もなく、体に力が入らない今の私には、もう戦うだけの力は残ってない。逃げるにしても、水銀燈の拘束を破って、逃げおおせる手段は皆無。じゃあ泣き叫んで許しを乞う? そうしたところで嬲り殺しに遭うだけと分かっていながら?にっちもさっちも行かない窮地。いくら考えても、逆転の一手が思いつかない。死ぬしか、ないんだろうか?絶望に心が黒く染まっていく。──心のみならず、視界さえも端からじわじわと蚕食されていく。
……もう……おしまいなの?
……私はこのまま水銀燈の手に掛かって……ナイフで八裂きにされて……
―――死ぬ?―――
「ぅぁ、」
喉を振り絞る。
「あああ、」
精一杯、腹の底から掻き集めた声で。
「──うあああああああっ!!」
声の限りに叫ぶ!!
……ふざけないで!!
カッと体の奥底でで憤怒の炎が燃え上がる。ふざけないで!!牝犬の分際でいい気にならないで!!私はまだ死ねない。私にだってまだまだやりたいことが沢山あるんだ。ジュンともっと一緒にいたい。ジュンともっと色んな所に行きたい。ジュンにもっと抱かれたい。ジュンともっともっと幸せになりたい!!
私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!私は死ねない!
こんなところで死んでたまるかああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!
そのとき、私の中の何かが弾けた。
「うあああああああああああああああああああああ!!!!!!」
私は動かないはずの右腕を無理矢理動かした。刺されたところから血がブシュウ!!と噴き出したが、今の私にはどうでもいいことだった。そして、右腕を顔の前に持ってきて、刃が少ししか残っていないカッターをその手首に当て……
「な、なにをする気!?」「ぐあああああああああああああああああああああああ!!!!!!!」
水銀燈の問いに答えず、私はそのまま手首を……切り裂いた!!
―――プシュゥゥゥゥゥゥゥゥゥ……
手首から噴き出た鮮血が水銀燈の顔に降り掛かる。
「キャアアーー!!」
水銀燈は、血が目に入ったのか、私から手を離してのた打ち回った。
命を賭けた、決死の目潰しは成功した。私はすかさず、そこらに倒れていた机を引っつかみ、水銀燈へ向けて豪快にフルスイング!!
―――ぐしゃぁ!!
机は水銀燈の頭にクリーンヒット!!鈍い音が響いて、彼女は見事に吹き飛んだ!!間髪いれずに、私は机を持ったまま、倒れている彼女の側にかけ寄り、机を最上段にまで振り上げた。今の私は痛みも感じない。普段からは想像も出来ないような力が出る。これが火事場のバカ力と言うものか。もう負ける気なんてしない。これで、終わりだ!!
「このキチガイ女ああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!」
私はそのまま、木材と金属で出来た大型の鈍器を、なおも起き上がろうとする彼女の頭目掛けて……振り下ろした!!
―――!!!!!!
なんとも表現しがたい耳障りな音が教室に木霊する。頭を机で殴打された水銀燈は、少しの間痙攣し、事切れたのか、そのまま頭から血を流して動かなくなった。私の手から力が抜けた。持っていた机が、がしゃん、と音を立てて地面に落ちた。そして体から力が抜けた私は、ぺたりと私の血で出来た血溜りの中に崩れ落ちた。
―――勝った私は勝ったんだ。私よりも、ヘタをすればそこらの男子よりも優れた身体能力を誇り、その愛の強さゆえに狂気の権化と化した水銀燈に、私は……
私は、後ろでこの戦いを見守っていたジュンに視線を向けた。私と目が合った瞬間、ジュンの体がビクッと震えた。
あは、えへへ……やった……やったよ……ジュン……これでもう大丈夫だよ。二人の邪魔する人はいなくなったから。ちゃんと見てくれた?私だってやれば出来る子なんだよ?。だから私を褒めて?「よくやったぞ、薔薇水晶! でかしたな!」ってね。それでいつもみたいになでなでしてほしいな。頭を、こう、髪がくしゃくしゃになるくらい。うーん、わくわくしちゃうよ。牝犬退治は無事終了。明日からはジュンとのんびり過ごせるね。ずーっとずーっと一緒にいようね♪……どうしたの?なんでそんなに震えてるの?あ、わかった。ジュンも寒いんだね。えへへ、実は私もそうなの。なんだかね。さっきからずっと寒いの。おかしいよね?夏なのに。寒いなぁ……寒いよぉ…………だからお願い……ギュって抱きしめて?私を暖めて?
「ジュン―――」
呟きながら、私は体を起こし、立ちあがろうと水溜りの中に手をついた。その瞬間、体中にものすごい痛みが跳ねた。右腕は動かないどころか、感覚がまったくない。傷からの出血で、首から下はほとんどが血で染まっている。正直、自分が生きているのが不思議なくらいだった。しかし、私は残った左手をつき、足をのばして、なんとか立ちあがった。そしてジュンに抱きとめてもらおうと彼の元へ歩みを進め―――
「──あがっ!?」
鋭く冷たい感触が足を貫いた。激痛。たまらず力が抜け、へなりと座り込んでしまいそうになる。足が攣ったのではない。目を向けると、足の裏側からドクドクと黒っぽい血が流れ出して、床を汚していくのがはっきりと見えた。ふくらはぎが冗談みたいにざっくりと縦一文字に裂けて桃色を晒していた。
「…………っ」
痛みは消えない。ただ、それを上回る驚愕が思考を麻痺させ、私の声を封じていた。
―――足
―――足を抉られた
―――誰に──なんで?
ひょっとして……私は恐る恐る、顔を後ろに向けて視界に入ったのは、真っ赤に染まった長い髪と、細く長い指。そして、それに握られた、一振りのナイフ。こいつは、まさか……
「水、銀燈……」
連想される一つの名前。無意識のうちに呟いていたその言葉を、呼びかけと思ったのだろうか。ナイフの持ち主──床に伏し、私の足を刃で切り裂いた人物がもそりと立ちあがった。
「…………!」
私は息を呑んだ。それは、紛れもなく水銀燈だった。水銀燈は、白銀の髪を赤黒く染め上げ、目に入った血をまるで涙のように滴らせている。
―――ちょっと
笑い出したい気分だった。いや、気付かなかっただけで、私の口は笑いの形を作っていたのかもしれない。
―――冗談でしょ?
私は全身の力を振り絞って水銀燈を突き飛ばした。それはまさに私の最後の一撃だった。水銀燈はなおも立ちあがり、私にトドメをさすために、ナイフを腰に構えた。私はそれをボンヤリとした様子で眺めていた。だんだんと目の前が白くなっていく。音も、全く聞こえない。
(なんだ、人は死んだら光りに帰るんだ。ちょっと安心だなぁ)
そんな場違いなことが頭に浮かんだ。ほとんど真っ白になった視界の中で、水銀燈が私に向かって突っ込んでくるのが見えた。けど、それだけだった。
思った。銀ちゃん、私は最後まで銀ちゃんに敵わなかったんだね。
思った。お父様、一度でいいから私をちゃんと見て欲しかったなぁ。
思った。一番強く思った。ジュン、嫌だよ。死ぬのは嫌だよ。ジュンと一緒にいたいよ。ずっとずっと一緒にいたいよ。貴方が欲しい。死ぬのなら貴方の腕の中で死にたい。抱いて……抱かせて……抱いて欲しい……力いっぱい……どんなふうでもいいから……一人は……嫌……一人で死ぬなんていや!!ジュンも来てよ!!一緒に来てよ!!一人で死ぬなんて嫌だよ!!お願い……ジュン……ジュ……ジ……ュ……ン……ュ……ン………………
―――ドン!!
なにかが私にぶつかった。そしてそれを最後に、私の心は光りに溶けて、消え去った。
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