―卯月の頃―
翠×雛の『マターリ歳時記』―卯月の頃― 【4月5日 清明】四月に入り、長かった春休みも、残すところ数日となっていた。三月末まででバイトは終了しているので、今は、四年目の大学生活に向けて、あれこれと準備を進めているところだ。就職か、修士課程への進学か、迷ってもいた。「早いもんですぅ。もう四年生になるですね」翠星石は、自室の壁に掛けたカレンダーを眺めながら、しみじみと独りごちた。もう、四月。蒼星石が海外の大学の編入試験に合格して、この家を出てから、半年以上が過ぎたことになる。留学というと、費用面など諸々の問題で、大概は半年間を選択する。しかし、蒼星石が選んだのは、一年間のコースだった。 『半年で学べる量なんて、高が知れてる。だから、ボクは一年間、勉強してくるよ。 中途半端な留学なら、しない方がマシだと思うから』そんな台詞を残して、彼女は海外へと飛び立って行った。毎日、電子メールが送られてきて、時々、祖父母宛に絵葉書が届く。でも、蒼星石は帰って来ない。自分の信念を貫いて、一年間、一度も帰国しないつもりなのだろう。翠星石は、会えない寂しさを紛らすために、今日もノートパソコンに向かった。「あ、新着メールが有るですぅ」メールアドレスで、蒼星石からだと分かった。昨夜の内に、着いていたらしい。逸る気持ちを抑えようともせず、翠星石はメールを開いた。内容は、いつも通りの近況報告である。今日も元気に、頑張っているらしい。短い文面には、異国の地での苦悩など、全く見て取れなかった。半年以上を過ごして、生活リズムが安定してきた証拠だろう。本来なら、蒼星石の努力を賞賛すべきなのだが――(また……ちょっとずつ遠ざかっていくです)最愛の妹が、手の届かない遠くへと行ってしまうみたいに思えて、翠星石は、素直に喜ぶことが出来なかった。不謹慎だけれど、蒼星石の身に何かが起きて、緊急帰国する必要が生じたなら、翠星石は心の中で拍手喝采しただろう。つい、そう思ってしまうくらいに、彼女の寂寥感は募っていた。「……会いたいですよ、蒼星石」ポツリと呟きながら、ふと添付ファイル欄を確認すると、珍しく、画像ファイルが添付されていた。月が変わったから、四月の誕生花である藤の花を、添付してきたのかも知れない。何気なく開いた翠星石は、思いがけない写真を眼にして、思わず息を呑んだ。 『姉さん。新しいルームメイトが出来たよ』写真の添え書きには、そうあった。大学の構内で撮影されたのだろうか。花壇を背にして、穏やかに微笑む蒼星石。その隣には、鮮やかな金髪の娘が肩を寄せて並び、はにかんでいた。服装は清楚な感じで、可愛らしい。なかなかの美人だ。「ルームメイトって……同居人ってコトじゃねぇですかっ!」娘の名前は、書き忘れたらしくて、どこにも記載されていない。けれど、名前なんて、この際どうでも良い。一番の問題は、この娘が、蒼星石と同じ部屋に暮らしている……と言うこと。この娘が、蒼星石の隣で微笑み、寝食を共にして、一日の大半を共有している。そう考えるだけで、翠星石の心は千々に乱れた。「こ、この娘が……蒼星石と…………買い物したり、食事したり? まさか、一緒にシャワー浴びたり、一緒のベッドで寝たり? き、きぃ――っ!! ゆゆゆ、許せねぇですぅ! 呪い殺してやるですっ!」錯乱気味に、なにやら物騒なコトを翠星石が口走った直後、パソコンの脇に置いてあった携帯電話が鳴った。通常着信だ。翠星石はビクッ!? と肩を震わせて、電話に出た。「も、もしもし、ですぅ」「翠ちゃん? おっはよーなのー」「うっ……朝からテンション高ぇですね。鼓膜が痺れたですぅ」電話の相手は、雛苺だった。雛苺は、何やら興奮気味に声を弾ませて、話を続けた。「ヒナね、今朝、すっごい発見をしちゃったのよー」「雛苺、『すっごい』と『発見』の間に『下らない』が抜けてるですよ」「ああっ! なんて酷いこと言うのー? 信じらんないのっ」だって、いつものコトだから。心で思っても、無論、決して口にはしない。それが大人のレディの対応ですぅ、と胸裏で呟き、口では雛苺を宥めた。「そう拗ねるなです。話くらい聞いてやるから、とっとと話すです」「……なんで、そんなに偉そうなのか解らないけど……特別に教えてあげるから、 耳の穴かっぽじって、よぉ~く聞きやがれ、なのー」「雛苺こそ、最近、妙に口が悪くなったですぅ」その理由が自分に有るとは、夢にも思わない翠星石だった。「今朝、目が覚めたときの事なの。 実は、今日って陰陽師の、あべのせいめいの誕生日だったのよー!」「な、なんだってー!? です。でも、どうして解ったです?」「カレンダーを見ると、清明って書いてあるのっ」「…………おバカ」「うよ?」「清明って言うのは二十四節気のひとつで、春分から十五日目の事ですぅ。 おまけに、字が違うです。安倍晴明は、晴れの字、清明は清いの字ですよ」「…………こ、これは……そう! こーめーの罠なのよー!」見苦しい言い訳をする雛苺に、翠星石の声は自然と大きくなった。「間違ったクセに開き直るなんて、言語相談ですぅ!」「それを言うなら、言語道断なの」「……と、とにかく、下らない電話して、私に迷惑かけた罪滅ぼしはするですっ」「うゅ~。解ったのよ。ヒナは、どうすれば良いの?」「取り敢えず、今日の遊行費は雛苺が持つですよ」少しばかり悄気てしまった雛苺に、翠星石は遠慮会釈なく言い放った。だが勿論、半分は冗談である。自分が遊ぶ費用くらい、自分で出す。もう半分の本音とは、些か分かり難いが、これから一緒に、遊びに行こうとの誘いだった。しかし、そこは付き合いの長い雛苺のこと。すぐに翠星石の真意を悟って、了承の返事を返してきた。それから数時間後、翠星石と雛苺は、女性専用列車『百合かもめ』に乗って、新副都心の方を、ぶらぶらと散策した。これといった当てもなく、一日乗車券を使って散歩するのも、なかなか楽しい。けれども、翠星石の心は晴れない。蒼星石のメールで見たルームメイトの娘が、どうしても気になってしまった。結局、丸一日を費やして、雛苺と遊び倒したのに、気分は重いままだった。翠星石は、自宅へ帰るなり、パソコンに向かってキーボードを叩いた。人の気も知らないで、なんてメールを寄越したんだろう。腹立たしさで、ついつい、タイピングが荒っぽくなる。 『蒼星石のバカ! ルームメイトの娘の名前が、書いてねぇです』翠星石は「蒼星石のバカ」と呟いてから、メールを送信した。
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