ヴァンパイヤガール
「姉さん、ピンチです」思わぬ驚愕というか衝撃にこんなことを口走ってしまいました。ちなみにここは教室で休憩時間であり皆教室にいます。「何がピンチなのかしらーっ!!」そしてこういうことにだけすぐ反応する奴がいる。「ハハハ、ナンデモナイヨー」とりあえず誤魔化して金糸雀を追い払った。視線は翠星石……というか彼女が隠し持っているそれから離せない。「……翠星石さん、それは一体なんなんでしょう?」机の下に彼女が隠したソレ。こうしていれば誰も気付きはしないだろう。そういう意味では安心している。が、翠星石に知られている時点でマズい。「たまたまジュンの部屋で見つけたです」綺麗な瞳で、蔑むように僕を睨む。いや、失望か?そんな彼女の射抜くような視線に僕は快感を覚え――(覚えるな。違う。僕はノーマル。ノーマルだよ?)一瞬背筋の凍るような感覚を何かと勘違いしたようだ。忘れよう。僕は一般人。僕は一般人。「ハァ……後で話があるです。放課後に、図書室で」授業の開始を告げるチャイムが鳴り響く。あらかじめ用意していたのだろう紙袋にソレを入れ、翠星石は自分の席に戻った。
全く授業には集中できなかった。いや、出来よう筈もなかったのだ。後部から在り得ないほどに冷たい視線を感じ続けていた。後ろに眼があるわけでもないが、その正体はわかりきっていた。ノートを取るでもなく、僕はその視線に耐えながら考えていた。ひたすら必死に、彼女になんと言い訳するかを考えていた……おかげで先生に当てられた事に気付かず、皆に笑われた。なのに、その間も視線が止む事はなく、彼女の笑い声は聞こえなかった。……うわあ、マジ怒ってる?結局真っ当な言い訳など思いつくこともなく、放課後を迎えた。
「遅かったですねぇ」人もまばらな放課後の図書室、彼女は人目につかない奥にいた。気遣いでもないだろうが、少しだけありがたかった。「どうしたですか、座らないですか」いちいち言葉にトゲを感じるが、まあ仕方ないのだろう。言われるがままに椅子に座り、翠星石と向かい合う。さあ――何から言い訳しようか。「翠星石さんひょっとして何か勘違いし」「してないです」どすんと、机の上にソレを彼女が出した。
標準的な雑誌サイズのそれは、学園憩いの場に酷く似つかわしくないものだ。その表紙には――えらく薄着の綺麗なおねえさんの悩殺ポーズ。どう見ても僕の部屋にあったはずの成年向け雑誌です。本当にありがとうございました。「何か、言い残す事はあるですか?」翠星石さん。眼が殺気と書いてマジです。僕はそれを見て説得を諦めた。無駄だと今更ながらに悟ったのだ。「翠星石……聞いてくれ」「なんですかその解脱したようないい笑顔……で、言い訳ですか?」「あのな、翠星石。健康なこの年頃の男子ならそれぐらい当ぜたわば!!」翠星石の腕が伸びたように見えた。その拳は顔面にめり込んでいる。「何を開き直ってるですか」「ご、ごべんばばぃ……」苦痛に打ち震える。が、多少気が晴れたのか翠星石は落ち着いたようだ。「ハァ……全く、とんだ変態ですジュンは」何か諦めたらしい。ただ翠星石は溜息をつくだけだ。だが、気付いた。その表情は呆れているというよりむしろ……「翠星石、ひょっとして嫉妬してるのか?」「なッ!!……」図星だったらしい。翠星石の表情が一変した。
「そうかそうか……まさかそんな風に考えていたのか」弱みを握ったと見た僕は調子に乗って畳み掛ける。「雑誌のモデルに嫉妬なんて意外と可愛いとこあるなあ」わなわなと震える翠星石。俯いていてその表情はよく見えない。「まあでも僕はやっぱり翠星石の方がそんな雑誌よりい」「……言いたいことは、それだけですかぁ?」「え?」気付けば、その震えは止まっていた。顔は俯いたまま。表情は相変わらずよく見えない……が、口元が歪むのだけが見えた。「自分の立場をよくわかってないみたいですね、チビ人間」――調子に乗りすぎた。彼女が僕のことを名前で呼ばないのは。「悪い子には、お仕置きが必要ですぅ」本気で、我を忘れるほどに怒っているときだ……「翠星石さん、ここ図書室ですので静かにお願いします」「そうですねぇ、静かに出来るかはチビ人間次第ですぅ」暗い瞳に笑みを浮かべ、翠星石がにじり寄ってくる。どうやら僕は調子に乗りすぎて地雷を踏んだらしい。
「吸血鬼って知ってるですか?」背後に立ち、首筋にその細い指先を這わせ、翠星石は言った。名前くらいは誰でも知っている。おそらく世界一有名な怪物だろう。「吸血鬼は、人の血を吸って相手を操るんですよ」「え?な、何言ってるんだ翠星石」「もう二度と妙な口答えできないように、しもべにするです」言っている事の意味がよくわからない。が、何をされるかは……「生意気なチビ人間は、こうです」腕を僕の首に背後から絡めながら、抱きついてくる。そして、言葉を合図にしたか……肩口に、鋭い痛みが奔った。「ッ……ぁ、な、何するんだすいせいせき」翠星石の八重歯が立っている。僕の肩に、彼女が噛みついている。声をあげそうになるが、ここは図書室だ。無理矢理抑える。「お仕置き、です……こうすれば、二度と逆らえないです」傷口から痛みが伝わる。だが、伝わるのは痛みだけではない。流れ出る血液の上を滑る、生暖かい感触。翠星石の、舌。「な、なめてる!?や、やめろすいせいせ」「噛まれて、女の子みたいな声で啼いて。本当に、とんだ変態ですぅ」僕を虐めるように、翠星石が嘲笑う。そんな声すら感覚を刺激する。
意識がまともに保てなくなる。目の前がぼやけて来る。貧血なんてほど、血は出ていないはずなのに。屹度、だから僕は彼女の声と感触に中てられてしまったんだ。「はぁ、ジュンの味がするですぅ」うっとりとしたような声を上げて、首から彼女が離れる。振り返ってみれば、口元からは紅い一筋の糸が流れている。それが酷く艶かしいものに見えて、ぐらりと脳が揺れた。「ついでに、こうですぅ」何かを言っているが、何かはよくわからない。そんな僕の蕩けた頭が、再び覚醒させられる。翠星石の、頭が、近づいてきて、唇が、僕の、唇に。舌が僕の口内を侵し尽くす。それだけじゃあない。僕の中に入り込んでくる。彼女の唾液と、唾液に混ざった僕の血が。「ぁ……っは……」まともに考えられない。息が苦しい。気持ちいい。ワケがわからないまま、口移しで流れ込んだ自分の血を、僕は飲んだ……
「さ、契約完了です。これでジュンは二度と翠星石に逆らえないです」先程までしていたことなんて、てんで気にしていないように言ってくれる。だがもう、二度と逆らおうだなんてヘタなことは思えない。「あ……反省、しました。もう、本は捨てます」あんな風にされて、異常なほどに気持ちが良かっただなんて。僕はやっぱり、まともじゃあないのかもしれない。「それでいいです。さ、それじゃあ帰るです」ハンカチで口元を拭い、椅子を仕舞って鞄を抱えた。いつも通りの表情と、先程までの艶やかな表情がダブって消えた。「あ、うん。そうだな。帰ろう」無邪気に僕の手を引いて帰る翠星石。先程のそれと、どちらが本当の彼女なのだろうか。……まあ、どうでもいいや。足早に図書室を出て行きながら、思った。こんなに可愛い吸血鬼になら、血を吸われてもいいか、と。
END
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