第六話 幕間
薔薇屋敷の異名を持つ館の主、真紅は、人々の夢を叶える薔薇の指輪の呪いを受けて、それを縛り付ける処置のために館の外に出ることが出来ない。真紅の呪いは、夢を叶えたあとに発生した悪夢が実現しようとすること。それを阻止するため、真紅の夢の"世界"に発生する観念の虚像、通称"異なるもの"との戦闘を繰り返す"庭師"翠星石と蒼星石。また、現実世界での"異なるもの"との闘いに特化した力を持つ、"策士"金糸雀と"観察者"みっちゃん。館に住み着いている幽霊、桜田ジュンは闘いに協力し、真紅にかけられた呪いに抗おうとする。前回までに彼らは、今までよりも強大な力を持った"異なるもの"に苦戦しつつも、勝利を収める。魔法の指輪を作った、過去の魔術師の存在。そして未だその正体が明らかにされていない幽霊、桜田ジュン。指輪を巡る運命の物語が、廻り始める――「ん……」 目覚めてみれば、そこはいつもの自分の部屋。 だけど、状況だけは普段の目覚めとは少しだけ違う。「おはようかしら、真紅ー」「あら、真紅ちゃん起きた? いい夢見れた?」「今日の仕事は完了だよ、真紅」「今回も蒼星石は大活躍だったですよ! 姉としては鼻高々なのですぅ」「……あー。言われる前に言っとくか。今日は紅茶の葉、何がいいんだ?」 ……随分と、賑やかなのだった。【ゆめまぼろし】第六話 幕間「お気遣いありがとうかしらー、ジュン」「あら、中々のお味……かなり良い葉を使ってるのかな?」「はいはい、どういたしまして。……どうせ何人増えても一緒だろ」 いつものメンバーに新たな二人が加わると、それだけでも結構賑やかになるものだ。私自身、館の外に出なくなってからそれほど時間は経ってはいない――せいぜい一ヶ月強、と言ったところか――とは言えども、"庭師"の二人とジュン以外の人間と会話するのはかなり久しぶりであるような感覚。 "策士"金糸雀、"観察者"みっちゃんと名乗る二人。先ほど私が眠ってしまう前に、二人が闘う様を私は見ていた。「……」 どうやらこの二人は"庭師"と同じ組織に属する人間らしい。要は、私にかけられた呪いに抗うために闘ってくれる人物。もっとも、"庭師"のように、私の夢の中で闘うのではなく。実際に私が目覚めている空間での戦闘に長けているようだが。「そうだ、真紅。ここの屋敷に、何か物置のような所はないかしら?」「ええ、あるけど。それがどうかしたの? ええと――」「金糸雀って、呼び捨てで構わないかしら。私も名前で呼んでいるし」「わかったわ、金糸雀。その物置が何か気になるの?」 少し話してみた印象だが、彼女達は悪い人間ではないな、と思う。初対面なのにそういう風に『良いか悪いか』を判断するのは失礼にあたるかもしれないが、決して他意はない。あくまで、話しやすいかどうかといった面で考えた上での考えである。「さっき私達が闘ってた、絵のような――"異なるもの"。 多分その絵が、ここにあるかしら」「金糸雀。僕達は真紅の夢の"世界"で、額縁のイメージを模した"異なるもの" と闘ったんだ。それらはやはり繋がっていたということかい?」「それは多分あってるかしら、蒼星石。私もあの"異なるもの"の原典を暴いた 時点でそれは感じたのだけど、何も無い所からはイメージは生まれない筈。 多分、その原典はここにあるかしら」 もっとも、それが『オリジナル』の作品であるとは限らないけど、と彼女は言った。「そうなの……私の記憶も曖昧だけど、心の底でそのイメージがあったのかしらね。 それにしても――遅くなったけど、お礼を言わせて頂くのだわ。 本当にありがとう」 頭を下げる。彼女達が居なければ、私自身どうなっていたかはわからない。かなり怖い思いはしたけれど……「いえいえ、気にしないで真紅ちゃん。それが私達の仕事なんだもの。ね、カナ?」「そうかしら。貴女の"世界"で闘ってた皆も頑張ってくれたみたいだし。それに 例を言うなら、私達の上司にあとで言ってほしいかしらー」「上司……白崎さんのことですかぁ?」「正解かしらー。まあ私も来ていきなり戦闘になるとは思わなかったけれど。 "庭師"にも宜しくって言ってたかしら、翠星石」「あー……前の定期報告から、暫く会ってないですねぇ。相変わらずなんですか、あの人」「そうだねえ。『翠星石さん、ちゃんとやってますかねぇ』って言ってたよ」「みっちゃん! それは言わないようにって……!」「くぅ……返す言葉が見つからんです……」 ん。プライドの高い翠星石が、ぐうの音も出ないとは。過去に何かあったのだろうか。「まあまあ、翠星石。僕らは随分お世話になってるし、面倒も見てもらったしね。 心配してくれてるんだよ、眼をかけてもらってたからさ」「……あの実践練習は反則だったですぅ、蒼星石。あのひとは容赦がなさすぎなんです」 ……あまり掘り返さない方が良さそうだろうか。「真紅。じゃあとりあえず、ちょっと案内してくれるかしら?」「わかったわ、こっちよ」「私は部屋に残ってるね。"庭師"さん達とお話してるから」 私は金糸雀を連れて部屋を出た。―――――「……」「……」 部屋を出てから、私と金糸雀の二人きり。歩いている間は無言だった。何か話した方が良いだろうかと思いながらも、話題が見つからない按配。彼女自体が話しづらい人間なのではなくて、多分これは私の方の性質によるのだろうけど。 窓の外を見ると、雨がやんだのか陽が差し込んできている。庭に見える薔薇が、雨粒で輝いて見えた。その水滴の一粒一粒が虹色を放ち、その美しさを際立たせている。「薔薇……」「どうしたかしら? 真紅」「いえ……さっき部屋で見たものを少し思い出したの」 金糸雀が、"異なるもの"の圧力から私を守る為に渡してくれた傘。あの中に入ったとき、私は普段見ている空間とは違うものを見ていた。 悪夢を館に戒める、茨の結界。私の部屋の中だけでも、正直ぞっとしてしまうほどのものだった。今の私には、例えば自分がこの瞬間に捉えている視界の中にも茨は存在しない。 けれど、それは。確実にこの屋敷にも張り巡らされていて、――私自身を、戒めている。「――色々とショックだろうけど、仕方ないことかしら……あれは貴女をこの屋敷に縛る と同時に、貴女を守る為のものなんだから」「そうね。――わかっているのだわ。ところで、金糸雀」「何かしら?」「あの傘は、やっぱり何か特別な処置が施されているの?」「そうかしら。あの傘は私特製。あの時は急だったから、詳しい説明は省いたけれど。簡単 に表現は出来ないんだけど――有体に言えば、魔術がかかっている道具かしら」「魔術……」 もし私が、こういった環境下ではなく。普通に暮らしていたとしたら、魔術など何て前時代的な、と……そんな風に考えていたに違いない。 だけど、もう十分に非現実的な場面に遭遇し続けた私にとっては、特に驚くべきことでもない。幽霊だって居るんだし。「そう、魔術。あの傘を用いて――貴女の身体を、観念拠りにしたの」「観念拠り、とはどういうこと?」「普段私達がこの実空間で生きている以上、勿論実体を持っているかしら。 だけど、実空間に現れる"異なるもの"は――観念の虚像。まあ、幽霊もそうなんだけど、 普通はそういった存在は私達は触れることが出来ない、と考えるわよね?」「ええ、確かにそうね」「だけど、"異なるもの"達は。実空間の在り方を捻じ曲げてきたりして、私達を攻撃して くるの。もっとも、『存在を捻じ曲げる』ような奴らは相当特別な力を持っているから、 あんまり見ないけど」「さっき見た――"異なるもの"は、そういったものとは違うと言うのね」「そうかしら。ポピュラーな方法としては、相手の観念――こころね。 それを直接握りつぶした方が早いから。 実体を持っていると、剥き出しの観念的な衝撃に対しては、酷く脆くなるの。 だから、貴女の身体が、一時的に観念の耐性を持つようにしたのかしら。 それが『観念拠り』にしたということ」 成る程。ということは、私はあの時、実体を持ちながら『イメージに近い』状態になっていたということか。「じゃあ、あの時茨が見えたのは――」「そうね。貴女がそういった状態になったことで、もともと観念の結界であるものも見え たということかしら」「金糸雀、貴女は普段ああいったものが見えるものなの?」「ん……まあ、そうかしら。私の眼、そのものの性質が特別というところもあるかしら。 それをこれで補助してる感じ」 そう言って金糸雀は、自分にかけている眼鏡を指差した。「みっちゃんも私の持つ能力に属した眼を持ってて、色々なものが"視える"んだけど。 それにはある程度力を解放しなくちゃいけない。眼鏡――勿論それにも魔術は施されてる かしら――をかけて、ある程度通常の状態でも程ほどに"視える"ように力を増幅してるのかしら」 私はさっきの彼女達の様子を思い出す。二人が"異なるもの"に向かって言葉を投げかけたとき――眼が、紅く光っていた。「じゃあ――今も貴女の眼には、茨が"視えて"いるのね」「うっすらと、だけど。多分あの"庭師"達にも"視えて"いる筈。この結界自体は あの娘達が施したものじゃないだろうけど、補強はしてるようだし。 元々この実空間に反映されてるから、イメージが増幅しやすいのかしら。 だとしたら、元々何も無かった筈のこの場所に結界をはった最初の人間は、 相当協力な力を持っていたことになるわね」――――― 物置部屋の前に辿り着いた。「ここよ。暫く入ってないから、埃っぽいかもしれないけど……」 扉を開ける。自分自身この部屋に足を踏み入れるのは久しぶりのことだった。「これは……すごいかしら。ちょっとした骨董市が開けそう」十畳程の広さである部屋の中に詰まっている物、物、物。父が蒐集家であったことは幼い頃からの記憶としてあったのだけれど、果たしてこれほどのものだったであろうか。「この辺りに絵が固まって置いてあるわね」金糸雀がそう言いながら、部屋を漁り始める。「オリジナル、真作だったらすごいだろうけど……レプリカも多いみたいなのだわ。 大っぴらに飾っていたわけではなかったし、父の趣味みたいなものかしらね」「……」「どうしたの? 金糸雀」「貴女のお父様も。イメージ……多分そういったものに、 強く惹かれるところがあったのかも。だからこういった絵を集めたのかしら……」 金糸雀に促されて、一枚の絵を見る。 後姿のひとが、描かれている絵だった。その人物は絵の中で、視線の先には『絵の中に在る絵』を捉えている。でも――「何も、描かれていない――?」 『絵の中に在る絵』。それは、木枠の額縁に飾られていた、真っ黒な空間。「黒。絵の具で塗りつぶされたような闇は――ひとのこころを、不安に誘うものの象徴かし ら。この絵の作者は確か……マグリット。ルネ・マグリットね。 命そのものや、死という概念はそれだけで圧倒的なイメージ。それに惹かれるというのは、 ある種人間の性とも呼べるかしら。 こっちにある絵――『オルフェウスの死』――オディロン・ルドン。 死のイメージを完全に、美しさと安息の中に補完してる。 安寧への願望……それにしても、よくこれだけ集めたものかしら……」「……」 私は金糸雀の言葉に、答えない。 お父様。お父様は、生きている間――指輪の呪いが受け継がれてから、外に出ることを許されず。どんなことを、思っていたのだろう……?「さっきも言ったけれど――もし、絵のように視覚的に捉えられる手法を用いて存在する ものがあるとして。それを用いて、不安を訴えようとする場合は、確かにあるの。 それは、画家の意図として。 だけど、その真意はわからないでしょう? 全ては受けて側のイメージ。 もし絵の中に、二人以上の人物が描かれていたとするでしょう? そうすると、見ている 側はその"光景"から物語を紡ぎだそうとする。作者の狙いを超えて、それは展開されるも のかしら。それは絵との対話なのだから。 そしてね――その対話を、拒絶しようという狙いを持ったのが……きっとこの絵かしら」彼女が、先ほどと違う額縁を私に示してみせる。「"頭部無き絵"……」「そう。さっき私達が闘っていた相手の、オリジナル。これもフェイクではあるけれども、 貴女の持つ意識の中では、これが"原典"なのかしら」 私は、絵の表面をそっと撫ぜてみた。紙の上質さは私の知り得るところでは無かったし、油彩独特の凹凸もこの手には感じられない。これは、きっと偽者なのだ。 だけど、これが私を取り込もうと、眼の前に現れた――「元気を出して、真紅。貴女の呪いについて、楽観的なことは決して言えないけれど―― きっと、今までとは違った結末が待っているような気がするかしら」「違った、結末?」 金糸雀が、私の方を見据える。今、彼女の瞳は紅くはない。だけど、その緑眼に……全てを見透かされて。そして吸い込まれてしまいそうな、そんな感覚に陥る。「聞きたいことがあるの。あの幽霊――桜田ジュンのことかしら」「……」「さっき、ジュンの左手をみたかしら。貴女と同じ、指輪がついてた」「彼は……」「観念の存在であるジュンが、あなたと全く同じかたちを模した指輪をつけている。 あれは単なる真似では無くて――指輪の『存在を分け与えた』。そんな気がするかしら」「彼は……私を、守ってくれたのだわ」「……彼と初めて、逢った時に?」「そう、初めて逢った時に」「貴女はそのとき、目覚めていたのね――外敵がその時、現れた?」「そう。さっきの貴女達の闘いも怖かったけど、実は二度目。ああいった形の争いを 見るのは――」そして、その"初めて"は――二度目のそれとは比べ物にならない位に恐ろしく、絶望的だったこと。「"異なるもの"と呼べばよかったのかしらね、あれも――」―――――――――――――― 唐突な、目覚めだった。部屋の窓にカーテンがかけられていたものの、この暗さならば夜は空けていないということが容易に感じ取れた。 寝汗が、酷い。それになんだか、頭がぼんやりとしていた。身体を起こすと、背中が置かれていた部分のシーツがぐっしょりと濡れている。 私は手を頭に添えた。 父が亡くなって、二週間が経とうかという頃。私はそれよりも更に三週間程前に、父の指輪を"受け継いだ"。 呪いの、薔薇の指輪。私の呪いに抗う為に屋敷にやってきた"庭師"の姉妹は、別室にて就寝中の筈である。 もう何度か、私の夢の"世界"の中で、"異なるもの"と闘っている。ただその時の私は眠りについているし、目覚めれば全てが終わっている。 もし彼らが、闘いに敗れたとしたら――? それは私の運命なのだろうと思った。 父が指輪を"受け継いだ"のは、四十代を過ぎたあたりのことであったらしい。母と結婚して、私が産まれ――母は私を産んですぐに亡くなってしまったから、その顔の面影は写真でしか知ることが出来ない。 ともかく、そんな折に父の指には指輪が現れたのだった。「……」 私は結婚している訳でも無いし、まして跡を継がせるような子供も居ない。そんな場合、もし私が死んでしまったら。この指輪はどうなるのだろうかと――私は独り暗闇の中、そんなことを考えている。 ひゅう、と。生暖かい風が頬を撫でていったような気がした。「……?」 視界は大分慣れてきていて。部屋の明かりをつけることもせず、私はその風の出所らしき方向へ眼を向けてみた。 そこには、何も無い。当たり前だ。四月に入りたての空気はまだ夜を冷たくしていたし、それを知っているが故に窓は開けてはいないのだから。 だけど……何か、部屋の中に居る様な。そんな気配を薄々と感じる。 「……誰なの?」 暗闇の先に、声をかけてみた。返事を期待していた訳では無い。それも当たり前のこと。「ふぅん――お前、僕が居るのがわかるのか。"視える"のか?」「!?―――」 その、期待していなかった声は、私を驚かすのには十分だった。 けど、何か――不思議と自分にとっての脅威と成り得るものでは無い。そんな根拠の無い感覚を、私は覚える。 よくよく、眼を凝らしてみる。そこには……ぼんやりと。ひとのかたちが……眼鏡をかけた少年が、居た。「ええ、見えるのだわ。貴方は誰? 先に自己紹介した方がいいわね―― 私の名前は真紅。さあ、レディに先に名乗らせておいて、貴方の正体はいつ明かして貰える のかしら?」
「……」
「……ぷっ、あはははははは!」
「――何か、おかしい?」
「いやいや、おかしいだろ。まあ、いいか――僕の名前はジュン。桜田ジュン。まあ有体に 言うと、幽霊ってことになるのか」
「そう」
「……驚かないのか?」
「驚くも何も。世の中に幽霊の一人や二人、居たっておかしくはないでしょう。 その中の一人が私の眼の前に居る。それだけのことなのだわ」
ジュン、という名前らしき幽霊は、不思議そうな表情で私の方を見ている。そしてまた、話を切り出してきた。
「成る程。元々不思議な体験には慣れてるって所か。例えばそう――その、指輪」
「――!」
指摘され、少し私は身構えた。そうだ、指輪の呪いは、何も私の夢の"世界"だけで展開されている訳では無い。数こそ少なくなったものの、外から私を襲ってくる輩も居ると、蒼星石が話していたではないか。 だけど、そういった所謂『外敵』から私を守るために、結界が張られているのではなかっただろうか。その結界自身をこの眼で確かめたことはないけれど。
「――そう。貴方もこの指輪に引き寄せられたのね? 私を取り殺しにでもきたのかしら。 代々受け継がれてきた呪いとやらも、これで終わりになると良いのだわ」
あっけないもの。ここでよもやアウトになるとは――そう、考えた時。ジュンはそれを慌てた様子で否定する。
「いや、別にお前を呪い殺そうだなんて僕は思ってないぞ。僕は此処に"居る"。ただ、それだけ」
「……本当に?」
「嘘ついてもしょうがないだろ。なんていうか――その指輪は、僕の眼から見ると随分特別に 見えるんだよ。何て言えばいいかな、僕のような……幽霊の存在に近いっていうか」
「――"観念"?」
「お、話が早いな。そう、幽霊は観念の塊みたいなもの―― それに近い空気を、その指輪にも感じる。ああ、あと」
「え……?」
「呪い殺す、って言ったっけ。そういうものは、あっちに居るお客さんが望んでそうなんだが」
私は、ジュンの目線の先を追う。そこには、やっぱりひとのかたちをした影が在った。だけどそれは、私のよく見知った顔で―――
「……お父様!?」
――どうして。父はもう既にこの世には居ない。ああでも、ジュンと同じように幽霊になって、私に逢いに来てくれた――?
「奴に近づくな、真紅」
「どうしてっ!? 私のお父様なのよ!?」
「あー。ひょっとして、あいつこそがその指輪とやらに"引き寄せられた"んじゃないか」
「……どういうこと!?」
「あいつからもその指輪と同じ空気が滲み出ている。どうみても、正気を保っているよう には見えないな。少なくとも、感動的な父娘の再会じゃないだろ。
代々受け継がれてきた、って言ってたな。――ってことは……『この状況』も、代々 続いてきたことなのか?」
「嫌……嫌あああぁぁぁぁ!!」
知らない、こんなことは知らない。こんなこと、聞いてなかった! ……どうしてこんなにジュンは冷静なのだろう。
幽霊だから? 私とは関係ないから? ただ此処に――"居る"だけだから?
刹那。私の視界は、夜の帳よりも深い闇に包まれた。
「あ、ああ……!」
『真、紅……』
お、とうさ、ま、
『逃 げ 、ロ』
「―――――あ、あああああっ!!」
――――そして。闇を破るように、私の身体が光のようなものに包まれる。
「……い、と……?」
私の左手の薬指。そこにつけられた指輪から、光の糸が……紡ぎだされている。
暖かい。なんてやさしい、ひかり――
「――真紅!」
「ジュ……ン……?」
「その指輪――お前を守ってくれたみたいだな。だけど――このまま奴を放っておいても、 お前の方が壊れるぞ」
声が掠れて。うまく話すことが出来ない…… 私はただ、口を僅かに動かすことくらいしか出来なかった。
「真紅、よく聞け。その指輪――観念の存在に、近いもの。その存在を――僕に、分けろ。 そして僕の存在に意味をつけてくれ」「……ど、……いう……」
「僕はこのままじゃ、ただの幽霊だ。……まあいい。その指輪の呪いとやら、 半分貰ってやる」
そう言うと。ジュンは私の方へ飛んできて、左手の薬指に――口付けた。
光の糸よりも、更に眩いひかりが部屋を包む。
「ははっ……ほんとに出来るだなんて。失敗したらどうしようかと思った」
そんなことを言いながら、彼は父の方を見据える。
「……真紅。これから起こることは、眼を瞑るなりなんなりして、いくらでも眼を逸らしても いいことだ。……せめて良い夢が、見れるといいな」
ジュンは、自身の左手の薬指につけられた指輪を私に示しながら――穏やかに、微笑む。
『お前を、守ってやるよ――』
彼が父に――いや、かつて父だった『もの』に、物凄いスピードで突っ込んでいく間際。 彼のそんな声が聴こえたような気がして……私は、気を失った。
――――――――――――――
私の話を、金糸雀は黙ったまま聞いていた。私自身、これを話すこと自体みだりにするものでは無いとは思っている。だけど……ここで話しておかなければならないような。そんな気が、した。
「指輪の宿主を、前の所有者が襲う……?」
彼女は唸りながら首を傾げている。ジュンはあの時、『代々"受け継がれてきた"ことか』と言っていたが。あの事例自体は本当に珍しいことなのだろうか?
「まあ……ここで頭を捻らせても仕方ないかしら。戻りましょう? 真紅」
「ええ……」
部屋をあとにする前に――私は一度だけ、その中を振り返って。 そして……部屋の鍵を、かけた。
また、二人で廊下を歩いている。今度は彼女の方から、私に話しかけてきた。
「サティ、好きなのかしら?」
「え?」
「真紅の部屋の中にかかってた音楽。"グノシエンヌ"――第五番」
「そう、かけていたCDが鳴り続けていたのね、きっと。サティは好きよ―― 雨の降る夜には、よく似合いそうね。……今は晴れているけど」
そう言って、また窓の外を見る。暫く、直接太陽の下に出ることがなかった。こうやって窓から射し込んでくる光だけが――真に私を照らすものだとしたら、どうすれば良いだろう。
「"グノシエンヌ"の語源は知ってる? 真紅」
「いえ、知らないのだわ」
「あれは、サティの造語。『知る』と言う意味を持つ言葉から、発音をとったもの」
「『知る』……」
「そう。今、きっと私達は……知らなければいけないことが、沢山あると思うの。 それは貴方の呪いを打ち破る、術になるかもしれないかしら。
だけど、――さっきはごめんなさい、真紅。辛いことを、思い出させてしまって」
「いえ、良いのよ。気にしないで金糸雀」
翠星石達が残っている筈の部屋の前まで来る。 なんだか、騒がしいのだが。ちょっと嫌な予感。
『きゃー! こっち向いて蒼星石ちゃーん……』
『蒼星石、最高ですぅ! こんなにピンクが似合うだなんて驚きですぅー……』
何、だろう? 中から聴こえてくる黄色い声は。
「みっちゃん……」
金糸雀が溜息をつきながら、頭に手をやった。
「おい……何とかしてくれよあいつら……」
すぅ、と。廊下の天井からジュンが出てきた。
「なんだあのコスプレパーティーは。……主に被害者は蒼星石だが。 みっちゃんとか言ったか、着替えのときに無理矢理外に出された上に結界張りやがったぞ。 しかも特殊なやつ……ちゃんと仕事してんのか? お前ら」
「め、面目無いかしらー……」
金糸雀は、返す言葉も無いようだ。
「とにかく、蒼星石を早く解放してやってくれ。顔がまっかっかでとても見てられない。 まあ、スカートは似合ってたけど」
そう言って何やらにやけている彼の耳を、左手で引っ張った。
「い、痛てててててて! 何すんだよ真紅!」
「金糸雀! 貴女は中に入って場を収拾しなさい!」
「わ、わかったかしらー……」
……ひょっとしたら彼女自身、"観察者"の餌食になってしまうかもしれなかったが。私もそれに巻き込まれては敵わない……
そして。自分の部屋の前から逃げるように去り、私は居間にやってきた。
「ジュン、紅茶を居れて頂戴」
「はいはい……」
「はい、は一回よ!」
「あーもう。何怒ってるんだよ」
「別に怒ってないのだわ……」
私のその台詞を聞くと、彼は溜息をつきつつも台所へ向かっていった。
――――――
「はいよ、お待たせしました」
「ありがとう、ジュン」
紅茶を一口飲んで、ほっと一息。これだけは、変わらない習慣で。この先も続いていくことなのだろうかと……なんとなく、思う。
「それにしても、さっきは酷かったなあ。金糸雀が哀れな子羊に見えたぞ」
「なっ! だって……ピンク色の服とか、その」
「だって、何だよ」
「だって……私には、……そういう可愛らしい服は、似合わないのだわ、きっと」
「……」 「……」
そうして、『はぁ……』と、ジュンはまた盛大に溜息をつく。
「何よ! 何か言いたいことがあるならはっきり言って頂戴!」
「や、真紅も奥ゆかしいお嬢さんだなあと」
「……どういう意味?」
「まあ、なんだ。どっから情報入手したか知らないが、お前の分らしき衣装も 用意してあったぞ。
なんと言うか……お前が着ても似合う……可愛いと思うんだが」
「っ……!」
そういう不意打ちは反則なのではないかと思う、この幽霊は! でも、まあ……動揺を悟られるのも杓なので、つとめて冷静な声で返すことにする。
「……褒めても、何も出ないのだわ」
「期待してないぞ」
「ふふっ」 「ははっ」
何となく、笑った。今日初めて、声を出して笑ったかもしれなかった。
私は紅茶のカップを持って立ち上がり――それは作法としてはどうかと思ったけれど――窓の近くまで歩いていって、レースのカーテンに手をかけた。
別に、庭に出るくらいなら構わないのだけど。何となくそれは躊躇われて、窓から外を見つめるだけにしておく。
「ねぇ、ジュン」
「なんだよ」
指輪を、見つめた。子供の居ない――まあ、多分これから先も、その可能性は限りなく少ない訳で――そんな私の、ちょっとした反撃。
「幽霊と人間って、結婚できるのかしらね?――」
返事が、無い。
ジュンの姿を追ってみる。すると彼は、そっぽを向いたままであった。 顔を何やら紅くしつつ。……幽霊でも、照れることがあるのか。
まあ、いい。さっきのお返しだから。
「何言ってんだよ、お前は……」
「あら。今まで外に出ていたときだって、男性とお付き合いしたことは無いのだわ。 この先だって、その可能性も少ない訳だし―― 身近な男性と言えば、貴方くらいしか居ないのだもの」
「……必要に迫られて仕方なく、って感じがするなあ」
あ、なんだか不満そう。まあ私も――決して彼を馬鹿にするつもりで言ったのでは無い。
「結婚は冗談にしても――貴方は、私の傍に居てくれるのかしら? そしていつでも美味しい紅茶を淹れて貰わないと――」
ぽん、と。私の頭に添えられる、彼の左手。指輪のついた、私に触れることが出来る……手。
「心配しなくても――ちゃんと守ってやるから」
私はくるりとまた窓の方に身体を向けて、窓の外を見る。そして、窓を開けた。
雨上がりの空気も落ち着いて、とてもとても静かだった。 こうしていると、今まさに自分が指輪の呪いに囚われているだなんて、 忘れてしまいそう。
微かに、微かに――私の部屋の方から、音が聴こえた。
"グノシエンヌ"、第五番。そのピアノの音が、聴こえるか聴こえないか位の 小さな旋律を紡いでいる。
"知る"ということ。私が今、知りたいと思うのは……? このままでも良かったかもしれないけれど、きっと私は――もっと自由を、 知りたかったのかもしれない。
その時見える景色は、どんな色をしているのだろうかと…… そんな、本当に些細なことを。
金糸雀が言っていた、今までとは違う結末に対する可能性のことを。 少しだけ考えて、眼を瞑り――この暫しの幕間に、私は身を任せた。
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