時速200キロの恋
「知ってる? 夢に誰かが出てきた時って、そのひとがあなたに会いたがってるんだよ」出張のために新横浜から乗った新幹線の中で、隣に座った女の子は突然そう話しかけてきた。「そのひとのあなたに会いたいって気持ちが体から抜け出してあなたに届いてるんだって。それでね」「あの……誰かと勘違いしてませんか?」僕は彼女に尋ねる。大方、僕に似たつれとでも間違えているのだろう、そう考えたからだ。普通、隣に座っただけの見ず知らずの他人に話しかけたりはしない。彼女は僕の言葉を聞き、きょとんとしながら僕の顔を見つめていた。自然と見つめあう形になる。彼女が眼帯をしていたために、片目しか見ることはできなかったが――僕の背中から差し込む夕日のせいだろうか――その瞳は金色だった。とても澄んでいて、じっと見ているとすいこまれそうだ、そんなことを考えていると、彼女は笑いながら言った。
「あはっ、変なの。初めて話しかけるのに人違いのわけないじゃん」「じゃあ知らないひとってわかってて話しかけたの? まったくの他人なのに?」「他人じゃないよぉ、袖振り合うも多生の縁ってことわざ知らないの?」彼女は僕と同じくらいの年頃に見える、二十代半ばといったところ。そんな彼女が使うには違和感のある言葉だ。「君って変わってるね」僕がそう言うと彼女は首をかしげる。「そう? 友達にもよく言われるの。なんでかな、自分じゃそうは思わないんだけど」「変なひとはみんな自覚なんかないからね」そんなことを言うと、今度は頬をふくらませた。「むぅ、ねえ、それが初対面の女の子にむかって言う言葉?」「ごめんごめん、もうちょっとオブラートに包んだ言い方にするべきだった」「全然フォローになってない気がするんだけど」そんなことを言って僕たちは笑った。
その後も僕たちは話し続けた。彼女は話す度に手も一緒に動く。身振り手振りを交えながら話すのはなんだか子供っぽくて可愛かったし、なによりころころ変わる表情を見ているのは楽しいものだった。普段、僕は人見知りをするほうで、初めて会った女の子とこんなふうに会話が弾むことはまずない。それが嘘のように彼女との会話はスムーズに進んだ。他の乗客の目には、仲の良いカップルに見えていただろう。「あーなんだかいっぱい話したらおなかすいちゃった。お弁当食べよ」彼女は鞄から駅で買ったと思われる弁当を取り出した。それを見ていた僕に気付き、彼女は聞いてきた。「君はご飯食べないの?」「僕は乗る前に軽くすませたんだ、お構いなく」「そう? じゃあ遠慮なくいただきます」そう言うと彼女は弁当を食べ始めた。
こんな弁当どこに売ってるんだろう、僕は弁当を見てそう思った。なぜならその弁当にはご飯とシューマイしかはいっていなかったからだ。「……そんなに見たってあげないからね」彼女が僕のことを少し睨みながら言った。「欲しくて見てたんじゃないよ。すごい弁当だなって思ってさ、シューマイ好きなの?」「大好き! あたしね、自分の好きなひとにシューマイ作って食べさせてあげるのが夢なの」満面の笑顔でそう言う彼女に、僕はどきっとしてしまった。その好きなひとに、少しだけ嫉妬の気持ちまでおぼえた。「あのー、そんなにじっと見つめられると続きが食べられないんだけど」彼女は困ったように笑いながら言った。僕は気付かないうちに見つめていたようだ。「ああ、ごめん。君が食べてるあいだ景色でも見てるよ」そう言って僕は窓のほうに顔を向ける。「助かります」彼女はまた食べ始めた。
僕は外の景色なんか見ていなかった。窓にうつる彼女の横顔から目がはなせなかったからだ。不思議な子だ。話をしていると子供っぽく見えるのに黙っていると僕より年上のような感じがする。初めて話す相手を退屈させないことは才能だと言えるだろうし……きっともてるんだろうな。そんなことを考えていると、窓の中の彼女と目があった。「ねぇねぇ」「えっ? なに?」ふりむくと、目の前にシューマイがあった。「はい、あーん」「い、いいよ。恥ずかしいし」「なに言ってんの、あんなに欲しそうに見てたじゃん。ほらぁ」さらに僕の顔に近づける。「わ、わかったよ」僕は観念して口を開ける。今日会ったばかりの子にこんなことをしてもらってるなんて信じられなかった。口の中には、いつもよりおいしい気がするシューマイの味がひろがる。
「ありがとう、おいしいよ」僕がそう言うと、彼女は顔を赤くしていた。「えへへ……これって間接キスだよね」「え?」そう言われればそうだ。急だったから気がつかなかったけど、彼女の言うとおりだった。二人のあいだを沈黙が包む。だがその沈黙は、気まずいものではなく、どこかむずがゆいような沈黙だった。僕がなにを言ったらいいか迷っていると、彼女が立ち上がった。「あたし、のどかわいたから飲み物買ってくるね。なにか飲みたいのある?」彼女の頬はまだ赤いままだ。「ありがと、でもそんなにのどかわいてないからいいよ」顔があつい、僕も彼女と同じかそれ以上に顔が赤くなっているのだろう。「そう? じゃあ行ってくるね。あ、何か書くもの持ってる?」「ボールペンならあるけど……はい」「ありがと」ボールペンを受けとると行ってしまった。残された僕は、居心地がいいような悪いような、よくわからない気分でひとりそわそわしていた。
携帯の番号……聞こうかな。でも彼氏いるかもしれないし。それで気まずくなるくらいなら最後までこうして話してるほうがいいしなぁ。そうするとあとどのくらい一緒にいられるんだ? 会えなくなるくらいならいっそダメもとで聞いたほうがいいのか?「なに難しい顔してるの?」ふりむくと彼女が椅子に座っている。いつ戻ってきたのかまったく気付かなかった。「はい、ボールペン」僕は受け取りながら答える。「ああ、ちょっと考え事してたんだ」「ふーん、そう。ねえ、これ知ってる?」そう言って彼女は自分の携帯についているストラップを見せてくる。「これ……なに?」茶色で一つ目の人形だった。手はドリルのようになっている。なにかのロボットのようだ。「知らないの? アッガイだよ、ガンダムに出てくるやつ」「ガンダムに出てくるやつって言われても……ガンダムしかわからないな」「こんなに可愛いのに」彼女は僕が知らないことに不満そうだったが、すぐにまた聞いてくる。
「君の携帯はどんなの?」「僕のは普通だよ、はい」折りたたみ式の携帯を渡すと、何度か閉じたり開いたりする。「なにもつけてないんだね、ストラップ」「まあなくても困ることないしね」「そうだけど、なんか寂しい感じがする」そんな話をしていると、掛川についたことを知らせるアナウンスが車内に流れた。「あ、あたしここで降りるの」「えっ?」突然だった。彼女は僕に携帯を返すと、弁当をかたずけ、降りる準備をする。「お姉ちゃんの家がこの近くなの。久しぶりに会うんだ。それじゃあね、楽しかったよ」そう言って彼女は行こうとする。「ねえ! 君、名前は?」「あたし、薔薇水晶。君は?」「ジュン、桜田ジュンだ。またどこかで会えるといいね」彼女は笑って答える。
「会いたいって思えば会えるよ、夢の中でね。それに実際に会うことだってできる、じゃあね」そう言い残し、彼女は行ってしまった。僕は窓から彼女の姿を探したが、ホームには人が多くて見つけられなかった。諦めて腕時計に目をやる。乗ってから一時間二十分か、あっという間だったな。ふと気がつくと、携帯に紙がはさまっているのを見つける。それを開いてみると、こんなことが書いてあった。今日は楽しかった!あたし初対面のひととあんなに話せたのはじめてだよ。もしよかったら電話して。薔薇水晶090-○○□□-◇◇△△こんな出張なら何度してもいいな、僕はそんなことを思いながら、電話でなにを話そうか考えていた。fin
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。