第三話 策士
薔「……真紅の住む屋敷には、幽霊である桜田ジュンが棲みついている。 屋敷に住み込みで働いている"庭師"の姉妹、翠星石と蒼星石の仕事は、単に現実の 庭の手入れをするだけではなかった。ジュンは現在、彼女らの仕事の手伝いをして いるというポジションに居る。 真紅にかけられた、薔薇の指輪の呪い。彼女は屋敷から出ることを許されず、 だけど当の本人は比較的のんびりと館の中での生活を送っている。 真紅の一族にかけられた呪いは、"悪夢"の具現。彼女の夢の"世界"から出ようとする 不幸のイメージ……通称"異なるもの"を撃退するために、"庭師"は真紅の"世界"に入 り込み、戦闘を繰り返す。彼らは、他人の夢の中に入り込むことが出来る血族だった! 呪いの象徴である筈の薔薇の指輪は、幽霊ジュンの左手にもつけられている。 真紅とジュンの二人の、未だ語られぬ出逢いに何があったのか!(……何かあったら許さない……) 観念と現実の世界。虚像と、実像。それらのイメージを元に、彼らの運命は、どのように 廻っていくのか!……」銀「随分と歯切りが良いわねぇ」薔「だって今回出番ないんだもん……」銀「(これからも出番あるかわからないけど、私達……)では、どうぞぉ」薔「前スレの続きだよ……(くすん……)」――――――――――――――――――――――――― 私は今、長い長い坂を登った先にある館の敷地前に立っていた。 ここはこの辺りでも有名な建物で、ついている名前は『薔薇屋敷』だそうで。成る程その名前に相応しく、庭園内にはそれは見事な薔薇園が出来上がっている。 多分これを手入れしている者の功績だろう。ここまで立派な薔薇はなかなかお目にかかることは出来ない。 でも今の私の眼には、その薔薇だけでは無い"もの"がうつっている。私はかけている眼鏡に手をやり、眼前に広がる光景をまじまじと見つめた。 ここの屋敷は"庭師"が担当していると聞き及んでいる。ならばこれも、彼らが施したものであろうと考える。 館には、自分が知り得る特有な空気がとりまいていた。"異なるもの"の気配だ。ならば、現在"庭師"は交戦中。館の主は眠りについている筈で、その間に勝手に敷地内に入り込むのは少し気が引けような感じがしないでもない。 イレギュラーが居る、とのことだった。私はそれを確かめるために来たのだし、ちょっと眼の前の"もの"に対して全く臆していないと言えば嘘になる。だが、それでは仕事にならないから。「"庭師"さんも頑張ってるってことかしらねー、カナ」「恐らく、そうかしら。けど……」 "異なるもの"が目覚めているのとはまた別な圧迫感が、この屋敷に入り込んでいる気配。悠長なことを言っている場合では無さそうだ。 気を引き締めて、私は自分のパートナーに向けて言葉を発する。「みっちゃん。どうやら私達の出番の様かしら!」「そうね、カナ。んー……」 あ、みっちゃんスイッチ入ってる?「~~~……凛々しいカナも素敵ー! 写真撮らせてー!」 そして、パシャパシャと切られるシャッターの音。うう、みっちゃん……折角びしっと決めようと思ったのに、台無しかしらー…… 館の前で急遽行われる撮影会を早々に切り上げさせて(みっちゃんは不満気だったが)、私は改めて建物を見据える。「みっちゃん。ほら、ここ」「どうしたの? ……ああ、少し破られてるわねー。流石はカナね。 ちょっと補強しておきましょう」 彼女はバッグからポラロイドカメラを取り出し、空間の一部をパチリと撮ると。先ほど"破られてる"と言っていた部分に、出てきた画像をあてがった。 その空間が四角い光を放ち、画像が空間に馴染んでいく。 さて、これで確定。どうやら、一刻を争う事態になってきたようだ。 私達は、"庭師"のように、他人の夢の中に入り込む力は無い。だけど、それが出来ない代わりに、もっと別な能力を発揮することが出来る。 夢の中に入り込み、"異なるもの"と対峙する者達。私達は彼らの系列に属する血筋だが、正統な血統である彼らが対応仕切れない事態に陥った時の為に、私達が居るのだ。 私は、"策士"。ならばこの頭脳で、この状況も見事打破してみせよう。【ゆめまぼろし】第三話 策士 館の扉が開いていた。少し無用心な気がしないでもない。でももし扉が閉じられていたら、ピッキングしてでも中に入らなければならないところだった。結果オーライということか。「みっちゃん、こっちかしら!」「オッケー。さて、どうしたもんかしらねー」 私達は階段を駆け上がり、とある部屋の前に辿り着く。「ここね……」 勢いよく扉を開ける。館の主らしき少女が、ソファに横たわっていた。 そして、彼女の真上を取り巻くように存在している、くらいくらい穴。彼女の"世界"へ通じるものだろう。「さて、先方はまだ着てないみたいねー。館の入り口は抜けたようだけど、どっかで引っ かかってるのかも」 多分、みっちゃんの言っていることは正しい。"庭師"もなかなか手抜かりは無いということか。 けど、ゆっくりと。しかし確実に、ここへ近づいてくる気配。もしここへ辿り着いたら、少し厄介なことになるが……――――――――――――――――「くっ!」 "異なるもの"に一撃を食らわせようとした刹那。身体全体が衝撃が走り、後方へ吹き飛ばされる。「大丈夫ですかっ!? 蒼星石! ……このへんちくりんめぇっ!」翠星石が如雨露を構え、水を辺りに巻き始める。『"庭師"が命じる! 実を持たんとする"異なるもの"――汝はすなわち、観念の虚像! ならば虚像、その動き、"世界"の観念により縛られよ――』『――いでよ、"野ばら"!』 "異なるもの"に取り巻き始める、大量の茨。それによりがんじがらめになり、その動きが止まった。「――――!」 しかし、相手もさるもの。激しく振動を繰り返し、内側から茨がどんどん崩れていく。「大した足止めにもならんようですね……でも、少しの間なら。蒼星石、大丈夫ですか?」「大丈夫だよ。けれどこれは、ちょっといつもと違うみたいだね」「ああ……これは何の観念なんだ? このでかい額縁は」 僕と、翠星石。そしてジュン君の三人で、今"異なるもの"と対峙している。"世界"の入り口に仕掛けていた薔薇の結界が朽ちさせられていた時点で、何やら嫌な予感はしていたのだが。 眼の前に居る"異なるもの"は、いつもの半透明で曖昧なイメージではなく、しっかりとしたかたちを持っている。大きな、大きな額縁。本来ならその中に絵が描かれていて然るべきなのだろうが、ただ黒く塗り潰されているだけだ。人型の"異なるもの"ならば、闘いは熾烈を極めたものになっただろう。 けど。今眼前にあるこの"絵"も、十二分に不気味だった。 加えて、"異なるもの"とは違うプレッシャーが、"世界"の入り口の方へ近づいているような。そんな不穏な空気を感じ始めている。翠星石やジュン君も、それに気付いているのか後ろの方と振り向いたりしていた。 途端、"世界"全体が、大きな揺れを起こし始める。「なっ、なんですぅ!?」「これは……真紅が目覚めようとしてるな」「どーいうことです、ジュン!」「真紅が目覚めたら、"世界"の入り口が閉じるだろうな。多分その衝撃が伝わってるんだ。 普段はお前達"庭師"が居れば、そんな事態は無い筈なんだが」「でも、僕達が居れば、閉じても無理矢理開くことは出来なくもないけど……」 そう。それは可能だ。だが……「宿主である真紅には、相当の負担がかかるだろうね」「仕方ないな……そうだな、僕に思い当たる節がある」「なんです、ジュン?」「お前達には黙ってたけど、外部から"世界"に進入しようとしてた怨念みたいな奴が、前 に居たんだ。そいつが現れたとき、真紅は目覚めていた」「怨念……」『最近では少なくなったが、外からそういった怨念のようなものが悪夢をこじあけようと する場合もある』―― 前に祖父が言っていた言葉が蘇る。今までそういったことは無かったのだが、まさか今になって。 "庭師"は、"世界"の外で観念と直接闘う術を持たない。空間自体に観念を背負うことによって、それをバックグラウンドにしながら僕達は戦闘し、その真価を発揮する。仮に"世界"の外に居たとて、イメージに触れることくらいなら造作もないこと……だが。 もし現実世界で"異なるもの"に類するものと対峙するなら、たちまち相手のイメージに取り込まれてしまうだろう。実の肉体を持つ僕達の、恐らくは精神に直接訴える攻撃を受けて。 "指輪"の力が弱まっていた最近では、屋敷全体にある施しをしておくだけで十分だった。昔はそういった現実世界での戦闘に特化した人たちも一緒に仕事をしていたようなのだが。けれど、今は……「僕がちょっと見てこよう。翠星石、蒼星石。二人で保つか?」「あったりめーです。私達は"庭師"ですよ?」「うん、大丈夫。お願いするよジュン君」「よし。じゃあ行ってくる。奴に取り込まれるなよ…… 何かの絵が元になったイメージなら、原典があれば対処しやすいんだけどな」 そう言って彼は、"世界"の入り口の方へ飛び去っていった。「さて……やってやるですよ、蒼星石」「うん。僕達はここで、負ける訳にはいかない」 眼の前にいる"異なるもの"に取り巻いていた茨が、完全に朽ちようとしていた。同じ手が何度通じるかどうか…… そして僕は、飛び去っていくジュン君の後ろ姿、ちらりと眼で追う。 何か――違和感がある。だけど、それは何だろうか。はっきりとはわからない。 ジュン君、君は――?―――――――――――――――― さて、とりあえず部屋中も一通り補強してみたものの。どれだけの時間稼ぎになるかはわからなかった。「もしこの娘が目覚めて、入り口が閉じちゃっても大丈夫だと思うけど―― 中に居る子は結構辛いんじゃない? カナ」「確かに、そうかしら……」 目覚めてしまうと、中に居る彼らは相当の苦戦を強いられることになるだろう。何しろ"世界"の宿主が起きたなら、彼女が眼にしたもののイメージがダイレクトに中で反映してしまうから。そのことは、彼ら以外の人物と組んで仕事をしたときの経験から知っていた。 さあ、どうする。せめて、中に居る"庭師"と通信する手段があれば良いのだが―― するとその時。ぽっかりと開いたくらい穴から、何かが飛び出してきた。「……お前は――」 眼鏡をかけた男の子が、私達の眼の前に現れて声を発する。その身体は、かなりはっきりしているが――彼の身体の後ろの方が透けて見える。 彼は、"庭師"ではない。観念の塊、幽霊。すなわち、彼がイレギュラーだ。「"庭師"の仕事を手伝ってる幽霊かしら? 話には聞いてるけど」「そうだけど。僕を見ても驚かないのか?」「幽霊ったって、別に慣れっこかしら。えーと、あなたの名前は何かしら?」「ジュン。桜田ジュン」「そう。私は金糸雀、それでこっちに居るのが私のパートナーの、」「みっちゃん、って呼んでね。宜しくジュン君」「ああ、宜しく――って。今は悠長に構えてる場合じゃないんだよ!」「大丈夫かしら。まだ少し時間はあるみたいだし。私達は、"庭師"のお仕事をフォローし に来たのかしら」「フォローだって?」「そう。私達は"世界"に飛び込める訳じゃないけど――外敵専門ってとこかな。ね、カナ」「そうなのかしらー」「ふぅん……やっぱりそうか。えっと、"世界"の中がちょっと面倒なことになってる。 変な絵の額縁みたいなのを相手してるんだけど――多分もう少しで、真紅が目覚める」「そのようかしら。真紅、って言うのね? この娘。彼女が目覚めようとしてるのは、 まあその外敵とやらが原因だと思うかしら」「目覚めるのは、真紅自身の防衛本能みたいなやつだと思ってたんだが。 "世界"への入り口を閉じたら、簡単に中に入ることは出来ないし」「それもあるけど、外敵の影響も少なからずあるかしら。実体をもつ目標に対して、無理 矢理"世界"へ通じる穴をこじ開けると、体よく宿主にダメージを与えられるから。 もともと"世界"に通じることが出来る――そうね、"庭師"ならもう少し丁寧にやれる のだろうけど。そうでない奴がこじ開けたら、悪くいくと精神崩壊かしら」「それで入り口は開きっぱなしで、中に居る"異なるもの"も外へ出放題ってとこかなー」「……」 ジュンとか言う幽霊が、苦渋の表情を浮かべる。これは事実だから致し方の無いことなのだ。だが……「大丈夫。そうならない為に私達が居るかしら!」「そうだよ、ジュン君。ここは私達に任せて、中に居る"庭師"を助けにいってちょうだい」「大丈夫なのか?」「舐めないでほしいのかしら。私達はこういう事態に特化したスペシャリスト。 それよりも、宿主が目覚めた状態で"世界"で闘う方が大変かしら」「――カナ、そろそろ来る!」「!――ジュン、早く行くかしら!」「わかった……任せたぞ!」 私は親指を立て、自信を持って言う。「大丈夫、私は――"策士"。楽してズルして、大勝利するかしら!」 彼はまた、くらい穴を通じて"世界"へ戻っていった。その途端、穴が小さくなっていく。 部屋を取り巻くプレッシャーが増していく。ドアがバチバチと光を発して、そこから何かのかたちが現れ始める。ご丁寧に、入り口から登場ということか。 黒く黒く、絵の具を塗りたくったように染められていく部屋。このイメージは……
「……ジュン? え、ここは……あなた達は、誰なの?」
「お目覚めかしら、真紅。私は金糸雀。こっちの女の人はみっちゃん。 私達は貴女を――助けにきたかしら」
「うんうん。"庭師"さんのお手伝いってとこだよ」
「え? どういうことなの……!? 説明して頂戴!」
「悪いけど、あんまり時間が無いかしら。ちょっと怖い思いをするかもしれないけど、 我慢してほしいかしら」
そう、時間が無い。"世界"の中に居る彼らに負担をかけない為にも、私達は何より迅速に、事態を収拾しなければならない。
「さあ、お出ましかしら」
黒く塗りつぶされた空間に。人のかたちを為し始めているイメージが――現れた。
「――――――!」
酷い、プレッシャー。"世界"の中に居る"異なるもの"は、大概は曖昧なイメージだと聞く。だが、今私達の眼の前にあるものの、威圧感はどうだ。
私達は、この威圧に対する耐性が、普通の人間に比べると俄然高い。だが、真紅は。このままだと、かなりまずい。
「あ……!」
彼女は驚愕の表情を浮かべている。"世界"の中に居る彼らも危険だが、宿主の心が折られたら、その時点で、アウト。 私は素早く、手に持っていたものを彼女に投げ渡した。
「真紅! この傘を持って、それをさすかしら!」
手は大分震えているようだが、なんとか傘をさす彼女。彼女は彼女で、相当な精神力の持ち主ということか。
「はぁ……っ、はぁ……これは……!?」
「その傘から、絶対に出ちゃいけないかしら。実空間に少しフィルターがかかった状態で 居られるから」
「この……茨は何!?」
部屋の端の方に寄って、それに触れる真紅。今の彼女になら、この屋敷に張り巡らされている――私達が、館の入り口で見ていた――"もの"も、知覚出来るだろう。
「それは結界だよ、真紅ちゃん。"庭師"さんがやったと思うんだけど、それで"異なるもの" を縛ってるの」
「これが……戒め……」
声を絞り出す様に彼女が言う。そうか、彼女はこの屋敷から出られないと聞いている。彼女自身はそれを理解していたのだろうが、改めて自分を縛っているともいっても良いものを目の当りにすればショックに違いない。
ただ、今彼女は私の傘の力によって実体が『観念拠り』になっている。イメージの直接攻撃によるダメージは軽減出来るだろう。
そして……勝負はこれから。 何らかのかたちを模しているならば、必ずその元になるイメージ――原典は、在る。 普段ならば。万全を期して、予め持っている道具で闘いを展開してくという策もあった。 ……だが。
「音色で防御線を張って構える、余裕も時間も無いかしら……!」
そう。先ほどから繰り返している通り、これは時間との闘いでもある。
さあ、考えろ金糸雀。"策士"としての頭脳のデータベースで、必要な情報を解析する。
黒く塗りつぶされた空間。 対峙しているだけで、心を折られてしまいそうな程のイメージ。 見覚えのある――何処かで見たことのある、ひとのかたちを模すもの。
絵の具で塗り潰されたかのような黒。 曖昧とはまた違った、完全な拒絶を表現する色――不安の、象徴?
眼の前に居るこのかたちは――叫んでいる、何か叫んでいるような、 けれどその表情を読み取れないのは――その頭部、鼻より上の部分が、ぽっかりと穴が 開いたように見つからないから。
『――――――――――――――――――――!!!』
「くっ……!」
こちらの頭に直接響いてくるような叫び。 そして、相手を取り巻くようにして、四角い"線"のようなものが現れ始めて――
「……鉄格子……!?」
瞬間。私とみっちゃんが立っていた周りも、鉄格子に囲まれ始める。
「みっちゃん!」
「大丈夫!」
私達は脱兎の如くその地点から離脱する。気付けば、区切られていた部屋の境界は完全に黒く塗り潰され、まるで空間が無限に広がっているかのような様相を呈していた。
「……!」
考えろ、考えろ、頭を使え! 私は"策士"。この状況を――打開する!
『変な絵の額縁みたいなやつを相手してるんだけど――』
思い出される、ジュンの言葉。そして、――私は閃く。
これは絵だ。頭部の無い、鉄格子に囲まれた叫びの男――不安の象徴として広く知られているこの絵。その作者は――
「……フランシス・ベーコン……!」
「ベーコン? 哲学者の……?」
「それとは違うかしら、真紅。確かにこの絵の作者は、哲学者の方の彼の末裔にあたるけど、 近現代まで生きた画家かしら」
「どうして、そんなものが……」
「真紅、貴女はこの絵を見たことがあるんじゃないかしら?」
「ん……思い出せないのだわ」
「カナ、真紅ちゃん、危ないっ!」
また展開される鉄格子。寸での所で私はそれを回避した。 だが、逃げ遅れた彼女が、鉄格子に囲まれる。まずい……!
私は相手との距離をとりつつ、真紅に話しかける。
「真紅、とりもあえずあいつを片しちゃってから説明するかしら。 ただね、これが現れるってことは……この絵は言わば、貴女の不安の象徴であり、そして観念。 確かに作者も、不安を意図して描いたかもしれないかしら。 けど……それをイメージとして、捉えたのは貴女。
貴女は其処に確かに存在して、考える貴女は、其処に居るの。イメージに取り込まれないで。 相手はただの絵にすぎないかしら!」
恐らく、今回の外敵は真紅の不安を煽り、更にその存在を強大にしている。 "不安そのもの"というイメージに受ける衝撃は、ひとが思っているよりは遥かに大きい。加えて、真紅の中に潜在的にある哲学的イメージが……相手に更なる意味を付加する。 イギリス経験論の祖、フランシス・ベーコンに倣ってるのかは知らないが、相手は的確に私達を"見て"――"観察"している。このまま放っておけば、取り込まれてしまう―――!
「うっ……あっ……」
「真紅!」
真紅が苦しんでいる。傘による防御も万能では無い。今まさに彼女は、彼女自身の不安により圧迫され、そして自身の付加的イメージにより奴に"観察"されている。 この"観察"は、殆ど心への直接的な侵食に近い。急がなければ……!
刹那。真紅の指輪から、光の糸のようなものが紡ぎだされた。
「あああああっ!!」
彼女の叫びとともに、その糸は狭まる鉄格子に絡みつき、侵食を抑え付けているようにも見える。
「!? 真紅――……! でも、今ならっ!」
今回は私が居て、そしてみっちゃんが居る。 可哀想なのは――むしろ、相手の方だ!
バックグラウンドが見え透いた観念など、ものの数では無い。 眼鏡を取り外し、この両眼で相手を見据えた。 私の頭脳と、この眼から逃すことはしない。 イメージを解き明かし、私はその存在を剥き出しにする―――――!
『"策士"の名において、宣言する!
我は汝を見破る……観念の虚像よ、今まさに――其処に実なる像を結ばん。
フランシス・ベーコンの末裔が残せし……宿主が"不安の象徴"、頭部無き絵。
鉄柵を崩し、悉くその姿を――この場に現せ!』
『――――――――――――――――――!!!!!』
言葉を発し、この空間に強力な観念を展開する。二重、三重に、光の輪が"異なるもの"の身体を取り巻く。 それと共に、真紅を囲んでいた鉄格子が掻き消える。そして、真紅を守るように取り巻いていた光の糸も消えた。崩れるように膝を折りながら、彼女は声を出した。
「はぁっ、……鉄格子が……!? それに、……絵の姿がはっきりと……」
「さあ、これ以上の暴走は許さないかしら。みっちゃんっ!」
「オッケー、カナっ!」
みっちゃんは両手の人差し指と親指の先を、互い違いにくっつけたかたちで構えをとる。カメラで写真を撮るひとなら馴染みの深い、自分の手で作るファインダーだ。
存在を見破り、観念に意味をつけ。その実体を顕わにするのが私の役目。 そして彼女はそれを観察し、その切り取りを実行する。彼女は――"観察者"。 私の作った機を逃さず。最高のタイミングで、全てを、切り"撮る"――
ファインダーを覗くみっちゃんの眼が、紅く、光る。
『"観察者"が宣言する! 汝"策士"が言により、その姿は見え透いた――
ならば汝、我が観察の対象となり――、紙に囚われ、紙が檻にその身を収めよ!』
刹那、みっちゃんの手から放たれる白い光。『バシン!』という激しい音とともに、その光が相手の身体を貫く。
『ッ、――――――――――――――!!!』
そして。奴が居た空間が、ぽっかりと切り取られてしまったかのように。 初めから何も無かったかのように、普通の空間の空気を取り戻す。
「さて、……ベーコンだっけ? 観察を重んじる哲学者、の末裔だか何だか知らないけど」
『――――――――、――――――――……!』
「確かに偉大な哲人なんでしょう。ただ、あなたは一介の画家の描いた絵の、所詮はイメージ。 それに、こと"観察"において――」
ひらり、と舞い落ちる一枚の写真。そこに写っている、"頭部無き絵"。
「"観察者"である私を出し抜こうなんて、」
黒く塗られた空間が、元の部屋の姿に戻り始める。
「――甘いわよね、カナ?」
「かしら!」
パァン、と。外敵の掻き消えた部屋で、私はみっちゃんとハイタッチを交わした。
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