~第二十章~
~第二十章~ ――めぐを助けたい。その想いは、今も変わらない。これからも、変わることは無い。けれど、蒼星石を護りたいという気持ちもまた強く、大きく……。水銀燈は懊悩し、自縄自縛の状態に陥っていた。片や、本当の姉妹のように付き合ってきた幼馴染み。片や、御魂によって結び付いた、かけがえのない姉妹。どちらが大切かなんて、比べようもない。天涯孤独の水銀燈にとっては、二人とも、命の次に大切な姉妹だった。今、その二人が、目の前で死闘を繰り広げている。一人の刀匠が鍛えた、二振りの剣を手に、刃に生命を乗せて鬩ぎ合っている。それは到底、見るに堪えない光景だった。止めなければならない。こんな事は、やめさせなければ!薔薇水晶を振り払おうとして、水銀燈は右肩の激痛に端整な顔を顰め、呻き声を上げた。悔しくて噛み締めた奥歯が、ギシリ……と軋んだ。 「放してぇっ! 私は、あの二人をっ」 「ダメ! いま銀ちゃんが割って入れば、蒼ちゃんが負けちゃう!」 「だ、だけど――このままじゃあ」薔薇水晶の言うように、利き腕が使えない水銀燈が仲裁に入ったところで、蒼星石の邪魔になるだけだ。攻撃を躊躇った蒼星石を、めぐは微塵も罪悪感を抱かずに斬り伏せるだろう。しかし、めぐと、蒼星石……両者の技量は伯仲している。このまま続けさせたら、刺し違えて共倒れという、最悪の結果も考えられた。やるせない胸の想いに哀哭する水銀燈を気にも留めず、二人は刃を交え続けた。無視していた訳ではない。そもそも、彼女たちの耳に、水銀燈の声は届いていなかったのだ。 「はぁっ!」 「消えろぉっ!」短い気迫を吐いて、妖刀『國久』と『月華豹神』が、ぶつかり合う。めぐは蒼星石の方に刃を押し込んで、口の端をつり上げた。 「もう諦めたら? 苦しまずに死ねるように、頸を斬り落としてあげるわ」 「まだ……ボクは負けないっ!」蒼星石は剣の峰に左手を副えて、頸動脈の側まで接近していた刃を押し返した。ここで敗れるわけには、いかない。柴崎老人と交わした約束を果たす為にも。蒼星石の執念に眉を顰めて、めぐは一旦、飛び退いた。 「思ったより、しぶといのね。正直、意外だったわよ」 「相手を侮っていると、手痛いしっぺ返しを食らうってコトさ」 「……らしいわね。ご忠告、感謝するわ」言って、めぐは精霊を起動した。妖刀『國久』が、煉獄の炎に包まれる。そして更に睡鳥夢も重ねて起動して、蒼星石や水銀燈たちの視界を遮り、身動きをも妨げた。次は、全力の一撃が来る。睡鳥夢によって繁茂した植物を斬り払いながら、蒼星石は身構えていた。受け止められなければ、両断され、地獄の炎に焼き尽くされるだけだ。自分の精霊で火葬にされるなんて、洒落にならない。夜風がざわめき、蒼星石の背後から、紅蓮の刃が迫る。煉飛火の気配に意識を集中していた蒼星石は、全く動じることなく、めぐの剣撃を受け止めた。刃が噛み合った瞬間、月華豹神の刀身に文様が浮かび上がり、眩い光を放つ。めぐは左腕を目元に翳し、夜闇を切り裂いて溢れ出した光芒を忌々しげに避けた。 「なっ! なんなの、これはっ?!」 「これが……お爺さんが構築した呪符の力……」瞼を細め、茫然と呟く蒼星石の目の前で、月華豹神は煉飛火の炎を纏う。対して、めぐは驚愕に双眸を見開いていた。 「そんな馬鹿なっ! どうして……煉飛火が?」 「キミは、精霊と契約した訳じゃない。 妖刀『國久』の能力で、縛り付けていたに過ぎないんだよ」 「くっ! まさか……こんな小癪な真似を、用意してたとはね」 「先に小賢しい真似をしてきたのは、キミたちの方さ」蒼星石は、燃え盛る月華豹神の切っ先を、めぐの眼前に突き付けた。悔しそうに歯噛みするめぐの顔が、炎の揺らめきに照らし出される。 「睡鳥夢も、返してもらうよ。そして――」そう告げた蒼星石の声は、普段の彼女から想像が付かないほど冷淡だった。めぐを見据える緋翠の瞳に、慈悲の心は一切ない。 「姉さんを傷つけ、多くの人々を悲しませた罪を償ってもらおうか」蒼星石の言葉は、水銀燈と薔薇水晶の耳にも届いていた。水銀燈は、薔薇水晶の腕から逃れるべく必死で暴れながら、蒼星石に懇願した。 「そんなっ! ダメよ! めぐを殺さないでぇっ!」 「水銀燈……キミはまだ、そんなコトを言っているの?」 「いい加減にしないと……本気で怒るよ、銀ちゃん」 「ダメ! 絶対にダメぇっ!」――だって、まだ全ての可能性を試した訳じゃないんだから。激しく頭を横に振りながら、水銀燈は我が侭な子供の様に、反対し続けた。めぐは翠星石と同様に、穢れに取り憑かれ、操られているだけかも知れない。金糸雀だったら、めぐの病気を治せるかも知れない。それなのに、問答無用で斬り捨てるなんて蛮行は、絶対に看過できなかった。けれど、水銀燈の想いを踏みにじる台詞が、めぐの唇から紡ぎ出される。 「……ふん。甘いわね、水銀燈。闘わなければ死ぬだけよ。それが世の常」 「だ、そうだよ。水銀燈には悪いけど、この戦闘は避けられないんだ」 すげない返事を残して、闘志を滾らせた二人は、激しく衝突を繰り返す。だが、先程と違って、精霊を擁する蒼星石の方が僅かに優勢だった。 「ちっ! 睡鳥――」 「させないっ!」精霊の力で再び形勢を拮抗させようと目論むめぐに、蒼星石の一閃が襲いかかる。めぐは両手で妖刀『國久』の柄を握って、蒼星石の薙ぎを受け止めようとした。 凄まじい衝突音と同時に、ぴぃん! と高周波の音が響き渡った。それは、妖刀『國久』が上げた、断末魔の叫びだった。ほぼ中央から両断された刀身から、封じ込められていた睡鳥夢が躍り出る。睡鳥夢は少しの間、宙を彷徨い、翠星石の元へと飛び去った。 「こ……こんな……ことが?!」めぐは動揺しつつも飛び退き、蒼星石に向けて、召還した巨大ムカデを嗾けた。けれど、所詮は大きいだけのムカデ。心理的な嫌悪感を煽りはしても、然したる脅威にはならない。大ムカデは忽ちの内に切り裂かれて、飛び散り、篝火と化した。めぐの元に突進する蒼星石を見て、水銀燈は矢も楯もたまらず、身悶えした。 「放しなさい、薔薇しぃ! これ以上はっ!」 「ヤダ! 絶対に放さないっ!」 「――っ! 放してぇっ!」もう、右肩の痛みなど、気にもならなかった。水銀燈は薔薇水晶の腕を振り解いて、蒼星石の側に疾駆した。――やめてっ! やめてっ! やめてっ!心の中で連呼するのは、その一言だけ。蒼星石の月華豹神が、いま正に、めぐの身体を刺し貫こうとしている。それだけは、させたくない!感情に衝き動かされるままに、水銀燈は、蒼星石に体当たりした。連なって倒れる、蒼星石と水銀燈。めぐの心臓を貫く筈だった月華豹神の切っ先は、甲冑を僅かに焼いただけだった。 「す、水銀燈っ!?」 「めぐを殺さないでっ!」 「くっ! なんて馬鹿な真似をっ」蒼星石は慌てた。殺意を抱いた敵を前にして、無防備な姿を晒すなんて、正気の沙汰ではない。けれども、水銀燈は蒼星石にしがみついて、離れようとしなかった。いま襲われたら、二人とも纏めて殺されてしまう。だが、蒼星石の懸念に反して、めぐは攻撃を仕掛けてこなかった。妖刀『國久』を折られていたのも、理由のひとつかも知れない。めぐは紅い旋風を操って、姿を消そうとしていた。 「助かったわよ、水銀燈。次に会った時は、お礼をしてあげなきゃね」 「逃がすものか!」 「やめてぇ! もう、やめてよぉ!」尚も追撃を試みる蒼星石の脚に、水銀燈が縋り付く。蒼星石が前のめりに倒れた先で、めぐは旋風と共に消え去っていた。蒼星石は口惜しそうに歯軋りをして、縋り付いている水銀燈を引き剥がした。そして、有無を言わせずに、彼女の頬を思いっきり引っぱたいた。水銀燈は小さな悲鳴を上げて、地面に倒れ込んだ。 「水銀燈っ! キミは、自分が何をしたか解ってるの?!」撲たれた頬に手を当てながら、水銀燈は緩慢な動作で、半身を起こした。溢れる涙を拭うこともせず、先に立ち上がった蒼星石を真っ直ぐに見上げる。彼女の唇から、掠れた声が紡ぎ出された。 「ごめ…………ん……なさい」 「謝って済む問題じゃないよっ! キミのした事は、利敵行為だよ。 ホントに解ってるの? 立派な裏切り行為なんだよ!」 「だ、だけど……私は……」 「キミを見損なったよ。公私の区別が出来る人だと、思っていたのに」 「でも、私は……貴女たちの、どちらにも死んで欲しくなかったのよぉ」 「……行こう、薔薇しぃ」涙ながらに想いを解き放った水銀燈に、蒼星石は冷たく背を向けた。 「姉さん達が苦戦してる。急いで助けに行かなきゃ」 「う、うん。解った……すぐ行く」薔薇水晶は、へたり込んだままの水銀燈に近付くと、徐に声を掛けた。 「銀ちゃん……さっきの事だけど……」 「……」 「私も……蒼ちゃんと同じ考えだから」 「っ!」素っ気なく言って、薔薇水晶は踵を返し、蒼星石の後を追い掛けていった。独り残された水銀燈は、両手で顔を覆って、泣き崩れた。たった一人きりで、いつまでも嗚咽し続けていた。 敵の執拗な攻撃の前に、翠星石と金糸雀は完全に圧されていた。矢弾も尽きかけて、今はもう物陰に身を潜め、病床の真紅を庇い続けるのみだ。 「弾が切れたかしら! 翠ちゃんのクナイは?」 「そんな物、とっくに使い切ったですよ。金糸雀の精霊を使うです!」 「えっと、影は……」足元には、うっすらとだが、月影が落ちている。このくらいの濃さが有れば、氷鹿蹟の起動に支障は無い。しかし、起動の寸前に真紅が苦しげな呻きを上げたので、金糸雀の意識は、そちらに向けられてしまった。 「だ、大丈夫、真紅!? しっかりするかしら!」 「あぁもう! しゃ~ねえです。金糸雀は、真紅の看病に専念してやがれですっ」こうなれば、蒼星石との約束を違えることになるが、自分が斬り込むしかない。翠星石は短刀を握り締めて、物陰から飛び出す機会を窺っていた。そこへ、光るモノが、ふらふらと宙を飛んで来る。それを見た途端、翠星石の表情が、緊張から安堵に移り変わり、歓喜の笑みへと変貌した。 「睡鳥夢! 戻ってきてくれたですかっ!」翠星石は嬉々として、懐から玉鋼の呪符を抜き出して、精霊の前に翳した。それまで頼りなく飛んでいた精霊は、まるで自分の住処を見つけて喜んだかのように、勢いよく、真っ直ぐに呪符へ飛び込んだ。やっと会えた。また、帰ってきてくれた。懐に呪符を収めると、翠星石は身体の奥底から、力が漲ってくるのを感じた。 「あ~っはははっ! いよいよ反撃開始ですぅ!」やおら物陰から飛び出した翠星石を目掛けて、一斉に矢が放たれる。しかし、当の本人は、慌てず騒がず―― 「睡鳥夢ぅっ!」忽然と現れた植物が、無数の矢を悉く弾き返し、穢れの者どもに迫った。枝に捕らえられた弓足軽は、締め上げられて、骨を砕かれ消滅していく。まともな反撃を試みる間もなく、敵は四分五列となって退却した。周囲に穢れの気配は無い。注意深く観察したが、狙撃兵も見当たらない。翠星石は精霊を格納すると、真紅と金糸雀の元に引き返した。そこに、蒼星石と、神剣を携えた薔薇水晶が駆け戻ってきた。 「姉さん! 無事だったんだね。良かった……」 「睡鳥夢が、帰ってきてくれたですよ。それで、助かったです」 「妖刀『國久』を折ったからだよ」その報告を受けて、翠星石は表情を綻ばせた。柴崎老人との約束を、こんなにも早く果たせるとは、思ってもいなかったのだ。けれど、嬉しいことばかりではない。真紅の事も、早急に手を打たなければ。その段になって漸く、翠星石は、ひとり足りない事に気付いた。 「あれ? そう言えば、銀ちゃんは、どこ行ったです?」まさか、敵の手に掛かって? 表情を曇らせた翠星石に、蒼星石は訥々と先程の一件を伝えた。 「喧嘩?! バカですか、蒼星石はっ」 「だけど、姉さん……」 「どんな理由が有ったにしても、銀ちゃんは私たちの同志ですよ。 それなのに、仲間割れなんかして、どうするつもりですかっ! 薔薇しぃも薔薇しぃです。側に居ながら、なぜ仲裁に入らねぇです!」翠星石に叱責されて、蒼星石と薔薇水晶は心苦しそうに俯いた。頭に血が上っていたとは言え、確かに、少し言い過ぎたかも知れない。 「様子を見てくるです。蒼星石たちは、真紅の世話をしてやがれです!」言って、翠星石は燃え落ちたみっちゃんの家へと向かった。ところが、何処を見回しても、水銀燈の姿が見当たらない。何度か呼びかけても、返事はなかった。一体、何処へ行ってしまったのだろう。得物も持たずに、遠くへ行く筈が無い。なにか、痕跡は無いだろうか?丹念に地面を調べていた翠星石は、指で地面に書き記された文字を発見した。 もう、みんなと一緒に居られそうもありません。ごめんなさい。 さよなら。 「な……なんですか、これは?! どうして、こうなるですっ!」彼女からの伝言を読んで、翠星石は泣き出しそうな声で呟いた。真紅が大変な時に……。これから、もっと厳しい闘いが待っていると言うのに……。翠星石は重い溜息を吐いて、水銀燈の伝言を、爪先で乱暴に掻き消した。 「どいつもこいつも…………ホントに、大馬鹿ヤローですぅ!」焦げ臭い空気が漂う夜闇の中に、翠星石の絶叫が木霊していた。 =第二十一章につづく=
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