【MADE'N MOOR Supesharu】シュテルシュティン ~翠の親指と蒼い蛙
【MADE'NMOORSupesharu】シュテルシュティン ~翠の親指と蒼い蛙■序■ ~好きだった絵本 ここは北の島の片田舎。ヒースの荒ら野の広がるさびしいところ。その荒ら野に、土塁がどこまでも続くところ。円砦や石塚、妖精のいると噂される丘が点在し、時には修道院の廃墟が待ち人もなくたたずんでいたりもします。 それでも、人の住む小さな町には、小さなにぎわいがあるのでした。 ほら、ごらんなさい。あの窓の中では、小さな女の子二人が、お婆さんにお話をせがんでいます。隣でお茶を淹れているのは、片方の女の子の叔母さん。 さぁ、お茶が配られたら静かにしましょう。「……下手ね。葉が開きすぎているわ」 おっと、お話を待つまでも無く、窓辺にいらっしゃっているようです。こちらはくれないのドレスをことのほかお好みの妖精女王、真紅。「ダートでも投げてやったらぁ?」 むしろ自分で投げてやりそうな冷えた笑みを浮かべるのは、この小さな妖精の王国で最も魔術をよくする黒い翼の妖精、水銀燈。「そんなのめーよ!」 ピンクの愛らしいリボンをゆらしながら、雛苺が抗議します。「きっとまたオディールが泣いちゃう。そしたらコリンヌも泣いちゃうのよ!」「ちょっと、静かにするかしら! 調律の邪魔っ」 愛用のパラソルを一振りで八弦のビオロンセロに変え、ほろほろとはじいているのは、黄色い服の金糸雀。 まぁ、お茶の件はともかく、忘れずに窓辺に用意されていた自分達用のおやつには、妖精たちも異存はないようです。「さ、そろそろ始まるわよ。この町最後の語り部の声、聞き逃さないで」 真紅の声に、水銀燈だけが無理に作ったような嘲笑を浮かべるのでした。そして、金糸雀の人間離れした指遣いと弓遣いが、人間の耳には聞こえない、美しい和音と旋律を紡ぎだし、語りに華を添えます。それは例えば、足元に咲くたんぽぽのような、気付かないうちにそっと寄り添っている音なのでした。──今は昔、森に近い小さな村の村はずれに、シュテルシュティンという名の娘がつましく暮らしておりました。「げっ……この話? ……『インドの虎狩り』にでも変えて邪魔してやろうかしら」「……コリンヌに意地悪したらヒナが許さないの……」「雛苺、金糸雀の邪魔はおやめなさい。わたしも許さないから」 水銀燈はそんなやりとりには加わらず、憂鬱そうな視線を窓の外の曇り空に投げつつも、大人しくお話に耳を傾けるのでした。■1■翠の親指シュテルシュティン(以降、老コリンヌの語りをアレンジしてお送りします。) 今は昔、森に近い小さな村の村はずれに、シュテルシュティンという名の娘がつましく暮らしておりました。 シュテルシュティンは早くに両親を亡くし、ずっと独りなのでした。そろそろお年頃なのですが、結婚を申し込みにくる若者もおりません。 なぜなら、シュテルシュティンは魔女だとか、妖精の取り替えっ子だとか、言われていたからです。取り替えっ子とは、生まれたばかりの赤ん坊が妖精にさらわれ、かわりに妖精の赤ん坊が置いていかれる事件のことです。 左右で色の違う瞳は美しいけれど、人目には異様に映りました。草花を育てる天賦の才を持っていたために、怪しい魔法を使うのではないかと噂されていました。おとうさんとおかあさんは、娘の才能を喜び、「翠の親指」と呼んでいたのですけれど。 そしてなにより、「ヒキガエル」「ヒキガエルの舌」と呼ばれるほど言葉が荒く、罵らせたら右に出るものはいないのでした。その悪罵は貴婦人を65536回失神させ、大の男ですら泣いて裸足で逃げ出すのだと、人々は噂していました。こちらには、ご両親もほとほと手を焼いていたのだそうです。 そんなわけで一人ぼっちのシュテルシュティンは、村はずれの粗末な小屋に住み、小さな畑で「翠の親指」の力を生かし、育てるのが難しい、珍しい薬草を作って暮らしていました。 今日は、村で産婆を引き受けているおばあさんに薬草を届ける日です。実はこのおばあさんも時々魔女と呼ばれて嫌われることがありました。 だからシュテルシュティンは、おばあさんの家で薬草を渡した時に、思い切って聞いてみたのです。「ねぇ、婆様。シュテルシュティンから薬草を買ったりするから嫌われるんじゃねえですか? ほかにも薬草を扱う人はいるですし、そっちに変えたら……?」「なにを言うかね、シュテルシュティン。お前の育てたものが一番産を軽くして、 母親の命も、赤子の命も助けてくれるんだ。 取り上げ婆として、ほかの者の草が選べるものかね」 家に招き入れ、ミントとカモマイルのお茶を出してくれながら、おばあさんはそう言いました。そして声を低めて、こう付け加えたのです。「シュテルシュティンや、よくお聞き。嫌な噂を聞いたんだ。 お前を魔女だと聞いたどこかの単細胞な騎士様が、お前を退治しにくるらしいよ。 気をおつけよ」「はぁ? どこの脳足りんですか。またそんなたわごとバラ蒔いてるのは」「さぁねぇ……いつもの根も葉もない噂ならいいんだが。今回はどうも、 嫌な感じがして仕方無いよ」 そろそろお迎えかな、とか一瞬頭をよぎったりもしたシュテルシュティンでしたが、本当に心配してくれていることはよくわかりました。なので、「ありがとうです。どこをどー気をつけたらいいのか見当つかないですけど、 なんとかなるですよ」 とか容赦のないコメントを残して、家に帰ってゆくのでした。 けれど、一人で足早に村の中を抜けていくと、おばあさんの言葉が気にかかってきます。時折すれ違う人はみんな、シュテルシュティンのことをこっそり盗み見しながら、ひそひそ話をしているかのようです。シュテルシュティンを見た途端、あからさまに道を変える人もいます。魔女と呼ばれるということは、こういうことを意味するのでした。(だから村なんて嫌いです! 人間なんて大嫌いです! 早くうちに帰るですっ!) 家についてドアを開けて一歩踏み込んだら、足元になにかイヤな感触がありました。むしゃくしゃしていたシュテルシュティンは、ここぞとばかりに思い切り踏みにじります。すると……「ぶふぉぐげへうぇ──────────ぇ……」「ぅおぎゅわはぶゎっ!?」 その物体は怪音を発し、驚いたシュテルシュティンも奇声を発してしまうのでした。これではどっちがどっちでもたいして変わりはありませんね。 恐る恐る足をどけてみると、そこにはなんと、大きな大きなヒk「天誅」(ぐしゃ) 語り手が解説を終える前に、その巨大ヒキガエルは、神速の豪腕で向かい側の壁に叩きつけられていたのでした。「……誰の嫌がらせだか知りませんが、今シュテルシュティンは超ムカmk5(マジキレルゴビョウマエ)なんです。 オマエには何の罪もねえかも知れねえですが、運が悪かったと諦めて大人しく生きたまま 生皮をひん剥かれるです。それとも弱火の油でコトコトコトコトコトコトコトコトじっくり 煮込んでやるのが……いやいやいや、やっぱり××にストロー突っ込んで腹の皮が破けるまで……」 ぐふぁぐふぁとそれこそヒキガエルか魔女のような笑い声を立てながら、シュテルシュティンはヒキガエルに迫るのでした。なお、すでに5秒経っている件については、状況を鑑みて変に指摘しないことをお勧めしておきます。 そうそう、プッツン逝ったシュテルシュティンは気がついていないようですが、このヒキガエル、目の醒めるような綺麗な蒼で、右目が緑、左目が赤。しかも、小洒落たシルクハットなんかかぶってたりします。 さぁ、どうなってしまうのでしょう? 続きはまたの機会に。 今度は、このヒキガエルのことからお話しすることにしましょうね。■2■妖精王国での二つのできごと 昔話をいろいろ聞いたことのある人は、もう見当がついていると思います。 このヒキガエル、実はもう一人のシュテルシュティンなのでした。 翠の親指のシュテルシュティンは本当に取り替えっ子で、人間界に置き去られた妖精の娘。このヒキガエルはもともと、妖精の王国に連れ去られた人間の娘なのです。 それがなんでまた、ヒキガエルなんかになってしまったかと言うと……「待たされたわよ。取り替えっ子。なにをしていたの」 妖精女王の真紅は、彼女のことをいつもこう呼んでいました。ほかの妖精たちもそうでした。「申し訳ありません、陛下。薔薇の手入れの最中だったもので」 取り替えっ子は差し出された手の甲に、恭しく控えめなキスを差し上げました。 女王真紅の妖精の城は、薔薇でできていました。枯れることのない大輪の紅薔薇が一面に咲き誇り、純白やそのほかの色とりどりの薔薇が、紅を引き立てるようにあちこちに配されているのでした。 ちなみに、こんなまっ赤っ赤なとこに住んでたら血圧上がって気が狂いそうとか、牡牛けしかけたらすごそうとか、そういうことは口が裂けても言ってはいけません。もしも女王の耳に入ったら、なにをされるかわかりませんから。なにしろこんなとこにお住まいの方なので、わがままで気性の荒いことといったらまるで牡牛のy「あなた、ちょっとこっちにいらっしゃい」 (血糊) 失(血痕)敬。お話を元に戻しまし(血痕)ょう。 取り替え(血痕)っ子は無数に咲き誇(血痕)る薔薇の(血痕)手入れをおおせつかっているのでした。 (血痕)取り替えっ子もまた、こちらの方面で才にめぐまれていたらしく、鋏を持たされてからさほど立たずに、女王のお気に入りとなっていたのです(血痕)。「仕事ならしかたなかったわね。邪魔をして悪かったのだわ」 気高くとも気さくな我等が偉大なる女王陛下は血塗れの拳を優雅に拭いつつ、素直にわびました。使う単語は充分尊大でしたが。「あなたの仕事にはいつも満足しているの。315342314086秒前に比べれば、およそ1.618倍は 見違えているはず」 「およそ」なんて大雑把な量り方を、女王はめったにしません。いつもの近寄りがたいむすっとした顔はしているものの、かなりはしゃいでいるのがわかります。 素直な心根の取り替えっ子は、喜んでもらえたのが嬉しくて、思わず微笑んでしまうのでした。その様子は、瞳の色が左右逆であること、薔薇に絡め取られないよう、髪が短くキュロットばきであることを別にすれば、花をいとおしむシュテルシュティンに驚くほどよく似ているのでした。 ありがとうございます、と頭を下げる取り替えっ子を満足げに眺めながら、女王はこう言いました。「今日お前を呼んだのは、その勤めに報いなければと思ったからなのだわ。一つだけ、望みを叶えましょう。この王冠に関わることでなければ、遠慮なく言ってごらんなさい」 一瞬ぽかんとしてしまった取り替えっ子ですが、実はずっと前から、叶えたい願いを持っていたのでした。「本当に、なんでもよろしいのですか?」「お前はわたしを疑うの?」「いえ……では、陛下。お恐れながら、人間の村に行くことをお許しください。 ほかの妖精たちのように」 そう、取り替えっ子だけは、妖精王国を一歩たりとも出ることを許されていなかったのです。人間の身が妖精の助け無しに「境い目」を超えることは、まず不可能です。 女王は、唇を噛み締めて黙りこくり、そしてようやく、こう言いました。「……ほかのことになさい」「なぜですか! なぜ僕だけ!?」「そうすればお前はきっと、わたしとわたしの王国を裏切るからだわ」「僕を……信じてはもらえないのですか……!?」 取り替えっ子は思わず詰め寄り、自分よりも背の低い女王の肩を我知らず掴んでいました。 一瞬のち、我に返ってうろたえる取り替えっ子に、女王は憂いを帯びたほのかな笑みを見せ、やんわりと、しかしきっぱりと、その手を収めさせたのです。「取り替えっ子。お前はひょっとしたら、わたしよりも誠実で清廉だわ。 お前が望んでこの王国を裏切るなど、儚く消える雪のひとひらほどもわたしは思っていない。 けれどお前は、お前と対になるもう一人のお前に会いに行くのでしょう? ならば、わたしは確信を持って言える。お前は、その娘にもどこまでも誠実であるでしょう。 そして、その娘とわたしの王国の両方に限りなく誠実であるがために、 お前の魂が引き裂かれ、壊れてしまう日が来るかもしれない、と。 わたしはお前がこの王国で幸福であることを望むの。いかなる形であれ、 お前がこの王国から失われるのは、わたしに対する裏切りなのだわ」 取り替えっ子は、うなだれるしかありませんでした。女王は、ほかの望みであるなら、二倍にして叶えてもいい、決めたらいつでもおいでなさい、と約束して、取り替えっ子を下がらせました。 さて、それから取り替えっ子がどうしたかというと。 生真面目な取り替えっ子は戻って仕事を続けようとしたのですが、もちろん気が散ってそれどころではありませんでした。結局日暮れまでぼーっとしたあげく、とぼとぼと家に帰って、夕飯も食べず、着替えもせずに、ベッドに身を投げ出したのでした。 そして、真夜中。 取り替えっ子は着の身着のままで家を忍び出、夜風が揺らす草木の葉ずれにまぎれるようにして、ある場所を一心に目指したのです。 そこは数千年を経て命を終えたイチイの大樹の残骸の根元からもぐりこむ、深い深い洞穴のさらに奥。いくつものゴブレットに満たされた水銀が風も無いのにさざ波立ち、不気味な藍色の燐光を放って照らし出す、妖精の魔女の館なのでした。 館の主、黒い翼の水銀燈は、凄みのある病んだ微笑で取り替えっ子を歓迎し、ほんのり汗ばむ程度にぬくもる、漆黒の毛皮で敷き詰められた居間に招き入れました。ここもまた、藍色の燐光で満たされています。「それで? 優等生でいい子ちゃんの取り替えっ子が、こんなところになんの御用事なのかしら?」 覚悟を決めて来た取り替えっ子は、もう一人の自分にどうしても会いたいこと、女王真紅があくまでもそれを拒んでいることを全て話しました。「……僕はどうしても、ひと目彼女に会ってみたい。もう、あなたに頼むしか方法はないんだ」「そぅ……ついに女王を裏切るのねぇ」「違う! 陛下は僕に、この王国で幸せになれとおっしゃった。でも僕はきっと、彼女無しには 幸せになれない。裏切りじゃない。幸せになれる方法を探しに行くんだ」「まぁまぁ、すごい言い訳ねぇ」「なんとでも言えばいい。なんて言われたっていい。でも、僕は僕のやりかたで女王の信頼に応えてみせる」「欲張ると全部なくしちゃうかも知れないわよぉ? みじめなどん底を舐めなくてすむように、片割れだけ選んで手堅くいっちゃいなさいよ」「さっき言ったじゃないか。僕は、裏切らない」 取り替えっ子は堕ちませんでした。水銀燈は怒りのあまり、手近なゴブレットを掴むと、壁に叩きつけて粉々に砕きました。燐光を放つ水銀はとろりと毛皮の上にこぼれ、なおも藍色の光を投げかけるのでした。「ふん、わかったわよ。お望みどおりにしてあげる。でも、相応にはずんでもらうわよぉ?」「そうだろうね……なにが望みだい?」「あなたよ。あなたをちょうだい」 水銀燈の指が、取り替えっ子のあごをとらえ、つつつ、と喉に向かって這い降りていきます。「なにも、あなたを独り占めするわけじゃないのよ……? 今までどおり、真紅に仕え、片割れに恋焦がれてていいの。ただあなたの、一番大切な場所を、わたしに、明け渡して、くれれば、い・い・の…… か ん た ん で し ょ ぉ ‥‥・・? 」 水銀燈の薄桃色の唇が、取り替えっ子にゆっくりと近づいていき、そして。 強烈な平手が、水銀燈の頬を張り飛ばしたのでした。「あははははははははははははははははははははははははははははははははははははは!!」 一時張り詰めた静寂を、水銀燈の狂ったような哄笑が掻き毟りました。「そう! それがわたしへの報酬なのね!? いいわよぉ? 取引しましょ! 契約しましょ! お前に相応しい魔法をかけてあげる!! 飛び切りのヤツをねぇっ!!」 その魔法に、複雑な呪文などいりませんでした。耳の穴から手を突っ込んで脳味噌の皺で綾取りした挙句、両手でまるめて固結びにするような哄笑そのものが、幾重にも様々な感情を溶かし込み念を込めた、完璧すぎる呪いだったのです。 抵抗する間もなく、取り替えっ子の姿はみるみる縮んでいき、大きな蒼いヒキガエルになってしまいました。「お似合いよぉ、取り替えっ子! それで「境い目」は越えられるわよぉ? もう人間じゃないものね! けれど覚えておきなさい? 誰かがお前の名前を言い当てたとき、お前は醜く溶け崩れて死ぬだろう! さぁ、どこへなりと行ってしまえ! 哀れなヒキガエルめっ!!」 こうして、取り替えっ子はヒキガエルにされてしまったのでした。 しかし、水銀燈の館から放り出されてしまっても、取り替えっ子は途方に暮れたりはしませんでした。なぜなら、自分は水銀燈の望みを叶えることが決してできないのに、水銀燈に虫のよい望みを叶えてもらおうとしていたことに気がついたからです。 水銀燈の無体な望みを責めることもできなくはありません。しかし、取り替えっ子はそうすることのできない娘でした。だから、自分の望みが招いた結果をすべて背負って、黙々と妖精王国の外へ、森の外へ、人間の村へと、跳びはねていったのでした。 そして、蒼いヒキガエルと翠の親指は出会うのです。 けれど、蒼いヒキガエルは真実を伝えることができません。元の姿に戻ることもできません。 そうそう、シュテルシュティンを退治しに来る騎士様のことも忘れないでいてくださいね? これからどうなってしまうのかは、また次の機会に。■3■蒼い蛙と夢 手近な鈍器(具体的に何であったかは恐ろしくてとても書けません)を素早く引っつかみ、シュテルシュティンはヒキガエルににじり寄ります。ヒキガエルはシュテルシュティンから目を離さず、にじりにじりと隙をうかがいます。 緊張の糸は張り詰め、そして……「ゲルルっ」「うぁりゃ──っ!!」 ヒキガエルの牽制の声にひっかかったシュテルシュティン、鈍器をためらわずにぶん投げます。 ヒキガエルは慌てずジャンプ、部屋の角を利用して脅威の三角跳び。 ひっかけられたことに気付いたシュテルシュティンがあわてて見上げる頃には、天井近くにとりついていたのでした。この間およそ2秒。「こしゃくなっ!」 そして、跳びかかるヒキガエルとシュテルシュティンが放った二つ目の鈍器(さらに恐ろしいものなので具体的になどとても書けません)の軌道が交錯。しかし、シュテルシュティンの読みはわずかに外れていました。 どさっ、と頭に重みがかかります。その瞬間。《窓!》 頭の中に響いた声に、シュテルシュティンは思わず振り向いていました。 そこにはびっくりした顔が二つ。村でよく、シュテルシュティン「が」いじめている娘たちでした。 いやいやいや、誤解なさってはいけません。彼女たちが聞こえよがしの陰口を叩いたり、陰湿ないやがらせをするから、シュテルシュティンも反撃せざるを得ないのです。大喜びで容赦なく、ですが。ほんとだよ?「……まぁ~vスパイ大作戦ごっこですか~? シュテルシュティンも混ぜてくださいよぅv 敵組織の超強いボス役で」 にた~りと笑いながらわざとゆっくり窓を開ける間に、二人はだばだばと逃げていきます。「女スパイ二人をあられもない姿にひん剥いてあーんなことやらこーんなことやら好き放題にしてやるですよ~」「こっ、この変態! あっちいけ!」「あっちいくのはあんたらです! ここはシュテルシュティンの家ですっ!」「おぼえてなさいよっ! 明日になったらほんとに騎士様が来て、あんたなんか剣の錆に しちゃうんだからっ!」「誰がそんなでたらめ信じるもんですかっ! そうはイカの××××です!」「きゃーっ! ××××! ××××ですって! 不潔だわっ!」「……あんたも連呼してるじゃねーですか……」「うるさいっ! 絶対生きて帰って報告してやるんだからっ! シュテルシュティンは 正真正銘魔女だったって! 使い魔のヒキガエルがいるんですものねっ!」 深追いしても面倒くさいので、シュテルシュティンは逃げる二人の背中にあっかんべをするだけで許してやることにしました。「……あぁ、あの電波はきっとシュテルシュティンを哀れに思ってくださる神様の声だったんですね。神様、不法侵入者を罰する機会をお与えくださりありがとうです。ラーメン」「げるるっ《違う》」「神様じゃなければきっとヤソ様です」「げるるっ《違うってば》」「じゃぁマリヤ様」「げるるっ《いやだから》」「聖チェチリヤ」「げるるっ《そうじゃなくて》」「聖ジャンヌ」「げるるっ《だからね》?」「聖テレサア」「げるるっ《あぁもうっ》」「ぬぅあぁぁぁぁぁぁっ!!」(べしょっ) シュテルシュティンは頭の上のヒキガエルひっぺがすと床に思い切り叩き付けました。平面ガエルがもう一匹誕生しなかったのが不思議なくらいの勢いです。「わかってるです! わかってるですよ! 頭の上にパイルダーオンしたヒキガエルからの電波だってことぐらい! いくらなんでもあんまりマヌケなシチュだから人がせめて許容範囲まで逃避しようとしてるってのに! オマエは! オマエは!!」 降り注ぐ渾身の足蹴をヒキガエルは巧みにかいくぐります。シュテルシュティンがむきになってドカドカ蹴りつけているうちに、結局ヒキガエルは、再び頭の上にすぽんと収まってしまったのでした。「ぅうぅ……もういいです。シュテルシュティンはこのままカエルデンパで操縦される マヌケな一生を送るです……」「げるるっ《聞いて》!」「……あぁ聞いてやるですよ。好きにするがいいです」「げるる《助けたい》」「オマエ文章で喋る気ないですか?」「げるる《限界》……」 キリがないので省略しますが、ヒキガエルはどうにかこうにか、シュテルシュティンを助けにきたのだ、ということまでは伝えることができました。この程度の簡単な電波なら、周囲の環境次第で人間だって使えるようになるのです。魔法じゃないかって? どっちでもたいして差はありません。「……つまり呪われた身でそんなだけどシュテルシュティンのことを助けてくれると」「げるる~《そうそう》」「……じゃぁひとつ教えてやるですよ……魔女の嫌疑のかかってるやつがヒキガエル なんかと一緒にいたら、よけい魔女に違いないと思われるですよ」「……げるる(それってひょっとして)……」「そーですっ! オマエのせいでよけい面倒になったですっ!! どーしてくれるですかバカガエルっ!!」 再びシュテルシュティンのアイアンクローが疾るも、ヒキガエルも二度はそう簡単につかまりません。ジャンプを駆使して巧みにかわします。 頭上のヒキガエルを捉えようともがくシュテルシュティンと、頭上で跳ねるヒキガエル。「……儀式だわ」「……儀式ね」 こっそり戻ってきて目撃していた二人は、それもしっかり報告したのでした。 その夜、ヒキガエルにたっぷり遊ばれてくたびれたシュテルシュティンは、ひさしぶりにぐっすり眠り、珍しく夢を見ました。 その夢には、輪郭の定かでない人影が出てきました。しかし、それは恐れるようなものではなく、むしろなにか懐かしい感じすらするのでした。 だから、シュテルシュティンは再び手近な鈍器(それはそれは恐ろしいものだったと、語り伝えられています)を投げつけました。泣いてしまいそうなのをこらえたかったからです。「どうして今日はみんなしてシュテルシュティンをいじめるですかっ!」 人影は困惑したようでしたが、それでも恐れずにシュテルシュティンに近寄り、暴れるシュテルシュティンを抱きしめてくれました。なので、シュテルシュティンは思わず、心ゆくまで泣きじゃくってしまったのです。 それが落ち着くと、その人影から言葉にならない、情景のようなものが伝わってきました。それは、昔の村の様子だったり、今の村の様子だったり、どこか見覚えの無い、なにやらすごい場所だったりしました。シュテルシュティンにはつらい光景や、ちょっと堪忍袋の緒でも切っちゃおっかなー、的な光景もありましたが、人影に抱きとめられているおかげで静かな心持ちのまま、それらを眺めることができたのです。 シュテルシュティンにはなんとなく、そこに込められた意味や気持ちが読み取れました。読み取れたような気がしただけかもしれませんが。 そのままシュテルシュティンがうとうとと眠りにつくのを感じ取り、ようやく取り替えっ子は肩の力を抜きました。呪いの罠にはまらないよう工夫するのは、取り替えっ子にとっても面倒な仕事です。 しかし、シュテルシュティンの窮状を放っておくわけにはいきません。なんとかこの場を切り抜けて、妖精の王国に連れていくのです。シュテルシュティンはもともと妖精のはず。女王真紅がきっと手を差し伸べてくれるに違いありません。 さぁ、次は最初の難関です。翠の親指と蒼い蛙はどうなってしまうのでしょう? 続きはまたの機会に。■4■決闘? その日、いつものように空は青く、ひばりは高らかに歌っていました。 頭の天辺から爪先まで、陽光を弾いて輝く鎧に身を固めた騎士様は、従者をお供に馬で颯爽と魔女の家に馳せつけるつもりだったのですが、そう巧くはいきませんでした。 野次馬がぞろぞろついてきちゃったのもイマイチ締まらないわけですが、それよりも強烈なものが目の前に広がっており、いかんともしがたいのでした。 それは、シュテルシュティンの家の前一面にとっぷりこんもりと敷き詰められている、一面の 有機肥料 でした。 野次馬と従者は普段から慣れっこなので顔はしかめてもどうということはなさそうでしたが、騎士様にはちょっと刺激が強すぎました。その香ばしすぎるかほりは鼻の奥にがっつり突き刺さり、しぱしぱと目にしみます。 しかし後ろには偉業の達成を今や遅しと見守る群集があり、カーテンの引かれた窓からは人影がこちらを伺っています。 高らかに型どおりの名乗りを上げ(かほりのせいでえづいてしまい、途中二度ほどつっかえましたが)、歓声(野次って言っちゃダメです)に後押しされて、半ばやけっぱちで台詞を決めます。「無辜の民草を戯れに苦しめる不届きな魔女め! お前にかけらなりと勇気が残っているのなら、 姿を見せて正々堂々と勝負しろ!(けほ) 常日頃から呪いを吐き散らし、妖術を操り家畜と作物を弱らせた罪! 人の手に馴染まぬ 危険な毒草を育てたる罪! 使い魔を飼いならし悪さをさせた罪! 全てはもはや明白である! ……昨夜、悪魔の加護を祈りふしだらな姿で踊り狂っていたと聞いた! しかし! 悪魔など 恐れる私ではな(けほ)い! どうした! 臆したか! このような不潔きわまる卑怯な仕業に惑(けほ)わされたりはしないぞ! (けほ)覚悟しろ!!」 とか言う割には腰が引けてるまま、騎士様は馬を有機肥料の沼に進めました。 一歩、二歩、三歩。香ばしいかほりはいよいよ臭い立ちます。そうして半分くらいのところまで来たとき…… 小屋の屋根から音も無く跳びかかる小さな影。そう、蒼いヒキガエルです。 ヒキガエルはきれいな放物線を描いて宙を舞い、あやまたず馬の顔面に着地。鬱陶しがる馬が首を振り回すのもものともせず、片方の耳にぱっくり喰らいつきました。「でっ! 出たな使いm!?」 騎士様は思いっきり噛んでしまいました。それというのも、ヒキガエルが馬の耳の中に長い舌をでろりとつっこんだため、馬がひどく暴れだしたからです。 時を合わせて、内側から小屋の扉が蹴り開けられます。あらかじめ蝶番の外されていた扉は正面に倒れ、ちょっとした足場を作ります。「いくですよ、けろぴょん!」 現われ出でたるは、勇ましくもスカートをちょうちんにたくし上げたシュテルシュティン。桶にしこたま詰め込んだ小麦粉をぶちまけ、煙幕を張ります。「おのれ魔女め! 妖術か!」 それには応えずヒキガエルの離脱を確認、今度は大鍋の中でぐらぐらと煮え立つお湯を容赦なく。 それはもうすさまじい、馬のいななきと騎士様の悲鳴が。 騎士様が、大暴れした馬から落ちて落馬するのを、シュテルシュティンは逃しませんでした。「地獄で!」 助走できるように片付けた家の中にとって返し、「後悔!」 粉引き用の石臼をひっかかえ、「しぃぃやぁぁがぁぁれぇぇぇぇぇっ!」 怒りに任せた火事場の馬鹿力で疾走、有機肥料の上でもがく騎士様の背中に石臼を放り出し、「ですっ!!」 仕上げにうつぶせの兜を渾身の力で踏みしめ、有機肥料に面を景気よく埋めてさしあげたのでした。 数回痙攣した騎士様が、ぜんまいが切れたみたいに動かなくなるころには、馬も人も大慌てで逃げ去っていました。 残されたシュテルシュティンは、力を出し切ってちょっと惚けてしまいましたが、それでも気を取り直し、ずだ袋にまとめておいた荷物を取りに中に戻ります。 荷物と言っても、ひと切れのパン、ナイフ、ランプ、思いつきでかき集めた身の回りのものいくばくかと少々の着替え、という程度。旅に出たことのない素人の、急な素人考えです。 もう、ここにいたくてもいられないことはわかっていました。正義を名乗る騎士様を撃退した上、ヒキガエルとのコンビネーション。シュテルシュティンは、正真正銘の魔女になったのです。例え家畜に呪いをかけたり、悪魔に祈る儀式を執り行ったりできないとしても。 ヒキガエル……とりあえず、けろぴょんと呼ぶことにしました……けろぴょんが頭に跳び乗ってきました。「げるる(平気)……?」「……そうでもないですけど、行くですよ」 ここは、これから主のいない魔女の館になります。運がよければ誰も近寄らないでしょうけど、せめてもの制裁のつもりで、荒らされてしまうのが落ちでしょう。今日までは、ひとりぼっちだけど、いいかげんボロだけど、頼もしい我が家でした。「ごめんなさい。けど、行くですよ」 誰に謝ったのかは、シュテルシュティン自身にもよくわかりませんでした。 そうして、二人は裏口からひっそりと、森に向かったのでした。 さぁ、妖精の王国への旅の始まりです。行く手にはなにが待っているのでしょう? 最初に誰に出会うかは、また次の機会に。■5■女王の試練「如雨露……」 シュテルシュティンは木の根っこに腰掛けて、つぶやきました。 確かに大急ぎで荷造りしたわけですが。「なんで如雨露……」 もうちょっと役に立つようなものに目がいかなかったのか、と自分で自分にげんなりしてつっぷすのでした。 ヒキガエルに導かれ、歩いて歩いていいかげん日も暮れ始め、せめて横になれる場所はないかと探して、大木の根の間に落ち着きました。荷物に突っ込んだはずの目玉焼きサンドを探すついでに、全体を一度ゆっくり整理しておこうと思って本格的に荷解きしたところ、何故か如雨露が出てきたのでした。 気を取り直して整理を再開。せっかく持ってきたランプも油が無いため持ち腐れだったりするなど、如雨露以外にも使えなさそうなものがいくつか出てきました。「どーするですかねぇ」「げるる《重いよね》」「こら、頭の上でパン屑こぼすなですっ」 二人で目玉焼きサンドを分け合ってぱくつきつつ、しばし休憩。その間にも日は暮れていき、あたりがほんのりと朱く染まっていきます。森の木々の影は夕焼けの鮮やかな色をさえぎり、その分闇を深くします。淡く朱い蔭が、少しづつ忍び寄ってくるのでした。 しかし、そこに鮮やかな深紅の嵐が巻き起こりました。無数の薔薇の花びらが渦を巻き、濃厚な薔薇の薫りをあたりに満たし、森の夕闇を塗り替えてゆきます。 それが収まった時二人の前には、妖精女王真紅と、二人のお供がたたずんでいたのです。「……控えよ。高貴のお方と心得よ」 左手のお供は純白のドレス。無造作に手にした抜き身の剣は透き通る水晶。大理石のように表情のない顔の右目には、白い薔薇が咲いています。「……このお方は先の副将g」(ビシッ) 女王からツッコミ食らった右手のお供は薄薔薇色のドレスに薔薇水晶の剣。左目には青い薔薇の眼帯。「わたしはこの森の妖精の王国の女王。この森の全ての妖精はわたしの臣下なのだわ」 女王は当たり前の事実を述べるように淡々と宣り、いくぶん不愉快そうに眉を上げて、じっとシュテルシュティンを見つめました。「お前は王国の中で見たことがないわ。それにひどく人間の臭いがする。何者なの? 名乗りなさい」 迫力に呑まれていたシュテルシュティンでしたが、一方的な命令にちょっと腹が立ったことで我を取り戻しました。「そんなこと言って。ほんとはとっくに知ってるんじゃねぇですか?」「どうしてそう思うの?」「だって、けろぴょんについて来たら会った人です。きっとけろぴょんの知り合いに違いねぇです。ねぇ、けろぴょん」 ヒキガエルはシュテルシュティンのひざの上に跳び載りました。漂ってくる呪いの気配、その瞳の色、そしてシュテルシュティンの瞳の色から、おおよその事態を察したのでした。「お前ね、取り替えっ子。水銀燈に会ったのでしょう……しかたのない事……」 女王は一つため息をつき、改めてシュテルシュティンを見つめました。「確かに、そのヒキガエルはわたしの臣下が姿を変えられたもののようね。ここまで連れて きてくれて感謝するのだわ。 さぁ、お帰りなさい。王国の者は王国へ。外の者は外へ」「……それってよーするにとっとと出てけと」「その通りだわ」「げるるっ! げるるっ!」 抗議の声を上げ、取り替えっ子も跳びはねて女王に抗議します。「冗談じゃねぇです! けろぴょんと一緒に行くって決めてここまで来たってのに、そう簡単に追い返されてたまるかですっ!」「名乗りもしない者の言葉など聞く気はないわ」「先に自分で名乗るのが礼儀じゃねーんですかっ!」「女王と名乗ったのだわ。この王国で最高の、最も重いただ一人の地位。そしてこの王国の法。 まず従いなさい。異議があるならそれから聞くわ」「~~~っ!」 緒戦はどうやら不利ですが、危ういところでシュテルシュティンは思い出しました。確か、昔語りに聞いたのです。魔法や呪いは、「名」を通して力を発揮するものだと。だから魔法使いは名を知りたがり、妖精は名を隠すのです。そう、こんな時どうするかと言えば……「ふん。百歩譲って教えてやるです。『翠の親指』って言うですよ。よく覚えとけですっ」「えぇ、覚えたのだわ。『翠の親指』」 女王はそれに加えて口のなかでちょっともぐもぐ呟いてから、ふふっと笑いました。早速簡単な魔法を試してみて、巧くかからないことを確かめたのです。もしも正直に本当の名前を答えていたら、魔法であっという間に王国の外に放り出されていたに違いありません。「では翠の親指。あなたはあくまでも、取り替えっ子の導きに従って、わたしの王国を うろつこうというのね?」「うろつくつもりなんかねぇですよ? 目的地にすんなり行かせてもらえれば」 二人のやりとりの間で、取り替えっ子はどう話に割りこんだものかおろおろしていました。シュテルシュティンを女王に引き合わせて助力を乞うつもりだったのに、今や二人は睨み合いの状態。言葉のままならない状態で、ついシュテルシュティンに詳しい説明をせずにここまで来てしまったのです。 女王がこの呪いを解いてくれればいいのですが、すんなりそうしてくれるつもりは全くなさそうですし、取り替えっ子も期待していませんでした。だって、取り替えっ子が女王の言いつけを破ったことで、こんなことになったのですから。真紅女王とは、そういうお人柄でした。 控えている二人……白いのが雪華綺晶、薄薔薇色のが薔薇水晶と言います……は、鏡合わせの彫像のように黙としているだけです。 この二人はいつもこんな感じで、話をしようとしても要領を得ないことがほとんどです。けれども、切羽詰った取り替えっ子は果敢な挑戦を試みました。「げるるっ」「……?」「……?」 そちらに跳びはねていくと、二人はきれいな対をなして、首をかしげ、顔を見合わせます。「げるっ、げるるっ!」 魔女の呪いは強く、妖精にすら、声もデンパも、届きません。「取り替えっ子?」「取り替えっ子」 雪華綺晶の問いに薔薇水晶が答えたような気もしますが、雪華綺晶の独り言を薔薇水晶が真似しただけかもしれません。両方から手を差し出されて、取り替えっ子は思わず迷ってしまいました。「ささみ」「あぶら」「……げるっ……」「おいで?」「おいで?」「……」「薔薇水晶、よくない」「雪華綺晶も、よくない」 ぴったり同時に、ふふっと無表情な笑いを浮かべる二人。そして、急にしゃがみ込んで取り替えっ子を覗き込んで、こんなことを言ったのです。「陛下はお怒り」「陛下はご心配」「陛下はご安心」「陛下はご嫉妬」「そして陛下は」「いつもいつも」「いつもいつも」「ご退屈」 さて、女王とシュテルシュティンですが。「……」「な、なんですか。熱い視線なんか送っちゃって……まさかアブナい趣味の」「失敬な。それはあなたの、翠の親指のものかしら?」 女王は、シュテルシュティンが整理しかけていた荷物に気付いたのです。「そうですよ。シュt……翠の親指のです」 まるでチェスを打ちながら、一度手を読み違えた相手が思いなおして巧い場所に置き直したのを楽しんでいるような風情で、女王は微笑みました。「よく見せてもらってよろしいかしら」 言葉は問いかけでしたが、女王は答えを待ちません。一番上に載っている、古ぼけた如雨露を手に取り、しげしげと眺めています。 なんでまたそんなものに興味を持たれたのか見当がつかないシュテルシュティンが、首をかしげながら見守るうち、女王はひどく満足そうなため息をつきました。「気に入ったのだわ」「……はぁ」「欲しいのだわ」「……はぁ?」「いいでしょう?」 一瞬、そんなもんでいいならくれてやるです、と言いかけたシュテルシュティンでしたが、危ういところで踏みとどまって考え直しました。「タダでくれてやるのはお断りです」「では何を望むの?」「う。それは……」 女王は、考える隙を与えませんでした。「ではこうするのだわ。 わたしの城までいらっしゃい。道は取り替えっ子が知っているわ。もしもたどりつけた なら、この如雨露と引き換えに一つだけ、あなたの望みを叶えましょう。この王冠に 関わるもので無い限り。 けれど、よく聞きなさい? あなたは途中、四人の妖精と会うのだわ。その妖精たちが 持っている、『堪忍袋の緒の切れ端』を全て集めてきなさい。そうでなければ、 わたしは二度とあなたと会わないのだわ」「ちょ、ちょっと待つです! そんな一方的に決めr」「ここはわたしの王国、わたしが法」 再び、どこからともなく薔薇の花びらが湧き起こり、森の中を深紅に染めて渦巻き始めます。大慌てで、取り替えっ子がシュテルシュティンの頭に跳び乗ってきました。「げるるっ《注意》!」「んなこと言われるまでもねぇですっ!」 しかし、何をどう注意したものか皆目見当がつきません。 女王の振るう腕の動きに合わせて、薔薇の花びらの渦が激しさを増します。「雪華綺晶、薔薇水晶。やっておしまい」「あらほらさっさー」(←棒読み)「こんしゅーのびっくりどっきりよーせー」(←棒読み)「発」「進」(←超棒読み)「ぽちっとな☆」(←やけに嬉しそう) 雪華綺晶の声を合図に、シュテルシュティンの足元の地面がぽっかりと口を開きました。 暗い、暗い、暗い、どこまで続くとも知れない深い穴です。 抗議の罵声を浴びせる暇も無く、シュテルシュティンと取り替えっ子は落ちていったのでした。 さて、続きはまたの機会に。■6■最初の妖精 ~古典的手法とその応用 下へ、下へ、下へ── アrシュテルシュティンは大きな穴を落ちていきました。 ですが、アリスのパクリなんか真面目にやり始めたら脳ミソ雑巾絞りにしたって間に合わないので、ここらで素直に終わりにしておくのでした。だいたい、ウサギじゃなくてヒキガエルですしね。 それに取り替えっ子は穴の底までたどり着く前に、突如飛び込んできた黄色い小鳥にかっ攫われてしまったのです。 あっという間のできごとでした。「げるる~~~──…‥・!」 ドップラー効果で音程をわずかずつ下げながら、取り替えっ子の声が遠ざかり、それを追いかけるようにして、ソニックブームの破裂音が届きます。「……さすがにそれはおおげさすぎですぅ」 そうですね。ジト目の主人公から、カメラに向かってツッコミを貰ってしまっては、仕方がありません。 だから、そんな風によそ見なんかしてたせいで、穴の底が迫ってきてるのに気づくのが遅れるのも、仕方ありませんよね?「な゙っ!? そういうことは早く言いやg」(どさっ) ところが、あれだけ長い時間落ちてきたにもかかわらず、スプリングの効いたベッドの上で跳ねて遊んでいるうちに床に落っこちた程度で済んだのでした。「……~~っ!」 おや、どうしました?「……充分痛てーです……あとで覚えてやがれこの(一部削除)」 (咳払)まぁ、ここで掛け合い漫才になっては話が進まないので、辺りを眺めてみることにします。 穴の底は、どこまでもどこまでもどこまでも、夕暮れの金色が続く薄明の世界でした。上を見上げても落ちてきた穴らしいものは気配のかけらもありません。もこもこした羊雲がなんの悩みもなさそうに、昏闇を底に秘めた夕焼け空の草原を、とぼとぼと漂っているのでした。 ゆるやかに起伏するヒース荒ら野には土塁がどこまでも続き、遠くには低い山並みが薄暗くわだかまっています。 小鳥はどこに行ったのでしょう? 見回しても同じような風景が広がっているだけです。不意に涙がにじんできて、シュテルシュティンは慌てて顔を拭いました。 こんな風に心細くなったのは、両親と死に別れて以来でした。あんな会ったばかりの小憎らしいヒキガエル相手になぜ、と自分でも不思議で仕方がないのですが、泣かされて悔しいながらも、どこかしらほっとするものがあるのでした。 ついさっきまで聞こえていた、頭の上に居座って飛ばしてくる片言のデンパを思い返し……ふと、思いつきました。どうせ手立てがないのなら、行き当たりばったり、手当たり次第に、なんでも試してみるしかありません。 シュテルシュティンは、空の向こうまで投げ上げるかという勢いで両手を振り上げ、天を仰いで口ずさみました。「べんとら~ べんとら~ すぺ~すぴ~p」《聞こえているかい? 翠の親指!》「……orz」 受信できてしまいました。何かに敗北した気分に強く襲われてしばらく白く燃え尽きていたシュテルシュティンでしたが、そうやってばかりもいられません。頭の上に乗っかっていたときよりも細やかに、しかし頼りなくか細く届くデンパに耳を傾けます。《聞こえているかい? 翠の親指! もし聞こえているなら、西へ、日の沈む方へ! 妖精の国、常若のティル・ナ・ノグは、いつだって夕陽の先にある》 聴きながらシュテルシュティンは空を探し、ようやく見つけました。遠い山の稜線に輝きの最後の一滴を残し、沈んで行こうとしている太陽を。夕焼けの金色に今にもまぎれてしまいそうです。 見失わないよう、シュテルシュティンは荷物を掴んで慌てて駆け出しました。駆けながら、耳を傾けました。《こんな面倒に巻き込んで怒っているだろうね。ごめん。 でも、どうしても君に会いたかった。小さな頃からずっと僕の名前を呼んでくれていた君に。 ひとの国から妖精の国に連れてこられて、僕は一人ぼっちだったけれど、それなりに幸せだった。 だから、考えてしまったんだ。妖精の国からひとの国に連れて行かれたもう一人の僕は、 果たして幸せなんだろうかって。 ……君を悪く言う人達と、僕自身が許せなかった。だって、取り替えられていなかったら、 君は妖精の国でそれなりに幸せだっただろうから…… だから、僕は……》 シュテルシュティンは何度か、呼びかけに応えようと叫んだり、念じたりしてみましたが、どうやら送信は無理のようでした。取り替えっ子の方も返事を期待せず、呼びかけるというよりは祈る心持で、言葉を紡ぎ続けているようでした。 こうして、シュテルシュティンは、自らが取り替えっ子であることを確かに知ったのです。 そのうち、か細いデンパは絶え絶えになり、途切れてしまいました。それでもあきらめず、どんどんどんどん走ってゆくと、水の匂いがしてきました。 水辺といえばカエル。ひょっとしたらと思うと脚も早まるのですが…… 見えてきたのは、安普請な長机と小柄な人影でした。「ファイトーっ! ゴールまでもう少しかしらーっ!」 そんなことを叫びながら黄色いジャージにボンボンを持って、ぴょんこぴょんこ跳ねています。 そしてすぐにボンボンを置いて、ストローを挿した蓋付き紙コップに持ちかえると、シュテルシュティンと並走し始めました。「がんばれがんばれかしら! はい、水分補給!」 差し出されたコップを思わず受け取り、一口。生ぬるい真水でした。「もう、少しって、どの、くらい、です?……」 いい加減上がりかけている息の合間に問いかけると、黄色ジャージの娘さんは嬉しそうにガッツポーズ。「ほんと、あと一息。ここでラストスパートかしら!」「……よーっし……」 ペースを上げるシュテルシュティン。ジャージ娘さんは、太陽に向かってGOかしら!などと煽って、離れていったのでした。「マラソンやってんじゃね──です────!!」「ぅひょぁっ!? バレたかしらっ!」 転進! とか高らかに宣言すると、ジャージ娘さんはなんと、黄色い小鳥に変身しました。「さっきの誘拐極悪鳥?! おのれっ! 待つですっ! 待ちやがれですっ! けろぴょん どこにやりやがったですかーっ!」 シュテルシュティンは必死で追いすがります。黄色の小鳥はそのまま矢のように潅木の茂みにつっこみ……そのまま、その向こうにある泉に派手な水しぶきを立ててドボンしたのでした。「……オーバーランは日勤教育なんじゃぁ……?」 恐る恐る覗いてみると、さざなみ立つ水面にゆらゆらと影が浮かび上がり、先ほどの娘さんが右手に金のカエル、左手に銀のカエルを捧げ持って現われたのです。服はさすがにもう、ジャージじゃありませんでした。「わたしは泉の妖精カナ。あなたが落としたのはこの金のカエr」「蒼いやつです」「このk」「蒼いやつです」「金かしらg」「蒼いやつったら蒼いやつです」「……ちょっとくらい付き合ってくれても……」「うるせーです誘拐犯。さっさと人質を出しやがれです」「……あなたの無欲さと正直さは素晴らしいかしら。ご褒美にこの金と銀のカエルを授けましょう」「……なんですかこの“交通安全無事カエル”って……」「それじゃぁ、これからも清く正しい心を忘れずに生k」「だから!」 とっさに荷物の一番上に乗っていた如雨露を掴んで一撃。「騙されねーですっ! 蒼いのはどこにやったですか!」「ぃ痛った~~~~っ!! 乱暴者かしら! 野蛮人かしら!」「あんまりボケ倒す方が悪いんですっ! さぁ、大人しく人質をよこすですよっ!」「なんだかそっちの方が超悪党っぽいかしら……」「そりゃもう、生まれつきですから」 シュテルシュティンがにたぁりと笑うと、カナと名乗った妖精は、喉の奥でヒッ、と小さな悲鳴を上げました。「プ、プランCかしら~っ」 そして、再び黄色の小鳥に化けて、再び飛び去ったのです。「あぁっ、また! 待ちやがれです~っ!」 またもや走ってたどりついたのは、奇妙な小さい掘っ立て小屋のようなもの。黄色の小鳥はその小屋の屋根近くに空いている小さな明り取りから小屋の中に入ってしまいました。 シュテルシュティンは、死んだふりをする獲物の周りをうろうろする熊みたいに、小屋をじっくり検分しました。入り口は一つ。明り取り以外に窓はまったくありません。どうにも怪しげな小屋です。意を決してドアを引きあけてみると…… 小鳥の姿はなく、床の真ん中になにか怪しげな縁取りのされた穴が開いているだけです。 毒喰らわば皿まで、と入ってドアを閉めたとたん。「紅い紙蒼い紙黄色い紙、どれg」( ド グ ワ ッ シ ャ ァ ) 決め台詞が終わる前にシュテルシュティンはドアを蹴破り躍り出で、気合の入った渾身の一撃で小屋を丸ごと蹴倒したのでした。 カナはしくしく泣きじゃくりながら、小屋の残骸から這い出してきました。「うっく……うぇっく……なんで、こんな酷いこと、するかしらぁ……」「いや……もうなんてゆーか……ネタ的に関係ねーでしょう」「そんなことないかしら! 蒼は全身の血を抜かれて死ぬのよ!? なんてオソロシイ……! 絶対選べないはずかしら!」「紅は全身血まみれ、黄色は(自主規制)まみれでしょう?……どれも似たよーなもんですぅ」 シュテルシュティンもさすがにぐったりした表情で、服の埃を払って乱れを整えました。「さぁ、もういいでしょう? ちゃっちゃと人質引渡すですよ」 カナはぷぅっとむくれていましたが、観念したのかしぶしぶ袋を一つ、シュテルシュティンに渡してきました。 なにやら、激しくもぞもぞ動いています。「……けろぴょんになにかしたですか……?」 シュテルシュティンの問いに、カナはふるふるとかぶりを振ります。どうもいまいち信用しきれないので、シュテルシュティンはできるだけ身体から袋を遠ざけながら、恐る恐る口を開きました。すると……「げるる「げるるっ」っ」「げ「げる「「げるるっ」げるるっ」るっ」るる「「げる「げるるっ」る「げ「げるるっ」るるっ」っ」げ「げるるっ」るるっ」「げるるっ」っ」 袋の大きさからはありえない数の蒼いヒキガエルが、あとからあとから沸いて出て、一斉にシュテルシュティンに跳びかかってきたのです。「かかったかしら~っ! 精神的打撃に加えてホンモノがどれか判らない罠! あぁん、カナってば策士かしら
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