~第三章~
~第三章~ 長旅に必要な物を買い揃えた三人は、再び、旅の途に就いていた。未だ見ぬ同志たちと、鬼祖軍団についての情報を得るために。けれど、一つ先、二つ先の町で聞き込みをしても、誰一人として真相を知る者は居なかった。もしかしたら、また夢の中で、あの声が聞こえるのではないか?そして、残りの同志たちに繋がる情報を、教えて貰えるのでは?そんな期待を胸に、真紅は毎晩、眠りに就く。しかし、神剣を授かった時に聞こえた声が、再び語りかけてくることは無かった。 「ここも、空振りだったわね」 「元から期待なんてしてねぇです。その日その日を生きるので精一杯の町民が、 鬼祖軍団なんて怪しい連中を知ってる訳がねぇですよ」 「道理だね。手の甲の痣にしても、ボクたちみたいに隠していたら、 そもそも人目に付く筈もないし」 「とりあえず、まだ時間は有るです。隣の村まで行ってみるですか?」 「そうね……この時間なら、峠を越えられるでしょう」先に滞在した町で、峠を越えた所にも小さな村があると教えられていた。昨年の大飢饉に加え、つい最近も疫病が蔓延したということで、このところ交流が途絶えているという。行かない方が良い。町人には引き留められたが、真紅たちは敢えて向かうことに決めていた。死……即ち、穢れ。つい最近に広まったという疫病の原因も、真紅たちの感心を惹いていた。のりの仕業と見るのは早計に過ぎるかも知れないが、ついつい関連を疑ってしまう。先回りして、罠を張っているのではないか……と。 峠道は昼だというのに薄暗く、ひっそりと静まり返っていた。真紅たち以外に、通行人は居ない。時折、鳥が飛び立つ度に、翠星石は、びくん! と肩を震わせた。 「な、なんだか不気味ですぅ」心細げに呟いて、翠星石は蒼星石の腕にしがみつく。蒼星石は、そんな姉の腕を、煩わしげに振り解いた。 「ちょっと、姉さん。あんまりベタベタしないで。緊張感が足りないよ」 「うぅ~。でもぉ……怖いですよぅ」 「妙な人ね、あなた。穢れの者とは平気で戦えるくせに」 「戦ってる間は、頭の中が真っ白になるから、何も感じないですぅ」それはそれで物騒な性格ね。心の中で呟きつつ、真紅は神経を研ぎ澄ませた。周囲に、異様な気配はない。空を見上げても、すっきりと晴れ渡っていた。 「安心なさい。今はまだ、穢れの者どもは居ないわ」 「何の動きも無さすぎて、ボクは不安になるけどね。 今、ボクたちが置かれている状況は、奇襲に打ってつけの機会なんだよ?」 「確かに……奇妙です」そんな話をしていた矢先、突如として茂みが、がさりと揺れた。 「ひぃっ! なな、何奴です?!」 「喜びなさいな、翠星石。ヤツらが、おいでなすったみたいよ」重々しい雷鳴を轟かせながら、空一面に暗雲が広がり始めていた。それまでの穏やかな空気を、凄まじい悪意と殺気が呑み込んでいく。山間の峠道に、穢れの者どもの怒号が木霊していた。がさ……がさがさっ!真紅の背後で、茂みを掻き分ける音がした。予想以上に、接近が早い。 「やはり、狙いは真紅か。煉飛火っ!」 「真紅っ! 私の後ろに隠れるですっ」剣に精霊を宿して、蒼星石は真紅と背中合わせになった。翠星石は右手にクナイ、左手で短刀を逆手に構えつつ、真紅を庇って前面に立つ。陣形を整えた直後、ばさっ……と音を立てて、何者かが道に飛び出してきた。が、その人影は一歩と進まず、ばったりと俯せに倒れてしまった。薄紫の衣を纏い、簡素な鎧を身に着けた娘だ。左目に、洒落た眼帯をしている。表情を苦しそうに歪ませ、彼女は肩で荒々しく呼吸していた。 「……た……すけ、て」彼女は真紅たちに気づくと、掠れた声を喉から絞り出し、震える腕を伸ばしてきた。 「だ、誰です、そいつは!」 「判る訳ないでしょう。でも、怪我をしているのだわ」 「なるほどね。追われていたのはボクらじゃなくて、その娘だったってコトか」 「とにかく、私が彼女を庇うから、二人は周囲の穢れを掃討してちょうだい」 「待って、真紅。敵の罠かも知れない……迂闊に近付くのは危険だ」 「蒼星石の言うとおりです。真紅は、安易に他人を信用しすぎるです」間抜けで、お人好しなところは、あるかも知れない。けれど、救いを求める者を、怪しいからと言うだけで忌避する気にはなれなかった。今、手を差し伸べなければ、この娘は死んでしまう。 「たとえ罠でも……私は彼女を助ける!」真紅は少女の元に駆け寄ると、その傷ついた身体を、優しく抱き起こした。傷が浅い割に、出血が多い。毒を塗った剣で斬りつけられたのだろうか。一刻の猶予もないと判断した真紅は、その場で応急処置を始めた。 「やれやれ……敵の真っ直中で、何をやってるですかねぇ」 「ま、仕方ないよ。真紅は【義】の御魂を持つ者だからね」 「しゃ~ねぇです。それじゃあ、ひと暴れするですよ、蒼星石」 「了解、姉さん。ボクは、あっちを黙らせてくるよ」言うが早いか、二人は茂みに飛び込んでいった。鍔迫り合いと絶叫が、木々の間に響きわたる。その音は、徐々に遠ざかっていった。姉妹は首尾よく敵の目を引き付け、駆逐している様だ。 「流石ね。頼もしい限りだわ」独りごちて、再び治療の手を動かし始める真紅。しかし、その手は直ぐに、止められることとなった。樹木の枝から、刀を手にした数十匹の骸骨が、飛び降りてきたからだ。真紅は慌てて神剣を握り締めたが、時すでに遅く、すっかり包囲されていた。 「ひゃはははぁ! まさか、こうも巧く事が運ぶとはなぁ」突如として、木の間に下品な笑い声が轟いた。初めて聞く、男の声だった。だが、周囲を見回すものの、声の主らしき姿は見付けられなかった。 「こちらの策略どおりに動いてくれるとは、間抜けな連中だよねえ」 「隠れてないで、出てきなさい。それとも、怖くて矢面に立てないの?」 「ひゃはっ! 下手な挑発だね。だけど――」木陰から生臭い風が漂い出てきたかと思った直後、真紅の正面に法衣を纏った男が現れた。真紅の身体を、舐めるが如く無遠慮に眺め回す男の顔は、狂気に歪んでいた。 「冥途の土産に、姿を見せてあげようじゃないか」 「……下衆な男ね。何者?」 「僕は『鬼祖軍団』四天王、笹塚。 あの御方の力で、闇の司祭として生まれ変わった幸運絶頂な男さ」 「司祭? ふ……穢れの者ごときが、分を弁えず偉そうに。滑稽ね」 「威勢が良いねえ。いつまで、その減らず口を聞けるかな。かかれ!」 「……くっ! 法理衣!」真紅は傷付いた少女を抱きかかえながら、精霊を発動させた。ばちん! と、穢れの者どもが振るう刀が、真紅の肩を打ち据える。立て続けに、二発。法理衣の力で護られているので、切れはしない。しかし三発目は頭を斬りつけられ、その衝撃で、真紅は目を眩ませた。 「痛いじゃないの! この死に損ないっ!」神剣を薙ぎ払うと、一撃で四体の骸骨が木っ端微塵に吹き飛んだ。怯みもせず斬りかかってくる数体に向けて、もう一閃。更に数が減ったものの、包囲網を破るには打撃力が足りなかった。 「ひゃははは! そんな粗大ゴミを抱えてちゃあ、折角の威力も台無しだねえ」笹塚が右手を挙げると、背後から弓足軽の骸骨が出現した。包囲網が、少しだけ広がる。しかし、それは射撃の邪魔にならない位置に移動しただけの話だ。絶対的な不利は覆っていない。 (翠星石と、蒼星石は――どこに?)耳を澄ませども、雷鳴に遮られて、戦闘の音を聞き取ることは出来なかった。どうすれば良い? どうするのが最善?このまま、座して死を待つよりは、行動に移るべきかも知れない。でも、この娘を置き去りにして、見殺しにする事で得る勝利に何の意味がある?縦しんば笹塚を斃せたとしても、敗北したのと同義である。 「私は――――絶対に、逃げたりしない!」 「そうそう。そうこなくっちゃ面白くないんだよ。 堪んないねえ、敵愾心に満ちた、その瞳。思わず、抉り出したくなっちゃうよ。 僕はね、強がりを言いながら死んでいく君の姿が見たいんだ。哀愁を誘われるよねえ」 「この…………外道が!」 「ひゃはははっ。それじゃあ、ぼちぼち始めるとしようかあ」笹塚は真紅を指さし、ねっとりと嫌らしい舌なめずりをした。弓足軽が前衛に立ち、矢を番え、弦を引き絞り始めた。 「さあ、運命のお時間です。念仏は唱えたかなあ?」笹塚は右腕を、頭上高く掲げた。あの腕が振り下ろされた瞬間、無数の矢が降り注いでくる。真紅は身を強張らせ、神剣の柄を握り直した。思いの外、汗で滑る。こんなところで、終わるものか。気力を振り絞って笹塚を睨み続けるものの、心の隅は既に、絶望で占められていた。 「さあ、これで終……っ! ぶごほぉ!」異変が生じたのは、その時だった。笹塚の鳩尾から太刀の切っ先が突き出たかと思った次の瞬間、笹塚は宙へと放り投げられていた。その勢いで、彼の身体から太刀が抜ける。そして、墜ちてきたところを、厚身の太刀で胴を両断された。 「はん! なぁんか気色悪い馬鹿笑いが聞こえたから来てみればぁ――」 「水銀燈っ! 貴女、何故ここに?」 「ただの偶然よぉ。にしても、だらしなぁい。この程度の連中に遅れを取ってるなんてぇ」穢れの者どもの注意が、新たな闖入者に向けられた。弓足軽が一斉に振り返り、水銀燈に狙いを定める。弓隊の後ろからは、無数の骸骨が、水銀燈へと突進を始めていた。水銀燈は太刀を構え、一度だけ、艶っぽく唇を舐めた。 「避けなさいよ、真紅ぅ。……冥鳴っ!」切っ先から飛び立った漆黒の塊が、放たれた矢を呑み込み、穢れの者どもを忽ちの内に粉砕した。真紅は印を結んで、迫り来る破壊衝動に耐えていた。相変わらず、凄まじい威力だ。腕の中で、娘が苦痛に呻いた。今の状態で、この衝撃に晒されるのは辛いだろう。真紅は半身を乗り出して、可能な限り、娘の身体を覆い隠した。 きぃんっ! 甲高い金属音を残して、精霊の破壊活動は終わりを迎えた。あれほど居た穢れの者は、一匹残らず消滅している。水銀燈は得物を肩に担ぐと、真紅の側に歩み寄って、彼女の肩を軽く叩いた。 「大丈夫だったぁ、真紅ぅ?」 「一応はね。けれど、この娘は危険な状態なのだわ」 「どぉれぇ…………ふむふむ。これは、毒の影響ねぇ」 「そのくらい、見れば判るわ。さっき、解毒剤を投与したところよ」毒の影響が峠を越えれば、あとは、ゆっくり休ませて栄養を摂ることだ。問題は、それだけの体力が、この娘に残されているかと言うこと。予断を許さない状態であることは、水銀燈にも察しが付いたのだろう。彼女は袖の中から、小さな瓢箪を取り出し、真紅に手渡した。 「それを飲ませるといいわ」 「? これは――」 「薬流湯っていう、滋養強壮薬よぉ。効き目は保証するわ」 「解ったのだわ。ありがとう、水銀燈」 「別に、お礼を言われる筋合いじゃないけどねぇ」肩を竦めて、水銀燈は顔を逸らした。少し、照れ臭そうだ。だが、二人が感じていた和やかな雰囲気は、どす黒い血溜まりを見るなり、何処かに吹っ飛んでしまった。両断された筈の、笹塚の身体が繋がりかけていたのだ。しぶとい化け物め!水銀燈が再び太刀を振るうより僅かに早く、笹塚は霞に変じて、姿を消した。 「ちっ! 逃げ足だけは早い奴ねぇ。今度は、ただじゃ済まさないわぁ」 「先に、この神剣で、トドメを刺しておけば良かったわね」 「確かに……っと、向こうもケリが付いたみたいねぇ」気付けば、山間に轟いていた怒号は静まり、青空が戻りつつあった。どれほどの数が山中に展開していたかは判らないが、それを黙らせたのだから、大したものだ。真紅は今更ながら、双子の姉妹と出会えた幸運に感謝した。 程なくして、二人は戻ってきた。そして、水銀燈を目にするや、あからさまな敵意を向けた。 「なんだって、お前がここに居るですか! さては、また剣を狙って――」 「それとも、敵の間者として、ボクたちに紛れ込もうとしてるのかい?」 「そ、そんな事は、有り得ないわ! 彼女は、私たちを助けてくれたのよ?」 「信用を得る為なら、穢れの者の二、三匹、斬って見せるだろうさ」どうあっても、信用できないらしい。どうしたら、この姉妹は解ってくれるんだろう?水銀燈が同志であったなら――真紅は思い切って、隠していた左手の痣を、水銀燈の眼前に晒した。 「これを見て。貴女には、こういう痣が無いかしら?」 「んん? ああ……有るけどぉ?」 「なっ、なんですとぉ?!」 「そんなっ! ホントなの?」ええ、と頷いて、水銀燈は左手に巻いていた滑り止めの布を外した。そこには三人と同じ痣があり、【仁】の文字が浮かび上がっていた。 ――同刻、某所にて。 「やれやれ……酷い目に遭っちゃったよ」 「随分と大きな口を叩いて出ていったのに、返り討ちだなんて……だらしない。 お姉ちゃん、ガッカリしちゃったわよぅ」這々の体で逃げ帰った笹塚に、のりの嘲笑が浴びせられた。 「そう言う、のりだって逃げ帰ってきたじゃないか。他人のことは言えないよね」 「なんですって…………新参者のくせに!」あわや口論となるところに、白髪隻眼の鎧武者が、割って入る。 「およしなさい、二人とも。御前様の前で、みっともないですわ」 「ぬぅ……面目ない」 「申し訳ございません、御前様」神妙に頭を垂れる二人に、御簾の内から、凛とした声が流れ出してきた。 「よい。それより、笹塚。例の件は、どうなっている?」 「ははっ! それにつきましては、滞りなく」 「それは上々。さて……あの者たち、いかに始末するか――」 「お願いです。私に、出撃のご命令を下さい!」そう言って進み出たのは、鮮血を思わせる緋色の甲冑に身を包んだ、黒髪の娘。 「……もう苦しくはないの、めぐ?」 「はい。全く問題はありません。これも御前様のお陰です。 その恩に報いるためにも、是非、私に任せて頂きたいのです」 「よかろう。其方の忠義に感じ入り、任せるとしよう」ありがとうございます……と、口の端を吊り上げためぐの瞳は、血に飢えた野獣のように、爛々と輝いていた。 =第四章につづく=
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