座敷ワラシ
東北自動車道を、北に向かって、ひた走るバイクが一台。運転するのは、ジュン。そして、彼の後ろに乗っているのは、翠星石。栗色の長い髪を肩の前に回し、両腕で、しっかりとジュンにしがみついている。時速百キロ以上の速度で疾駆する単車に乗っているのは、慣れない者にとって、想像以上に恐ろしい事だ。翠星石も、御多分に漏れず、緊張に身を強張らせていた。二人を乗せた単車は、安積P.A(パーキング・エリア)へと滑り込んでいく。朝早く家を出てから、何度目かの休憩である。高速道路に乗ってからは三度目になる。翠星石もホッとしたのか、彼女の腕から力が抜けるのを、ジュンは感じた。駐車場の隅に単車を停めて、二人は窮屈なヘルメットを脱ぎ、吐息した。「疲れただろ、翠星石?」
頭を掻いて髪の乱れを直しながら、ジュンは朗らかに笑った。翠星石が、ちょっと唇を突き出しながら、拗ねたように応じる。「解ってるなら、も少し小刻みに休憩しやがれですぅ」「ははっ……悪い。でも、目的地まで、まだ遠いからさぁ。 それに、新幹線じゃなくバイクで行きたいって言い出したのは、翠星石だろう?」「う……でも、それは……ジュンに……ですぅ」抱き付いていたかったから――なんてコトは、口が裂けても言えない。頬を染め、俯く彼女の頭を、ジュンは優しく叩いた。「ゴメンな。次からは、短めに休憩を入れるよ。さあ、冷たい物でも飲んでこようぜ」二人が目指しているのは、岩手。宮沢賢治と理想郷イーハトーブ(花巻市)が有名だ。或いは、柳田国男と遠野物語の世界か。目的地までは、まだ遠い……。やっとの思いで、予約を入れていた宿に着いた頃には、すっかり日が傾いていた。腰を伸ばして、深呼吸をする二人。「んん~。やっぱり、空気が澄んでるですぅ」「そうだなあ。思えば遠くへきたものだ……って、つくづく感じるよ」「それにしても、雰囲気の良い宿ですね。鄙びた感じが、特に郷愁を誘うですぅ」「歴史の長い宿だからな。一年前から予約してる客も居るそうだ」「ほへ~」と、感心半分、呆れ半分な声を出して、翠星石は再び、宿泊する宿を見上げた。ちょっと、おどろおどろしい気配がする。けれど、それが却って、いかにも民話の郷と言った趣を醸し出している。来て良かった……心から、そう思った。「早いとこ記帳を済ませちゃおう。行こうぜ、翠星石」「はいですぅ」記帳を済ませ、美味しい料理に舌鼓を打ち、ゆったりとした温泉で旅疲れを癒す。たったそれだけの事なのだが、ジュンも、翠星石も、非常に満ち足りた気分になった。こんなに優雅な気持ちになれたのは、久しぶりだ。二人が通されたのは、離れの部屋。母屋で行われている宴会の喧噪も、殆ど届かない。浴衣姿の二人は、肩を寄せ合って、満天の星空を見上げていた。ロマンチックな語らいを愉しんでいた時、急に、翠星石が驚いた様な声を上げた。「翠星石? どうかしたのか?」「んん? 今……誰かが、私の髪を引っ張ったです」「あ、そういや言い忘れてたっけ。あのな、翠星石。実はなあ――」「なな、なんで……そんな怖い声で話しやがるですか」「この部屋って、座敷ワラシが出るという部屋なんだ」遠野の夜空に「なんですとぉー?!」という絶叫が木霊していた。――その夜。並んで敷かれた二組の布団で、ジュンと翠星石は就寝していた。正確には、ジュンだけが、健やかな寝息を立てている。翠星石はと言えば、座敷ワラシの話を聞いてから、すっかり眠気を失っていた。真っ暗な部屋の中で、まんじりともせず、遠い遠い夜明けを待っていた。ふと、物音がして、翠星石はビクリと肩を震わせた。耳を澄ますと……何かが……畳の上を這う音がする。しかも……徐々に、近付いてくる。(!! いひぃいぃ――――っ!!)声にならない悲鳴を上げて、翠星石は隣の布団に潜り込み、ジュンにしがみついた。「んあ? な、なにすんだよ……翠星石?」「でででで、出たですっ! 座敷ワラシですうっ!」「ホントかよ? 落ち着けって、翠星石。それって、凄くラッキーな事なんだぞ」「え? そ、そうなのですか?」「うん。出会えない人は、何泊しても出会えないんだって。とにかく――」潜り込んでいた布団から、そぉ~っと顔を出すジュンと翠星石。すると、目の前に小さな子供が立っていて、二人は思いっ切りビクッ! としてしまった。が、それも最初だけのこと。よくよく見ると、その子は二人の良く知る人物に似ていた。「……なんだか……蒼星石の小さい頃に、似てるですぅ」「翠星石も、そう思った? 実は、僕も……」そう思ったら、ちっとも怖くなくなってしまった。座敷ワラシは黙ったまま、お手玉や、あやとりの紐を差し出してくる。一緒に遊ぼ? という事なのだろう。ジュンと翠星石は小さく微笑むと、一晩中、座敷ワラシと戯れていた。翌朝、目が覚めると、二人は別々の布団に、きちんと収まっていた。夜明けまで、座敷ワラシと遊んでいて……それから雑魚寝した筈だが、詳しいことは何一つ、憶えていなかった。朝食の席で、翠星石は思い切って、ジュンに話を切りだした。「ねえ、ジュン。昨夜のこと……憶えてるですか?」「昨夜の? ああ、座敷ワラシと遊んだことか?」事も無げに、さらりと言ってのけるジュン。あまりに浮き世離れした事なので、夢と現実の区別がつかなくなっているのだろうか?いや、そうではない。ジュンの眼差しは、正気を保っている者の眼だった。徐に、ジュンが口を開く。「あの部屋で座敷ワラシに出会うと、幸福になれるって言い伝えがあるんだ」「幸福ですか? 例えば、どんなです?」「宿の案内書きでは、ある男性は一人で宿泊中にワラシ様と出会って、 総理大臣になったそうだぜ。どうやら社会的な成功を、収めるみたいだな」「ふぅん? じゃあ、男女二人の場合は、どうなるです?」「さあ? どうなるんだろうな? 案内書きには載ってないけど――」「もしかしたら…………幸せな家庭を……」ごにょごにょと呟く翠星石に、ジュンが「ん?」と訊き返すと、彼女は真っ赤な顔をして「なんでもねぇですぅ!」と、ムキになって否定した。なんで翠星石が怒っているのか訳が解らず、ジュンは頸を傾げ、頭を掻いていた。――それから数日間、二人は単車に乗って、遠野の旅を満喫したのだった。そして、帰宅。旅の疲れがドッと出て、翠星石は着替えなどを詰めたナップザックを降ろすなり、玄関先で、靴も脱がずに寝転がってしまった。「姉さんってば、行儀が悪いよ?」出迎えにきた蒼星石が、腰に両手を当てて、だらしない姉の態度を、呆れ顔で見下ろしている。その光景が、あの宿での出来事と重なる。布団から顔を覗かせた時、翠星石とジュンを見下ろしていた、座敷ワラシと。「そう言えば……蒼星石に、お土産があるですぅ」「え? ホントに? なになに?」嬉々として翠星石の脇に両膝を着いた蒼星石に、ザックの中から取り出した人形を差し出す。それは、ジュンと翠星石が、遠野で材料を調達して創った、手作りのぬいぐるみだった。「? この、ぬいぐるみ……ボクに似てなぁい?」「気のせいです。それは、座敷ワラシを模した、ぬいぐるみですぅ」「そうなんだ? でも、ありがとう。二人の手作りなんでしょ?」「……見た目で分かるですか?」「そりゃあ解るよ。ボクは、姉さん達のこと、応援してるんだからね。 いつも見守ってるから、かな? 二人の考えとか、仕種が、なんとなく解るんだよ」二人には、幸せになって欲しいから――そう言って、蒼星石は気恥ずかしそうに、階段を駆け上っていった。(ジュンと、二人で……幸せな家庭を築けたら……)幸福な未来に想いを馳せながら、翠星石は微睡みの中へと落ちていった。
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。