【雪が解けてなくなるように明日には枯れてしまう花】
「神さまを信じますか、って聞かれたの」 その笑顔が見たいだけだった。感謝されて、頼られたいと思った。「神さまの、何を信じればいいの、って聞いたわ」 ――ただ、それだけだった。【雪が解けてなくなるように明日には枯れてしまう花】 その日は、やけに冷える日だった。十二月も半ばとなって、ちょうどクリスマスまで一週間となった日だ。 その日も、僕は身だしなみを整えて、おかしいところがないか、念入りにチェックして準備をしていた。「気合、入れすぎぃ」 友人であるところの水銀燈に、けらけら笑われた。まあ、いつものことだ。 確かに自分でも気合を入れすぎている気もする。が、笑われるほど念入りにしても、まだ不安なのだ。 どこかおかしい所があって、“彼女”に嫌われてしまわないだろうか。カッコ悪いなんて思われやしないだろうか。 無駄に手を動かし、身体のいたるところに触れる。ほとんど毎日彼女のもとに行っているはずなのにだが、それでも慣れない。「……そんなことをしている間に、行けばいいと思うわぁ」 ごもっとも。そんな水銀燈の呆れ顔を背に、僕は彼女のもとへと向かうことにした。 ――天使みたいだ、と思った彼女のもとへ。 彼女と出逢ってから、そんなに経っていない筈だ。実際、日数にして五ヶ月とか半年くらいだろう。 しかし、今では僕にとって一番親密な仲(これは決してそういう意味でなく、いや僕としてはそういう意味がいいのだけど)になっていた。 時間と仲の親密さは比例するけれど、特例もあるということなんだろうと思う。 出逢った、あの日。彼女は、ただ言った。どうでもいいと言わんばかりの笑みを浮かべながら。「――貴方、誰?」 心を撃ち抜かれた。そんな色気もかわいらしさもないその笑顔が、とても尊いものに見えてしまったのだ。 彼女も言っていたけど、そんなことを思うのは後にも先にも僕くらいのものじゃないだろうか。少なくとも第一声が、「……天使?」 なんていうヤツは、そうそう居ないだろうなと思う。それで、彼女には随分と笑われた。 僕を連れてきた水銀燈にも大笑いされ、顔から火が出るほど恥ずかしかったけど、でも彼女の笑顔が見れて、それがどうでもよくなっていた。 今こうして思い返してみれば、出逢った時点で惹かれていたのだ。 極めつけの一言は、笑った、そのすぐ後にあった。「貴方、面白いから好き」 そのときの笑顔は、きっと彼女の持つ笑顔の中で、飛び切りのものだったに違いないと自惚れている。 ――そんな出逢いが、僕たちの出逢いだった。ちょっと変わっている、柿崎めぐとの出逢いは、やっぱりどこか変だった。 そして、出逢った次の日から僕は毎日めぐのもとへ通うようになった。めぐは、入院していたのだ。 通い始めた最初、そんなに親しくない僕の来訪に戸惑っていたようだが、今は一日でも顔を見せなかったりすると、あっちから病院を抜け出して乗り込んでくる。 まあ、乗り込んでくるようになった原因は、僕が風邪をひいて、通い始めてから初めてめぐの所に行けなかった日にあるだろう。 あれ以来、めぐは僕が自分のところに来ないと、僕がぶっ倒れているんじゃないだろうか、と思うようになったらしい。 それはとても嬉しいのだけど、どうもただ病院から抜け出したいだけのようだ。 そしてさらにわからないのは、めぐが病院から抜け出して怒られるのは何故か僕だ。 来ないなら、連絡してくれなきゃめぐちゃんが抜け出しちゃうでしょう、というのは婦長さんの言葉だったか。 そんなことを思いつつ、僕は病院に到着した。いつも通りの挨拶をすませ、めぐの病室を目指す。 もう普通に顔見知りだった。病院に入ると、大抵の人に挨拶される。ほとんど毎日来てるなら、当たり前か。 ほどなくして、めぐの病室の前にたどり着く。ほとんど無意識でここまで来た。今度目を瞑って来てみようか、なんて思う。たぶん、来れる。「めぐ、入ってもいい?」「ジュン? いいよ、入って」「お邪魔しま――」 固まる。「適当に座って待ってて。今着替えてるところだから」 何故、目の前に下着姿のめぐが居るのだろう、とひどく哲学的(?)な思考に走る。 ここでこっそり、ああ、結構胸があるんだなぁ、なんて思ったのは秘密だ。「何凝視してるの?」「っていうか、着替え中なら入っていいよとか言わないでよ」「別に、ジュンなら見られてもいいから入っていいって言ったの。それより早く閉めてよ。他の人に私のこんな姿見せる気?」 それは、深読みすれば深読みできる台詞だったけど、たぶんそのままの意味だろうと思う。 それだけ信頼されているってことなんだろうけど、何だか、男として見られていない証明のようでもあって、複雑だ。「……よし。お待たせ、ジュン」「あ、うん」「? 何か顔赤いけど……どうしたの?」「別に」 めぐがかわいく首を傾げるが、どうせ言っても理解できない。微妙な男心のことなど、めぐにとっては些事にしかすぎない。めぐは、マイペースだからあんまり頓着しない性格なのだ。 「ふぅん、変なの」「……変なのはめぐだと思うけどね」「何か言った?」「別に、何も」「あ、そういえば、ジュン、クリスマスどうするの? 水銀燈とデート?」「何で、水銀燈?」 水銀燈が、僕にかまうはずないと思うんだけど。すごい人気だから。「ジュン?」「ん?」「鈍感な男の子は嫌われるよ?」「何の話?」「まあ、いいか。今さらだしね。……それで、クリスマス、予定あるの?」 予定か。そんなことを、急に言われてもなぁ。「強いて言うなら、めぐのところに来る予定だったけど……」「クリスマスなのに? 彼女は?」「居ないよ、そんなの。居たら、めぐのところに毎日来ない」「そうなんだ。じゃあ、ジュンに一生彼女が出来ないといいね」「めぐが彼女になってくれるなら、それでもいいけどね」「気が向いたらね」 あはは、と笑う彼女。いつも本気にされない。言い方が悪いというのもあるんだろうけど。「あ、ジュン」「何?」「クリスマス、私を連れ出してよ。デートしない?」「別にそれはいいけど、けど何処に?」 めぐがしょっちゅう抜け出すのは、半ば公認になっていた。ただ、近場で、僕が居るなら、という条件だけど。「海が見たいの」「この寒いのに?」「そう。寒くても、海が見たいんだけど、ダメ?」 珍しいと思った。めぐの、甘えるような瞳。だから、特に考えずに頷いた。別に、大丈夫だろう。近くに海もあるし。「いいよ。でも、許可とらないと」「――ダメ」「え?」 この場に似合わない、強い拒否だった。「いいじゃない。秘密のデート、しましょう?」 僕は、その甘い誘惑に勝てなかった。 ――その日の、帰りの話。「めぐちゃん、つらそうで……、私、見てられないです」「めぐちゃんが我慢しているだよ? なのに、どうして私たちがそんな弱音を吐けるの」「だって、先生が――」 ――え?「あの……、今、何て言いました?」「――――っ!?」 驚いた顔。何で驚いた顔をしてるのか、わからない。「だから、何て言ったんですか、今」「桜田、君……」「だから! 今なんて言ったんだよ!」「めぐが死ぬとか、何を言っているんだよ、あんたらは――!!」 一週間が、過ぎた。「うわぁ、海ってこんなに綺麗なんだ。冬でも、中々いいものだね」 クリスマス・イヴの日。僕は、めぐを連れて海に来ていた。聞いた話だと、海に来るのは初めてらしい。 それもそうか、と納得した。彼女は、身体が弱いから。だから、――納得できた自分が、すごく嫌な人間に思えた。「ね、今日はいつまで居ていいの?」「めぐが望むなら、いつまででも」「あ、そんなこと言うと、私、ずっとここに居るよ? それで、風邪ひいて、ジュンが怒られるの」「それでも、いいよ。僕は、めぐと一緒に居たいからね」 めぐが笑ってくれるのなら。……ずっと、ずっと一緒に居たい。今、心の底から願う。「そう? じゃあ、夕陽が見たいな。きっと、綺麗」 めぐがそう言ったので、待つことにした。その間の会話は、寒くない? 大丈夫だよ――たった、それだけだった。 別に、意図して沈黙したわけじゃない。この一週間、少なくとも僕はいつも通りに過ごしてきたつもりだ。 自分で、よく頑張れたと思う。何が自分をここまで駆り立てるのか、わからないほどに頑張った。 それはきっと、めぐのためなんだろうな、とは漠然と思う。 ――そして、夕暮れになる。「想像以上……」 ほう、とめぐが感嘆の息を漏らす。事実、想像以上だった。冬の空の夕焼けは、夏に見るものとまったく種類が違う。それはどこか寂しくて、胸が切なくなる夕焼けだった。 だけど、だからこそ綺麗なんだとも思う。儚いものを、人は綺麗に思うから。 だから、きっと――「綺麗な、夕焼け」 ――彼女も、綺麗なものに、違いなかった。「めぐ、気をつけて」「うん、わかって――きゃっ」「っと、」 めぐが、波に足を取られて転びそうになったところを、後ろから支えた。予期せず、後ろから抱きしめるかたちになった。「……ジュン?」「ん、」 めぐが、何か不思議そうな仕草を見せたけど、何も言われなかったからそのままにした。 特に理由はない。強いて言うなら、めぐの身体が、想像以上に軽くて、細くて、柔らかくて。守っていないと、どこか消えてしまうんじゃないかと思ったのかも しれない。「あのね、私、夕暮れって好きなの」 彼女は、とつとつと、沈んでいく夕陽を見ながら語りだした。「覚えてる? 初めて私が病院を抜け出してジュンの家に行った日。ジュンは具合悪いくせに、私のことを送るからって意地張って。 だけど心もとないから、二人で手を繋いで歩いた帰り道。あれ、本当は遠回りだったの。あの時の笑顔が、今も鮮やかに浮かんで、懐かしく思うんだぁ。 何でだろうね。変わったものなんて、何もないはずなのに――」 覚えていた。今めぐが言ったことは、全部覚えていた。遠回りだってことでさえ、覚えていた。 その時にめぐが歌ってくれた歌を、どうしても覚えたくて。その歌は、まるで温かい風のような歌だった。「――もう、お別れだね」 不意打ち、だった。「め、ぐ?」「気づいてるくせに、どうしてそんなに優しくするの? いつもの笑顔で、いつもの言葉で――ジュンは、優しすぎるよ」 それは、いつものめぐの笑み。どうでもいい。その言葉は、つまり、諦めの言葉だった。「めぐ」「夕暮れは、切ないね。私、こんな風に身を寄せ合えば、無邪気な幸せが続くかもしれない、なんて、ジュンと居て思ったの。 だけど、無理。こんなに綺麗なのは、儚いからだもん。ジュンも、そう思うでしょう?」 それは、まさに自分の思っていたことで。それがなおさら、悲しい。めぐが自分のことを言っているのだ、とわかったから。「私、いやだよ。病院の中で、苦しんで死んでいくのなんて。私、死ぬならこういう場所で死にたい。こういう綺麗な場所で、好きな人に看取ってもらって。 そして――誰かさんが言っていた、本物の天使になるの」 やめてくれ。「ごめんね、何度も困らせて。でも私、もうそろそろ無理だから。だから、もう大丈夫だよ。ジュンは、自由になって、いいんだよ?」「――やめてくれよ!」「…………」 びくっ、と彼女の身体が震えた。ああ、とそのことに罪悪感を覚えつつも、それでも自分の感情のしたことに、嘘はないと思う。「何で、そんなこと言うんだよ。まだ何か、きっと何かあるはずじゃないか。何で、諦めてるんだよ……」「私の周りが、諦めたから」 めぐは、簡単にそう言った。やっぱり、何でもないことのように。「パパも、病院の人たちも、皆、諦めたの。私は、もう長くないって。皆、同情の目で見るの。あ、でも、水銀燈だけは違ったかな。私のことを知っても、それで も一緒に居てくれた。 だから、ジュンがずっと来てくれて、わからなかったんだけどね。ジュンは、知っているのに一緒に居てくれたから」「それは――」 考えるまでもなかった。自分にとって、当たり前のことなのに。なのに、めぐに理解してもらえないことを、悲しく思う。「めぐのことが、」「好きだから?」「……そうだよ」「やめて」 身体を、振り払われた。「私は、同情でこんなに優しくされても、嬉しくない」「な……」「やめてよ。ジュンは優しいから、そんなことを言っているだけなんだよ。落ち着いて、考えて?」 優しい、僕を気遣った口調だった。「そんなはずが、ないだろう!」「じゃあ、キスして。抱きしめて。私を抱いて」「……え?」「ほら、早くしてよ。私のこと、好きなんでしょう?」 目を瞑り、軽く上を向いて待つめぐ。「出来ない」「ほら、やっぱり。ああ、でも気にしないで。別に期待してたわけじゃないから。……んー、でも少し残念な気持ちがあるってことは、期待してたのかな。 ごめんね、ちょっと、自分でもよくわからないや」「違う。軽々しくそんなことが出来ないって言ってるだけだよ」「……え?」「あのさ、何度も言うよ。伝わるまで、何度だって言う。桜田ジュンは、柿崎めぐのことが、大好きなんだ」「だから、それは同情――」「同情で、僕が毎日君のところに来ていると、思った?」 めぐが、視線をそらした。そして押し黙った。それを言われたら、何も言い返せない。 同情で、毎日通う。そんなこと、出来るはずないじゃないか。いつだってめぐは、ジュンの優しさを感じていた。 自然、涙が溢れてくる。ねえ、ジュン。教えてよ。私は、何で涙を流してるのかな。ジュンなら、わかるよね。いつも、私を守っていてくれた、ジュンなら――。「――僕は、めぐのことを、愛している」 今度のその言葉は、確かにめぐの胸に響いた。「…………」「…………」 一瞬、時が停まったかのような錯覚をした。ジュンは、めぐの瞳を見つめて動かず、まためぐも、ジュンの瞳を見つめて動かなかったから。「――私、」「どうしたらいいの?」 だって――もう、叶わないものと、諦めていたのに。ジュンにつらい想いをさせてしまうから、と封じ込めていたのに。 貴方を嫌いになれたら、どんなに楽だっただろう。ずっと好きという気持ちに気づかない振りをするのは、どれだけつらかっただろう。 やっと、やっと諦めることが出来そうだったのに――「どうして、今になって幸せを与えようとするの!?」 めぐは、ジュンの胸を叩く。何度も何度も、子供のように、叩く。 それは確かに、ずっと諦めることで絶望を回避してきた少女の本当の気持ちだった。涙を流し、髪を滅茶苦茶に振って。「振り向かないで、迷わなければ、いい」「……怖いよ。私、そんな生き方をしたこと、ない」「僕が居る」 寂しい夜も、心が破れそうなときも、いつだって傍に居るから。君の傍で、君を守るから。「だから、笑って、めぐ」 そして、ジュンは夕陽を背に微笑んだ。それは、とても幻想的で。「……ばか」 ――だから、その初めてのキスも、とても幻想的で、幻想の中でなら、天使と人間が恋をしても許されるかな、とジュンは思った。「私は、ジュンに生きる力を貰っていたんだと思う」 めぐが、砂浜を歩きながら言う。もう、波に足を取られることは、ないみたいだ。「窓辺でゆれている花みたいに、明日には枯れて、誰かの想い出になるだけだと思っていた。ああ、そんな可哀想な子が、居たんだね、って。 でもそれって寂しいよね。花は生きていたんだよ? ずっと覚えていて欲しくて、だから綺麗に咲いたの。たった一回きりの世界だから。 ……私は、それを諦めていた。一回きりの世界なのに、みんなが諦めるから。私、いらないんだって思ってた。 だから、私はジュンに生きる力をもらってたの。ジュンが居なければ、きっと早く死んでたんだと思う」 何も口をはさまなかった。僕はただ突っ立って、めぐから目を離さないだけ。でも多分、それで充分なんだと、思った。「ジュンが、最初に天使って言ったとき、ホントに嬉しかった。私は、ずっと天使になりたくて、空を飛びたかったから。 ジュンなら、私のことを空に飛ばしてくれるのか、なんて期待してた。ずっと。……ううん、今でも、している。ジュンなら、きっと出来るよ」「僕を一人にして、天使になるの?」「ジュンは、一人じゃないよ」 その温かい言葉は、何てことない、彼女の拒否だった。「ねえ、ジュン、諦めないことは、素晴らしいことよ。そして、その素晴らしいことを私に向けてくれるのは、とても嬉しい。 だけど、無理なものは、無理なの。奇跡を信じるほど、私は世界のことが好きではないし、……だから、」「だから、見送れって?」「――うん。私、今日死ぬよ」 それは、なんて、ひどい、言葉。「やっと、通じ合えたのに」「ホントは、色々やりたいことがあったよ」「まだ、キスしかしてない」「ジュンってば、えっちだね」「――僕は、君に想いを伝え終わっていない」「私も、そうだよ」 風が吹く。めぐは、足を止めた。そこは、もう二人の世界。二人の最後の会話を、悲しみ、慈しみ、そして、幸せであるように、と。「まだ、全然足りない。私の心臓、ただでさえ壊れてるのに、ますます壊れちゃいそうだよ。 ジュンが来ると、いつもドキドキしてた。ジュンを見ると、いつもドキドキして、ジュンが触ってくれると、ますますドキドキして――それが、恋なんだって知った」 「……僕は、」「あ、雪」 めぐの言葉に、空を見上げる。ひらひらと、まるで天使の羽のように落ちてくる雪を、ジュンはぼんやりと、悲しいな、と思った。 解けて消えていく運命。誰も覚えていてくれないのだろうか。こんなにも綺麗なものなのに。また、明日があるから、未来があるから、人は忘れるのだろうか。「ホワイトクリスマスに、憧れてた」「そうか」「ホワイトクリスマスに、好きな人とロマンチックな風景を見ることが、本当に夢だった」「ねえ、ジュン、キスして?」「うん、キス、しよう」 そして、一つになる二人の唇は、とても、とても冷たかった。「私、この雪のように、静かに、静かに消えていくよ。だから、ね、ジュン。――泣かないで?」「あのな、めぐ。……無茶なこと、言うなよ……っ」 ぼろぼろ、ぼろぼろと、絶え間なくジュンの瞳から涙が零れる。顔を上げていられないから、めぐを強く抱きしめる。めぐの身体は、温かい。 どうして、こんなことになったんだろう。想い出を守りたい。今この瞬間を想い出にして、未来に二人で笑いあいたい。ただ、めぐの笑顔が見たい。「雪は、いつか解けるものなの。だから、大丈夫だよ。ジュンの心に積もった雪も、いつか解ける。 ……ねえ、ジュン。でも泣いて、いっぱい泣いて。これでもかってくらい、泣いて。その分が、ジュンが私を想う気持ちだから。だから――」「だから、ジュンが泣き終わったとき、私のことを、きっと忘れてね」 めぐは泣かなかった。ただそれは、決意の証だった。「もう迷わないよ。ジュンが、教えてくれた。振り向かない。……ホントは、私、今すっごくつらいと想うの。だけど、ジュンが居るから、大丈夫なの」「めぐ……っ」「ごめんね。ジュンを悲しませて。でも、大丈夫。ジュンは、一人じゃないから。だから、ジュンは自分の道を進んで?」「――嘘ばっか、つくな、よ」「え?」「それ、嘘だろう? 何で、嘘つくんだよ。手、震えてるよ。さっきから、寂しい、寂しいって、ずっと聞こえてるんだよ……っ」 信じてる。信じてる。今この瞬間の輝きを、今も信じてる。だけど、それでも、身体と心は、悲鳴をあげてしまう。「うん。そうかも。嘘かもしれない。……ううん。嘘だよ。私、怖いもの」「なら!」「だけどね、ジュン。私は、病院に帰っても、死ぬの。それも、ジュンのそばでなく、きっとジュンの居ないところで、死ぬの。 そのためなら、あと少しの命を生きるより、ジュンの腕に抱かれて死んだ方が、どれだけいいかわからない」「勝手なこと、言うなよ……っ」「ううん。ホントだよ。私、あと三日もしないうちに死ぬ。こうして動けるも、奇跡に近いって先生が言っていたわ」「それでも――」「ジュンは、拒まない」 めぐの、確信した声。「だって、ジュンは私のことを、愛しているもの」「そんな、」 ジュンは、笑う。「そんな殺し文句、この場面で使うの、ずるい」 そんなこと言われたら、見届けるしかなくなるじゃないか。今この場で、最愛の人を何も出来ずに、手放すことしか、出来なくなるじゃないか。「違うよ。ジュンが居てくれるから、私は安らかに眠れるの」「……っく、うあ、」「ねえ、ジュン。私は、とても貴方にとても感謝してるの。だから、今度は私が言うよ。いつも、傍に居てくれた貴方に。 寂しいときも、悲しいときも、楽しいときも、嬉しいときも。どんな時だって、私は貴方の傍に居る。天使になって、傍に居るから――」「大好きだよ、ジュン」 ジュンは何も言わず、強くめぐの身体を抱きしめた――。† † † † † 水銀燈は、理解し、涙した。「ああ――」 それは、誰も干渉してはいけないのだろう。誰も邪魔なんか出来ない。 雪が降り積もった世界の中心で抱き合って動かない、白い天使と悲しい人間のことを、誰も邪魔なんか、出来ない。【新しい涙の跡と、古い涙の跡がある手紙】 親愛なる桜田ジュンさまへ―― 最初で最後の恋でした。さようなら。大好きです。 柿崎めぐ ...end【数十年後、彼が死んだ後の会話――語られなくてもいい、ある幸せな錯覚――】「ここは――」「天国だよ」「……ああ、本当に天使になったんだな」「そうだよ。でも、私黒が好きだから、ほら、ちょっと翼が黒いでしょう?」「それ、変だよ」「そう? ねえ、私が居なくなったあと、幸せだった?」「君以上に好きな人は居なかったけど――だけど、うん、幸せだったよ」「よかった。ずっと、傍に居たんだよ?」「そうだって、信じてたよ」「ねえ、ジュン」「何、めぐ」 そして――「ずっと逢いたかった。大好きだよ」「僕も、ずっと逢いたかったよ」 二人の唇は重なって――「さあ、行こう」「うん、行こう」 ――二人が、歩き出した。† それで、この会話はおしまい。何のことはない。いつも通りの、ただの幸せな会話だった――。...finおまけ。「っていうかさ、これで水銀燈が死んだら、どうなるんだ?」「水銀燈? ああ、なるほど、言いたいことはわかった。ジュンと水銀燈、結婚したものね」「うん」「うーん、あれだね。とりあえず、」「とりあえず?」「――絶対、離さないから」「あー、苦労しそうだ……」 それから、七人の少女と、二人が、ドタバタすることになるのは、まだ先の話――。
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