狼禅百鬼夜行 三つ目のお話 「秋情狼艶話」
このお話は、機械や鉄砲が存在せず、八百万の神々、そして森の生き物や妖怪達が、まだ人々にとってとても身近であった頃の物語。年齢的にはまだ子供である翠と蒼の双子の姉妹は、森の神であるという二匹の白い片目の狼、雪華綺晶、薔薇水晶の二人の女性に故あって拾われて、一緒に生活することになりました。そして3年の歳が流れ、双子達自身も満月の晩の不思議な出来事以来狼になる力を得て、居候から、二人の娘という関係になった…今回のお話は、それから少し季節が流れた頃にあった、一つの事件のお話です。いつもは安らぐ翠のにおいに何故か落ち着かなくなる蒼。彼女の悩みは解決するのでしょうか…?狼禅百鬼夜行 三つ目の話 「秋情狼艶話」 あきのじょうのおおかみたちのつやめかしいはなし秋も深まり、冬も近づく今日この頃。森に暮らす動物達にも、恋の季節が訪れます。彼らは一体この時期を、如何にして過ごしているのでしょうか…「…と言っても、私達ほど歳をとってしまうと、 もう、悟ってしまうと言いますか…あまり関係なくなってしまうのですけれどね。」まるで動物番組のナレーションのような台詞を考えながら、お社の縁側に座って呟く白い着物の女性、雪華綺晶。眺める先は、元境内の…今は枯葉に埋もれて石畳などまったく見えない小さな広場。特に何かがあって眺めているわけではなくて、ただ暇であったからぼーっと枯葉が舞う様を眺めて居ただけだ。そんな彼女の後ろの扉を開けて、薄紫の着物をまとう薔薇水晶が現れる。「…ううん、私にはまだ関係がある…」「ああ、時期にかこつけて甘えに行くのね。いってらっしゃい」さり気に身も蓋も無いことを言われたが、そんな双子の姉の言葉を気にすることも無く。彼女はブイサインをして狼の姿に変わり、風のように駆け去った。それを見送り、再び暇そうに頬杖をつく。「はぁ。暇ですわ…」けだるげに欠伸をした所で、がさがさと枯葉を踏み分けて近づいてくる足音が二つ。比較的軽いこの足音は、聞きなれた二人のものだ。「ただいまです!柿を見つけたけど渋柿だったです。食えたもんじゃねえですよ…」最初にしかめっ面で森から現れたのは双子の姉の方である翠。「ちゃんと確かめずにかぶりつくからだよ…干し柿にしたら食べられるから取って来たよ」その後を、袋を担いで上ってきたのは妹の蒼。どちらかといえば妹の方がしっかりしているこの双子の姉妹は、雪華綺晶と、薔薇水晶の義理の娘達である。義理とはいえやはり子供となると可愛いもので、しっかりものの子供達だが何かあればつい世話を焼いてしまうのだった。「おかえりなさい。そうね、柿は皮をむいて吊るしましょう」話し相手も出来て、やることも出来て、やっと暇から解放される。雪華綺晶は立ち上がり、社の裏手にある炊事場まで歩いていく。蒼と翠が袋を持ってついてきた。柿は川で一度洗ってきたとのことだったので、そのまま3人で小刀を使って皮をむきはじめる。「そういえば、薔薇水晶はどうしたですか?」剥いている最中に、そんな事を聞かれた。ちなみに薔薇水晶はお母さんと呼ばれるのが何故か不服らしく、呼び捨てもしくはお姉さんと呼べ!とか言っていたので…素直に呼び捨てになっている。「ああ…薔薇ちゃんはこの時期だから、しばらくお出かけするそうですわ」「「時期?」」二人の声が不思議そうにハモる。案の定、意味は分からなかったようだ。「まあ、そうねえ。冬が近いと何かと寂しくなるものなのよ。生き物は」にっこりと微笑んでごまかしておく。この子達にはまだ早い気もするし。二人は釈然としない表情ながらも納得はしてくれたらしい。その時は、話題はそこまでだった。その夜のこと。翠は布団の中でもぞもぞと動き回る。外に出て用を足したいのだけれど、中々布団から出られない。そろそろ冬も近い今の時期、夜中は特に冷えるのだ。だからといって、このまま我慢しておねしょをしたなんてことになれば目も当てられない。姉としての威厳というかなんというか。恥ずかしい事この上ないし。仕方なく、えいやっと勢いをつけて起き上がる。…寒い。本当に寒い。布団の中の暖かさがあっという間に逃げていく。けれど…行かないわけにも。翠は、このまま布団の中に戻りたい気持ちを押して、何とか布団から這い出て外へと向かう。しばらくして、そっと扉を開けて戻ってきた。中に出来る限り風が吹き込まないように気をつけて、布団の元へ急いで戻る。洗った手が氷のように冷えて、本当に凍えてしまいそうだ。早く布団に。そう思って手を入れてみるものの…夢も希望も無い事に、あの短時間空けただけで布団は再び冷え切ってしまっていた。これじゃ寝ようにも寝られやしない…そう考えた翠は、ふと隣の布団で眠る妹の姿を見る。現在寒くて死にそうな姉を他所に幸せそうな間抜け面で(翠視点)眠っている。ちょっとムカっときた。そしてごそごそと動き始める…暗い闇の中、暖かい布団の中にヒヤッとした風が入ってきた。蒼はそれから逃げるように寝返りを打つ。ごそごそという音、布団が引っ張られ、何かが布団に入ってくる。そして、氷のように冷たいものが背中に触って…「ひぅ!!!!?」思わず息を吸い込むような変な声が出る。さすがにすっかり目が覚めた。外から差し込む月明かりだけが頼りのこの部屋で、慌てて姿勢を戻して隣を見ると、そこには上機嫌そうな姉の顔。何を考えたのか唐突に布団の中に入り込んできたらしい。困った顔をして見つめると、翠は静かにするようにジェスチャーをする。そして、小さな声で「寒いから入れるです」それだけ言って抱きついてきた。外にでも出てきたのかもしれない。ずいぶん体が…特に手が冷えている。そんな手を背中に回されたもので、翠は暖かいのかもしれないが蒼の方はその冷たさが結構辛い。それもしばらくすれば、段々温まってきて、翠は寝息を立てはじめたのだが…しかし、蒼の方は中々寝付けなかった。蒼は思う。一緒に寝ることなんて昔から良くあったし、このお社に来てからも、新しい布団が出来るまでは同じ布団に眠っていた。…ので、別に平気で普通なはずなんだけれど。なんでか今日に限って変な感じ。いつもだったら安らぎを感じる翠の匂いとあったかさに、なんだか落ち着かない気がする。その感覚は、別に嫌な感覚ではなくてむしろ嬉しいとか楽しいとかで…とかく落ち着かない。自分は一体、一体どうしてしまったんだろう。結局、それから空が薄明るくなる時刻まで良く眠れなかった蒼である。おかげでじっくり寝ているまもなく朝になってしまったのであった。朝、翠は明るい日の光と、少々の息苦しさで目を覚ます。大きく伸びをしながら寝ぼけ眼を無理やり開くと、目の前には蒼の頭。息苦しかったのは、多分体が抱きしめられているから。…昨晩蒼に抱きついて寝たのは覚えているのだけれど、さすがの翠も、まさか朝になったら逆に抱きしめられているとは思わなんだ。朝からのこの良くわからない状況に、翠はしばらく目を白黒させていたものの、どちらにしてもこれでは起きあがれない。仕方なく、まだ気持ち良さそうにすやすやと眠る蒼を起こすために声をかける。「…蒼!起きるです!蒼!もう朝ですよ!」「うぅ…まだ眠いよ…」…声をかけるくらいではダメそうだ。まだ寝かせてくれとばかりに、胸の辺りに顔をぐりぐりと押し付けてくる。正直かなりくすぐったい。「ひゃ!…あーもう!仕方ないです。こーなったら…」翠が、蒼の頭に手を伸ばす。そして目の前でピコピコと動いている物をつかんで…引っ張った。ぎゅーっ!「いだーーーっ!!」「とっとと起きるですよ!なんで耳生やしてるですか!美味しい夢でも見たですか!」ちなみにそれは、前に翠が耳を生やして目を覚ました時のことである。ともあれ、さすがにそれは効いたらしく、蒼はあわてて翠の体から腕を放す。チャンスとばかりに布団から飛び出る翠。しかしそこに広がる極寒地獄。床板の冷たさもあいまって、一気に体中に鳥肌が立つ。「さ…さむっ!!」慌てて布団の中に戻ろうとするものの、そのときには、既に完全に布団に包まって丸くなった蒼が、再びその中ですやすやと眠りの国へ…「っかーーーーーー!!!この馬鹿蒼!馬鹿妹!何あったかい布団独り占めしてるですか!」それはきっと論点が違う。叫ぶ翠は敷布団にひざを付いてガクガクと揺らしたが、もちろん出てくる気配は無い。唯一下からはみ出している茶色くてふさふさした何かだけが、ぽすぽすと抗議をするように布団を叩く。それを見た翠の目がきらん!と輝いた。そしてぐっとそのふさふさ…しっぽを握り締め、力いっぱい引っ張った。「~~~~~~~~~~~~~~!!!!」布団の中から声にならない叫びがあがる。手ごたえあった!翠はそのまま無理やり布団を引っぺがして、高笑いしながら…自分が包まって寝っ転がった。涙目の蒼がそれに気がついたときには既にもう完全防備体勢に入っており。「おやすみです。翠は二度寝に入るので、朝の水汲みは二人分任せたです」「え、ちょ……!」かくして、蒼受難の朝は過ぎていったのである。―――「蒼の様子が最近おかしいです」翠がそんな事を言い出したのが、それから数日がたったころ。いつも翠と居る蒼が珍しく、一人で鳥を捕まえに行く、と飛び出していってしまった後の事である。確かに、雪華綺晶も何か様子がおかしいとは思っていた。普段は落ち着いていて、何かと感情が高ぶる事の多い翠よりもあまり耳やしっぽをはみ出させる事の無い蒼が。この所頻繁にピョコピョコと覗かせている。「あの日の…水汲みを押し付けた件について怒ってるわけでもないみたいですし」一体何をやっているのか。ため息をつくと、慌てた翠が弁解する。「い、いや普段はちゃんとやってるですよ!でもあの時はあまりに寒くて布団が極楽でですね?」「それはわかりましたから。…で、どんな感じにおかしいんですの?」「うぅ…えっとですね…」この前の、干し柿を軒下に吊るした日の翌日からの蒼の様子を翠は語った。前までは全然気にせず抱きついたりくっついたりしていたのに、なんだか最近避けられる。全般的に落ち着きがない。かと思えば、じーっと翠を見ていることもある。今日の昼には、その様子があまりに気になったので、何かあったのかと問い詰めてみた所…唐突に、兎を獲って来る!と逃げてしまったのだ。「そんな感じで、ぜんっぜんわからないのです」「そうですわね…」一応、雪華綺晶には思い当たる事は無いわけではない。この時期に落ち着かない、とかいう症状には。けれど、それは…まだ子供である二人には早いんじゃないか?とか思ったりするのである。一方その頃蒼の方は、狼の姿で森の中を闇雲に走り回っていた。此処しばらくどうも調子がおかしいのは自分でも分かっていた所。しかもそれはどうやら翠に関係しているらしくて。だけれども、何故いつもと一緒であるのに嬉しかったり落ち着かなかったりするのかまでは分からなくて…問い詰められて思わず、適当な理由をつけて逃げてきてしまったのである。(ああ、もう、何なんだろ…)蒼は悩みながら走り続ける。ところで、走るということは、これで中々に気持ちの良いもの。何か悩み事などがあるときなどは特に。しばらく走り回って疲れが溜まっていくにつれて、蒼の気持ちも落ち着いてくる。あのそわそわした落ち着かない気分が、雲散霧消していくようだ。(このまま走ってたら大丈夫になるかなあ…)走り回って行く先々で、鹿が驚き、鳥が飛び立ち、兎が走り去る。それを横目に、蒼はどんどん走っていく。(あはは、なんだか気持ち良いや)河原の岩の上を跳ね、川を跳び越しさらに走る。そういえば、この先には兎がたくさん住む草地があったっけ。兎を獲ってくる、といったのだから、捕まえていった方が良いかもしれない。夕飯にするつもりで待っているかもしれないし。そう考えて向きを変え、草地の方へと向かう。走っていく途中で、たまたま兎を見つけて追いかけはじめた。ちょこまかと走る兎は中々捕まらない。徐々に山の急な登り坂へ逃げていく兎をどんどん追って行ったのだが斜面をしばらく登っていっても、兎は疲れる様子も無くスピードを上げていく。この先には狭い岩場があったはずで、そこに逃げらこまれたらさすがに捕まえる事は出来ない。岩場が段々と近づいてきた。きっと、追いつく前に兎はたどり着いてしまう。諦めかけた時、上からかけてくる白い影。それは兎が岩場に入り込む直前に割り込んで、がっちりくわえて押さえ込む。現れた白い狼は、捕まえた兎が完全に動かなくなった所で…「…ははひま」(ただいま)隻眼の瞳を蒼へと向けた。「お夕飯調達…えらいえらい」しばらくして、人の姿で岩の上に並んで座りながら、蒼は薔薇水晶に頭をなでられていた。「…でも、捕まえ方はダメダメ…」ぺちっとおでこをはたかれた。「兎は出来れば坂の上から追いかける…上り坂や入り組んだ方に行かせちゃダメ。 今はまだ、出来れば二人で捕まえるのがいい…翠は、どうしたの?」「えっと…」思わず詰まる。けれど、素直に、置いてきたと告白する。「けんかいくない…」「いや、けんかじゃないんだけど…」考え込むように、座った岩の下に生える草を眺める。話すか話すまいかしばらく悩んだ末、蒼は最近調子がおかしい事を打ち明けた。「ふむ…」「ずっと走ってたら大分落ち着いてきたんだけど、やっぱり原因がわからなくて…」ちょっとしょんぼりする蒼を、薔薇水晶は再びなでた。「大丈夫…ちょっと大人になった証拠…」「大人?」「だから、気にしないで…落ち着かなくても、嬉しいなら一緒にいるといいと思うよ?」「う、うん…」そして、ふいと視線を外して、口元だけでニヤリとわらった。「…その結果で何かあっても…若さゆえの過ちということで」「え?何?」「なんでもない。さ、戻ろう…」聞き取れなかった小さな呟きと一瞬浮かんだ面白そうな笑みの意味を図りかねて、蒼はただ首を傾げるばかりだった。―――「はつじょおき?」「ええ。」一方、お社に残った翠と雪華綺晶。結局、何か知っているなら教えてほしいと押し切られて、説明をする羽目になった。「簡単に言えば、子供を作る時期ですわ」「子供…でも、それが蒼に何の関係があるですか?」肝心な部分はとりあえずぼかして、何とか子供にも分かりやすいように噛み砕いた説明を。…これが意外と難しい。「なんて説明すればいいのか…んー…まあ、動物はこの時期になると寂しくなって、 好きな人と一緒に居たくなる…ってことかしらね。それで、色々あって子供が出来ると」「ほうほう」「要は…子供を作りやすくするための自然の摂理ですわね」「わかったです!蒼はそれで、寂しくなって落ち着かなくなったですね!」理解した、とばかりに笑って頷く翠。何か間違った理解をさせてしまったような気もするが、しかしその辺りを下手に指摘すると、さらにややこしい説明が必要になりかねない。まあ…大筋の所で間違っていないのだから問題ないだろう。雪華綺晶はこれ以上の説明を諦めた。「蒼も寂しいなら言ってくれれば良いですよ…恥ずかしがらなくても翠はいつでも一緒にいるです」機嫌がよくなった翠は、いつの間にかまたはみ出ていた耳としっぽをパタパタと揺らしながら辺りを歩きわった。雪華綺晶は、何故だかその様子に一抹の不安を感じざるをえなかったのである…―――日が傾き始める頃、蒼と、そして薔薇水晶が帰ってきた。遠くからその姿を見つけた翠が、大きく手を振って、おかえりなさい、と叫ぶ。近くまで来た所で嬉しそうに駆け寄って、蒼に抱きついた。「ど、どうしたの!?」「もー、寂しいなら寂しいって言うですよ。恥ずかしがらずにこの姉の胸にどんと来いです!」「???」顔を赤くして、混乱した顔の蒼。薔薇水晶は、その様子をちょっと面白そうに見てから通り過ぎ、捕まえてきた兎を渡すのと同時にこの状況について、雪華綺晶に質問する。「はい兎。…何があったの?」「ありがとう。…さっき、時期について翠に説明したのよ。 そうしたら、蒼の様子がおかしいのは、寂しいせいだ、って理解したみたいで…」「寂しいから…間違ってない」「そうなのですけど。多分それとは含む意味の違う寂しいだと取ったと思いますわね。あれは」翠にじゃれ付かれて目を白黒させている蒼。雪華綺晶は二人を複雑な表情で眺めた。しかし薔薇水晶は目を面白そうに輝かせて…「…さすがきらきー。良い仕事してる」と、満足げに頷く。そして、変なことを言い出した。「じゃあ…今晩は二人でお出かけしようか」「…へ?」「できれば…出かけた振りで、どこからか見守る…」「…ばらしーちゃん?」「何?」大体言いたい事が分かった雪華綺晶。本気とも冗談ともつかないその台詞に、どう反応したらいいか困りつつ、妹を止めようとする。「…いくらなんでも早いと思いますわ」「人間の年齢としてはそろそろ問題ないと思う…本当に何かあっても、子供が出来るわけじゃない」「出来なきゃ良いってものでもないと思いますわ…」「暴走は若さの特権…子供達の青い春を見守るのも親の役目…幸せ家族計画!」「…何か向こうで嫌な事でもあった?」その台詞に、語っていた薔薇水晶が一瞬止まった。そして、くるっと振り向く。「…ナニモナイヨ?」無表情に棒読みである。雪華綺晶はため息をついた。「…ともかく、却下ですわ。翠もちゃんと分かってはいないみたいですし… 蒼は優しい子だから、万が一にも無理やりにはしないとおもいますけど…」「大丈夫…きっと銀ちゃん並みに超ヘタレ。間違いない。 だからこそ、出かけた振りして影から応援を…!」何があったかなんとなく分かってしまった。さらに深いため息をもう一発。「……自分の事情を娘に押し付けない」「親とはそういうもの…」「開き直らない」ぴしゃりと却下。ぶーたれる薔薇水晶にガスッと斜め45度のチョップをかましてから、いまだじゃれている…正確に言えば翠が蒼にじゃれているのだが。ともかく、二人を呼ぶ。「そろそろ夕飯をつくり始めますよ!」「あ、はい!」「はーいです!」かくして、その日は無事過ぎるか…と思われた。しかし。夕食後、囲炉裏の周りで4人がそれぞれに食休みを取っていたときのこと。コンコン、と扉を叩く音がする。「何かしら…」雪華綺晶が立ち上がって扉へ向かう。扉を開けると、ふわりと中に白い書状が舞い落ちた。扉の外にはだれもいない。薔薇水晶がそれを拾って中身を確認すると…「…呼び出し。山向こうの原っぱの一本松…奥山の方の猪の人が倒れた件での会合だって…今から」「今から!?もう遅いのに…いえ、他の神(ヒト)たちにしてみれば普通の時間ですわね… ばらしーちゃん行く?」「…行かない。面倒。やる気無い。そもそもあそことはほとんど隣接してない…」「言うと思いましたわ。仕方がありません、行ってきますわ…ちゃんと家にいるんですよ!?」キョトンとする双子を他所に、雪華綺晶は過剰なまでに薔薇水晶に釘を刺してから出かけていった。「雪華綺晶、真面目……」呟きながら見送る薔薇水晶。気がつけば、二人が不思議そうに手元の書状を覗き込んでいる。「…読めない?」「うん…」「よめないです!」考えて見れば、文字は普段の生活であまり使わないのである。紙も筆もないし。だから、今まで双子が文字を読めないことに、親である二人もまったく気がつかなかった。「今度教える…」言った所で、コンコン、と再び扉が叩かれた。次は、蒼が立ち上がって扉を開ける。「こんばんはぁ。薔薇水晶いるぅ?」扉の外に居たのは、銀の髪に赤い瞳、黒い羽を生やした綺麗な女の人…水銀燈だった。宴会のときに改めて紹介されたのだけれど、前に蒼の命の危機を助けてくれた人、らしい。蒼は慌てて姿勢を正して挨拶する。「こ、こんばんは!薔薇水晶ならそこに…」言いながら振り向くと、ぷいす、と扉に背を向けるように奥で祭壇の方を向いて座る薔薇水晶の姿があった。「薔薇水晶、水銀燈さんが…」「や」「や、って…」「…あー、もう。ちょっと入らせてね…」困る蒼。水銀燈は、その横から頭をかきながら社に入る。そして、薔薇水晶の後ろにひざを付くと…「もう、ごめんってばぁ」「や」「ちっちゃい子が居る前で変なことできないでしょぉ?」「変じゃない。あのくらい、じょうそうきょういく」「…意味分かって言ってるぅ?」「…や」ぷいす「だからすねないでってばぁ!」そのまま繰り広げられた痴話げんかというか何と言うか。寒くなるのでとりあえず扉は閉めて、双子は並んで囲炉裏の火に当たりながら様子を見る。「…なんかすごいことになってるね…」「あれが噂に聞くちぢょーのもつれ、ってやつかもしれねぇです」「?…そう、なのかなあ…」小声で話す二人。蒼は翠の言葉にうーんとうなる。状況に困惑した顔で見守っていると…「あ!ちゅーとかしやがったですよ!」「うわ…」その辺りまで来て、ふっと周りを見た水銀燈と、双子の目が合う。「…!」やっと今の状況を思い出したのだろう。水銀燈の顔が引きつった。しかし、気づいているのか居ないのか、薔薇水晶はくっついてはなれない。そればかりか、もっと!とでも言うように唇を寄せてくる。一瞬、双子とそんな薔薇水晶を見比べた水銀燈は…「…続きは外に行きましょぉ?今夜は月がきれいよぉ」薔薇水晶を抱き上げて、逃げた。「二人とも、変なとこ見せちゃってごめんなさいねぇ…あいたぁ!」去り際にそう言って振り返った水銀燈であったが、抱きついた薔薇水晶に噛みつかれて慌てて外に出る。外で翼のはばたく音がした。社の中に取り残された翠と蒼。二人の間になんとも微妙な空気が流れている。「と、とびらちゃんと閉めてくる、よ…」蒼が立ち上がって、少し開いていた扉を閉める。ぱちぱちと薪のはぜる囲炉裏端に戻って…ちょっと迷ったあと、翠とは少し離れた位置に座った。それを見て、翠が眉根を寄せる。移動して、蒼の隣にぴったりとくっついた。「だーかーら…寂しいときには離れないでちゃんとそばに来るです!」ぷんぷんと怒る翠。そしてついでとばかりに横から抱きついた。「ほら!こっちのほうがあったかいです!」「う、うん…」赤くなる蒼と、満足げに頬ずりする翠。「そんなに恥ずかしがらなくても良いです。翠は蒼が大好きだからこうしたいです!」今回は、言った本人まで赤くなる。「へ、へんですね…翠までなんだか照れくさいです」そんな翠を見て、蒼はにっこり微笑んで「ううん、ありがとう…僕も翠が大好きだよ」そっと、抱き返した。しばらくそのまま時間が流れる。唐突に翠が立ち上がった。「そ、そろそろ布団敷いて寝るですよ!」「あ、うん、そうだね!敷こう!」寒くなってくるこの季節は、そろそろ囲炉裏端で無いと寝るのがつらい。すぐに囲炉裏の隣に布団が敷かれた。そして、それぞれの布団に入ろうという段になって…当前のように翠は蒼の方の布団に入ろうとしてくる。「ほらほら、もう少しそっち寄るです!」「またなの…?」「またとはなんですかまたとは!蒼は翠と寝るのがいやですか!」「いや、そんなことは全然無いよ!無いけど…」ないけど、なんだろう。薔薇水晶は、嬉しいなら一緒に居なさい、って言っていた。じゃあ、一緒でいいのかな…そう思いながら、蒼は布団に入り込む。「やっぱりこっちのほうがあったかいです!」「ほんとだね…」屈託無く笑う翠に、思わず蒼の顔もほころんだ。しばらくそうして笑いあったあと、翠がつと真面目な表情になる。「あのですね、翠は雪華お母さんに聞いたです。蒼が落ち着かないのはきっと、はつじょおき、 っていう時期のせいです」「はつじょおき…?」「その時期になるとみんな寂しくなって、好きな人と一緒に居たくなるらしいです。」蒼は素直に翠の説明を聞いている。「蒼が落ち着かなくなるのはきっとそれで寂しいからです。 でも、もし寂しくなっても、蒼にはちゃんと翠がいるです。 だから、絶対寂しくなんて無いですよ!」翠は断言する。そして、蒼に手を伸ばしぎゅ―っと抱きしめながら、耳元で呟いた。「それで…もし、翠が寂しくなったら…今度は蒼がぎゅーっとするですよ…?」「うん…わかった」少しだけ心細そうな翠の声に思わず蒼も手を伸ばし、二人は再び抱き合う形になる。ふわふわととても幸せな気持ちになった。その不思議な高揚感の中で、蒼はそっと翠に口付ける。ほとんど無意識の行動だった。「!!!い、今の…ちゅーです…?」「え、あ、ご、ごめ…!」翠の慌てた声で、蒼は現実に引き戻される。しかし、次の瞬間には逆に翠に唇をふさがれた。「!!!え、えっと…」「おかえしです~!」しかしすぐにそれは離され、頬を赤く染めながら、いたずらっぽい笑みを浮かべた翠の顔が見えた。嫌がられていない、ということに安心した蒼は、やはり笑いながら、そのさらにお返しとばかりに翠の顔や耳に口付けを落とし、舌を這わせていく。「きゃ、くすぐったいですぅ!」「さらにお返しだよ」その子犬同士のじゃれあいのような触れ合いは、時が経つにつれて次第にあえぎ声と嬌声に変わって行き…それも、半月が上り始め、徐々に天頂へと近づいてく頃には静かになった。翌朝。翠は明るい日の光と、少々の息苦しさで目を覚ます。大きく伸びをしながら眼を開くと、目の前には蒼の頭。少し息苦しかったのは、きっと抱きしめられているから。翠「なんかしばらく前も似たようなことがあったような気がするです…」昨日の晩はどちらとも無く寝てしまうまでずっと、くっつきあい、じゃれあっていた気がする。途中で服も邪魔になって布団の外に投げてしまった覚えもある。…そこではたと気がついた事には、今は二人とも服を着ていない。くっついている所はもれなく素肌。何故だか一気に顔が赤くなる。そしてもうひとつ気がついたのは、二人が帰ってくる前に最低限服は着ていないと、裸で何をやっていたのか問い詰められる事になるかもしれない、ということ。何をしていたのかといえば「じゃれていただけ」なのだけれど、しかし翠には、それがなんだかとても恥ずかしい事のように思えたのだ。まあ、実際にはずかしかったし…蒼が、いつもと違って何かの枷でもはずれたようにやたら積極的だったし。ともかく、このままじゃいけない。思った翠は、急いで蒼を起こそうとする。「蒼!蒼!起きるです!蒼!」しがみつく蒼を揺さぶるものの、やはり意味不明の寝言を発しておきようとしない。仕方が無い。翠はいつかのようにまた、蒼の頭でぴくぴくと動く狼の耳をぎゅーっとひっぱった「いだっ!!!」効果覿面。すぐに蒼は目を覚ます…かと思いきや「ひどいよ…耳を引っ張るなんて…痛いんだよ…?」そのまま、まだ寝ぼけているような半目の表情で、上にのしかかられた。「おしおき…」翠の頭の上にもやはりぴょっこりと生えていた耳。それがぱくっとくわえられて、なめまわされる。「やぁ、ちょっ…!蒼!やめるですぅ!」「だめ~…あんまり暴れると噛んじゃうよ…」「やっぱりねぼけてるですーーーー!もう朝です!おちつくです!」「おひふいへるっへば」(おちついてるってば)「ひゃ、くわえたまま話すなですーー!!!」その時丁度扉が開き、明るい光がさらに差し込んでくる。。「ただいまですわ。ああ、もう結局朝までかかっちゃ…って…」「!!!」「むにゃ…」固まる雪華綺晶。固まる翠。蒼は耳をくわえたまま再び力尽きて寝てしまった。しばらく無言の時が流れ、そっと閉じられた扉。「お母さん、ちょっと昼くらいまで散歩してきますわね…」離れていく足音。翠はしばらくそのまま固まっていたが、しばらくして遠くのほうから「どこにいるの!!!薔薇水晶ぉ~~~~!ぉ~~~!ぉ~~~!」と、山彦が聞こえてくるにあたって、やっと気がついて動き出す。そうだった。この寝こけた蒼をたたき起こしてせめて服位は着ないと…と、再び蒼を揺さぶり始めた時。コンコン、と扉が叩かれた。ぎくっとして翠は慌てて蒼ごと布団をかぶる。「…うぅん、まだ起きてないのかしらねぇ…入るわよぉ」声と共に、扉が開かれる音がする。寝たふりをしているので見えては居ないが声からして水銀燈だろう。「寝てる薔薇水晶を届けにきましたぁ…っと。 あら、一緒の布団で寝てるなんて仲が良いのねぇ…」その時、翠の横で蒼が身じろぎするような気配がした。そして、大きな欠伸の声と共に、冷たい風が布団の中に入ってきて…(ってちょっとまつです!)「ふぁ…あれ?水銀燈さん…?おはようございます…」ガゴッ 何か床に重いものを落としたような音が響く。「…う…銀ちゃん…痛い……あ」「…え?…わ!!!!!」冷たい空気が遮断された。布団に潜ったのかもしれない。「え、えっと、あの…これは…!」「了解…把握した…おめでとう…!」「ちがうでしょぉ!え、えっと、もしかして…昨日の私達が原因の一因だったり、するぅ?」「い、いえそれは多分…違うようなそうでもないような…」ごにょごにょとことばが尻すぼみになる。そんな蒼の赤い顔と、水銀燈の引きつった顔は、翠にもなんとなく想像できた。「…とりあえず二人とも服をきなさぁい!」「う、あ、はい!翠!翠!起きて!」「…もう起きてるですぅ」起こされてしまったので仕方なく、翠はパチッと目を開いて起き上がる。昨晩放り投げた服はすぐ横に置いてあったので、二人で慌てて着はじめる。「あ、その帯は翠のです!」「ほんとだ、ごめんこっちだ!」そして、わいわいとしてきた所で再び扉がばたん!と大きな音を立てて開かれた。「やっと見つけましたわ薔薇水晶!あ・れ・ほ・ど!家にいなさいっていいましたのに!!!」「ふ。あれは不可抗力…」「あ、いやそれはは私がぁ…!」姉妹喧嘩に発展しそうな二人のやりあいを水銀燈が慌てて止めに入る。なんとか服を着終わった双子は、そんな大人たちの様子を固唾を呑んで見守った。「若い者の青い春を…止める権利は…無い…!私も、あの子達も丸く収まって大団円…!!」「薔薇水晶は面白がっているだけでしょう!!もし問題があったらどうするつもりだったの…!!」「もぉ!だから落ち着いてってばぁ!」蒼は苦笑しながら。翠は頭を抱えながら。大人たちは朝から元気だなぁと思う。いつまでも続く二人の親達の仲が良いとも取れる言い争いに、このままここにいると巻き込まれそうな…お説教されそうな雰囲気を嗅ぎ取った双子は、どちらとも無く寄り添って手を繋いで立ち上がった。「「昼ごはんになりそうなもの捕まえてきまーす」」こえをそろえて小さく言うと、二人そろって外へ出る。雪華綺晶も薔薇水晶も気づかない。ただ、水銀燈だけが振り返って「私の分もおねがいねぇ…いってらっしゃぁい」言いつつ、疲れた表情で二人を見送ったのであった。森を走っていく二人。その距離はいつものようで、けれど少しだけいつもよりも仲むつまじく。「蒼!」「何?」「今日も一緒に寝るです!」「あはは…うん、いいよ」走りながらの二人の会話は、いつまでも、暖かく山中にひびいていましたとさ…
<おまけ>二人が兎と穴熊を捕まえて戻り、社の扉を開くと…そこには。死屍累々、といった様子の3人が、もれなく布団に突っ伏していたそうな。かたや徹夜の会合明け。かたや明け方まで色々と疲れる事をやっていた二人。多分、喧々囂々と話し合う最中にとうとう全員力尽きたものと思われた。「どうするですか…これ…」「今はこのまま休ませてあげたほうが…」そのまま夕方近くまで寝てすごした3人に、双子も昼食を作るだけ作って、食べたその後は昼寝をしていたわけで。結局全員がまともに活動を開始したのは夕方過ぎであったということだ。然らば、今回の講釈はこれまて。皆々様、お付き合いまことにありがとうございました!
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