狼禅百鬼夜行 一つ目の話 「月下狼奇話」
日暮れも近い夏の暑い日差しの中、森を歩く二人の子供。手を引き歩く子に、引かれておずおずついていく子。村から離れた深い森、何ゆえ此処に子供が居るのか。そして何処へ行こうとしているのか。「行くです!あんな村に居たって…辛いだけです!」「でも…」「双子だっていうだけで…ずっとあんな…!」ズンズンと奥へ進んでいく、姿の良く似た二人の子。髪の長い前を行く子は、ただただ前を…いつ開けるとも知らぬ森の奥だけを睨み、引かれる子は、ついて歩きながらも時折後ろを振り返る。しかし、その子が想う里は、既に視界から消えて久しかった。二人はずんずんと進んでいく。森の奥へ、奥へと。狼禅百鬼夜行 一つ目の話 「月下狼奇話」つきのしたのおおかみたちのきなるはなし小さな二人が住んでいたのは、山奥にある小さな村。耕地になる場所もあまり広くは無い、貧しい村であった。その村に、古くから伝わる言い伝え。「双子がこの村に災いをもたらす」そして、ある珍しい豊作の年に村に生まれた一組の双子は…まるでその災いを予感させるかのような、禍々しい緑と赤の目をしていた。その日から村人達は、双子とそれを生んだ両親を疎み始める。「そんな気味の悪い双子など捨ててしまえ!」そんな声が、双子の眠る家の外から何度も聞こえてきた。双子が外で遊んでいれば、村の子供達は石を投げてきた。「やーい!化け物!そんな目しやがって!お前らなんかどっかいっちまえ!」しかし、そんな村人達の声を無視して両親は二人をずっと守り、慈しみ、育てた。「僕達…居ない方がいいんだよね…生まれてこない方が、良かった?」ある日姉と共に怪我をして帰った晩、妹はつぶやいた。しかし母親は「そんなことがあるものか!お前達が生まれてきてお母さんは…凄く嬉しかったんだよ」そう、涙を流しながら妹を抱きしめた。また別の日、姉が朝もやの中、畑に出る父親の服のすそを引く。「お父さん…捨てて、いいんですよ?」「そんな事できるか!言い伝えなんて気にするんじゃない。お前達は俺のかわいい娘だ。」言いながら、姉の頭を強く撫でて、鍬を担いで歩きだす。二人は両親に守られて、そして少しずつ大きくなった。彼女達の味方は、他にも居ないわけではなかった。それは、彼女達の祖父、祖母。彼らは村長という立場上、表立って二人を可愛がる事は無かったが…しかし、困ったときには何かと一家に手を貸して、その暮らしを支えてくれた。家族は…たとえ村中から疎まれていても、それでも幸せだった。あの時までは。それは、長い梅雨も終わったと思われたある日。昨日までの長雨で、所々土がゆるくなっている、と父が話したその日の夕暮れの事。双子は、水汲みや薪割りなどの家の手伝いを終わらせた後、他の子供達から隠れるように久々の晴れの日を楽しみ、遊びまわった。しかし、夕暮れが近くなった頃、にわかに空が曇り…雨が降り始める。降り始め雨足も弱く、最初双子は大きな木の下で雨宿りすることにした。しかし、その雨は日が沈む間際になっても一向に弱くならず…むしろ強くなる一方で。このままでは完全に日が暮れてしまう、と二人は家に向かって歩き出す。段々家が近くなり、二人が走り始めた目の前で…崩れた。家の裏手の小さな崖が。…小さな、と言ってもその土の量は家を押しつぶすには十分すぎるほどで、土砂はあっという間に双子の…幸せだった小さな家を飲み込んでいった。その様子を、双子はただ呆然と眺めた。眺めているしかなかった。暫くして、轟音に村人達が集まってくる。そこから先は、双子は良く覚えていなかった。積もった土砂の中から掘り出された、両親の遺体。双子のせいだとののしる声。お前らなんか消えてしまえ!姉の前に割り込んで、誰かに殴り飛ばされた妹。その後蹴られた姉。次第に激しくなろうとした暴力は、現れた村長の声で次第に収まっていく。無抵抗で、されるがままだった双子は、そのまま捨て置かれる。皆が去った後、村長に連れられて双子は村長の家へ行った。村長の奥さんは、二人を優しく迎え入れ、風呂を炊き、飯を食べさせてくれた。そしてその翌日…まだ日も昇る前の事。妹は、突然揺り起こされる。「行くですよ…」「…どこに?」真剣な顔で小声で話す姉に、まだ寝ぼけた風情の妹が聞く。「何処でも良いです。とにかく、この村を出るです!」「え、なんで…」「この村に…これ以上居るわけにはいかないです。」「でも…何処に…」「だから何処だって良いですよ!…このままだと危ないです。きっと殺されるです…」「だって、村長が…」「だってもなにもないです!その村長にこれ以上迷惑をかけたくなかったら、とっとと来るです!」村長に迷惑、その言葉を聞いて、妹は押し黙る。姉は強引に妹を立たせると…二人は足音を殺して家を出た。朝もやの中村を駆け抜け、山へと向かう。手には何も持たずに…ただ、その身一つで山へと入っていった。…日が暮れた。暗い森の中…夏と言えど、夜にはさすがに肌寒くなる。火をおこそうにも…二人は火打石など持っていない。持っているのは、今着ている着物のみ…結局、二人はこの日一日何も食べていない。暗闇から不気味な鳴き声が聞こえてきた。遠く響くは狼の遠吠えか。空腹を抱え、その闇への恐怖と肌寒さに寄り添って、二人はその晩を過ごした。夜の月の明かりの下、何か大きな…白い生き物が近づいてきて、二人の匂いを嗅ぎまわる。寝ていたものの、ふと目を覚ましてそれに気が付いてしまった妹は…恐怖で叫びだしたいのを我慢して、必死に寝た振りをする。しかし、早く居なくなってくれ、という願いもむなしく気配は2つに増えてしまう。薄目を開けて様子を見れば、二つの影は二人の周りをぐるぐると回り、検分するかのように鼻を寄せた。横目で見たところ、姉は目を覚ましていない。良かった。少なくとも姉はこの怖い思いをしないですんでいる…どれだけの時間が経ったかわからなくなり、その恐怖に耐えられなくなりそうになった頃、やっと2つの白い影は離れていく。そして白い毛皮が夜の闇に溶け消え、完全に見えなくなってはじめて、恐怖に身を硬くしていた妹の力が抜けた。安堵と共に、再び眠りの世界へ落ちていった…翌日、目が覚めると既に日が高く上っており、隣に姉の姿はなかった。「姉さん!どこにいるの!姉さん!」昨晩あんな事があり、妹の不安が高まる。思わず姉を呼び、立ち上がって歩き回る。程なくして…「こっちです!川があるです!」茂みの向こうから声が聞こえてくる。慌ててそっちへ歩みを進めると、茂みを抜けたところで一気に視界が広がる。そこは、小さいながらも川が流れ、川原があった。そのほとりで姉が手招きをする。近寄っていくと、水がとても綺麗で…のどがとても乾いていた二人は、貪るように水を飲んだ。水ではあるが、それでも腹いっぱいになったところで、二人で川原に座り込んで空を見上げる。空は多少雲はあるものの綺麗に晴れており、そこを鳶がふわりと舞っていた。静かだ。川音や森のざわめきはあるけれど、それでも静かだ。里の暮らしの音は…何も聞こえない。一呼吸置いてから、双子はお互いを見つめて…そのまま、抱き合った。二人の目から涙があふれる。考えてみれば、両親が死んだ後二人は一度も泣いていない。むしろ、悲しみを感じている暇も無かった。その前に身の危険があった。長の屋敷に行った頃には、すでに疲れきって泣く気力すらなかった。だから…此処まで来て、二人だけになって、やっと安心できた気がした。二人は、川原で大声を上げて泣きじゃくった。しばしの時が流れ、泣き止んだ二人は、抱き合ったままでささやきあう。勢いで村を出てきてしまったけれど…これから一体どうするのか。どこか他の里にでる道をさがすのか、それともこのまま森で暮らし…いや、野垂れ死にするのか。そんな暗澹たる未来を考え、二人の表情は暗くなった。けれど、此処には二人以外誰もいない。だから、二人をののしる者も、暴力を振るう者もいない。その点においてのみ、村に居るよりもはるかに良い。姉がつぶやく。妹もそれにこくり、とうなずいた。暫く無言のまま時が流れた…ガサリ 向こう岸の茂みから音がする。二人は驚き慌てて体を離し、茂みを凝視する。現れたのは……人だった。いや、人のようなものか?その姿は、この森の中でもほとんど汚れぬ純白の着物を纏い、そして同じく純白の長い髪をなびかせた…金の瞳の、片目の女性だった。片目の上にその異様な髪と瞳の色。二人はしばしその女から目が離せなかった。「子供がこんな山の奥にいるなんて。…迷ったのですか?」そんな双子の姿を見て、女性は落ち着いた様子で静かに語りかけてくる。今だ警戒の溶けない双子は、身を寄せ合いながら首を横に振る。「そうですか…ならば、早くお家にお帰りなさい。此処は山神さまの土地ですよ」二度めの女性の言葉に、なおも首を振る。「強情な子供達ね…少し脅かしてやろうかしら」つぶやく女性の声は、川音にまぎれて子供達には届かない。しかし、二人の子供のうちの片方…髪の長いほうの子が、声を上げる「家なんてもうねぇです!」その言葉を聞き、女性は思案顔になる。「家出…ではなさそうですね。追い出された?」そのまま、浅い川を渡り、双子へと近寄ってくる。髪の長い子が警戒するようにあとじさる中、髪の短い子の方が、守るように少し前に立つ。すぐ近くまで寄ってきた女性は、二人を見下ろし、目を覗き込む。そして…にっこり微笑んだ。「…ついていらっしゃい」それだけ言うと、再び川を渡りだす。あっけにとられた双子がキョトン、としていると、茂みの手前までたどり着いた女性が振り返る。「おなかが、すいているのでしょう?早く来ないと…迷ってしまいますわよ」とたんに腹の虫が盛大に鳴る。双子は慌てて女性の後を追いかけた。二人が連れてこられたのは、古ぼけたお社。人も来ないようなこの深い森の中で、屋根に草が芽吹き花を咲かせ、森と同化しつつありながらもなんとか、そのお社は建っていた。葉っぱしか入っていない賽銭箱、色あせて既に元の色などわからない鈴の握り紐を避けて、女性は社の中へと歩を進める。「ただいま」そう声をかけると、中からは「おかえり…」と声が聞こえた。閉まった扉を開くと…中には、思ったよりも広い空間が広がっていた。部屋には小さな囲炉裏があり、布団も隅に積み上げられている。奥に見える鏡の祭られた祭壇さえ考えなければ、そこはまるで普通の家のようだった。ありえない社の中の様子に双子がぽかんとしていると、奥の鏡の方を向いていた女性が振り返る。「…いらっしゃい。小さなお客さん…」途切れ途切れの声で語る彼女の姿は…薄紫の着物を纏い、同じく少々紫がかった白い髪、そして片目で金の瞳。…そう。白い女性とそっくりだった。いや、厳密に言えば違う。その髪の色のことだけではなく、開いている目が逆なのだ。白い女性はただ閉じていただけであったが、こちらの女性は閉じた目には眼帯をつけていた。びっくりする双子の子供達。もしかすると、この二人は…「あの…もしかして、双子、なんですか?」妹の方がおずおずとそう問うた。その言葉に、囲炉裏の方へ向かっていた白い女性が近づいてくる。そして、薄紫の彼女の隣に並んで座る。確かに、見れば見るほどそっくりだった。あえて言うならば、白い女性の方が少し髪がふわっとしていることに改めて気づいたくらい。「ええ…そうですわ。あなた達も、でしょう?」にっこりと微笑む白い女性。小さな二人はお互いの手をぎゅう、と握り合う。「さ、二人とも、詳しい話は食べた後で…残り物で申し訳無いけれど、 昨日の残りのお汁を暖めたましたわ。こっちへいらっしゃい」再び立ち上がった彼女は、二人を囲炉裏の傍へ招く。おいしそうな匂いが漂い…注いだお椀と箸を渡された小さな双子は、それを飢えた勢いでかっ込んだ。「そんなに急がなくても…まだたくさん残ってる…」そんな声が聞こえたけれど、しかし二日ぶりの食事というご馳走の魅力にはかなわず、おなか一杯になるまでペースを緩めることなく二人は鍋の中身を貪った。お汁には、この時期採れる野草や山菜の他に何かの…兎だろうか。肉が入っている。双子にとっては肉はご馳走であったので、それもまた食が進む元となった。しばらくして、鍋の中身が空になる頃、やっと揃って箸を置く。ごちそうさまでした、と二人同時に手を合わせたところで、その様子に白い女性が微笑んだ。「さて、じゃあ…あなた達の話を聞かせていただけるかしら?」改めて居住まいを正す白い女性。薄紫の方は、その隣に先ほどと変わらず無表情に座るだけだ。双子はそんな二人の姿を見て、一度互いに視線を絡ませてから、ぽつぽつと語り始めた。自分達の名前…姉は翠、妹は蒼と言った。…と、生まれの事、家族の事。そして…村を出る理由になった一件のこと。双子が全てを語り終わると、辺りを静寂が支配する。聞こえてくるのはただ、薪のはぜるパチパチという音だけ。そんな中、白い女性が口を開く。「…そう…それであなた達二人は、行く場所がないのね…」そして、横に座るもう1人の女性の方へ視線を向けて。しばし見詰め合う。すると、薄紫の女性がふ、と双子の方へ向き、「なら、ここに住むといい」そんな事を言った。髪の長い双子の姉、翠はその言葉に顔を輝かせる。しかし、髪の短い妹の方…蒼は「でも…大丈夫なんですか?食べものとか。今はともかく、冬は…」心配げな顔をしてつぶやく。女性二人はその不安を吹き散らすように微笑んだ。「大丈夫。冬も食料に困る事なんて、めったにありませんわ」「秋口から準備をしておけば、春までしっかり持つ…冬も食べ物はとれる。」不思議な人たちだ。双子はそう思ったが、しかしこのままここを出ても結局どこか森の中で野垂れ死ぬだけ。生きたいと思うのであれば、此処に居るしかない。そうして、双子はこの社で暮らす事になったのだった。二人は、置いてくれる恩に報いたいとばかりによく働いた。何かしら、できる事は無いかと動き回って、薪を拾い水を汲み。二人の女性はそんな子供達に目を細めて、暮らしが楽になるよ、ありがとうと頭をなでた。そう、その二人の女性は、よくよく不思議な人であった。双子にこの森の、食べられる野草や山菜の在り処を教えるだけではなく、普通は男の仕事とされる狩りの方法…といっても簡単な罠の仕掛け方くらいだが。を、教えてくれたり。双子が森で迷った時などにふらり、と現れて道を教える事もあった。晴れた綺麗な満月の晩には、もう夜だというのにいつも、二人連れ立って散歩に出た。そして、冬になって食べ物が少なくなってくると、片方がふいとでかけて1,2日帰らず、戻ってきたときには手に、何かしら雪兎などの獲物を抱えてくる事もあった。一度などは、どうやったのか小さな鹿を捕まえてきた事すらあった。不思議に思った双子が問うと、女性達は決まって、笑いながらこう答えたものだった。「将来…二人がもう少し大きくなったら。教えて上げましょう」それから二年、三年と過ぎ、二人の背丈もだいぶん伸びた。此処での暮らしが村に居た頃よりも食糧事情という点において大分向上した、というのもあるだろう。初めて社に訪れた頃とは二人とも見違えていた。その頃に、双子の姉は、ふと疑問に思ったことを聞いてみたことがある。「此処にお社がある、って言う事は…近くに里があるですか? 歩いていてもぜんぜん見えないですけど…」それに対して答えたのは、薄紫の女性。「昔…あった。今はもう、ない」それ以上は、答えてくれなかった。また別の時、妹は、「ずっと暮らしていますけれど、お社の中で生活してしまって良いんでしょうか。 もしかして、罰当たりなんじゃあ…」対して、白い女性はこう答える。「大丈夫。此処は私達の家ですから、問題ありませんよ。」誰も咎めるものは居ないと言う事か、と適当に理解した妹は、それ以上聞かなかった。それから数日がたって…満月の日。夜になり、月が昇るといつもの様に二人は散歩へと出て行くのだろう。双子はもちろん興味を持ってそれを追ったこともあったけれど、すぐにその姿が見えなくなってしまい、今はもう追うのは諦めてしまった。だから、いつものように布団を敷いて、先に寝てしまおうと準備を始めていた。しかし、その日はどういうわけか。散歩に出るときに、双子が呼ばれたのだ。一体なんだろう。どうしたのだろう、と呼ばれた双子が外に出る。するとそこには…月の光を浴びて、幻想的に輝く二人の姿。「そろそろ、伝えても良い頃でしょう。」「驚いて逃げるもよし…本当に、私達の娘になるもよし…」その言葉と共に、二人の形が見る見る溶け消えて…別の形へと変わっていく。唖然とする二人の目の前に、現れたのは二匹の真っ白い獣の姿。いや、薄紫の女性が立っていたほうに表れた獣は、光の加減で微妙に毛皮が紫がかって見えた。どちらも片目を無くした金目の白い狼で、その大きさは普通の狼ではありえないほど大きかった。「あの時の…」妹が、呆然としながらつぶやいた。そう、確かにそれは、二人が森で一夜を明かしたときに、嗅ぎまわっていた獣だった。「気づかれていたんですね。すっかり寝ていたと思ったのに…」白い狼が、人語をしゃべる。白い女性の声だった。「狼……?」双子の姉が、驚きのあまり地面に座り込みながらつぶやく。「そう…私達は…この辺一帯を任された、山の神…のようなもの」「ええ。長い間騙すような形になってしまってごめんなさい。 最初は…此処まで情が湧くとは思って居なかったものですから…」二匹の狼はかわるがわる話す。普通であれば逃げ出したくなるような光景だった。狼というだけでも怖いのに、ありえない大きさと、その言葉を話す口。しかし、双子は驚いたものの不思議と恐怖は感じず、話を聞いた。狼達が言う所に寄れば、こうだった。三年前のあの日、こんな夜の森の中で子供が二人眠っているのを偶然見つけて驚いた。なぜなら、この辺りは子供が遊びに来るには里からあまりに遠すぎるし、子供を捨てに来るにしても、捨てた親が帰るに困るくらいに道が入り組んでいる。一体何故こんな所に…と思い、翌日人の姿になって今一度様子を見にいったところ、どうやら行き場所のない子供のよう。このまま放っておいてもきっと森の中で長くは生きられないだろう。そう考えた二人は、双子の身の上話を聞いて、ある程度ほとぼりが冷めるまでは此処で暮らさせて、少し経ったらどこかの里へ連れて行こう、と、最初は考えていた。しかし…一緒に暮らして行くうちに、段々と情が湧いてきてしまった。一月のつもりが半年になり、半年のつもりが一年になり、二年になり、とうとう今まで…と。けれど、さすがにこんなに長い間此処に引きとめては、そのうちに里の暮らし方を忘れてしまう。だから、二人が此処に着てから三年が経つこの日、全てを明かして…里に帰るか、それともずっと此処で暮らし…本当に二人の娘になるのか、決めさせようと話し合った。そして、今に至る…そこまで話した二匹の双子の狼は、声をそろえてこういった。「さあ、里に帰るか此処に残るか…翠、蒼、決めなさい」話を聞き終わった後に間髪居れず、双子の姉、翠は残りたいと宣言した。彼女には村への未練はほとんど無かった。両親は好きだったし、悪い事ばかりではなかったけれど、やはり村には嫌な思い出が多すぎた。それに比べて、此処での暮らしは楽しかった。同じ双子という事に、親近感を感じて居たし、家族として接してくれた彼女達は優しかった。何より此処には…二人に悪意を向ける人々が居ない。だから、ずっとここにいることに対しても、優しい二匹の狼と暮らす事にも抵抗は無かった。対して、双子の妹、蒼は少し悩んだ。彼女も大体のところは、姉と同じ気持ちであったが、しかし一つだけ気になって居たことがあった。それは、村に残る祖父と祖母。村長たちのことだった。彼らは親を亡くした二人に対して殴りつけた村人とは対照的に優しく接してくれた。それなのに、結局お礼の一言も言わずに村を出てきてしまったのだ。だから…此処で暮らすことに依存は無いが、ただ村長に一度きちんとお礼を言いたい…蒼は、迷いながらも狼達にそれを伝える。二匹の狼は、それを聞いて微笑んだ。「狼は、家族の絆と」「…そして礼儀を尊ぶもの」「その気持ちはとても大事なものだと思います」「別に、此処で暮らすからといって里に行っていけないわけじゃない…」「明日にでも、村を訪れると良いでしょう」「私達の娘になれば…その村までだって、すぐにたどり着く」「娘になる…?」二人がキョトンとした顔でその、不思議な言葉聞き返すと…二匹は、何も言わずに高く、低く歌うように吠え始める。遠吠えは、月夜の山中に響き渡り…そのうち遠くから、一匹、二匹と違う声がそこに加わってくる。まるで合唱するかのようにハーモニーを奏でる狼達の歌声。双子はその幻想的な響きに心を奪われたかように歌を聞き続けた。その間に頭上の輝く満ちた月から、光が降り注ぐ。その光は、まるで先ほど白い狼が現れたときのように二人を包み込んだ。それに気づかず歌声に聞き惚れる二人の形が、次第に変化していく。人の形から、四足で歩く獣の姿に…暫く後、二人の居た場所に立って居たのは、暗めの茶色の毛皮に身を包み、緑と赤の瞳を持った、二匹の仔狼の姿であった。ただ、仔狼といってもまだ顔に少しあどけなさが残る辺りが子供だというくらいで、体格的には既に普通の狼と大差の無い所まで成長している。そんな姿。2匹はとてもよく似て居たが違いもわかりやすく、片方は毛足が長くふわふわとしており、もう片方は比較的短めの毛で、すっきりした顔立ちであった。双子の姿が完全に狼に変わる頃、歌声は一際高く山々に響き渡る。聞いているうちに段々うずうずしてきた双子も、小さな声で参加しはじめて…狼達の大合唱は、そのまま月が天頂を越える頃になるまで続けられたのだった。朝。二人が目を覚ますと、そこはお社の布団の中。何かまるで夢のような体験をしたような…夢だったような。そんなぼやけた気分で起き上がる。あの白い二匹の狼や、自分達が狼に変わったと思ったのは…夢だったんだろうか。そう考えながら、二人は目をこすりながら身を起こす。そして、互いの頭の上に何か見慣れぬものを見つけ…吹きだした。あれは、夢じゃなかった。互いに手を伸ばして相手の頭上のそれをつまむ。今まで無かった所に変な感触を感じて、頭を引く。今度は相手に頭のそれをつかまれないようにしながら相手の頭上を狙う。暫くそうやって笑いながら、まるで仔犬のように布団の上で戯れて居た所で、社の扉が開かれた。「二人とも、朝ごはんですわ。遊んでないでお布団を片付けてください」言われて、二人は慌てて布団をたたんで隅に積み上げる。その後、昨晩の残り物をもう一度火にかけて朝食が準備されたのだった。朝食のさなか、蒼は今日村に向かうのか、と問われる。それに対して蒼は頷き、それを見ていた翠も、少し考えてから言う。「私も一緒についていってやるです。村の中までは入らないですが… でも、あんな所…蒼一人じゃ心配です」「ありがとう」微笑む蒼に、少し照れてそっぽを向いた。その様子を微笑ましげに見ていた二人の女性は、ならば、と二人に未だピコピコと動いているその耳のしまい方…というよりも、姿を狼から人へ、人から狼へ変えるすべを伝授した。双子は朝食の後、暫く外でその練習していたが、上手くできるようになった所で二人して飛び出していったのだった。四足は早かった。人間の姿で走るのの何倍も。昔一日歩き続けて超えた森もあっという間に走りぬけ…夕刻頃には、数年ぶりの故郷の村へとたどり着いた。高い所から見下ろす村は、田んぼは青々とした稲が覆い、畑の作物も元気そうに見えた。懐かしげにそれを見下ろす蒼に、少し顔をしかめる翠。ここで待っている、という翠を置いて、蒼は人の姿になって、村に降りていった。降りていく途中で、田畑から家へと向かう人々の姿が見える。その姿の中に、たくさんの見知った顔を見かけて…身を隠した。笑いながら隣の人と話して帰る男は、あの時翠を蹴りつけた人。帰る途中の人々に手を振る少女は、二人で遊んで居たときに、石を投げられた子。それらの人々に会わないように、蒼は隠れながら村長の家へと近づいていく。途中で、村のハズレの、小さな家のあった場所を見た。そこには、崩れたままの場所から草が伸び、木が生え、土砂崩れがあったことなどもうわからなくなっている。しかし、そこに立つ小さな墓標が4つ。蒼は、人々に見つからないように近づいていく。そして、前に立って小さく手を合わせた。風雨に晒されて汚くなってはいるが、これはきっと、村長が両親と…きっと双子のために立ててくれたものだろう。文字が読めない蒼にはそこに何が書いてあるのかはうかがい知れなかったが、だけれども、ひざを付いて座った蒼は、それに向かって再び手を合わせる。たくさんの思い出がよみがえる。父の思い出、母の思い出。それと共に、涙を流しながら手を合わせ続けた。しばらくして、涙を袖でぬぐい、蒼は立ち上がる。早く村長のうちにお礼に行こう。そして、今の…新しい家族の元に帰ろう。そう思った。父や母の思い出を思い出すと、何故だか無性に帰りたくなった。帰って、姉や二人に抱きつきたくなった。そして、蒼は人々から身を隠しながら、次第に村長の家に近づいていく。既に日は暮れ、夜の闇の帳が降り始める。それが姿を上手く隠してくれて、やっと村長の家の前へとたどり着くことができた。深呼吸してから、意を決して扉をたたく。人が居る気配はあるから、きっと出てきてくれるだろう。そう思いながら…しばらくして、足音が近づいてくる。緊張しながら、それを待つ。そして、とうとう扉が開かれて…出てきた顔は。村長ではない見慣れない、いや、ある意味見慣れた、顔だった。驚きに固まる蒼に、その人は聞いた。「誰だ?見慣れない顔だな。旅のものか?」…よかった。こちらの顔はあまり見えていないみたいだ。逃げ出したくなるのをこらえて蒼は顔を見られないように頭を下げる。「村長に昔お世話になったものです。今日はそのお礼が言いたくて参りました」下げた頭に、男の声が上から降ってきた。「今の村長は俺だが…わからんな。もしかして、先代か?」「先代?」「ああ。俺の伯父に当たる。去年の冬に、風邪をこじらせて死んじまった」ショックで思わず顔を上げる。「それって…!じゃあ、村長の奥さんは…」「その後、追っかけるように亡くなったよ。先代は息子さんも3年前にがけ崩れで亡くしちまったから 跡取りもいなくてな。それで俺が村長を継いだんだ」「そんな…!」涙があふれた。慌てて袖でぬぐうと、焦ったような男の声。「お、おい泣くなよ。人間いつかは死ぬもんだ。先代だってもう歳だったんだからよ…」そして、手ぬぐいが差し出される。それに気づいて顔を上げた時…目が、合った。「お前…その目…」気づかれた!慌ててきびすを返して走り出す。「おい!待て!」後ろから男の怒声が聞こえた。無視してとにかく走って、村の外へと向かおうとする。ショックで一杯だった。あの優しかった…おじいさんとおばあさんがもう亡くなっていたなんて。「何があったんだ!?」「あの…3年前にがけ崩れ起こしたあの双子の片割れが…!」「あいつ、生きてやがったのか!」「気味が悪いわ。また何か…」「もしかしたら、昨日の薄気味悪い狼共の遠吠えも奴らのせいかも知れんぞ!」「また悪い事が起こる前に、とっつかまえて殺しちまえ!」逃げる後ろからそんな声が聞こえてきた。慌てて走りながら後ろを振り向くと、村人達のたくさんの提灯が見える。人々の声が聞こえたのか、進む先にある家からも人が出てきたみたいだった。まずい、このままじゃつかまってしまう!慌てて方向を変えて、田んぼのあぜ道の上を走る。昨日の晩から大分夜目が聞くようになった事は、先ほどから気が付いていたけれど、しかしさすがにこの暗い中で狭いあぜ道を走るのはきつい。いつ足を踏み外すかと戦々恐々としながら走り抜ける。「田んぼの方に逃げたぞ!追え!」「足跡がこっちに続いてる!向こうに回れ!」そんな声が、向かう先から聞こえた。まずい!そう思って、向こうにたどり着く前に横道が無いか、地面を見る。が、それがまずかった。とたんに足を滑らせ、田んぼの中に滑り落ちる。「うわっ!」思わず叫び声を上げたのと同時にばしゃん!と大きな音が立った。その声と音に人々が集まってくる。「いたぞ!田んぼの中だ!」「捕まえろ!」蒼は少し痛む足を引きずって立ち上がり、踏んでしまう青々と茂った稲たちに心の中で謝りながら、泥の中を走り抜けた。着物も体ももう、泥だらけで、それでもまだ小さな希望にかけて走る。頭の隅で思う。わがままを言って村に来たりなんてしなければよかった。既に今走っている先にも人々の姿がある。自分はきっと此処でつかまって、殺されてしまうんだろう。そんな事になったら、姉さん…翠は一体どんな顔をするだろう。あんな村になんて戻らなければ良かったのに、そう言いながら、泣いてくれるだろうか。自分を「娘」だと言ってくれた二人はどうだろう。悲しんでくれるだろうか。破れかぶれで勢いをつけて、人の群れの中に突っ込む。無理矢理に走り抜けようとしたが、四方八方から伸びてきた手に…取り押さえられた。そして、そのまま四方から棒や足で蹴られ、打ち据えられる。せめて体を丸めたが、それでも全身が痛い。人々の怒声が聞こえた。この不気味な目をした化け物め!先代の息子と嫁を殺しやがって!ほとぼりが冷めたと思って、また村に悪さをしに来たのか!育ててもらった恩を忘れたのか!化け物!化け物!化け物!…自分は、村の人々の中で、大好きな父と母を殺した化け物だった。段々意識が遠くなっていく。死んでしまうのか…これが最後なのか…翠…そして、蒼が意識を失う直前にかすかに聞こえたのは…眼下に見えるは故郷の村の姿。お人よしの双子の妹が、村長の爺と婆に挨拶に行ってからしばらくになる。狼の姿のまま見下ろす村は、紅く鮮やかに光る夕日の中で、それに負けない紅い姿を晒していた。それを寝転がりながら眺めていると、嫌な記憶がたくさん浮かんだ。それらの記憶は思い出すたびに優しかった父や母の記憶の上に泥を塗りこめるように広がっていく。翠は思う。私の故郷はこの村なんかじゃない。あの小さな家だけだ。その家だって今は無い。少し遠くに見えるのは、家が埋まった時のまま、上に草木が生えた土地。あの日の記憶を思い出して、狼の目に涙が流れた。前足で拭おうとして上手く行かず、そのままふてくされたように頭を振って、再び寝転がる。この場所に居るだけで辛くなる。けれど妹はまだ帰らない。仕方が無い。少し眠って待つことにしようか…翠はしばしの間、目を閉じた。騒がしさに、目を覚ます。気が付けば、日はとっぷりとくれて暗い。そんな中、村のあちこちから提灯の明かりが動き村の田んぼの辺りを囲んでいる。聞こえてくる声はなにやら村人達の怒声であり…耳を澄ますと、その中に双子の方割れが、という言葉が確かに聞こえた。翠は慌てて立ち上がる。「蒼、なにやってるですか…!」きっとあの間抜けな妹が、村人達に見つかってしまったに違いない。もしもつかまったりしたら、あの様子ではそれこそ命が危ないだろう。翠は慌てて村への道を駆け下りる。その間にも、人々のかざす提灯の灯りが次第に動き始めて、田んぼの回りを覆っていくのが見えた。きっとあそこに蒼がいる!人の足より何倍も早いとは言え、それでも遅さに腹が立つ。灯りが、次第に一つに集まっていく。「おーい!捕まえたぞ!!」そんな声が聞こえてきた。翠はさらに加速して、妹の元へ駆けていく。あの人数、一人ではきっとどうにもならないだろう。何とかして助けるには…そこで、浮かんだのは昨晩の遠吠え。あの声は、山々を越えて響き渡った。そして答えた仲間の声。翠は走りながら、吠えた。出来るだけ遠く、遠くに響くように。山の向こうの「家族」に届くように。もちろん、走りながらだったから、長くは続けられないし、何度かは失敗して咳き込むだけに終わった。それでも吠える。伝えたい言葉を載せて、吠える。タ ス ケ テ ! !そのあまりの剣幕と勢いに、人々が驚いて道を開けた。進む先に見えたのは、ぐったりとして動かない妹の姿。それを引きずっていこうとしていた人間の腕に、勢いをつけて齧り付く。「ぎゃあ!」悲鳴が上がり、地面に落とされる妹の体。こんな腕、噛み千切ってやりたかったが力が足りない。噛み裂かれて血まみれになった腕を放してやると、腰を抜かした人間が慌ててあとじさる。翠はそれを威嚇しながら、守るように妹の体の上に立つ。驚く村人達が、周りを囲んでゆく。これだけの人数…人の姿の妹を運びながらでは抜け出せない!遠巻きに囲んだ村人達は…「なんだこの犬…!噛み付きやがって!」「犬にしちゃちょい大きいな。こりゃ狼か」「化け物守ってやがる。仲間かよ!?」「もう!本当に気持ちが悪い!狼なんて!」「でもよ、狼なんて数居なけりゃあただの犬だぜ。こいつも村に悪い事を持ち込むのなら…」周囲の殺気が膨れ上がった。翠はそれに負けないようにできる限り怖い声を出して、先ほどの男の血がまだ乾かない歯をがちがちと噛み鳴らしながら威嚇する。しかし、武器を持った人々の輪は次第に狭まってゆき…とうとう翠に向けて、一人の男の振り上げた鍬が叩きつけられる…その時!唐突に、山の上から一陣の大きな風が吹いた。その風に押されて、バランスを崩した男の鍬は、翠の上をを通り越した地面にあたってそこを掘り返す。人々が驚いて空を見上げると、いつの間にか空を覆っていた黒雲が、稲光を発している。そして、さらに強く風が吹き始めて…その中に、確かに聞こえる狼達の遠吠え。突然の状況に、人々がパニックに陥る。ある人は家へと逃げ帰り、ある人は驚くあまりに腰を抜かし。山神さまの怒りじゃ…!と念仏を唱え始めるものまで現れた。風はさらに強くなり、とうとう、すさまじい雷光と共に、田の脇に生えた松の木に雷が落ちた。残った人々は逃げ惑い、天に向かって許しを乞う…そんな状況で、呆然としていた翠がふと気が付くと、横に立つのは白い姿。「さ、今のうちに戻りましょうか…薔薇ちゃんが、お友達の天狗の方と一緒に暴れているうちに」微笑みながら、白い彼女は動かない蒼を抱き上げる。薔薇ちゃん。たまに聞くその名前は、あの薄紫の彼女のことだ。抱き上げられた蒼を心配げに見上げた翠に、白い彼女は大丈夫よ、と強く微笑んでみせた。「たかだか人間に少し殴られたくらいでは…私達は死んだりなんてしませんわ」そして、立ち上がる。空に向かって何事か彼女が吠えると、ふわっと体が浮き…そのまま、三人は空を飛んだ。あれよあれよという間に、村が遠ざかる。数分ほどで、短い空の旅は終わり…三人が立って居たのは、我が家である社の前。元は境内であったのであろう、枯葉と茂る雑草に埋もれた場所。蒼は、社についてすぐに泥だらけの体をお湯につけた手ぬぐいで綺麗に拭かれ、傷口には布を巻いて止血されて、そのまま布団に寝かされた。翠は人の姿に戻ってそれらの作業を手伝った後は…ただ、眠る蒼を心配げに見守るしかなかった。暖かい囲炉裏の傍に寝かされた彼女は、失血で多少青ざめていたけれど、呼吸は、たどり着いた当初に比べればだいぶしっかりしてきていた。此処までの間に、白い彼女はてきぱきと動き回り…しばらくは帰ってきた薔薇ちゃん、こと薄紫の女性と、それについて来たもう一人の人物と一緒に話して居たのだが、翠はそれにまったく気づく様子もなく、ただただ蒼を見守り続けた。それから、三日の時が過ぎ…目が、覚める。そこは、見慣れた社の中。眠る前の記憶がおぼつかない。確か、自分は村で………「生きて、たんだ…」蒼はつぶやく。横を見ると、布団の上に倒れこんで眠る翠の姿。外を見ればすでに明るい。昼頃なのだろう。体を動かして眠る翠にも布団をかけようとするが、「いっ…」…体が痛い。まだ、あまり動かさない方が良さそうだ。その声で、翠の体がピクリと動く。目をこすりながら起き上がり…目をあけた蒼の顔を見る。翠の顔が、喜びに大きくゆがんで…そのまま、抱きついた。がばぁ!「いだだだだだだっ!!」「蒼!蒼!蒼…っ!!」全身を走る痛みに悲鳴を上げる蒼であったが、翠はそんな事はまったく気にしていないらしい。とにかく、喜びに任せてがむしゃらに抱きつく。そんな声が外に聞こえたのか、白と薄紫の二人が中へと入ってくる。「三日も寝て居たのに、元気…」「ちが…!あ、う、た、たすけ…て…いたたたた!」「ほら、翠ちゃんも、放して上げなさい。それ以上力をこめたら傷に障りますわ。」たしなめられるものの、この状況ではもうとっくに障っていそうである。しぶしぶと体を離した翠。それと共に、蒼にはお椀が手渡された。「ほら、おかゆ…丁度お米が手に入りましたの。三日も何も食べていなかったのですから、 あまり入らないかもしれないけれど…食べないと怪我も治りませんわ」この山の暮らしでは珍しい米。昔は普通に食べて居たのに、今では肉に変わってご馳走になってしまったそれを、蒼は覗き込む。少し口に入れてみて…美味しかった。少し懐かしい味がした、かもしれない。微笑むと、横に座った翠もつられたように微笑んだ。「なんだろ…生きてる、って感じが…いますごくしてる」三人に見守られて、蒼が少しずつおかゆを食べながらそんな事をつぶやくと「当たり前です!蒼は死んだりなんてしないです!」なぜか涙ぐみながら翠が言う。そんな翠に少しだけ体をくっつけてから、「あと、助けて…くれたんだよね。みんな、ありがとう…本当に、ごめんなさい」罪悪感と、少しの恥ずかしさから上目遣いになってしまったけれど、蒼はなんとか言葉をしぼりだす。今回の件は、明らかに自分が悪いのだ。自分勝手な、お礼を言いたいという気持ちで、昔自分が迫害されていた村へ忍び込み…挙句、見つかって殺されそうになった自分を…三人がきっと助けてくれたのだ。怒られたって仕方が無い。そう思う。しかし、大人の二人は怒る様子もなく…「いいえ…あなたが無事でよかったですわ」「…大丈夫。気にしてない」ただそう言っただけ。そして、翠は…「もう、あんな危険なこと、しちゃだめですよ…?心配…したですよ…!!」そう言って、泣き出してしまった。食べ終わったお椀を横に置いて、慌ててなだめる。「ごめん…ごめんってば。もうしない…もうしないよ!」翠の背中をなでる蒼に、残る二人は声をかけた。「これに懲りたら、もう無茶をしてはいけませんよ。翠ちゃんがまた泣いてしまいますわ」「愛とは……泣かせない事と見つけたり!」…後の方の発言は良くわからなかったが、蒼は前の方についてはもっともだ、と思った。その後、外で何をやっているのか再び出て行った二人に、残された蒼と翠。蒼は、泣きじゃくる翠の背中をさすりながら、家族の暖かさ、とでも言うのだろうか。そんな気持ちを確かに、味わっていた…この後、翠をなだめるために、蒼が様々な手を尽くしたのは、それはまた別の話。かくして山の神に二人の娘が出来たというお話はこれでおしまい。そうそう、狼の精達と天狗にさんざっぱら脅された村がその後どうなったのかというと…今では狼を祭る立派なお社を建てて、毎年米や酒、獣や鳥、川魚を奉納している。そしてその後も村でたまに生まれた双子は…もう昔のように迫害される事もなく、二人揃って神社の巫女になるよう決められたそうな…といったところで、このお話は今度こそ本当におしまい。どっとはらい。
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。