いちご日和 七月
◆1「あじぃですぅ……」ミーンミーン、もしくはジジジジ。ツクツクボーシ! なんてのもあります。長い歳月を経て地上に出てきたセミたちが、伴侶を探していそがしく鳴きはじめました。七月。いよいよ町も夏本番です。緑色のロングスカートに茶色のロングヘアー。いかにも暑苦しそうな格好をした少女が、ぐでぇ、と床に寝っ転がっています。というより、へばっています。「今日も真夏日ならしいね……」緑色の少女の隣に行儀よく正座している少女が、うんざりとした表情であいづちを打ちました。ショートカットに半ズボンと、こちらはボーイッシュな雰囲気。ロングスカートの少女はのろのろ、と死にかけのアリのように起き上がると、ちゃぶ台の上のリモコンを手に取ります。エアコンの冷房設定温度は、地球にやさしい28度。「どーも最近の地球は調子が狂ってやがるです……エアコンの温度下げるですよ」「おい」ピッピッ。冷房の温度を下げた少女に、声がかかります。「何ですかぁ、ジュン? かわいいかわいい翠星石は今日は元気ないです…… とりあえず、エアコンの温度下げるですよ」ピッピッ。「ここ、僕の部屋。エアコンの温度、勝手に調節、ヨクナイ。オーケー?」「よく聞こえんかったです……それよりも、エアコンの温度下げるですよ」ピッピッ。回転いすに腰かけているジュンこと桜田くんが、少女の手からリモコンを奪い取り、コツン、と頭を小突きました。「あだ! 何するですか、ジュン!」「いい加減にしなさい」半ズボンの女の子が、慌てて頭を下げます。「ご、ごめんなさい、ジュンお兄ちゃん」「いいんだよ、蒼星石。お前は悪くないんだから、謝らなくても」「でも……」それでも申し訳なさそうな表情をしている少女――蒼星石ちゃん――の頭に、桜田くんは手を伸ばします。自分も小突かれるのか。そう思ったのか、びくり、と一瞬震えた蒼星石ちゃんでしたが、その心配は杞憂に終わりました。なでなで。桜田くんは、こげ茶色の髪の毛を優しくなでます。「いいから気にするなって。悪いのは翠星石の方だから」「う、うん」蒼星石ちゃんは恥ずかしそうに頭をなでられながらも、どこかうれしそうな顔。それを見ていた先ほどの長髪の少女――翠星石ちゃん――が、不満げな声をあげます。「うう……ジュン!」「なんだよ」蒼星石ちゃんのときとはうってかわって、ぶっきらぼうな声で桜田くんが返事をします。「おめー、なんだか蒼星石には甘くないですか!?」「そりゃあ、蒼星石はどこかの性悪とちがっていい子だからなぁ」わかりやすい嫌味を言った桜田くんに、翠星石ちゃんは純真無垢な赤ちゃんのように目をくりくりさせます。彼女の本性を知らない人には、純粋で心優しい少女に見えることでしょう。本性を知らない人には。「誰のことですぅ? そんな性格の悪いやつなんてぇ?」「お前のことだよ」桜田くんには当然のごとく通用しませんでした。
◆2「大体、なんで僕の部屋にわざわざ来たんだ? この暑いのに」エアコンの温度を地球にやさしく設定し直した桜田くんが、今度はベッドの上にぐでぇ、と寝っ転がっている翠星石ちゃんと、端にちょこん、と腰かけている蒼星石ちゃんに尋ねます。「あ、それはね……」ぼふん。口を開きかけた蒼星石ちゃんの言葉は、翠星石ちゃんがベッドに勢いよく両手を叩きつけた音にかき消されました。「す、翠星石、綿ぼこりが出るからやめてよ」「おじじの野郎、『夏は暑いのが普通じゃ』とか言って家にクーラーをつけねえんです!」蒼星石ちゃんの抗議も耳に入らないのか、苛立ちを隠そうともせず翠星石ちゃんがきーきーと叫びます。といっても、もともと苛立ちを隠すような性格でもないのですが。「へえ、柴崎さん家ってクーラー無いんだ?」「っていうかエアコン自体無いんです! おかげで夏暑く冬寒い格安物件のような環境ですよ!!」騒ぐだけ騒いで再びぐでぇ、とベッドに倒れこんだ翠星石ちゃんの横で、蒼星石ちゃんがふぅ、と息を吐きます。「こう暑い日が続くとさすがに耐えられないよね……」「なるほど、それでここに避難してきたってわけか」納得した顔の桜田くんに、ベッドの上の翠星石ちゃんがニヤリ、と小生意気な笑みを向けます。「感謝するですよ! こーんなに可愛い女の子が二人も来てやってるんですから!」対する桜田くんは、はん、と鼻で笑います。「ガキにゃ興味ないよ」きーっ! と今にも怒りださんばかりに、翠星石ちゃんの顔が赤くなりました。というかもう怒っています。「ガキじゃねえです! 今年から中学生ですよ!」「へっ、そうやってすぐムキになるのはガキの証拠だな」「くぅー……! ム・カ・ツ・クですぅ!!」「ふ、二人ともやめなよ……」間に挟まれてオロオロする蒼星石ちゃん。桜田くんがやれやれと言った調子で椅子にもたれました。「ま、蒼星石が言うなら仕方ないな。翠星石、停戦だ停戦」***停戦協定を結んでしばらく静かになった部屋でしたが、その静寂はすぐ破られました。破ったのはやっぱり、翠星石ちゃんです。「お、おいジュン! この野郎! です!」「もうちょっとまともに人を呼べないのかお前は」見ると、再び顔を赤らめている翠星石ちゃん。でも、今度は怒りによるものというよりも、恥ずかしさからくるものといった感じです。両手の人差し指を胸の前でくっつけてもじもじしている様子は、一部の人達なら「萌えー!」と叫び出しそうな破壊力でしょう。「そ、蒼星石だけじゃなくて、翠星石の頭もなでなでさせてやってもいいですよ?」めずらしく遠慮がちに、でもわずかな期待をこめた声。桜田くんは少しの間翠星石ちゃんをぼけーっと眺めていましたが、ガタリ、と椅子から立ち上がりました。「ふーん……じゃあ、お言葉に甘えて」一瞬、明らかに翠星石ちゃんがうれしそうな顔になりましたが、すぐにつん、とした表情に戻ります。隣の蒼星石ちゃんは、そんな双子の姉に苦笑い。ぽん。桜田くんの手が、ヘッドドレスを外した翠星石ちゃんの頭の上にやさしく置かれます。と、思いきや。わしゃわしゃ。床屋さんのシャンプーよろしく、桜田くんは乱暴に翠星石ちゃんの頭をかき回しだしました。「え、ちょっと、そんなにグシャグシャかき回すなです!」「なでろって言いだしたのはそっちだろ?」わしゃわしゃ。抵抗する翠星石ちゃんをおさえつけて、桜田くんは容赦なく彼女の髪をぐしゃぐしゃにします。その顔は若干、というよりかなり面白がっている様子。「ああ! 翠星石のキレイな髪が台無しになるですぅ!!」「うりうり」わしゃわしゃ。本当に大学生と中学生なのかなぁ、この二人。目の前の子どものケンカのようなやり取りに、蒼星石ちゃんはそっとため息をつきました。
◆3「うう……疲れたですぅ……あじぃですぅ……」「お前が暴れるからだろ……でも暑いなぁ……」ぐでぇ、と翠星石ちゃんはまたもや床に寝っ転がっていました。違うのは、今度はその隣に桜田くんも寝っ転がっていることと、彼女の長い茶髪がちんちくりんになっていること。ゆるく冷房が効いてるとはいえ、やっぱり夏。散々暴れた二人は、暑さにやられてしまったようです。「まったく……ジュンお兄ちゃんまで一緒になって、何やってるの」実に的を射た蒼星石ちゃんの発言に、うぐ、とうめき声をあげる桜田くん。追い打ちをかけるように、翠星石ちゃんが寝そべったまま、ぷんすかと怒ります。「そもそもジュンが頭ぐしゃぐしゃにするからですよ……スカポンタン」「いいんじゃないか? その方が似合ってるぞ……」寝っ転がったままやる気無く返事をした桜田くんに、がばっ、と翠星石ちゃんが勢いよく起き上がりました。早くも彼女の元気は充電されたようです。「髪は女の命ですよ! それをぐしゃぐしゃにするような不届き者は、罰としてアイス買ってくるべきです!」「いや翠星石、それはなんかおかしいよ」蒼星石ちゃんのツッコミに、むう、と黙った翠星石ちゃんでしたが、「アイスか……確かに食べたいな」桜田くんの発言に再び元気を取り戻しました。目をきらきらと輝かせて、ぴょこん、と飛びはねます。「おお、たまには話がわかるやつです! じゃあ、さっさと……」買ってくるです。言い切る前に桜田くんが体を起こしました。「でも、僕がパシらされるのはおかしいだろ。ここはやっぱ……」***ちゃぶ台を囲んで、三人が真剣な顔をしています。「いいか? 恨みっこなしの一発勝負だぞ」「う、うん」「おうよ! です!」桜田くんの言葉に、二人がそれぞれ返事をします。そして。「最初はグー! ジャンケンポン!!」戦いの火ぶたが切って落とされました。
◆4ジリジリ。アスファルトから立ち上がる熱気と、激しい直射日光に挟まれて、道行く人は暑さのサンドイッチ状態。「ちくしょう……結局僕かよ」自転車をキコキコと漕ぐ桜田くんの背中も、ものの数分で汗がどっと噴き出してきました。「しかしほんとにあっついな……これも温暖化とやらの影響か?」ひとりごちている間にお目当てのコンビニが見えてきました。今日は休日だからか、大学生や子どもたちが涼みに集まってきているようです。(ヒマなやつらだなぁ)自分もその一員である、ということは忘れている桜田くんでした。***ピンポンピンポーン。コンビニに入るときおなじみの音がなって、心地よい冷気が桜田くんを包みます。「いらっしゃいませー」アイスを入れてある冷凍庫は、入口のすぐそば、雑誌コーナーの横にありました。(さてと……翠星石は爽のバニラで、蒼星石は……一番安いのでいいって言ってたな)こんなときでも遠慮をする蒼星石ちゃんに、桜田くんは内心苦笑いを浮かべます。この中で一番安いのは……ガリガリくんですが。(……まあ、チョコレートのにしとくか)記憶が正しければ、蒼星石はチョコレート味のアイスが好きだったはず。そう思った桜田くんは、冷凍庫から二つのアイスを取りだしました。なんだかんだで面倒見のいい彼です。後は自分。どれでもいいや、そう思って冷凍庫に目をやった桜田くんに、一つのアイスが目にとまります。爽のいちご。初めて見る味です。いちご、でとある少女を思い出した桜田くんは、なんとはなしにそれを取りレジへと向かいました。ピッ、ピッ。うつむきかげんのレジの女性がバーコードを読みとっている間に、財布を引っ張り出します。小銭あったかなぁ。「三点でお会計、363円になります……?」「……無いや。えっと、すいません、千円で……って!! 柏葉!?」顔をあげた先の店員さんは、見覚えのある泣きボクロの女の子。思わず大声を出した桜田くんに、店内の視線が集まります。顔を赤くする桜田くん。目の前の女の子――柏葉巴ちゃん――は、そんな彼に静かに微笑みました。「桜田くん。メガネ外してるから気付かなかったわ。……髪、染めたの?」「あ、まあ……メガネもコンタクトに変えたんだ」「へえ。大学デビュー……ってやつ?」「そそ、そんなんじゃないよ」慌てて否定する桜田くんを見て、巴ちゃんはくすりと笑います。中学のころから変わらない、彼女のショートヘアーがわずかにゆらぎました。「でも、久しぶりだね。高校卒業以来かな?」「ああ、そんくらい……柏葉、ここでバイトしてたんだ」思わぬ再会に、桜田くんは少しばかり声がうわずっているのを感じます。「うん。大学から近いし、ね」「有栖川女子大だっけ? 名門だな」「そんな……桜田くんこそ、どうしたの? ずいぶんアイス買い込むんだね」「え? ああ、うちにチビ共が来てて。そのパシリ」懐かしむような笑顔で、巴ちゃんは桜田くんを見ました。「ふふ……相変わらずなつかれてるのね」「さあ、どうだか……っておい柏葉」「なに?」桜田くんが、親指で背後を指差しながらひそひそ声で言います。「いつの間にか僕の後ろに長蛇の列が」「! う、うわあ! え、ええっと、千円からお預かりしまして、お釣り637円になります! ありがとうございました!」「うん、じゃあ」長い付き合いだけど、慌てる柏葉なんて初めて見たな。そんなことを思いながら出口に向かう桜田くんを、巴ちゃんが呼び止めました。「あ、桜田くん!」「ん?」「私、火曜日と日曜日のこの時間帯のシフトだから……また来てね?」「……へ?」桜田くんが間の抜けた返答をしたときには、巴ちゃんはもう次のお客の清算に取りかかっていました。「いらっしゃいませ、二点で465円になります」***むわあ。外に出ると同時に熱気が桜田くんを襲います。(…………)ですが。(さっきの柏葉のセリフは……地味にフラグが立っていると解釈していいんだろうか)暑さよりもそちらの方が気になる桜田くんでした。
◆5「おかえりなさい、ジュンお兄ちゃん。おつかれさま」「アイスー、いらっしゃいですぅ♪」双子なのになぜこうも性格が違うのか。いや、むしろ双子だからなのでしょうか。見る者を癒す笑顔で出迎えてくれた蒼星石ちゃんと、傍らにジュン無きがごとし、まさに傍若無ジュンな翠星石ちゃん。「アイス♪ アイス♪ アイスですぅ♪」「さっきまでへばってたやつとは思えない元気だな」謎の歌を歌っている翠星石ちゃんに、靴を脱ぎながら桜田くんがツッコミを入れます。「アイスには翠星石を元気にする不思議な魔力がこめられているんです! それよりもジュン、早くアイスよこせですぅ!」「はいよ、この袋の中にあるから勝手にとって食べな」ガサリ、ちゃぶ台の上に置かれたビニール袋を双子がのぞきこみます。「爽のバニラはいただくです!」「僕は……このチョコのにしようかな」蒼星石ちゃんが、かすかにうれしそうな顔をしたのを桜田くんは見逃しませんでした。やっぱりあれにして正解だったかな。「んじゃ、爽のいちごはもらうぞ」それぞれスプーンを手に持って。「いただきます!」三人分の声が見事にハモりました。***「がつがつむしゃむしゃ」小さい体のどこにそんなパワーがあるのか。まだ固いアイスに木のスプーンをザクザクと突き刺しながら、翠星石ちゃんはすさまじいペースで平らげていきます。「す、翠星石、そんなに慌てて食べると……」蒼星石ちゃんが注意しますが。「くぅうううううう、頭がキーンってするですぅ!」時すでに遅し。翠星石ちゃんが痛そうにこめかみを押さえます。「ほら……」あきれたように言う蒼星石ちゃんに、ビッ! という勢いで翠星石ちゃんは人差し指を突きつけました。「蒼星石はわかってないですねぇ! これこそがアイスの醍醐味ってやつですよ!」「え……っと、そうなの?」「ふっふっふ……これがわからないとは、まだまだ半人前ですね!」「わけわからん……」目の前の少女は放っておくことにして、桜田くんもいちご味の爽を一口、口に運びました。「お、いちご味って初めて食べたけど結構いけるな」「…………」そんな桜田くんをじーっと見つめる翠星石ちゃん。目がぎらり、と光ったのは気のせい……でしょうか。「ジュン、ジュン」「ん?」呼ばれてこちらを見た桜田くんに、翠星石ちゃんはすでに半分以上食べている自分のアイスを見せます。「翠星石は爽のバニラを食べてるです」「見りゃわかる」翠星石ちゃんは今度は、手に持ったスプーンで桜田くんのアイスを指しました。「それで、ジュンは爽のいちごを食べてるです」「ああ」そこで翠星石ちゃんはひょい、と首をかしげて思案顔をしてみせます。「これはひょっとすると、二つの爽の味を両方味わえるチャンスなんじゃないですかねぇ?」しばらく黙っていた桜田くんでしたが、やがて口を開きました。「それはそういう意味か?」「そういう意味ですぅ」「仕方ないなぁ……一口だけだぞ」スッ。桜田くんが自分のアイスを翠星石ちゃんに渡します。「合点しょうちですぅ♪」笑顔で受け取った翠星石ちゃん。……ですが、つぎの瞬間。バクリ。「な゛っ!! こいつ、一口で三分の一以上食いやがった!!」ぎょっとした声をあげた桜田くんに、もごもごと口を動かしながら翠星石ちゃんが答えます。「ひとくひはひとくひでふぅ」「『一口は一口ですぅ』って言ってるみたいだよ、ジュンお兄ちゃん」「いや蒼星石、律儀に訳さなくていいから! っていうかこんにゃろ! おしおきしてやる!!」ごっくん。アイスを飲み込むと同時に、ロングスカートを着ているとは思えない身のこなしで翠星石ちゃんが逃げ出します。「だまされるほうが悪いんですぅ! しょせんこの世は弱肉強食、渡る世間は鬼ばかりです!!」「待たんかこらっ!!」ドタドタドタ。外に飛び出した翠星石ちゃんを追って、桜田くんも外に出て行きました。しばらくの間はぎゃーぎゃーと騒ぐ二人の声が聞こえましたが、やがてそれも聞こえなくなります。「……二人とも行っちゃったよ。まったくどっちも子どもなんだから……」残された蒼星石ちゃんはぶつぶつと言いながらも、開けっぱなしにされたドアをきちんと閉めておきます。ちゃぶ台の上には、食べかけの爽が二つ。「……アイス……このままじゃ溶けちゃうよね」すでに自分のアイスは食べ終えた蒼星石ちゃんが、つぶやきます。「うん、それはもったいないな。もったいないから……僕が食べておこう」そっと、爽のバニラを口に運びます。甘くておいしいな。「これは決して食べたくて食べてるわけじゃないんだ。もったいないからだからね」誰もいないのになんだか言い訳がましいセリフを言いながら、どんどんスプーンをすすめる蒼星石ちゃん。あっという間に爽のバニラ味を食べ終え、いちご味に手を伸ばそうとしたそのとき。(ピンポーン)「あれ? 誰か来たのかな?」チャイムが鳴りました。
◆6「……で、二人そろって出ていったわけ?」「うん」蒼星石ちゃんから事の成り行きを聞いた真紅ちゃんが、深いため息をつきます。「あきれたこと。まったく、あの二人が私より年上だなんて信じられないのだわ」むしろ真紅が11歳とは思えないよ、という言葉は胸の内にしまって、蒼星石ちゃんは苦笑いを浮かべました。「まぁ……ジュンお兄ちゃんは普段は冷静なんだけど、翠星石相手だと結構ムキになるから」傍らで桜田くんの残して行った爽のいちご味を食べていた雛苺ちゃんが、あふれんばかりの笑顔を向けます。「蒼星石ー! このいちごのアイス、とってもおいしいの!」「ふふ、よかったね」とことこ。真紅ちゃんが台所に行き、あたりを見回しました。「お茶を飲みたいのだけど……ジュンがいないと紅茶がどこにあるのかわからないわ」「夏でも冬でもカップで紅茶だよね、真紅は」蒼星石ちゃんの言葉に、少しばかり誇らしげな様子で真紅ちゃんは慎ましい胸を張ります。「お父様に教えられたのよ。『一人前のレディはどんなときでもお茶の時間は欠かさない』ってね」「ははは、真紅のお父さんらしいなぁ」ガチャリ。玄関のドアが開き、桜田くんがようやく帰還しました。汗だくで、ひどく息が切れています。「ぜーぜー……やっと捕まえたぞ……」手には翠星石ちゃんを抱えています。こちらもかなり参っているよう。「あ、頭がくらくらするです……炎天下の鬼ごっこは命の危険を感じるレベルですぅ」ちょうどアイスを食べ終えた雛苺ちゃんが、とてとて、と玄関に走っていきます。さめた表情の真紅ちゃんも後に続きました。「ジュン! 翠星石も! おかえりなさいなの!!」「まったく何をやっているの、二人とも」「あれ? お前らいつの間に」まだ荒い息のまま、不思議そうな声をあげる桜田くん。「ジュンお兄ちゃんと翠星石が出て行ってすぐくらいに、来たんだ。勝手にあげちゃってゴメンね」「ああ、うん、まあこの際それはいいよ。それよりも……」「今はアイス食べたいです……」へたへた、と玄関口に座りこんだ二人でした。
◆7ちゃぶ台の上に、からっぽのアイスのカップが三つ。それらを前に、神妙な顔で桜田くんと翠星石ちゃんが正座しています。「で、肝心のアイスが無いわけだが」「溶けて蒸発しちゃったんですかねぇ?」なんとも間の抜けた推理をする翠星石ちゃん。「そんなわけないだろ。……蒼星石?」桜田くんに名前を呼ばれて、ぴくり、と蒼星石ちゃんが反応します。「あー……ええっと……二人とも帰るのはまだまだ先になるかなぁと思って」「うん」「と、溶けちゃったらもったいないでしょ?……だから」「雛苺にあげちゃった、と」「おいしかったのー!」一人明るい声をあげる雛苺ちゃんを、ぺちりと真紅ちゃんの巻き毛ウィップが叩きます。「今は黙っていなさい、雛苺」「うい」「ごめんなさい……」しょんぼりと、頭を垂れる蒼星石ちゃん。桜田くんはそんな彼女に微笑みました。「……まあ、仕方ないさ」ぽん。蒼星石ちゃんの頭に優しく手をおきます。もちろん、翠星石ちゃんにしたように髪をぐしゃぐしゃにしたりはしません。「気にしなくていいよ、蒼星石。翠星石も別にいいだろ?」「え? ああ、翠星石は大切な妹にそんなことで怒らないですけど……」急に話を振られた翠星石ちゃんは答えた後、つまらなそうに口の中でモゴモゴとつぶやきます。「むう……アイスのことはともかく……やっぱりジュンのやつ、蒼星石には甘いですぅ」なでなで。目を細めてくすぐったそうに、でも安心した表情を浮かべている蒼星石ちゃんと、優しく頭をなでる桜田くん。そんな二人をじっと見つめていた雛苺ちゃんが、突然およよよ、と泣き声をあげました。「!?」いきなりの奇声。みんな、驚いて雛苺ちゃんを見ます。女座りで、ハンケチーフを口で噛みしめるその姿は、昼ドラで男に捨てられた不倫相手のようです。「ひどいのジュン……ヒナというものがありながら蒼星石にそんなに優しくするなんて……」おそらく意味もわからずやっているのであろう雛苺ちゃんを、桜田くんがつまみあげて言い聞かせます。「どこで覚えたのか知らないけど、そういうことはしちゃダメ」「ほえ? なんで?」「なんでもです」「じゃあ、ジュン、ヒナの頭もなでなでしてくれる?」「……ああ、するから。だからさっきのはダメ」「うい」「きぃー! ちび苺にまで甘いですぅ!!」心の声が思わず出た翠星石ちゃんでした。
◆8「で、どうするの? これから」桜田くんが雛苺ちゃんの要望にこたえてその金髪頭をなでていると、一人、我関せずと言わんばかりに読書に励んでいた真紅ちゃんが、本から目をあげて尋ねました。六畳一間に、大人一人に子ども四人。ちょっとばかりぎゅうぎゅうです。このチビ達をどこへやろう。っていうか正直帰ってほしい。そんなことを考えていた桜田くんに、ふと、先ほどのコンビニが思い出されます。泣きボクロの彼女も。「そうだ、この面子だし、もう一回あそこのコンビニ行くか」「コンビニ?」「ああ、柏葉がバイトしt……へぶっ」桜田くんのセリフは、雛苺ちゃんの顔面へのジャンピングアタックに阻まれました。「トモエ? トモエがいるの!?」「あ、ああ。お前らに会ったら喜ぶんじゃないかな」すとっ、と桜田くんの顔から飛び降りた雛苺ちゃんが、てってっと走りながら玄関口で振り返ります。「みんな、早く行くのよ! ゼミは急げ! なの!」「それじゃあ進研ゼミのキャッチコピーですぅ! それを言うなら善は急げですよ、おバカいちご!!」「ま、待ちなよ、雛苺、翠星石!」悪態をつきながら飛び出す翠星石ちゃんと、慌てて二人を追う蒼星石ちゃん。「やれやれ……僕たちも行くか、真紅」「ジュン」凛とした声に名前を呼ばれて振り向けば、こちらをじっと見つめる真紅ちゃん。なぜか頭の、彼女の名前と同じ真紅のヘッドドレスを外して手に持っています。「? どうした?」「その……私の頭も、たまには撫でさせてあげてもいいのよ?」「は?」いきなり何言ってるんだこいつ。ポカンとしている桜田くんに、珍しくあせあせとした雰囲気で真紅ちゃんが早口でまくしたてます。「い、言っておくけれど、これは主従関係の正しいあり方を示すための、いわば飴とムチであって、それ以外の理由は……」「いや、今は遠慮しとく。それよりさっさと行こう……!?」どすっ。容赦ない右ストレートが桜田くんのお腹に入りました。「先に行くわ。後から来なさい、家来その1」氷のように冷たい口調で『家来その1』の部分をやけに強調し、長い金髪ツインテールをさっそうとたなびかせながら、真紅ちゃんは出て行きます。後に残されたのは。「僕が何したっていうんだよ……」痛みにうずくまる桜田くんでした。***この後、「トゥモエー!」「ひないちごー!」な感じで雛苺ちゃんと巴ちゃんのわりと感動的な再会があったり、なぜか真紅ちゃんが桜田くんに口をきいてくれなかったり、店の中で騒ぎたてる翠星石とそれを止めようとする蒼星石が陳列棚をひっくり返したり、とそれなりに色々なことがありましたが、それはまた別のお話。……あ、でも、そんな彼女たちのおかげで桜田くんがコンビニの店長さんに平身低頭謝ることになったことは、追記しておくべきでしょう。
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