青白い女
ぐわぁん。まだ五月だというのに、うだるような暑い日のことだった。けたたましいチャイムの音で、僕は最悪な気分のまま目が覚めた。昨日あの女と別れた後浴びるように飲んだ酒のせいで、頭が割れるように痛い。ぐわぁん。チャイムが一度鳴るたびに、音が頭の中で幾度も反芻を繰り返す。ぐわぁん。僕は布団を頭からかぶった。起き上がるのも面倒くさい。居留守だ。ぐわぁん。すっぽりかぶった布団越しにまで、チャイムの音が鳴り響く。気持ち悪い。……ガチャリ。ドアのノブがゆっくり、回される音がした。僕は無視した。鍵は閉めているし、チェーンもかけている。どこの誰だか知らないけど、この部屋には入ってこれないはずだ。…………。しばらく、静寂が訪れた。あきらめて帰ったのだろう。僕は寝返りを打って、再び夢の世界へと落ちようとした。ガチャガチャガチャ!突然、すごい勢いでドアノブが回された。さすがに少しばかり驚いて、僕は布団から顔を出し、玄関を見た。ガチャガチャガチャ!丸い、どこにでもあるような何の変哲もないドアノブ。それが、まるでポルターガイストのように右に左に、狂ったように回っていた。ガチャガチャガチャ!ポルターガイスト? ばかばかしい。自分の中に浮かんだ、およそ非現実的な考えを僕は一蹴した。ガチャガチャガチャ!のろのろと布団から這い出して、おぼつかない足取りで玄関に向かう。どこのどいつだか知らないけど、非常識な奴だ。一言文句を言ってやる。ガチャガチャガチャ!「……!…………!!」玄関まであと1メートルのところで、僕は立ち止まった。ドアノブを回す激しい音に混じって、かすかに声のようなものが聞こえたからだ。うまく聞き取れなかったが、それは確かに声だった。「……!…………!!」……返せ? ドアの向こうの声はどうやら「返せ」と言っているようだった。返せって何を? これといって思い当ることなんてなかった。ガチャガチャガチャ!「……!…………!!」僕は躊躇した。ドアの向こうにいるのはもしかしたら言葉の通じない相手かもしれない。警察を呼ぼうか。ガチャガチャガチャ!――結局、僕は布団に戻った。何もかもが面倒だった。それもこれもあの女のせいだと思うことにした。***夢を見た。僕は、見知らぬどこかの部屋に立っていた。泣きながらすがりついてくる若い女がいた。相手をするのも面倒だったので、ただ蹴り飛ばした。彼女はサッカーボールのように軽く吹き飛んだ。僕は面白くって、何度も何度も蹴り飛ばした。彼女の髪も、陶器のように白い肌も、お洒落なドレスも、全てが赤く染まった。きれいだと思った。懐かしい美しさだった。なにが懐かしいのかは、よくわからなかった。***突然に、でもはっきりと目が覚めた。背中にシャツがべたっと貼りついた感触がする。寝汗をぐっしょりとかいていた。気持ち悪い。ろくでもない夢を見た気がしたけど、うまく思いだせなかった。二日酔いはだいぶましになっていた。僕はシャツを着替えると、汗に濡れたシャツを洗濯機に放り込んだ。べちゃ、と嫌な音を立てて、シャツは吸い込まれていった。ついでに洗濯機を回すことにした。洗剤を入れて、ふたをしめる。がたがた、と小うるさい音を立てながら洗濯機は動き出した。僕は伸びをして、首の骨をこきこきと鳴らした。何か忘れている気がした。これもあの女のせいだろうか。わからない。でも、それでいいや、そう思った。ふと、チャイムが鳴った。玄関に向かう。カチャリ。鍵を開ける。ガチャリ。チェーンも外す。僕はゆっくりとドアを開けた。ぎらりとした直射日光が訪問者の姿をはっきりと写し出し、僕はドアを開けたことをちょっとばかり後悔した。「やっと出てきてくれたのね、ジュン……」部屋の中には、洗濯機の回る音だけがごうごうと響いていた。まだ五月だというのに、うだるような暑い日のことだった。<了>
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