Escape girl fantasy ep.3
次に飛ばされたところは、見渡す限りに広がっている鉛色の重い雲となだらかな丘が支配する、いかにも海外で気味が悪いところであった。 草原といえば草原なのだろうが、この天気と地を這うようなずしりとした空気が立ちこめているのを見れば、素直に首を縦に同意しがたい。「息が詰まりそうなところだ……」 喉でコルクみたく詰まりそうな空気を吸いながら、僕は歩き始めた。「これまた想像を超えるお屋敷で」 歩き続けた挙句に見つけたのは、草原にぽつんと聳える石造の城と見まごう如きの立派なお屋敷だった。 しかし建立されてから年数が余程経っているのだろう、隙間なく積まれた石垣の外壁にはこけがびっしりと覆い、出入り口にある鋭く尖った鉄の門は長年の風雨にさらされて今にも朽ち果てそうだった。 この草原の主とも思える屋敷の気持ち悪さ。「もしかして、エトランゼ?」 ふと屋敷側から聞こえてきたのは美しく響く女性の声。 錆び付いたもんの向こうに立っているのは、腰あたりまで伸びたブロンドの髪を揺らしながら微笑む、息が出来なくなるほどに息を呑む美女だった。「貴方がエトランゼ、ジュン?」 この世の人とは思えぬ美しさに呑まれてしまった僕はこくこくと頷くだけで、言葉を発することができなかった。いや、本当に。「お待ちしておりました。こちらにどうぞ」 キィ……と軋む音を背に聞きつつ門をくぐり、これもびっしりと苔むした石畳を歩いていく。時々滑って転びそうになるが、ここは掃除という概念があるのだろうかと考えてしまう。 前を行く美女は滑ること無く普通に歩いている。プロだ、この人。 やっとのことで屋敷の玄関まで辿り着き、陰鬱なる空気からようやく逃げ出せると一息ついた。 がしかし、案内されるがままに重厚なドアを抜けて屋敷に入るも、そう易々に重い空気からは解放されないらしい。「うげえ……。何、ここの重苦しい」 この屋敷の中こそ陰鬱なる陰鬱が支配していたのだ。ゴシック風に彩られた多くの窓には焼けたカーテンとがっちりした鍵で閉められ、空気の流れがないことを示している。 「大丈夫ですか? 天気が天気なもので窓が開けられませんの」「ちなみに何日ほど……?」「かれこれもう10年は経つでしょうか」「……そろそろ開けた方が体の為にも屋敷の為にもよろしいかと」 そうですね、と女性は相槌を打ちつつ、どんどん先を歩いていく。返答にしては軽すぎるだろうとは言えなかった。 どこに連れて行かれるんだ、僕は。 広すぎる屋敷の部屋という部屋を抜け、階段を上らされ、やっとのことで着いた部屋は多分外から見ればわかりやすい位置にあるだろうと思われる。 屋敷とは少し離れて聳え立つ三角屋根の塔の一番上。そりゃ登るのも疲れる。「ではここで私は。またあとで」 女性はゆったりとお辞儀をすると今来た階段を慣れた様に降りていった。 塔の一番上だからかかなり狭苦しい感じがする。「兎角、行くしか無いな」 木製のドアを叩いて開けると、そこは思っていたより広い部屋だった。「お待ちしておりました。ああ、光栄です」 部屋の主は僕に歩み寄って握手を求めて来た。手を差し出すと、結構な勢いで振り回された。「僕はロデリック・アッシャー。貴方があのエトランゼ、ジュン」 どれだけ名前が流出しているんだと突っ込みながら頷いた。 それにしてもこのロデリック、成人男性にしては痩せ過ぎの体つきをしている。着ている服は袖もお腹回りもがぼがぼで、裾から見える足首から下は骨と皮だけで出来ているのではないかと思う程にひどかった。 ロデリックは小さな窓を閉め、赤い天鵞絨が敷かれた椅子を勧めて来た。 僕は窓を閉めたときに曝されたロデリックの白く細すぎる腕に畏怖の念を抱きながら椅子に座った。「それにしてもここに来られるとは……思いもしませんでしたよ」「何かあるんですか、ここ?」「さっき貴方を案内した彼女は妹でマデラインというのですが、あれは薔薇乙女と古くからの付き合いがありまして」「なんと」 前回に真正面から対峙したせいか、薔薇乙女という言葉と影には耐性がついているが、ここまではっきりとストレートに言われてしまえば僕もびっくりせざるをえない。 「その中でも雪華綺晶さんに追われているとお聞きしましたが……彼女、大変でしょう?」「ああ、それはもう」 どういう意味の大変なのか僕にはよくわからないが、逃げる意味でのことならもちろん頷ける。「僕も小さい頃はよく遊びに付き合っていたのですが彼女だけは違っていたんですよ。なんというか、執着心が激しいというか」 今となんら変わりないゆっきーの小さい頃に思わず笑ってしまう。ちょっとぐらい大人になってもいいんじゃないか。「でも薔薇乙女に恋をされるなんて全世界がうらやむことですよ」 まんざらでもなさそうな笑顔を浮かべて言うロデリックに、「本気で羨む人には、この追われる権利を可愛くラッピングしてプレゼントしたいぐらいですけどね」 笑顔が苦笑いに変わっていた。「それでも逃げ切る自信がお有りなんですか?」「まあ……僕も元居た世界に戻りたいですから」 ロデリックはうーんと悩み、無精髭で覆われたやせ細った顎を撫でている。 すると突然、がたんと音を立てて椅子から飛び上がり、目にもとまらぬ速さで部屋を駆け抜けていき、階下を下っていった。「なんなんだ、あの人」 僕は溜息をつきながら部屋をぐるりと見てみた。天蓋付きのベッドは豪華な彫刻が施され、そばにある机や本棚は使い古した感があるものの、高級素材で出来ているのだろう、輝きは全く失われていない。 本棚にある本は背表紙がすり切れたものばかりで、まるでこの部屋に幽閉されて楽しみは本を読むことぐらいしかないと言わんばかりだ。「まああの兄さんなら有り得るかもしれないな」 幽閉したくなる兄ってどんなのだ。 そうこうしている間に階下からものすごい音が聞こえる。「早く、早く」 ロデリックの急かす声とともに、小さな息づかいが聞こえて来た。 ばんと部屋のドアを開け放ったロデリックの手には、か細く、白い磁器の如き手首が握られている。それは勿論、ここまで案内してくれた女性のもの。「マデライン、やはり彼は本物だよ。雪華綺晶には渡すのがもったいないストレンジャーだ!」 窓枠にはめられた曇り硝子がかたかたと揺れる。 ロデリックはいかにも病人ですと言う様な顔を異常に赤らめさせて興奮しながら言い放った。 そしていきなり兄の手に引っ張られて来たマデライン姫は事態がうまく飲み込めてないようで――それは僕も同じである――首を横に傾けて、「あの、兄様。そろそろ手を離していただきたいのですけれど」 妹の呆れた声に驚いてすぐに手を離した。兄、弱し。 それでも興奮を隠しきれないロデリックは部屋を早足で歩き回りながら、語気を強めて言う。「大江氏が望んでいたストレンジャーの完璧なる形だよ、彼は」 大江氏というのは、この前僕を助けてくれた仙人のことなのだろうか。「僕たちの希望だよ。やっと、やっとだ……このアッシャー家も忌まわしき呪いから解き放たれる時がやってくるんだ」「兄様、しかし」 ロデリックは切れ長の目をさらに細めてマデライン姫を見つめ、優しく語りかける様に、「お前も安らかに眠れるときがくるんだぞ」 その瞬間にマデライン姫はきっと兄を睨んで、それ以上言うなと言いたげな視線を送っていた。 安らかに眠る、どういうことだろうか。だがそれは触れてはいけないことのような気がして、何も言えなかった。 気まずい雰囲気が漂う中、マデライン姫が口を開いた。「すみませんジュン様、お見苦しいところをお見せして」「いや、その。大丈夫ですよ」「それはそうと、ご質問させてもらってもよろしいでしょうか?」「どうぞ、ご自由に」 多分聞かれることなどほぼ決まっているようなものだ。「雪華綺晶から逃げているとのことですが」 この通り。 しかし僕がその質問に答えようとするのを遮って、「そんなことは道行く人にも聞かれてうんざりしているでしょうから、ちょっと違うことを聞きます」 大きな変化球だった。マデライン姫、なかなかの強敵。「なぜ、雪華綺晶じゃ駄目なんですか?」 想像の範囲内を超えた質問をされた僕の頭は一気に処理落ちへ追い込まれた。 好きな人がなぜゆっきーではいけないのか、なんて考えたことも無い。よって答えられるはずがない。 マデライン姫の丸く青い瞳が僕の心を射抜く。「理由も無くお逃げになっているのですね、答えられないということは」「……理由はある。ただ上手い答えが見つからないだけだ」 詭弁とも思える僕の返答に、あざ笑うような笑みを浮かべるマデライン姫。「ではそんな貴方が逃げ続ける薔薇乙女の秘密を一つだけ教えてあげましょう」 そう言うと、青白いガス灯を消して、部屋には漆黒の闇が訪れた。 視界がほぼ失われた今、明かりになるのはマデライン姫の楽器の様に奏でられる声のみ。「ローゼンメイデン、薔薇乙女はこの“世界”では神と同等、それ以上の力を有することはもう知っておいでですね」「ああ」「7人の女性が強大な力を持つことに喜ぶ人もいれば、そうでない人たちもいます。ストレンジャーと呼ばれる集団は、特にそれを嫌がる人たちなんです」「その、ストレンジャーはどの“世界”にも?」「もちろんいます。彼らは薔薇乙女のある能力を目当てに、逃げ惑いながらも彼女たちに接触を図ろうとしているのです」「ある能力……とは」「自由に“世界”を書き換えられる力。彼女たちはここでは“普通の女の子”ではありませんから」 “世界”を書き換えるというのは、こっちでいう歴史を変えるようなものなのだろう。能力でタイムマシンが一つにくっついた感じだな。「そういう意味で狙われる存在でもある彼女たちが、その身には強大すぎて有り余る、呪われし力から解放される為には」 マデライン姫はそこで一呼吸置き、「もうお分かりでしょうが、恋を成就させることなのです」 沈黙。 なんとファンタジーな設定の世界なんだと吹き出したいのをこらえつつ、「もし、それが成就できなかったら?」「力が逆流して、死を迎えることになります」 あっけらかんと答えるマデライン姫だが、その内容は重すぎる。というか、そんなこと軽々しく言っていいのか。 まあ恋ごときで死を迎えるなど……「あ、今、恋なんかで死ぬとかって思いました?」「いや、そんなことは」「えっとですね、これはきらきーの親友としての言葉です」 すうと息を吸って、「乙女心をなめるなぁああああ!!!」 ごとんとロデリックが椅子ごとひっくり返ってうめき声を上げている。 それはそうだろう、あんなに可憐で可愛い妹が大声を張り上げて、『なめるな』と言ったことは大きな衝撃だ。 暗闇で姿形は分からないが、きっとマデライン姫は立ち上がって僕を見下ろしている。「恋する乙女から恋をとったら明日から生きる希望の半分はなくします。あの子は、きらきーは貴方に恋をして追いかけている……。 それだけで喜びを覚える普通の乙女なんですよ。 それを“ごとき”で片付けようとする貴方を、いくらストレンジャーの希望といえども、私は許せません」 一気に捲し立てたあと、「すみません、ちょっと言い過ぎました。けれど命を賭して貴方を追いかけているきらきーは誰よりも、誰よりも貴方のことが好きなのです。それだけは覚えておいてください」 冷静さを取り戻すように息を整えながら、マデライン姫はガス灯をつけた。 微かな明かりだが部屋全体がふっと明るくなり、隣で気を失っているロデリックを起こして、ぺちぺちと頬を叩いた。「兄様、兄様」「大丈夫か、ロデリック」 ぱちりと目を開けたロデリックは妹の顔を見た途端にぎょっと青ざめ、うげえと変な声を漏らした。「マデライン、なんてことを彼に言うんだ……。そんな話をしてしまえば、彼が雪華綺晶の元へ行くのはわかりきっているだろう」「これはいずれわかることです。それにきらきーの元へ行くかどうかはジュン様が決めることですもの」 マデライン姫はロデリックの肩を支えて立ち上がり、「貴方が私たちを呪いから解き放ってくれるストレンジャーの希望、でも私は貴方がきらきーと一緒になってくれることを祈っています」 たとえ、一生この身が浮かばれなくても。 そう言って、喚き散らすロデリックを連れて部屋を出て行った。 今しがたマデライン姫から聞いた、忌むべき強大な力を持つ薔薇乙女の一人に恋をされた僕は、どうすればいい。 ゆっきーは僕が思っていたより、重く誠実な意思と心で追いかけている。 それに比べて僕は涼風が吹けば飛ぶ様な軽い気持ちで逃げている。 ゆっきーの命を救う為には彼女の元へ、だがそんな同情の念で行ったとしても、ゆっきー自身が嫌なのは僕でもわかる。 だからどうすればいい?「……好きになればいいのか」 部屋入り口付近でかたりと音がする。「そう、マデラインさんは喋ってしまわれたのですね」 溜息をつきかけた僕は聞き覚えのある声にふっと振り向いた。「こんにちは、ジュン様」 恭しくお辞儀をするのは、そう紛れも無い薔薇乙女の末妹、雪華綺晶その人である。 ゆっくりと歩んでくるゆっきーに、「ああ、ま、まだ心の整理が、まだまだ!」 この距離で逃げられはしないのに部屋中を歩き回る僕に、ゆっきーは困った様に笑って、「今日はお休みです。大丈夫、捕まえませんから」「そうなの?」 いつもと違う、女の子の雰囲気に少しどきどきしながらも僕は椅子をすすめてゆっきーを座らせた。 またも沈黙。 話すことが何もない。そりゃ逃げる者と追う者じゃ話がかみ合う訳がない。 それでもこんなに綺麗で可愛い人と沈黙を一緒に守るのも勿体ない。「そう、恋が成就しないと、その、あれ、死ぬ……んだって?」 僕の問いかけにゆっきーは左目の金色の瞳に悲しみを一瞬だけ浮かべたものの、「それが宿命ですから。でも哀れまないでください、私は世界の誰よりも一番いい片想いですもの」 悟った。これが恋する乙女の強さなのだろうと、弱さなのだろうと。 勝てる訳が無い、こんな僕が。 胸の中にもやもやした思いが募っていくのがわかる。 だから一体、何なんだ、これは! ep.3 end to be continued......?
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