一章『空の旅』
飛空挺内にて。「大丈夫?」蒼星石は、珈琲を飲みながら、同じく珈琲を飲んでいたが咽たジュンの背中をさする。「だ…大丈夫…」ニ、三回。口で手を覆い、頷く。「これは酷い!」そう叫ぶジュンが持っている封筒。―めぐから、真紅への信書とはもう一つ。依頼内容の大まかな事柄が書いてある手紙だった。それだけなら、至極普通なのだが。「…あの人らしいね」一緒に入っていたのはめぐと真紅が一緒にお風呂に入っている小さな頃の写真。手紙の最後には、『どう?どきどきした?このすけべ』とまで書かれていた。ジュンのリアクションは、写真を先に見たための動揺だった。ニ、三度の深呼吸。呼吸を整え、写真と手紙をしまい直す。珈琲塗れになっているのは、しかたないことだろう。「帰ったら殴ってやる…っ」怒りに燃えるジュンを尻目に、蒼星石が写真を見つめながらぽつりと呟く。「一つ思ったんだけどさ、この写真、小さい頃ってことはだよ?あの二人って…」ジュンの背後に燃え滾る炎が納まり、動作が停止。ゆっくりと蒼星石の方を振り向き、「…そういうことなのか…!?」「そうだと思うよ」ジュンががっくりと肩を落とした。「永遠に勝てないね」蒼星石が楽しそうに笑い、ジュンが外へ目線を背けた。「あとどれくらいだろう」「さぁてね」蒼星石が最後の一口を飲み終える。白い雲が眼下に広がる。天気は快晴。絶好の天気だった。――ゆうやけスカイブルー ―― 一章『空の旅』 ――「広いねえ」二人の前に広がる空港。C国の中でも規模としては大きい方だ。時折アナウンスで迷子のお知らせが流れることから、広さに想像がつく。「さて、どうしようか」ターミナル内で辺りを見回す。出口にはタクシーやバスの乗り場などが見え、上を見ればテナントとして喫茶店や雑貨店が入っている。「ずっとここにいるわけにもいかないからな…」艇内で喉の渇きも潤ったため、特に店に寄る必要性を感じなかった二人は、いったんターミナルを出て、それから決めることにした。「暑い…」ターミナル内は冷房がかなり強くかかっていたらしく、その分外の暑さは相当のものだった。季節を考えれば妥当の気温ではあったのだが。道路を区切る柵の中に生えている椰子の木が、風に揺られる。「で、どうするの?」「それなんだけど、地図、貰ってるか?」蒼星石が、鞄の中を一通りチェックするが、「…ないね」「僕もないんだ。…で、どうしろと?」「…どうしようね?」二人の考えは同じだった。ここから動く手段がないのにどうしろと、である。それでもとりあえず動いてみる、または道を聞き宮殿があるところまで案内をしてもらう、という手はあるのだが、親書があるからという理由で入れるとも限らないし、門前払いになっても悲しい。二人が唸りながら考えて、あきらめて動こうとしたときだった。「ジュン様、蒼星石様ですね」「はい?」「はい」二人が同時に振り向く。そこには初老の男が一人。ロマンスグレーのおじさま、という表現が似合う執事風の男は丁寧に頭を下げ、「真紅様からご案内の命を授かっております。これから向かっていただくことは可能でしょうか?」二人としても願ってもない誘いだった。無駄に動く手間が省ける。「宿くらいなんとかしてくれるかな」「多分」二人がアイコンタクトで会話。改めて男の方へ振り向き、「ええ」「お願いします」力強くうなづいた。「ところで何故僕たちのことを?」黒いリムジンが、歴史を感じさせる街中をゆっくりと走っていく。男はバックミラーに視線を送り、「めぐ様からのご紹介だそうです」またか、とジュンは目線を反らした。今日はやたらと彼女の事を聞く日である。「…一ついいですか?」蒼星石がおそるおそるたずねる。男は静かに頷いた。「めぐさんって、何者なのですか?」男が言葉を失った。…正しくは言葉を選ぼうと必死になっているのだろうか。信号が赤になったことにぎりぎりで気が付き、急ブレーキを踏むハメに成る程の動揺を見せている。それは言葉の端々にも見え、「…なんといいますか…その…えー…」男は目線を宙に送り、次の言葉が出てこない。「えー…余計なことを言いますと後が怖いので…」そう言葉を濁し、結局明確な解答が得られなかった。話に参加しなかったジュンが心の中で毒づく。「だから何者なんだよ…」「こちらでございます」敷地をぐるりと囲むように、安全のために設けられている柵の中心で、リムジンがブレーキをかけた。「凄!」「流石だなぁ…」二人が目の当たりにしたのは、国会議事堂の二倍弱はあるかと思われる敷地の宮殿だ。一応政治を取り仕切るところなので、生活の場になってはいないそうだが。―そもそも歴史を紐解けば、A国は歴代女王の圧倒的リーダーシップで、周りの小さい国を引き込み領土とした、共和国の形態を持っている。領土と引き換えに、議員も元の国の人口の割合で割り振られていたりするので、前身となる建物では人数を補いきれなくなり、結局建物自体を大きくせざるを得なくなってしまった。初代女王の住居でもあった宮殿が、丁度そのサイズによかったのである。そこで初代女王亡き後移転が行われ、今に至る。広すぎるのが災いしているのか、実質六階建ての宮殿の全部を知っているものはいないらしい。「こちらです」駐車場から降り、改めてその大きさを目の当たりにし足を止めている二人を、男が先頭立って歩いていく。二人はだんだんと近くなる時計に心を奪われながら、宮殿に足を踏み入れた。「凄いですね」入り口から入り、最初に目に映るのは、吹き抜けのフロア。壁にはステンドグラスで彩られており、差し込む太陽光がガラスを通し、色とりどりに大理石の床を照らしている。「たまに貼りなおすそうですが、これが大変だそうです。さ、こちらです」自慢げに語る男はそのすぐ傍、多少無用心とも思えるところにある部屋へ二人を通す。またそのフロアも必要以上にお金がかかっているのだろう、と容易に想像させられるほどの豪華絢爛さだ。「こちらも初代女王様からそのままでございます。では少々お待ちください」「すごいねえ」待たされている間、二人はきょろきょろと部屋を見渡す。ぱっと見、二人の住んでいた国の名産品と思われる焼き物の類が散見される。そう考えながら見れば、あちらこちらから取り寄せたのかと思われるほど、ワールドワイドな部屋であることに気が付かされた。「どれくらいかかってるんだろうな」すぐ傍には、千六百二十五年と書かれた旗がある。これよりも前に存在するのは確かだった。思わず息を呑む二人。顔を見合わせたところで、「お待たせいたしました。こちらにどうぞ」先ほどの男が扉を開け、二人に入るように促した。「真紅様。ジュン様と、蒼星石様です」「どうぞ」 通された間は、前室と比べてそれ程の物ではなく、むしろ豪華さ、という点においては見劣りする程度だったが、中央の玉座に座る彼女は、それをも打ち消すほどのオーラを纏っている。部屋にない、真っ赤なドレスを身に纏ったその女性は、ゆっくりと立ち上がり、「めぐから話は聞いているわ。引き受けて頂いて感謝しています」二人に恭しく頭を下げる。「いえ、こちらこそ」一応眼前にいるのは女王であることを改めて認識する二人。同じように頭を下げ、膝をつけようとしたのだが、「やめてちょうだい。めぐの知り合いにそんなことをさせるのは忍びないのだわ」そう言われ二人は立ったが、ジュンの内心は、いーや、あいつなら喜んで傅かせるね。むしろ頭を踏みつけん勢いだ。などと悪態づくが、そんなことを彼女に言うわけにもいかず、結局黙ることにした。「本題についてよろしいかしら?」真紅は改めて玉座に腰を降ろし、一冊の本を取り出す。「はい。そのために来ましたので」「わかりました。では説明いたします」真紅は講師のようなゆっくりとした口調でC国との関係を話し始めた。真紅の話は五分程度だった。いわく、今回の依頼はA国の大統領に復讐するための依頼であること。いわく、私が国を挙げて動くわけにもいかないので二人に頼んだということ。いわく、大統領殺害の際の報酬はきちんと用意してあること。真紅は淡々とした口調だが、時折大統領への憎しみか、語気を荒げる事があった。「…汚れ仕事だから我々が行う、と?」ジュンがふとした疑問をぶつける。女王は包み隠すことなく頷いた。「ええ、そのための依頼です。あなた方に頼んだのはあなた方が特別だからではありません。たまたまあなた方が引き受けただけです。それ以外はありません」それはC国のトップとして、関係性を持つわけにもいかないということだった。蒼星石は、「わかりました。…できるだけバレないようにしろ、と?」「ええ、そうなるかしらね。あとそれともう一つあるのだけど」「なんでしょうか」ここまできたらなんでもこいだ。とジュンが呟く。「私の生き別れの双子がいる、という情報を聞いたの。…それについてもいいかしら?」「双子、ですか」 「ええ。私と容姿はあまり似ていないのだけれど。五年ほど前に出ていってそれっきり。連絡もよこさない酷い人だけれど、私の大事な家族であることに変わりはないのだわ」時折見せる悲しげな表情に、ジュンは少し意外だ、と思った。機械的に無慈悲な彼女だが、意外と普通の人間なのだな、とも。「わかりました」断る理由もない、とジュンは頷くが、真紅はそれにも首を振った。「…いえ、いないという可能性もあるわ。…そのためだけに時間を費やすのはやめてほしいのだわ」「わかりました。…一つよろしいでしょうか」「何でしょう」「先ほど聞きそびれましたが、何故大統領を?」「…そこから答えないといけないわね」真紅はゆっくりと語り始めた。「十年ほど前の話。こことA国が隣あわせなのは知っているわね。軍事協定を破ってあちらから攻め込んできたの。丁度そのとき私たち家族は、…女王一族は、国が攻め込んできた傍の避暑地にいたわ。プライベートを楽しんでいたの。…彼らからすれば私たちが居場所を奪ったのかもしれないわね。私たちがいるタイミングを狙って攻め込んだことを公式に声明として発表。軍はあっという間に私たちの居場所を突き止めて、逃げ出そうと乗り込んだ車にRPGを打ち込んできたの…たまたまドライバーの腕で直撃は回避されたけど、そのまま車は爆風に吹き飛ばされ炎上。結局生き残ったのは私と、水銀燈―さっき言った双子、だけ。RPGに直撃を受けた人たちもいたでしょうね。昼過ぎの商店街は多くの人でごった返していたもの」真紅は悔しそうに振り返っているようだ。二人は黙ったまま、彼女の語りを聞いている。「…車が炎上したことで気をよくしたのでしょうね。私たちが生きているとは思わなかったはずよ。私は病院の寝台の上で誓ったわ。――彼らをいつか、と。…これでよろしいかしら?」真紅は表情を元の無表情に戻し、二人を見上げた。二人は小さく頷き、「では、その仇を取りにいってまいりましょう」―わざとそんな口調で確認を行う。「やめてちょうだい。…キャラではないわよ」最後に笑顔を見せた女王に、内心ほっと胸を撫で下ろし、二人は玉座の間を後にした。「それで、あの子は?」女王たる真紅が一息をつき、玉座に腰をかけながら、いつからいたのか傍にいた侍女に話かける。「わからないの」「そんなことだろうと思ったわ」どうせ答えは聞かずともわかっていた。彼女の目がそう呟く。依頼を請けた二人が部屋を去った後。同じ部屋には真紅と、侍女の雛苺、二人のみ。仮にも女王であるはずの真紅に、タメ口で喋っている事を時折批難されている雛苺だが、「いいのよ、こういう時くらい」と真紅はあまり気に留めていなかった。それよりも、「大変かしらぁ!!」「何?騒がしいわよ」あわただしく部屋に入ってきた彼女は見張りを一人倒し突撃してきたらしく、もう一人の見張りが頭の上に走っているひよこを追い払おうと肩を揺らしていた。そんなことを気にも留めず、真紅のもう一人の侍女、金糸雀は膝を付き、報告を始めた。「A国でテロが起きたかしら!被害はわからないけれど国に入れなくなってるかしら!」「…そう…あの子達、入れるのかしら」二人の異常な温度差に、雛苺は首を傾げる。「心配じゃないの?」真紅は首を振りながら、「ええ、心配よ。でも私が心配して慌ててもどうしようもないでしょう?私がすべきことは最善の手を尽くすだけ。…ね」テーブルの上に置かれていた紅茶を口にし、「…それに、めぐが紹介した二人だもの。問題ないはずだわ」彼女の表情に浮かんでいたのは、笑顔だった。そして、電話を手に取り――――ゆうやけスカイブルー ―― 一章『空の旅』 終――
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