『薔薇HiME』第4話
学園の北側には、生徒達から裏山と呼ばれ、頂上から町を一望できる程度には小高い山が聳えている。一応、頂上への道は舗装されているが、その道を利用し裏山の山頂を目指すものは滅多にいない。学園の東西を挟む二つの山が眺望の妨げとなっているので、正直あまりいい眺めというわけでもないのが、その理由だろう。そんな人気の無い山道を、珍しく二つの人影が登っていた。一つはすいすいと。もう一つはそれから遅れること数メートル、なんとか追いすがるように。「ちょ、ちょっと待てって……!」遂に遅れているほうが音を上げた。彼の名は桜田ジュン。一週間ほど前、この学校に編入してきた生徒だ。先を行く影、真紅は、ジュンの泣き言にまるで耳を貸さず、どんどん先へ行ってしまう。山頂への道は一直線なので置いていかれても困らないのだが、それでもジュンはその後を必死に追った。山頂に辿り着いたジュンは、ふらふらと地面にへたりこんだ。同じ運動したはずの真紅は息一つ乱れた様子もなく、あまり良くもない景色をぼんやりと眺めていた。「……なぁ」ジュンが声を掛けようかと思った矢先、真紅が突然回れ右して何かを見上げた。「!?」その視線の辿ったジュンは目を見開いた。先ほどまでただの広場だった山頂に、何時の間にやら立派な屋敷が聳えていたのだ。「ジュン」真紅の声で我に返ったジュンは、またも驚いてしまう。「早く来なさい」そう言って、真紅がその得体の知れない屋敷に入って行ってしまったからだ。「お、おじゃまします……」真紅の後を追い、恐々中に入ると、真紅が待っていた。これまでの調子から考えると、ジュンを待たずにどこかの部屋に入っている可能性もあっただけに、ホッと胸を撫で下ろした。「ちょっと待ってなさい」そう思ったのも束の間、そう言い残して真紅は屋敷の奥へ姿を消してしまった。引き留める暇もない。「どちら様かしら?」「!」はぁ、と溜息をつこうとした矢先、いきなり背後から声を掛けられたジュンは飛び上がって驚いた。落ち着かない胸を抑えながら振り替えると、笑顔を浮かべた小さな女の子がジュンを見上げていた。「泥棒さんかしら?それともお客様かしら?」少女にそう尋ねられたけれど、ジュンは明確に答えることができなかった。断じて泥棒ではないけれど、しかし自分は客なのだろうか。答えあぐねていると少女は金糸雀と名乗り、そしてジュンにも名前を訊いてきた。と、自己紹介が終わるや否や、吹き抜けになっている二階から何かが飛び降りてきた。「うふふ。カナ、次はコレを着な……」そう言いながらゆっくりと顔を上げた何か……メイドと目が合う。そのなんとも言えぬ形相を見ても尚平静を保てたのは、背後に隠れた金糸雀が服の裾を掴んでいたからか。メイドはジュンの姿を認めるなり咳払いを一つし、パパッと乱れた服を整え、何事もなかったかのようにジュンに一礼した。奇妙な沈黙が流れる。「騒がしいと思ったのだわ」先ほどの騒動を聞き付けたらしい真紅がその沈黙を打ち払った。「着せ替えごっこも結構だけど、事前にアポイントを取った相手の出迎えくらいきちんとして欲しいわね」「だってみっちゃんが……」げんなりした顔で、金糸雀は答えた。金糸雀とメイドに案内され、客間に通された。言われるがまま席につく。「事情は話した通り。説明はあなたに任せるわ」そう言った真紅はメイドの出した紅茶に手を伸ばす。ジュンが例の怪物に襲われ、そして真紅に助けられたのは、今から10日前のこと。その際、真紅はこの事を忘れるよう忠告し、ジュンのほうもその現実離れした体験を夢か何かのように思っていたのだけど、そう思い込むには体に残った擦り傷などが生々しく、なのに何故か好奇心が恐怖を上回ってしまった。それからというもの、ジュンは化け物についての説明をさせようと執拗に真紅を問い詰め続け。そして昨日、遂に真紅が折れた。「任せてほしいかしら」金糸雀は真紅にそう笑いかけ、そしてその笑顔をジュンに向ける。「改めまして、私は金糸雀。当学園の理事長を務めているかしら」どう贔屓目に見ても中学生程度の少女が、理事長。冗談だと思って吹き出しそうになったが、金糸雀の隣に控えるメイドから殺気を感じ、グッと堪える。「……マジなの?」隣で紅茶を味わう真紅にそっと耳打ちすると短く肯定する返事が返ってきた。例の怪物。数年前から姿が目撃されるようになったらしいそれを金糸雀は『オーファン』と呼んだ。金糸雀によれば、それについて確実に分かっていることは以下の三つのみ。学園の敷地でのみその姿を現すこと、危険な存在であること、普通の方法では効果的なダメージを与えられないこと。そんなオーファンに唯一通用するのが、真紅の持つ『高次物質化』と呼ばれる特殊能力によって生み出された物質のみだという。「……学園内にしか出ないなら、学園を移転させりゃいいんじゃないの?」ジュンがそう言うと、金糸雀は首を横に振る。「学園の歴史が、それを許してくれないのかしら」的確な答えとは思えなかったけれど、非現実的な話をしている中で、その答えは妙に現実的に聞こえた。「さて、ジュン」金糸雀が話している間、黙りっぱなしだった真紅が漸く口を開く。真紅がオーファンと戦う中で経験的に感じ取ったオーファンの習性。それは「オーファンをより詳しく知るものをオーファンは狙いやすい」というものだった。「残念だけど、あなたは近いうちに死ぬわね」「何でそんな大事なことを今更……」「関わるなって言ったじゃない」狼狽えるジュンに、真紅は笑顔で言い放った。その目は全く笑っていなかったが。「警告したにも関わらず、毎日毎日飽きもせず私に付き纏うくらいだもの。覚悟はできてるでしょ?ん?」「桜田くん、ご飯冷めるよ?」巴の声に、ハッと我に返った。「帰ってきてからずっとぼんやりしてるけど、どうかした?」ぎこちなく笑いながら、なんでもないと答える。普段通りの行動・態度を心がける。それも真紅との契約だった。 ―――それが嫌なら、誓いなさい。呆然と言葉を失ったジュンに、真紅はそう言った。オーファンから学園を守る手伝いをするなら、自分に可能な範囲で命を保証すると。冷静に考えれば他にも選択肢はあったのだろうけど、その時のジュンはとても冷静になれる状態ではなく。触らぬ神に祟り無し。この日、ジュンは一つ賢くなった。
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