僕たちはアリスだった
カラン、とベルが鳴って最後の彼女が喫茶店に到着した。僕らは久しぶり、と声をかけ笑い合う。「取りあえずこの、愛の三倍アイスコーヒーをお願いします」雪華綺晶は座るが早いかウェイトレスに注文をする。あのビックサイズシリーズは雪華綺晶以外に誰か頼む人はいるのかな。 「にしても本当久しぶりかしら。高校卒業が最後だから5年振り?」「そうねぇ。私と金糸雀は大学一緒だったから結構合ってたけど」「そんな事言ったら翠星石達は毎日顔合わせてますよ」水銀燈の言葉に姉さんがトマトコーラ改をストローで掻き混ぜながら言う。こぼれるよ、翠星石。「あらあら、相変わらずどっちが姉か分からないわね。貴女達」昔よりずっと大人っぽくなった真紅はクスクスと笑いながら言った。飲むのはやはり紅茶、相変わらず好きなんだね。「でもヒナうれしいのよ。みんなで仲良くできるようになったんだもの」「そうですね。……お父様のおかげで小さい頃から私たち競い合ってばっかりでしたから。あっ、すいません。恋の三倍紅茶ストレート、一つお願いします」 究極の少女を、アリスを目指せ。お父様はそう言った。そもそも究極の少女ってなんだよ? って今なら思えるけど、揃いも揃ってファザコンだった僕らはがむしゃらにアリスを目指した。 抽象的で少女という期間限定の儚い夢に踊らされていた。僕らは母親の違う姉妹で、お父様は誰か一人を特別に可愛がるという事はなかった。娘達に等しく距離をとったお父様が何を考えて何を望んでいたのかは分からないし、たぶん分かる必要もない。 「でも結局、究極の少女って何だったのかしら」「カナチビはまだそんな事気にしてたんですか? まぁヒナカナは見た目ならまだ少女でもいけそうですが」「でもでも誰一人としてアリスになれないまま大人になっちゃったし、ちょっとお父様に悪い事したような気がするの」今なら、僕は言える。お父様ざまぁWWWおっと何考えてんだ僕、ダメじゃないか、これだから僕はアリスになれなかったのかもしれないじゃないか。「でもまぁ、誰もアリスにならなくて良かったんじゃない? 誰かがアリスになってたらこんな風に話なんてできなかっただろうしぃ」「意外ね、水銀燈。貴女が一番アリスに執着していたのに」真紅の言葉に水銀燈以外の全員が頷く。確かにあの頃の水銀燈は究極の少女を目指すあまり、孤独だったような気がする。そんな代償を何とも思わないくらいの強い執着は今思うと恐ろしいくらいだ。「大学に行ってから友達ができてね。その子小さい頃病弱で学校もほとんど行ってなかったらしくてぇ、アリスを目指して色々やってた事を話したら言われたのよ。『水銀燈は幸せだったのね』って。」「確かに私たちがアリスという、正直何だかよく分からないものを目指していたのは、幸せな体験だったのかもしれないわね。……すみません、紅茶のおかわりを一つ、雛苺貴女は?」 「イチゴオレ下さいなの」「私はじんじん三倍ジンジャーエールを一つお願いします」「カルピスほぼ原液、山の水割りで」僕と姉さん、金糸雀のコップには最初に注文したドリンクがまだ残っている。僕がウェイトレスに以上で、と言うとウェイトレスは注文をメモしカラになったコップを下げていく。 改めてメニューを見ると変なドリンクばっかりだ。ねぇ翠星石、僕の麦茶はあげないから。自分で飲んでよ、そのトマトコーラ改。 「今思えば、あんなに色々挑戦していられたのは不思議な力よねぇ。背中に羽根でもあったみたい」「誰よりも高く、一番を目指して羽ばたいていたって事ですか? 臭い事言うようになったですねぇ」「水銀燈の言動がちょっとアレなのは昔からなの」アレって何よ、と水銀燈が言うけれどアレはアレだよ。忘れもしない文化祭のあの日、君が全校生徒の前で「蒼星石ぃぃ!! 言わなくていいからぁ」「アレは傑作でしたわ。究極の少女を目指すゆえに恥を捨てたお姉様……私はアレを見てアリスを諦めた程ですわ」「アレは流石のカナもドン引きだったかしら」水銀燈は自分のドリンクを飲んでふぅと溜め息をついた。「昔の事はもういいの。今更あんな事できないし、しないし。……背中の羽根は失くしちゃったのよ」それは僕達も同じなのかもしれない。お父様の願いを叶えたいと、アリスになりたいと思っていたあの気持ちは、大人になった時にまるで霧のように消えてしまった。 僕らの羽根はお父様への気持ちだったのかもしれない。 「ねぇヒナ、アリスって思い出だったと思うの」「思い出? どういう事かしら? 雛苺」「楽しい思い出、辛い思い出、悲しい思い出。いっぱいあるけど、今はぜーんぶ、大切な思い出なの。だからヒナは今とっても幸せなのよ」「それのどこがアリスなのかはイマイチ分からないんですが」つまり、究極の少女を目指せってのは幸せになりなさいって事?「むしろ、大人になって嫌な事や辛い事があっても、子供の時の幸せな記憶を忘れずに、何時か嫌な記憶を幸せに変えろってことじゃないかしら」「子供の時の記憶は色褪せても輝くって事?」水銀燈も首を傾げながら言う。「背中の羽根は失くしたけれど、私達には不思議な絆が残っている、ってところかしらね」「母親の違う私達姉妹が一つになれたのは、お父様のアリスを目指せと言う言葉でしたしね。言われなければ姉妹なんて興味を持てなかったかも知れませんね」「そうねぇ。出会うまでは他の姉妹は私よりもっとお父様に愛されているんじゃないかって不安だったもの。」水銀燈のアリスへの執着はお父様への愛情を独り占めするためのものだったんだろう。 水銀燈だけじゃない。アリスになればお父様の娘というアイデンティティーじゃなく、アリスという唯一無二の自分が手に入る。僕がアリスになりたかったのはお父様のためであると同時に、僕自身が欲しかったからだったんだ。 「なんか難しくなったし、みんな乾杯でもするかしら」「唐突ね、一体何に乾杯するのかしら」金糸雀は自分のコップをすでに持っている。その中身は半分以上残っている。やっぱりただの砂糖水だったのかな、桃の缶詰桃無し。「えーと、カナ達の友情改め姉妹の絆に乾杯とかどうかしら?」「チビカナにしちゃあいい感じですね」姉さんは何故か僕の麦茶入りのコップを持って乾杯の準備は万端だ。「乾杯するから準備するかしら」「ほらぁ、早くしなさい蒼星石」気がつくとみんなの視線が僕に集まっている。あぁ分かったよ。僕が飲めばいいんでしょ、トマトコーラ改。もう炭酸抜けてるし。「じゃあ、姉妹の絆に乾杯かしら」カチン、とガラス製のコップはいい音をたてた。 結局アリスが何なのか分からないけど、アリスを目指していた僕らは幸せだった。だから僕達はアリスだった。そしてこれからも、アリスであり続けるだろう。 僕達は幸せだから、アリスなんだ。
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