第十二話 「誰かを好きになった話」
第十二話 「誰かを好きになった話」「して、君は何のために過去に行きたいのかな」講義が終わり、足早にUNKNOWN研究会へ訪れた。部室に居たのは白崎さんと翠星石さん。一緒に来た金糸雀を合わせて四人のメンバーが小さい部屋に納まっている。開口一番、僕はタイムマシンの製作状況を尋ねた。「別段、過去を変えたりする気とかないんですよ」「それじゃあ何しに行きやがるんですぅ」特に何かをしたいとは思っていない。ただ、数年という寿命を割いてみてでも、どうしても見たいものがあるのだ。最近、僕はそれについて考えている。過去の僕からのメッセージ、その真意を。「どうしても確認したいんです、過去を」「ほお」お茶を啜り、相槌をうってくる。「まぁ、僕は好きに行けばいいと思うよ。 どうせあれはもう完成しているしね」「え」と、驚いて言葉を発したのは僕と金糸雀だった。何時の間にやら、いきなりだ。今すぐにでも、過去へ行けるというのか。「チビ、まぁだ駄目ですよ」「な」翠星石さんは生意気な口調で文句をつけてくる。過去に行ってやろうかと思った矢先に。しかしながら、何が駄目なのだ。「なぜ駄目なんです」「少し吹っ切れたように思いますが、チビはまだやらなきゃならない事があるです」「一体それは」「翠星石が知る訳ないです」無茶苦茶言いやがるな、多少失礼な事を心の中で呟く。僕が知る由もないし、言い出した翠星石さんも知らないという。何をすればいいというのだ、何を。白崎さんに目線を送るが、知らん振りをされているように思える。ひどいじゃないか、言い出したのはそっちなのに教えてくれないなんて。僕は何をすればいいのだ。「ジュン、もうあなた知っているんじゃないかしら」今まで言葉を発さなかった金糸雀に顔を向ける。いつものような、間の抜けた顔でなく、真剣さが伝わってきた。「焦らないで、ジュンは気付いてないだけなのよ、きっとそうかしら」微笑む、金糸雀だけでなく他の二人まで。皮肉めいたものでなく、包容力や優しさが空気を張り詰めるこの感覚。自分の子に対する母親のような心境なのだろうか、三人は。僕は、まだ子供だというのだろうか。僕は知っているというけども、なんなのかはわからない。きっと自分で見つけろという事なのだろう。「―――元々急いだのも、今日はバイトがあるので。 そういう訳で僕はお先に失礼します」金糸雀はシフトが入っていない、きっと暫く此処にいるだろう。まだ此処に来てほんの少ししか経っていないが、僕は立ち上がった。そして、言う事が一つ。「次に此処に来る時はタイムマシンに乗ります」そう宣言して、僕は部室から出た。去り際に、白崎さんの「そうか」という一言が聞こえた。素っ気無いような一言だけど、どことなしに暖かさを感じた。もう僕は此処に来ない、必要なものは自分の中にあるという。タイムマシンに乗る以外にはもう意味が無い。あとはまた、いつものように考えて、そして行動するのだ。来た回数は少なかったものの、大事に思ったこのサークルに小さなさよならを告げた。すぐに、此処に戻ってきてやる。◆紫外線によって、砂漠をイメージさせるようなアスファルトへ姿を変えた道路を歩いていく。若干サイズの合っていないサンダルを履いている為に、しばしば地面に触れる足を熱が襲う。季節的にはまだ梅雨なのだろうが、陰湿なイメージを持つその言葉は考えずあくまで今は初夏だと思うようにしている。この言葉のもつ季節感は僅かに気分を高揚させる。この暑さだ、体が熱されて、心が揺るがぬ筈もない。ごくごく平凡な風景の堂々巡りでトロイメントに至ると思っていた。だが、シルクハットを被った白兎が元治さんに追いかけられているのを目撃し必ずしもこの国が平和という訳ではないのだなと考えた。というか何をしているんだあいつ。最近見ないと思ったら、店長なんだから蒼星石さんの帽子の事を知っているだろうに。大方、斬新な運動不足解消手段なのだろう。あんな白兎のマスクを被っていちゃあ脱水症状になりかねないと思うが。あの様子では店に来る訳じゃないだろうな、来られたら困るし。ぺたぺたぺたと、単調なリズムの足音が停止する。変な事を考える内にトロイメントへ着いてしまった。元々、少し早めにサークルを出たという事もあって、シフトより大分前に来てしまった。しゃあなしに、茶の一服でも嗜んでから出勤しよう、そう考えて扉を開けた。「あら、随分と早いわね」その声は、カウンターにて紅茶を啜る巴先生のものだった。平日のお天道様が真上に来ているこの時間帯、休憩なのだろうか。「蒼星石さん、何か美味しく作りやすく安いもの作ってもらえませんか」昼食はまだなので賄いを頼む。どうせなのねシフトに入るまでご一緒さしてもらおう。
「こんな可愛い店員さんに随分なご注文ね、桜田君の気分は何様なの」「今だけお客様です、三十分もしたら店員に進化してしまいますがね」「お客さん来ないしね、ゆっくり食べていいよジュン君」この時間帯に客の気配が巴先生以外に皆無な事に若干の危機感を感じるが、お言葉に甘えよう。講義にサークルと、まだ昼なのに中々色々あった、ひと時のブレイクタイムだ。「やれやれね」「何がやれやれなんです、何処の春樹ですか」「別に、そう言いたい気分だったのよ」時々ながら、考えている事がわからなくなったりする。それだけこの人は、奥深い人なのだろう、きっと。なんせクールなのだ。ついでにいうとビューティー。「そういえば先生、どんな人を好きになったんですか」「桜田君って無粋ね、そんなに知りたいの」「まぁ、少し」僕に似ているとか言っていたしな、やはり本能的に少しは気になったりはする。「僕も是非お聞きしたいな、柏葉さんの恋した人」「あら、お茶目な店員さん。私が話したら貴方もね」「やれやれ」巴先生の真似をして蒼星石さんが水を入れる。差し出された水を口に含み、僕は失われた水分の補給に努める。この人ら仲良くなってるなー。まるで友達感覚のように感じる。しかし、この雰囲気は僕も何か、その、所謂コイバナというものを語らねばならないのか。ご生憎にと、そのようなものには縁のない人生を歩んできたのだが。「桜田君は結構よ、言わずもがな理解しているし」「なんだかむかつきますね」蒼星石さんは笑いを必死に殺そうと微笑んでいるが、こんなやり取りが重要なんじゃない。お待ちしているは巴先生のお話だ。巴先生は少し考えるように俯き、カップに口をつけた。「そうね」と一言呟いて、巴先生は語りだした。「優しいけども、変わった人だったわ。 どこか普通の人とは違う生き方をしているような、そんな感じね」虚空を眺め、思い出すかのように、語る。懐かしいような、けども悲しいわけじゃない、楽しい思い出を語る老人のような暖かさのようだ。そう、まさに青春というような感じだろうか。「私が彼に恋したのは一目惚れ、理由はないけど良かったのよ彼。 そして私が彼に恋している時に会ったのはたったの三度のみ」三度会っただけ?それほど出会いは鮮烈だったのか、巡り合わせは来なかったのか。「私が高校生の時だったわ。 最初の出会いで皮肉を言って、二度目の邂逅で恋をして、最後の出会いで失恋」たったの三度、好きな人にそれだけしか会えなかったというのは寂しいものなのだろうか、普通なら。けどもこの人は違う、動かない心を鮮烈なまでに揺れ動かされたのだ。彼女の心に残る、大恋愛なのだろう。「まぁそれから失恋して冷めちゃって、それからも度々出会うのだけどね」「え、今生の別れという訳ではないのですか」「同じ町内に住んでいて、そんな事がそうそうあると思うの」ごもっともだ。何年間も姿を見ないというのは、普通ならばあらざる事だろう。だが、出会う度に何かを思ったりはしないのか。思い入れのある人に、何度も会うのはどうなのだろう。「ああ、彼には今は一欠けらの思いもないわ。 失恋してからは友情が育まれたとでもいうのかしらね。今じゃあ良き友達よ」友達、か。女性と友情は育めるのか、というのは永遠のテーマらしいが。けども、確かにここに存在しているのだろう。偽りも誇張も、全くといっていいほど感じられなかった。改めて、巴先生の心の潤った部分を確認できた。「凄い熱烈のようで、クールだなぁ」蒼星石さんが賄い(余りものスパゲッティ)を僕に差し出しながら言った。「なんか凄いどきどきする思い出ですね」「そうでもない、ただの過去よ。未来の事を考える方がどきどきするわ」カウンター越しに苛烈な視線を蒼星石さんは送り続けている。女性特有の、恋愛に対する憧れみたいなものなのか。とても楽しそうに見える。しかし、ただの過去か、それだけの楽しい思い出が。この人は未来に希望を持って、尚且つ強さがあるのだろう。「さて、次は店員さんの話だと心得ているけど」「はいはい、わかりましたー」調理具を所定の場所に戻し、準備万端といった具合に蒼星石さんは喋り出した。「柏葉さんは少し知っているだろうけど、僕女の子が好きなんだ」へぇ、そりゃ知らなんだ。巴先生は微動だにしてない、二人の時にそういう話もあったのだろう。「さっき柏葉さんが喋っている時なんて凄い魅力的だったし」「それはどうも」多分、僕が女性なら椅子を少し後ろに下げて距離をとっている。さっきの視線はそういう意味合いも含んでいたという事なのか。いやはや、このようなカミングアウトは流石に驚いてしまう。侮蔑といった感情などは全く沸いてこないが。「そんな僕だからちゃんとした恋愛ってのはないんだ。 だからこそ姉さんに恋して今もその感情が治まらない」以前、蒼星石さんには双子の姉がいるとの話を聞いた事がある。そっくりな容姿で、生意気な口調をしているとか。どことなしに、誰かは検討がつく気もするのだが。「僕は僕の為に生きているけども、姉さんの為にも生きているんだ。 姉さんにずっとついていって、多分これからもそうなんだろう」禁断の恋というのか、なんという関係なのだろう。ひどく限定された中、このような熱さをもった恋をする。蒼星石さんについての話というのは今まであまり聞いた事が無い。けども、印象が少なからず変わった。憧憬というのだろうか、尊敬の念が前より強まった気がした。「姉さんも、僕の事を好きだしね」そう言って蒼星石さんは微笑んだ。ああ、幸せそうだなこの人、凄く楽しそうだなあ。人は皆、このような物語を中に秘めているのだろうか。「人を好きになると、なんか変わっちゃうんだよね」「そうね、今まで積んでたものが崩されるようなあの感覚」「あれは何なのだろうね」と、二人は同時に言った。あー、この人たちは僕と違うのだなと、少し思った。けども、何故か僕は今疎外感を感じなかった。自分とは違うのに、どこか親近感を感じるようなこの感情。なんだろう、この不思議な感情はなんだろう。「さて、そろそろおいとまするわね」財布からちょうどの会計を出して、巴先生は席を立った。さて、そろそろ僕も仕事に入らないとな。話を聞いている内にいつの間にか姿を消した賄いの皿を洗い場に置く。「ご馳走様、あとこんにちは」「お久しぶりです」声のする方向を見ると体を上下させた白兎がいた。よほどしんどいのだろう、にしてもこの白兎とも知り合っていたのか巴先生は。「あまり帽子で遊ばないでくださいね」「ご老公にも、運動不足解消の手段として便利でしょう」「まぁそうではあるんだけど」元治さんの姿が見えない事から察するに、どこかで笹塚を捕まえたのだろうか。あの爺さんも確信犯じゃないのかと最近思うようになってきた。「では、さようなら」巴先生はそう言って去っていった。僕は店員の定型台詞で送り出し、やがて姿が見えなくなった。今日は凄く実のある話を聞けた。同時に、自分の心に引っ掛かりがある事に気付きだした。何なのかはわからない、いや、もう知っているかもしれない。僕は心の引っ掛かりに動かされだした、これが、やらなきゃならない事なのか。「そういえば店長、伺いたい事が一つ」「なんでしょう」「恋愛、これについてどう思う」「運命と理屈、夢と現実さえもねじ伏せる強大なものでしょう」その後、白兎が楽しげに呟いた「愛は素晴らしい」という言葉が心に残り続けた。
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