第十一話 「一区切り」
第十一話 「一区切り」先日、夜の街中で起きた狂騒について金糸雀に話した。金糸雀は笑ってばかりだった。仕方がない、と僕は思う。僕にとって元治さん(件のおじいさん)との出来事は壮絶ではたまた夢のようにしか感じられないものであったが他人からしたら笑い事にしかならないのは道理だろう。「ジュン、笑ったのね」「知らず知らずに、笑ってたよ」あの出来事自体、理屈で語れるようなものではなかった。加えて、最後に僕が訳もわからなく笑った。けったいな理屈を並べてその理由について考えようかなと、今まで思っていた。けどいいや。「楽しかったのかしら」「きっとね、そう信じている」たまには、感情論で何も考えないのもいいかなと思っている。僕は大した性能でない脳を活用させすぎて、軸が揺れていたのだろうか。馬鹿な自分を馬鹿だと認めようとしていなかったらしい。どうした僕、ブラシーボだとか青春だとか熱血だとか無我夢中だとか。それらとは対極に位置していただろう。まるで自分が否定されたみたいじゃないか、僕が僕でないみたいだ。「ジュン、馬鹿かしら」微笑む金糸雀は、静かにそう言った。ああ、あの間抜けなおてんばに言われちゃったよ。否定されて、反論もできず、ただ佇む。「ご馳走様かしら」黄色によって占領されている皿の上の料理を全て平らげ、呟いた。体が黄色信号を発しているのではないだろうか。特に今食べているのはファミレスでの朝食、カロリーだってあるだろう。おや、店員の方は顔が青いのが一人。外に出て行く者が一人。大方、朝一番に玉子をきらすなどと思っていなかった為のハプニングだろう。なんにせよ、頑張ってくれ。「僕が奢るよ」「へ? 」「どうしてか、気分が良くてね」ちなみに、現在元治さんとの出来事から半日も経っていない。あのまま高ぶった感情が冷静さを取り戻すのには時間を要しそのついでに睡魔を撃退してしまったようなのだ。冷静さを取り戻したといっても、完全に平常ではない。朝、日も姿を見せず気温が低い中で散歩をしていた。少し、体を冷まそうと思ったのだ。その最中、金糸雀と公園で出会ったのだ。その姿を見るのは久しぶりだった。乾いた空に伝わる弦楽器の音。何年ぶりになるのだろう、観客が僕一人の金糸雀のバイオリンコンサート。久しぶりに聞いたその音は、昔より澄んだように聴こえた。思い出が美化されるというが、どうした、現実が思い出を追い抜いた。「こんなの初めてかしら」「僕もだ、貧乏性でもケチでもないが、人に奢るのは初めてだ」僕らが住んでいるのは所謂住宅地だ。ひしひしと、押し込んだかのように数々の住宅が区画に納まっている。子供の頃、ろくな防音のない自宅での練習に苦情が舞い込み僕がよく知っている昔の金糸雀は、人の居ない時間帯に迷惑とならない離れた公園で練習をしていた。上手くなっているのは、長い長い時間がつぎ込まれた練習の甲斐だろう。僕は、金糸雀と出会わなくなってから今日まで一切聴かなかった。不思議に思うし、何より悲しい、そんな風に思った。勿体ねぇな、僕の過去。全く馬鹿だ。店員の客を送る言葉を聞きながら、店を後にする。朝日は未だ眩しい、これから段々と光を強めていくのか。「デートみたいかしら」「よくわからん」知らない事が沢山ある、それを僕は知りたいと思う。デートだってのもよくわからないし、これからさきもわからない。「ゆっくりわかればいいかしら」トントン拍子で物語は加速する。ならば、ゆっくりしていってもきっと知る事は沢山あるだろう。ゆっくりゆらりと、考えるより動いてみよう。「じゃあカナは朝一勤務だから行くかしら」「白兎と二人きりのシフトだったっけ、気をつけてな」僕ならば威圧感で店を出たくなる、シュールというより不気味だ。金糸雀が手を振ってくるので同じようにこちらも手を振る。金糸雀の行く先と逆方向の自宅へ戻ろうとした。けど、衝動的に、突発的に、何か言いたくなった。もう少し金糸雀と喋っていたいな、そう思う。金糸雀はバイト、僕は遅れてきた睡魔の襲撃でふらふらしてきたいる。完全に別れる前に何か一言。僕は遠のく金糸雀を呼び止める。何事かと振り向いてくる。「ありがとうな」金糸雀はぽかんとしているが、少しして微笑んでトロイメントへ向かっていった。なんでこんなタイミングで、なんでこのような事を言ったのか。自分で自分の事がいまいちわからなかった。ただ、短い間に色々とあったけど、お礼を言ってなかったなとふと思ったのだ。楽しく笑えたのも金糸雀と出会ったお陰であるのに。ただそれだけ、それで金糸雀の背中に手を振っている。多分、今の僕は笑っている。◆所変わって金糸雀が演奏していた公園。昨日の夜からは寝ないであのテンションのままだった。金糸雀に斬新な挨拶で別れを告げた後、僕は家へと帰ろうとした。しかし、急に体を襲ったしんどさで途中の公園で休もうと画策した訳だ。一休みして家へ帰る、そう考えてベンチに座った。体感的には少しして目を開けてみると、人が増えて時計の針は真面目に進んでいる。恐らく五六時間程寝ていたのだろうと思う。大学は勿論自主休講、おまけに徹夜明けで公園で寝ている。以前は没個性な自分だが、今は人間性を疑う行動に走っている。世間一般的に見て正常とはいえない変化だろうか。寝起きの頭を動かして、色々と整理する。やっぱり何もわからないし、金糸雀にいきなり何言っているのだろうと思う。けど、悪くないな、相変わらず馬鹿な頭でそう思った。帰ってちゃんと寝よう。そう思っておぼつかない動きで立ち上がる。意外な人がそこにいる事に、ようやくそこで気付く。「お目覚めね、ホームレスに転職でもしたの」「―――ん、ああ、ちょっと睡魔にそそのかされてね」本を閉じる、鞄にそれを入れつつ彼女も立ち上がった。「随分とお疲れのようだけど、いつもと違うように見えるわ」シャーロックホームズのような帽子被った真紅がそこにいた。髪の毛は複雑に短く束ねられ、地味に見えながらも帽子と調和している。どんな髪型にしろ髪の毛を下ろす所を見た事もない、いつも帽子にポニーテールやツインテールの変形みたいな感じだ。恐らく長い髪の毛をしているのだろうけど、イメージが定着して想像できない。「何考えてるの」「今からどうしようかなと」頷いたかと思いきや、そのまま考え込む。それもすぐの事で、真紅はすぐに顔をあげてこう言った。「どこかに連れて行きなさい」眠気が未だ残る僕になんて事を言う。だからと言って、家に帰って二度寝するとも言い辛い。「返事はイエスと受け取るわ、エスコートなさい」「人権を尊重して欲しい所だね」「時間の有効活用というものよ、公園で眠るぐらいに暇を持て余す貴方への親切というものよ」真紅の暴論に寝ぼけた頭は反論もなせず、やむ得ずぼやきながら僕は歩き出した。時間の有効活用というが、真紅さんは何故公園にいて僕の横にいたのだろう。「で、どうしましょう」「エスコートなさいって言ったでしょ、馬鹿って言われない貴方? 」恐らく高校生の時にどこぞの先生に言われ続けただろうとは思う。しかし、今日の真紅はなんだかいつにもまして攻撃的な気がするな。「では馬鹿が案内してさしあげます、トロイメントでもいくか。今日は白兎がいるが」「却下よ、あまり他の人とは会いたくない気分なのよ」「そりゃあ、またどうして」「そんな気分の時があるのよ、レディにはね」レディの嗜みや思想などというものは縁がないからな。自分自身もわからぬ僕に理解できるはずもない。……ところで、少しずつ覚めた頭が疑問を発する。えーと、これは。「そのシャツの犬はなんでしょうかね」「くんくんよ」「くんくん? 」「くんくんよ」多分、これは僕の質問が悪かったのかなと思う。だからといってもう一回質問しても堂々巡りになる予感がなくもしない。疑問にそこで終止符を打ち、道を曲がる。段々と街中へ入ってくる、空腹感が目立ち始めたしどこかで食べる事にしよう。真紅に聞いてみると、「無難ね」と言うしこのまま歩いていく。随分と遅い昼食になったもんだ。規則正しいというより、規則に従うだけの生活だった僕には斬新な経験だ。まぁ、得する事はないのだけども。暫く歩いて、喫茶店などがぼつぼつと姿を現し始めたので僕は近くの喫茶店に入った。真紅は黙ってついてきた。◆「色々とあったのね」真紅に話しながら思ったが、このような馬鹿話を日に何度もする僕は一体何なのだろう。「今日の貴方、確かにいつもと違うような気がしたもの」「本当? 」「ええ、今の貴方もいいと思うのだわ」カップを口から離し、微笑むながら真紅は言った。どことなく、金糸雀を錯覚させた。何故かはわからないけども。「あなたは大きな目標を持ってるもの、これからずっと変わり続けるわ」「だと良いけどな、真紅には目標とかはあったりするのか? 」そう返されて、真紅さんはさっきのようにすぐに喋らず、暫く手元の紅茶を飲んでいた。その質問を無視されたのだろうかと思わせる程の時間が過ぎて、ようやく口を開いた。「そうね、一つだけ」「どんな? 」「秘密よ、些細な事のようで他には目も暮れないの、そして戦ってる」戦う相手というのは、自分なのだろうか、はたまた他人なのだろうか。今の僕には知る由もなかった。些細な事でも、人によって感じ方が違うのだ。「それ以外の何かを見れる気がしないの、夢中になりすぎて」「僕には良い事のように思えるけどな、頑張れて」「そう」「けどね」と呟いて真紅さんは喋り続けた。「誰かに評価される訳でもないし、一心不乱になりつつある。頑張っても手に届かないかもしれないし、諦めきれないかもしれない。言葉に出して気が付いたけど、分の悪い生き方ね私」僕だって同じようなものだ。堂々巡りの生き方をしてきて、ようやく変われた気がする。けど、はるか未来の僕は納得がいく事ができないかもしれない。十年近く前のタイムカプセル、未だに同じ願いを持ち続けてるのだから。「貴方は違うわ、貴方の頑張りを見てる人がいるのだから。他の人はどうか知らないけど、少なくても私は見てるわ。恐れずに未来を見るのよ」そうだ、僕は未来を掴もうとしている。未来に行く為に、過去を見て、現在を歩いている。目の前が見えなかったり、後ろが真っ暗だったり、そんな事ばかりだ。けど、恐れちゃあいない。信じている。僕は、何があろうと進んでやる。「ねぇ」空になったカップを置き、真紅は見つめてきた。その眼はまるで、硝子が眼窩に嵌ったかのように見える。「私は人生は戦い続けるものだと思っているの。そう思って、こんなに惨めで弱くても戦い続けている。夢のような願いを追って戦っている。……ジュン、私は壊れてしまうかも」真紅はさっきとは違う種類の笑みを浮かべる。僕は言うべき言葉が見つからなかった。◆「今日は感謝するわ」辺りが暗くなり始めたので、僕は真紅を家まで送っていく事にした。結局、歩いて喫茶店で喋るだけだった。昨日動きすぎた分か、あまり今日は動く事がなかった。と言うより筋肉痛に襲われて動けなかったのだけども。「デートみたいね」ふと、真紅がそう言った。「だから、よくわからん」「だから?」「いや、なんでもない」同じ質問が同じ日に来るとは思わなかった。うまく返事を返せない、自らの無知具合にほとほとしてしまう。「貴方は、これから先どうなるのでしょうね」「真紅も、これから先どうなるのだろうね」未来はけっして確定せず、わからずじまいのまんま。さほどの距離でなかった筈だが、傷んだ体には長い距離に感じた。ようやく真紅の家にご到着だ。「僕は帰って寝るとするかな、布団と枕が寂しがってるだろうから」「そう、ジュン、今日は本当楽しかったわ」門の内側に入り、扉に手をかけながら真紅はこっちを見てくる。「健闘を祈るわ」近くの街灯はあまり良い仕事をせず、暗かったので顔はよく見えなかった。振り向いて家の中へ入る真紅に同じ言葉を返した。僕は踵を返して我が家へと向かう。そろそろ体を休めないと辛い。今日はゆっくり体を休めて、明日は――――。……明日何をしよう、明日何が起こるのだろう。最近こんな事を考え出して、未来の無限性に参ってしまう。僕は戦っているみたいだ。真紅に言われて、それに気付いた。戦う敵は、未来と過去の自分。敵の情報は全くなく、靄のようなものに手を突っ込むばかり。ああ、そうだ。考えるばかりじゃあ駄目だ。未来は立ち止まっててもいつか訪れて、拝見できる。過去だ。過去の足跡は、雨に消されたかのように見えない。その足跡を必死に見ようとするだけでなく、失った世界、失った可能性ともいえる足跡を踏んでやりたい。タイムマシン。人類の夢、狂気の沙汰、どちらともいえるそれに段々と僕は惹きつけられている。明日はちゃんと大学に行こう。真面目に講義を受けに行くという訳ではないが。UNKNOWN研究会へ、可能性を見に行こう。相変わらず痛い体で歩き、いつの間にか曇った空の下でそんな事を思った。
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