悪の秘密結社、構成員1名。
とある日の昼下がり。うららかな陽気に誘われて、薔薇水晶はお散歩をしていました。暖かな日差しは彼女を優しく包み込み、柔らかな風がスカートを悪戯に揺らします。ぽーっと。ぼーっとではなく、ぽーっと、彼女はお散歩をしていました。 木漏れ日の下で深呼吸したり。自分と同じようにお散歩中の子犬の頭をわしわし撫でたり。公園に立ち寄って、ベンチで休憩したり。 そんな風にのんびりとしていると、近所の高校生くらいの男の子が話をしている声が聞こえてきました。 「それにしても、真紅先輩に水銀燈先輩、翠星石先輩に蒼星石先輩と、うちの学校は美人が揃ってるなぁ」「ホント。しかも顔だけじゃなくて勉強まで出来るし……レベル高いなぁ」どうも話の内容から察するに、彼らも薔薇水晶と同じ高校に通う一年生のようです。話題になっているクラスメイトの事を思い出しながら、薔薇水晶は相変わらずぽーっとしています。男子生徒たちは、それからも可愛い女の子の話題で持ちきりです。「雛苺先輩は無垢な感じがするし……」「金糸雀先輩もちょっとドジな所があって放っておけないよな」 遠くで話している声を聞くともなく聞いていた薔薇水晶でしたが、思わず小さな呟きが漏れちゃいました。「……誰か……忘れてない……?」もちろん、そんな呟きは遠くに居る男子生徒には聞こえていません。 それでも、薔薇水晶の想いが通じたのでしょうか。男子生徒たちは一際大きな声で言いました。「そうそう、それに何と言っても今一番の注目は!」「やっぱり雪華綺晶先輩だよな!!」おしい。薔薇水晶はいつしかしっかり聞き耳を立てている自分にも気が付かず、今度は心の中で呟きました。 確かにきらきーは可愛いけれど、誰か忘れてないかな?ん?って感じで、薔薇水晶は長い髪の毛をふわっとかき上げました。シャンプーの良い匂いが風に乗って運ばれます。 すると、その香りが彼らの記憶を揺さぶったのでしょう。「そうそう。忘れちゃいけないのが」と、一人の男子生徒が口を開きます。「消毒液の匂いがする、保険の柿崎先生も捨てがたいよな!」「ああ。あの幸が薄い感じが、何とも庇護欲をかきたててくるよな」 「……わざと?……新手の嫌がらせ?……」いつまで経っても『素敵な薔薇水晶先輩』の話題が出ない事に若干の苛立ちを感じながら、薔薇水晶は呟きます。わざとギリギリな感じで足を組み替えてみたり。ちょっと暑いわね、といった感じでシャツの胸元をパタパタさせてみたり。薔薇水晶は水面下でアピールを続けます。ですが……「のり先生の天然な所も……」「梅岡先生の尻が……」「草笛先生が……」結局、彼らが『素敵に無敵な薔薇水晶先輩』の話題をする事はありませんでした。 そして時間が過ぎ……女の子の話題をしていた男子生徒たちも居なくなった公園で。薔薇水晶は一人、放心しながら虚空を眺めていました。何だろう、この扱いの差は。そう思うと、胃がキリキリと痛くなります。私って影薄いのかな。そう考えると、胸の辺りが苦しくなります。お散歩を始めた時のウキウキとした気分はすっかり無くなり、もう何をする気力も湧いてきません。薔薇水晶はベンチに座ったまま、ぼーっとしていました。「ママー、あの人どーしたのー?」「しっ!見ちゃいけません!」夕暮れの公園で自分をチラチラ見ている親子連れの反応に、ついつい泣いちゃいそうになります。いいえ、ひょっとすると、この頬の熱さは泣いていたのかもしれません。世間の評価に対する怒り。自分の不甲斐なさへの悲しみ。真紅や水銀燈、クラスメイトへの嫉妬。それらが入り混じった涙を、薔薇水晶は流していたのでしょう。涙が零れ落ちちゃわないように彼女は空を、上を向きます。赤く染まった空にカラスが一羽だけ飛んでいるのが見えました。あーあ。世界、終わらないかなぁ。ぼんやりと、そんな事まで考える始末。そんな破滅願望まる出しな事を考えている内に……何だか薔薇水晶は、胸のうちから抑えられない笑いが起こるのを自覚しました。「……ふふ……そう……こんな世界……私が変えれば良い……」その時の彼女の顔には、悪よりドス黒い邪悪としか形容できない笑みが浮かんでいました。 ――― そして、運命の分岐点から数ヶ月。薔薇水晶は高校を卒業すると同時に、姿をくらませました。彼女の友人達は皆、何の連絡も無く消えた薔薇水晶の事を心配しましたが……結局その足取りすら掴むことも出来ず、さらに数ヶ月の時が流れます。 そして今。王の中の王。真に世界を統べる帝王として、薔薇水晶は再びこの町の大地を踏みしめていました。悪の秘密結社の総帥にして戦闘員。諜報部員兼開発研究員。組織の目的は『世界征服』です。全ては、自分自身を認めなかった世界に対する復讐の為。ネオ薔薇水晶として、彼女は帰ってきました。 小高い丘の上から、薔薇水晶は自らが生まれ育った町を見下ろしていました。太陽は既に沈んで久しく、早くも照明を消した民家も眼前にはあります。さて、どこから支配してやろうか。そう思うと、ついつい笑みが漏れてしまいます。そうして町を見下ろす内、彼女の目はとある一点に釘付けになりました。「……あれは……倉庫……?」人気の少ない所にある、食品メーカーの名前が書かれた倉庫です。「……まずは……この町の食糧を押さえる……!」衣食住。人間にとって大切な三つの柱の一本を潰し、自身の華やかなデビュー戦を飾ろう。きっと愚鈍な大衆は、それにより大いに混乱する事だろう。 作戦を実行に移すため、薔薇水晶は夜の闇に紛れて移動を開始しました。本当ならタクシーでも使いたいのですが、作戦に割り当てられる費用を考えると、そうもいきません。あったか~いココアを自動販売機で買って我慢する事にしました。缶ジュース片手にてくてく歩く薔薇水晶でしたが、しばらくして、ちょっと困った事に気が付きました。空き缶を捨てる所が無いのです。いずれは自分の物となる世界。つまりは自宅。いいえ、自室といっても過言ではない場所。ポイ捨てなんて、もっての他です。仕方が無いので、薔薇水晶は空き缶を片手にしたまま、てくてくと倉庫を目指して歩きました。 そして、程なくして目標の倉庫に辿り着きます。本当なら、こっそり破壊活動にでもして帰る、という予定でしたが……倉庫の中には人が居るのか、明かりが付いているのが確認できました。「……愚民も……将来の労働力……」真の支配者たる薔薇水晶は、慈悲深い心で、無用な犠牲を出さない事にしてあげます。とはいえ、倉庫の中に居る人間が帰るのを気長に待つだけ、というのも面倒です。薔薇水晶はこっそり、偵察をかねて倉庫の中を覗いてみる事にしました。倉庫の中では、真っ黒なスーツに身を包んだ男達が、何やら丁重にアタッシュケースを抱えています。そして、その鞄の中身を、これまた別の黒スーツの男に見せていました。「……あれは……きっと、超高級な小麦粉……!」その様子を覗き見ていた薔薇水晶は、小さな声で呟きます。あんな立派な鞄に入ってるんだから、普通の小麦粉とは違うだろう。間違いなく、ふかふかで美味しいパンが作れる最高の国産小麦粉に違いない。薔薇水晶は、アレが危ない白い粉だなんて思ってもいません。だって、倉庫には食品メーカーの名前が書いてあったんだし。「……そんな重要食材を押さえた日には……ふふふ……」薔薇水晶は素敵な未来予想図を脳裏に描いて、妖しげな笑みを浮べました。 そして、そんな重要な倉庫を襲撃する為に、薔薇水晶は黒スーツの従業員が帰るのを隠れながら待ちます。 ですが……そこで、意外な事が起きました。黒スーツ達は、超高級国産小麦粉が入った鞄を手にしたまま、帰ろうとしているのです。「!!……横領……」薔薇水晶の目には、不真面目な従業員が倉庫の中身をこっそり私物化しているようにしか見えません。「……あんな従業員……私が支配者になったら……クビ……」薔薇水晶の心に、静かな怒りの炎が燃え始めます。まだ支配者にはなってないけど、それは時間の問題。きっと、もうすぐ。つまり、ここで横領するのは……ひいては私の物を盗むのと同義。ここは帝王として、ビシッと言ってやろう。そう思った薔薇水晶は、おもむろに立ち上がると、そのまま倉庫の中へと足を踏み入れました。足を踏み入れましたが……何と声をかけていいのか分かりません。そのまま、キッと睨みつけるような視線を送っていると。「誰だ!てめぇ!!」黒スーツの男達が、そう声を荒げてきました。「……私は―――」王者として、優雅に自己紹介を。そう思っていた薔薇水晶でしたが、自己紹介は中止になります。黒スーツの男達は、懐から銃を取り出すと、迷わず薔薇水晶目掛けて撃ってきたのです。 最近じゃあ警備にエアガン使うんだ。まさか本物の銃だとは思ってない薔薇水晶ですが……プラスティックの弾でも当たったら痛そう、という理由で、とりあえず手近な物陰に隠れました。 「やめろ!撃つな!!」隠れた途端に、黒スーツの一人が声を荒げます。「ここからだと商品に傷が付く!回り込め!」聞こえてきた声に薔薇水晶が周囲を見渡すと、なるほど。彼女が隠れたのは、小麦粉の詰まった袋の陰でした。そして……なんだか小麦粉を見てると、ちょっとした冒険心みたいなのが出てきます。「……粉塵爆破……」誰もが一度は憧れる、派手で素敵な必殺アタック。薔薇水晶は、是非ともこの機会にチャレンジしてみようと、手を伸ばして小麦粉の袋を掴みます。それから、大きく振りかぶって、えい、と投げました。袋が破れて、粉が空気に舞います。後は火をつけて、と、そこで薔薇水晶は気付きました。ライターとか、持ってないや。むしろ、今持っているのは空き缶だけですね。ちょっと首を傾げながら、薔薇水晶は考えました。ひょっとしたら、思いっきり地面に空き缶を投げたら……金属なんだし、火花とか出るかも。名案だと言わんばかりにポンと膝を打つと、薔薇水晶は持っていた空き缶を思いっきり地面に投げました。 ですが当然のように、そんな事では火花が起こる訳も無く。起こったのは、悪戯な奇跡でした。 薔薇水晶が投げた空き缶は、派手な音を立てて地面にぶつかります。その音に驚いた黒スーツ達は、慌てて銃の引き金を引きます。銃口から出た火花。弾丸が空き缶に当たった火花が、白い粉に引火します。爆発しました。 派手な爆風と、轟々と音を立てて燃える、大量の小麦粉。黒い煙がもくもくと上がっています。頂点に君臨する者としての自覚がある薔薇水晶は、体に悪そうな黒煙を吸わないようにいち早く外に出ました。 世界を導く者として、健康に気を使うのは当然の事だからです。そして、今回の作戦が上手く行った事に満足の笑みを浮べようとした時でした。 「動かないで!!貴方は完全に包囲されてるわ!!」視界が真っ白になる程のサーチライトと共に、警告の言葉が向けられました。そうです。警察に囲まれてしまったのです。 薔薇水晶は、せっかく良い気分を邪魔してくれた無粋な連中に文句の一つでも言ってやろうかと思いましたが……気を取り直して、優雅な自己紹介を始めました。今作戦の目的。それは自身のデビューを飾る華々しい戦果。つまり、プロモーションでもあるからです。 「……私は…………『素晴らしきバラシー団』総帥……」 視界はライトのせいで真っ白で何も見えませんが、何となく相手が居そうな方向に視線を向けながら言います。「素晴らしき……バラシー団ですって?」ライトの向こうで、警官隊を指揮していると思われる人物が怪訝そうに呟きます。薔薇水晶はその反応に気分を良くして、少しだけ微笑みながら続けました。「……『素晴らしきバラシー団』総帥……薔薇水晶……」言い終わると同時に、倉庫が再び爆発しました。黒スーツ達は白い粉だけじゃあなくって、沢山の武器も隠していたのでしょうね。ともあれ。爆発で警官隊が驚いているうちに、薔薇水晶はさっさと逃げる事にしました。 警察に捕まって事情聴取を受けている暇など、帝王には存在しないからです。そんな暇があるなら、世界を支配する為に一歩でも足を進めた方がよっぽど素敵です。 薔薇水晶は、夜の闇の中を駆けます。全ては、この世界に薔薇水晶という大輪の薔薇を咲かせるために。 ≪ お・し・ま・い ≫
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