SEAVEN side - s 「輪廻」
微かな異音を立てながらエレベーターは上昇してゆく。座りこんだ三人は重力の変化を感じていた。先程までの緊張から解放されたためか、息は荒い。扉がないため、沈んでゆく壁の汚れが目につく。加速度がゼロになり、速度が一定になったころ、体にのしかかる重力変化はなくなった。そうしたときに壁の変化を見ていると、まるで世界そのものが沈んでいってるようにも見えた。「なんで、あんなことを言ったんだ?」しばらくしてから、桜田ジュンが口にした。先程の白崎の行動に疑問を持って。「どうして、僕達の手助けを?」白崎は大きく息を吐き、右手で這って壁際まで移動し、そこに背をもたれかけた。「このエレベーターって上に到着するまで、結構かかるんですよね」桜田と蒼星石は静かに次の言葉を待っていた。「煙草、吸ってもいいですか?」そう言いながら胸ポケットに入っていた煙草のケースを取り出す。返事を待たず、一本取り出して口に咥えた。そして、桜田を見つめる。「ライター。返して下さいませんか? 大切なものですし」ジュンは慌てて手にしていたライターを差し出す。満足そうにそれを受け取り、右手で火を点けようとするが骨折した薬指のせいでコトと落としてしまった。それはパネルに背を持たれかけていたジュンの近くまで滑ってきた。拾い上げて立ち上がり、彼は白崎の咥えていた煙草に火を点けてやった。瞼を閉じ、頷いて口には出さずに感謝の意を述べた。一息吸い込み、そして人差指と中指で煙草を挟み口から離す。行き場のない紫煙がエレベーターの中で漂う。ゆっくりと立ち上り天井にぶつかる。そして、少しずつ左右に拡散し、やがて、沈む壁とともに姿を消した。おそらく、壁とエレベーターに僅かな隙間があるのだろう。「これは、一人の少年の話だ」指に煙草を挟んだまま視線を上に向け、口にする。そして再び、煙草を口に咥えた。ケースと同様に胸ポケットに入っていた携帯灰皿を取り出し、灰をその中に落とした。「彼は7thに生まれた。でも、長い間そのことを不幸とは思っていなかった」目を細める。後頭部をコツンと軽く、壁にぶつけた。「古い話なんだ。とても、古い」side -S「輪廻」――そもそも、7thと言う階級の本当の意味は知っているかい?二人とも首を振った。――だろうね。セブンでも知らない人の方が多いからね。火がジリジリと音をたて、シガ―ペーパーを短くする。――セブンと言うのは、敗戦者の末裔なんだ。 地下に潜る前の、争いのね。紫煙が揺れる。――とはいっても、テロリストのようなものだったんだ。 数がそもそも違った。非対称戦争ですよ。吐き出す。――じゃあ、本題に移りましょうか。 その、少年のね。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――彼は、セブンであることを不幸とは思ってなかった。むしろ、誇りだった。セブンの本当の意味を物心つく頃には知っていたから。争った理由も、彼は理解できる部類のものであったのだ。先祖が正義とは思ってはいなかった。しかし、悪だとも思っていなかった。それぞれの信念が噛み合わなかった哀しい結果だと、感じていた。――彼は周りからは賢い子だとよく言われていた。 少年時代は、そのまま流れて行ったんだ。やがて、思春期が過ぎ、聞かせてくれた。「犠牲を払うこともない……」協調性も多少欠けていた僕だから、聞き流していた。しかし、周りのいうことは素直に聞いていた。協調性に欠けていたとは、また別の意味だ。――どこか、本人も気づかないところで、他人を見下していたんだろうね。 誇りを持てない人たちをさ。十九歳。彼は、生涯忘れることのないであろう出会いをしたんだ。――少年少女。とはいえ両方とも十九歳だ。おかしな感じだけどね。――彼女は、ファーストだったんだ。本来、出会うはずないよね。 でも、現実と言うのは不思議なもので、そんな邂逅があったんだ。白崎は、視線を上げ、煙の行く先をぼんやりと見ていた。――まぁ、どちらかって言うと、彼女の性格によるものなんだけどね。ファースト。セカンド。サード。フォース。フィフス。シックス。セブン。彼女はそれぞれに対するイメージも語っていた。そして、彼女なりの階級の呼称の本当の意味。不思議な子だった。ファーストの住む世界はどのようなものか、彼は気にもなった。――柿崎メグ。それが彼女の名前だ。彼女は、生まれつき体が弱かった。病弱と言う意味じゃない。臓器が悪かったのだ。心臓、肝臓、胃、腸、肺。いたる臓器が常人より遥かに劣っていた。だから、普段から薬を常用しないといけない体だった。『綺麗な風に当たりたいわ。ここは汚れてるもの』似た者同士、惹かれ合っていた。彼らは今思えば、恋に落ちていたのかもしれない。そして、空を目指すことにしたんだ。少年は、少女のために。何もかもを捨てる覚悟で。このころ既に、彼には7thマフィアの幹部の席は用意されていた。親がそうだったから。子に、継がせるために。――汚い仕事だけど、ほぼ確実に将来は安定していた。 彼らは、一般人の生活に大きく関係していたからね。しかし、彼は、彼女を選んだ。それまでの人生の中での、唯一彼の選んだ選択だった。『セブンのくせに! お前、セブンだろ!』様々な罵声も浴びた。裏切られもした。悲しい決別もあった。――でも、彼らは空を目指したんだ。 彼女は彼の身の安全のため。 彼は彼女の体のために。そして、彼は彼女からペンダントを受け取った。白崎の持っている煙草はかなり短くなっている。しかし、まだそれを捨てようとしなかった。――結末は、非情だった。白崎は目を閉じた。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――エレベーターが止まる。目の前には、武装された警官隊。軍はいない。他に道はなかった。僕は彼女の手を取り無理やりに突っ込んでゆく。彼女がいるのだ、発砲はないだろう。しかし、その手は離れた。彼女は急な動きについていけずに転倒してしまったのだ。――メグ!僕は叫んだ。しかし、何もかもが遅かった。警官に手を掴まれた。それを振りほどこうと、激しく抵抗する。気がつけば、床に倒れていた。おそらく、投げ飛ばされたんだろう。肺から空気が無理やり吐き出される。僕は、むせた。そして、警官隊は彼女のもとへと走ってゆく。大量の土埃が舞っていた。エレベーターの外は、何十年も、何百年も人が足を踏み入れてない。砂の溜まっている量も尋常じゃなかった。彼女も、地面に倒され、関節技を極められ拘束されていた。この状況にファーストも関係ないのだろう。僕は、呑気にこう思った。あぁ、これはきっと初めてファーストとセブンが平等に扱われた状況なんだ。土埃はまだ舞っている。彼女の呼吸。それらは口へ、鼻へ、肺へ入り込んでいった。ゲホゲホと、咳ごむ。それだけじゃない。痙攣もし始めた。発作だ。僕は全身の力をこめて暴れ、拘束を解こうとした。骨なんて、折れてもいい。だから、――放せ!叫んだ。警官たちも彼女の症状に驚いていたのだろう。拘束はすんなり解かれた。彼女の元に駆ける。着ていた服を破り、切れ端を彼女の口に被せた。マスク代わりになってくれ。そして、彼女から預かっていたガラス製のアンプルを取り出そうとする。中には液体が入っているはずだ。だが、手に触れたそれは違和感を持っていた。割れていた。おそらく、投げ飛ばされたせいだろう。まだあるはずだと自分の胸ポケットをまさぐる。だがどれも、破損してしまっていた。他にはない。――戻して! エレベーター!彼はそう叫び、慌てて真ん中のパネルをいじる。しかし、ズボンの裾が軽く引っ張られた。振り返ればメグの手があった。――いいの。ここで。弱く笑う。――間に合わないから。彼もそんなことは分かっていた。――でも……何であれ、言葉にならない。――お願い。弱く、だが、はっきりと口にした。彼は、彼女のそばに座った。そして体を引き寄せる。その視界はぼやけていた。頬を、熱い滴が伝う。――変な顔。そう言って、彼女は苦しそうに笑った。――いいからしゃべるな! すぐに治るから!嘘だ。――ねぇ。なんで、私につきあってくれたの?――分からないよ。君だから一緒に行きたかったんだろう。――ふふ。私って幸せなのかもね。――馬鹿だな。メグ。――キスしてよ。最期にさ。――最期なんて言うなよ。良くなるから。――駄目?僕は、無言で唇を当てた。唇と唇が当たるだけの幼いキス。でも、大切なキス。――ありがとう。唇が離れた後、そう言った。そして、再び咳ごむ。尋常でない量の汗が流れている。――会えて、よかったよ。白崎君。微笑んだ。――綺麗な……風だね……。確かに微笑んだ。そして、その眼から光は消えた。僕は無言で、その瞼を閉じた。――どうして?ただ、幸せを願っただけなのに。――どおして?声は裏返った。みっともないほど、取り乱している。涙、鼻水。すべてが流れる。――どぉして?涙、溢れて止まらないよ。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――「その時の彼は、何の因果か警官をやっている」白崎は煙草を携帯灰皿に入れた。「本来なら、セブンに生まれた者は、セブンとしてしか生きていけないのは知ってるだろ?」息を吐く。煙はもうない。「彼はね。その時、死んだんだ。公式の上ではね」「それが……」ジュンは口に出す。「そう、私だ」白崎はその先の言葉を引き継いだ。「一人の男に拾われたんだ。それからはその男の弟として生きている。 白崎槐。それがその男の名です。今は、警視総監をやってるんだけどね」彼は口を閉じ笑った。「感謝、してるんですけどね。彼には」「その、めぐって人が言ってた階級の本当の意味って?」ジュンは尋ねた。「下らないことですよ」白崎は苦笑いし、続けた。「彼女いわく、初めはシックスとセブンしかなかったらしいです。 エス、アイ、シー、ケイ、エス。sicks。 それと、エス、イー、エイ、ブイ、イー、エヌ。seaven。 病に冒された人々と、七つの大罪を表す世界。 そして、無理矢理な当て方だけど、人々の無意識が集まる海。 つまり、階級は後付けらしいんです。 まぁ、今考えると馬鹿馬鹿しいことですけどね」それから先、この密室の中には言葉は生まれなかった。当然かもしれない。「もうすぐ、着きますよ」白崎は言った。その言葉に、ジュンは身に付けた腕時計を見た。しかし、その針は止まっていた。当り前だろう。エレベーター速度は緩まってきた。体で分かる。「それでも空を目指すのかい?」白崎は尋ねた。「あの部屋で、空は見たんだ。それ以上に先に進む理由なんてあるの?」続けた。「僕には、あなたの時のようなはっきりした理由なんてないかもしれない。 それでも、空が必要だと思うんだ。あなたの話を聞いて、ようやく分かったよ。僕の理由が。 恩着せがましいかもしれないけど、重すぎるかも知れないけど。 空は、誰にだって必要だと思う。 開いただけじゃ、何も変わらないかもしれない。悪化するのかもしれない。 でも、あなたのようなもう寂しい思いは誰にもさせない。 希望。 それが僕の答えだ」彼は、纏まらない答えを思うままに口にした。そう、何かが絶対的に正しいわけじゃない。何かが絶対的に間違えているわけじゃない。でも、何かが噛み合わないで、悲しみは生まれるのだ。不可能に思えても。それでもやれることがあるはずなんだ。「そうですか」白崎は言った。「正直、貴方達にムカついてました。たいした理由もない、貴方達に」彼は笑う。「でも、それ以上に羨ましいと思いましたね」そう言って、ジュンを見た。「もし、あの時の僕が君なら、あんなことにはなってなかったかも知れない」沈んでゆく壁が切れ、それからの道が見えた。どうやら到着したらしい。「ここで、お別れのようですね」白崎は告げた。「空、か。あ、あと貴方達に知らせたいことがあります」二人は振り返る。「蒼星石の容疑、冤罪と分かったよ」白崎は彼女に微笑んだ。二人は驚かされた。「結菱二葉さんが証言してくれました」「嘘だ! あの人がそんなことするわけない」「でも、本当だ。すべて、認めたよ、彼は」彼女は無言で背を向け、歩きだした。桜田も慌ててそれを追う。「彼らで、あのエレベーターまでたどり着いた脱走者は七組目か……。 はは、これで昇進はなくなりましたね」彼は独り言をつぶやいた。「きっとこれでよかったんだろ? メグ」彼ら二人の姿が見えなくなったころ、白崎は口ずさんだ。『少年は信じてた 少年は夢見てる 少年は歌ってる いつまでも歌ってる いつまでも いつまでも いつまでも いつまでも いつまでも』「少年、か……」それは奇しくも、ジュンが始まりの電車の中で聴いていた歌のつづきだった。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――「入れ」看守の声が響く。ガラスの向こうには同じ顔があった。「久しぶりだな、二葉」ガラスの向こうから声がする。「ああ、そうだな。一葉」双子の老人は互いに言葉を交わした。「お前、あの者たちに手を貸したろう?」二葉は言った。「何のことかな?」そうとぼける。「はは、相変わらずだな。お前は」「フン。どうだかな。お前の逮捕も関係しているだろう?」「そうだろうな。私自身、1stの影響力は十分理解している」二葉は鼻で笑う。「ファーストか……。私たちがあそこを去ってもう十五年か」一葉は懐かしむように言い、「私はフィフスに、お前はセブンに没落した」と続けた。「長かったな……。あのことがなければ今でも空を閉じたままにしようと躍起になってたんだろうな」「かもしれん。お前の倅、今は警官であろう? そして、父を逮捕した」「仕方のないことさ。恨まれても不思議はない」目を瞑り、ゆっくりと首を振る。「皮肉なことだ。あれ以降、私は空を開けることを望み、お前は空を閉じることを望んだ」「そして、取った養子の姉妹は義理の親――私たちとは逆のことを願った」「私のところに来たのは、姉だったな。彼女は空を閉じることを願っていた」「いや、今では違うだろう? 妹が空を開くのを手伝ったはずだ」「そうだな。しかし理由が違う」そして、一葉はこう続けた。「妹のためだけだ。空など眼中にない」「だが、出した結論が変わるわけでもあるまい?」そう言って、二葉は話を変える。「空とは、何だったのだろうな?」「分からんよ。だが、昔の過ちにいつまでも縛られ続け、それを未来にも強制するのはエゴと言うものだ」「未来、か。いい響きだな」「少し、年を取りすぎた気もするがな」「老いぼれにとっても、未来とはいいものだな」一葉は、はぁと、溜息をついた。「私のしていたことは、正しかったのだろうか?」二葉は心ここにあらずといった感じで、言葉を紡いだ。「さあな。わからん。正義なんて後からついてくるものだ」そう彼は答えた。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――音もなくエレベーターは降りてきた。余談だが、余りに静かすぎたので、真下にいた数人の警官は気付かず、つぶされそうになっていた。そこに乗っていたのは、白崎一人。拳銃は奪われたままだった。意識ははっきりしていたものの、怪我をしており病院に運ばれることとなった。一応の応急処置はされているが、骨折してから、一日以上が経過している。彼は医者から、うまくくっつかないかもしれないと、言われたが、「構いませんよ」そう一言返すのみだった。唯一の彼からの要望は、部屋を個室にしてほしい、唯それだけらしい。これで、この事件は終結する。――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――翌朝、僕は疲れているはずなのに、自然と目が覚めた。せっかくの機会だからもう少し惰眠を貪ろうかと思ったが、どうもそんな気にはなれない。提出は待ってくれるらしいのだが始末書でも書いておこうかと、手を伸ばした時、ノックの音が響いた。はい、と返事をする。入ってきた人物に彼は驚かされた。いや、彼女にはずっと驚かされっぱなしな気がする。ファースト、雪華綺晶。わざわざ見舞いに来てくれたと言うのだ。「大変でしたね。人質にされて」彼女は白々しくそう言った。「はは、おかげさまで。そちらは、どうなんですか?」皮肉で返す。「何も、変わりませんわ」「そうですか。マスコミが知ればすごい騒ぎになりそうなんですけどね」「報道なんて、させません。その前に、潰してしまいますもの」どこまで本気か分からない。笑顔でそう言う彼女に、ぞっとした。彼女は立ち上がり、この部屋の窓を開けた。「貴方は十分頑張りました。これまでも、その前も」口調が変わる。「頑張りすぎて、幸せを見失っていたんです」「……」着いていけてなかった。「誰かに認められなくたって。どんなに非難されたって。貴方は貴方の正義で戦ってきました」労いの言葉には違いない。「届いていましたから。私は貴方に感謝しています」そして、「もう、頑張らなくていいんですよ。これからは、貴方自身のために生きてください。お疲れ様でした」僕は泣いた。理由など分からない。だが、泣いた。涙は途切れることなく溢れてくる。求めていた結果が、やっと出たのかもしれない。全ての因縁が切れた気がした。涙が渇く頃には、彼女の姿はもうなかった。「神出鬼没だな、本当に」そう、呟いた。胸元に、暖かなペンダントの重みを感じる。彼女の手で変えられた、花瓶の花を見つめた。……。風が吹いた。そんな気がした。side -S 了To side ‐J
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