『柿崎めぐ』
医学を学んでいない私が語るのもおかしい話なのだが、人類は生物で唯一、病気や怪我を『治療』という、何かしらの化学的、もしくは精神的手段によって取り除いてきた種族だと私は思っている。化学的、というのは薬物治療や科学によって編み出された精密器具の事で、精神的、というのは迷信と言われるものを含めた人間の“ココロ”に語り掛けるものである。『治療』という概念はこの二つがあって初めて真価を発揮するらしく、例え素晴らしい医療技術によって病巣が取り除かれたとしても、患者自身の「治りたい」という気が無くては回復が遅れたり、場合によっては再び病魔の手に堕ちる事になる事もあるらしい。精神的に、というものも大体は一緒だが、奇跡的な確立で例外があるらしく不治の病と言われるものでも奇跡というもので完治してしまった、という事例がある。まぁ、決して化学的なものから隔離された、そんなものではないのであるが。かく言う水銀燈のお姉様もその『精神的』な問題と戦っているらしい。薔薇水晶の話によると水銀燈は良く病院へ通っているという話だ。別に水銀燈は見るかぎり健康だし、彼氏が出来たという噂も知らないし病院に通う理由が無いように思える。詳しく聞いてみれば水銀燈はある女性の元へお見舞いに行くという。その話を初めて聞いた時は私は思わず、近親感を憶えてしまったのも事実である。そう、水銀燈は女性が良かったのか、と。しかしそうとなれば話は早い。あの水銀燈を私の虜、事実は虜にされたいが、それが事実になる可能性、そしてあの、水銀燈がお見舞いに行く女性の美しさや性格の良さを知ってみたかった。なので、私は水銀燈の後をつけてみることにした。そんな話である。気分はスネーク、私は水銀燈の後を付けとある病院へと足を踏み入れていた。正直、私はこの病院という物苦手であった。眼帯に隠れた部分が疼く、というのも理由の一つだが、あの消毒液の臭い、そして白を基調とした色合いが私には合わなかった。病院に行くと何故だか体調が悪くなければいけないような気分になる。というものは言い過ぎかもしれないがそんなアンニュイな気分になるのだ。周りの看護師に些か白い目で見られつつ水銀燈の後をこっそりと追っていく。水銀燈がこっちをむけば背景に紛れ、水銀燈があっちを向けば看護師になりすまし(私の格好が白いからあまりばれない)水銀燈がそっちを向けば病院食をつまみ食いしながら、私は完璧なまでストーカーをこなしていた。ふと、水銀燈がある病室で立ち止まった。私は先ほど拾った飴玉を口へ放り込み、物陰から様子を伺う。どうやら例の“彼女”はここらしい。目を凝らしてよく見れば『柿崎』という文字が辛うじて読める。なるほど、水銀燈のお姉様はその柿崎なんとかに夢中なのか。しかし、水銀燈が病気っ子萌えだとは私は思いもしなかった。ここと私の家に一人ずつ怪我っ子がいるというのにそれでは満足してくれないとは……贅沢なお姉様である。ふと、我に返ると水銀燈は私がそんな不埒な妄想をしている間に病室に入ってしまっていた。私は病室まで音もなく忍び寄り、扉に耳を寄せる。「……ぐ、……ないで……たべて……我慢し……」水銀燈のお姉様の声がする。会話内容を考察すれば「めぐ、焦らさないで私を食べて。我慢しきれないのよ」だと思われる。……嗚呼、なんて破廉恥なお姉様。私まで身体が疼いてきてしまいますわ、今夜は薔薇水晶と私もいつにも増して激しく……いや失敬、つい本音が。事実確認は終わった。あと気になるのは『柿崎めぐ』である。下の名は今さっき入り口に掛けてあるプレートを見た。私はゆっくりと扉を開けようとしたが、扉は私の意志に関係なく開かれた。扉の先には水銀燈のお姉様のスカートが見える。南無三、私は恐る恐る顔を上げた。阿修羅の如く、というのは水銀燈のお姉様に失礼だから言わないがそこには確実に怒りのボルテージが上がっているお姉様がいた。……拝啓皆様、雪華綺晶的な思考も今回が最終回になりそうです。「雪華綺晶、貴女そこで何をしているのかしらぁ」怒りに満ちた水銀燈の声が病室の廊下に響く。私はただただ、首を横に振るしか出来なかった。「全く、廊下から今夜は薔薇水晶と激しく、なんて声が聞こえるから、もしかしたらと思ったら」「……うきゅ」しまった、さっきの本音がつい口に出てしまっていたらしい。私ってばなんたるおっちょこちょいだろう。「水銀燈、その子は? 」ベッドから声が聞こえた。透き通るようなまるでクラシックのような綺麗な声だ。彼女が柿崎めぐらしい。私はそして、彼女と初めて出会った。彼女を初めて見たとき、私の脳裏に氷の人形のようなものがイメージが飛び込んできた。彼女は細い氷の細工のように力の加減を間違えればすぐに砕け散り、かといってやさしく触れば溶け消える、他人との関係を拒絶しているような、そんなように思えたのだ。「水銀燈」彼女が、柿崎めぐが口を開く。やはり透き通るような声だ。「……知り合いよ。雪華綺晶、さっさと出ていきなさいよ」水銀燈は私を柿崎めぐの視線に入れたくないのか、私を扉の外へ押し出そうとした。「待って、水銀燈」柿崎めぐが彼女を止める。「彼女、少し貴女に雰囲気が似ているわ、まるで姉妹のようなそんな感じ」姉妹、彼女はそう言った。感受性が強いのだろうか、確かに私と水銀燈には血の繋がりはある。水銀燈を始め、金糸雀、翠星石、蒼星石、真紅、雛苺、そして私は姉妹だ。ただ、私の“妹”である薔薇水晶だけは血の繋がりはない。しかし私達本当の姉妹はまったく別の環境で暮らしているし、血の繋がっている事実を知っている姉妹は私を含め、水銀燈だけだったと思われる。この事実はただ、闇に葬られるべきなのかも知れない。私と薔薇水晶が本当の“姉妹”ではない事を承知で私は彼女を妹だと思っているし、薔薇水晶だったそうだろう。私は思う、血の繋がりが一番大切ではないのだ、と。真の“姉妹”に証なぞ必要ないのだと。「……違うわよ」水銀燈が答える。そう、私達は姉妹ではないのだ。“ここでは”「……そうなんだ。彼女、名前は」柿崎めぐがすべてを見透かすように私を見た。「はじめまして、雪華綺晶と申します」それだけ言うと私はぺこり、と頭を下げた。「水銀燈のお友達ね、良かった。私、水銀燈には友達がいないんじゃないかって思っていたの、だからみたいな死に損ないに構ってくれるんだって」ベッドの上で柿崎めぐは乾いた笑顔を振りまいた。「……めぐ、私は」水銀燈は口を開く。私が喋り始めたからだろうか、すぐに閉じられた。「初対面でこんな事を言うのもアレですが、自分を死に損ないなんて汚い言葉で汚してはいけませんわ」「死に損ないよ。私は死にきれないの。死にたくてもね」また柿崎めぐは乾いた笑顔を浮かべる。死にたくても、死にきれない。確かここは病院だが、病院というものは身体の悪い人があくまで病魔や怪我を治す、『治療』しにくるのだ。死を望むヒトが待つ場所ではない。私は柿崎めぐを見た。痩せた身体に白い肌。それはまるで人形のように不自然に見えた。「雪華綺晶……さん、さっきは水銀燈に似ているって思ったけど貴女、私にも似ている気がするわ。貴女と私と同じ匂いがするの」柿崎めぐが私を見据える。「まるで初めて会った気がしないわ。だからあんな事を言ったのかもしれない」私はね、と柿崎めぐは私の聞きたい話をしてくれた。「私は昔からあと何年、何才までしか持たないと言われてきたわ。言われて言われて言われ続けて、今の私はまだ生き延びている。両親もすでに私なんかどうでもいいと思っているし、私自身もそう思っている。 私は死ねないの。世の中には死にたくても死んでしまう人がいる、だけど私みたいに死にたくても死なないひとがいるのよ」……ああ、やはり。と私は彼女の話を聞きながら思った。彼女は人生に絶望しているのだ。彼女を護るべき人達に絶望しているのだ。だから彼女は自分に私が似ていると思ったのだ。水銀燈にも思ったのだろう。私も水銀燈も心の奥底で同じような絶望を隠し持っているから。しかし、私は彼女が自分たちと同じような、もしかしたらそれ以上の苦しみを味わっていたとしてもそれ否定しなくてはいけない。「めぐのお馬鹿さぁん」水銀燈が口を開いた。私は喉まで競り上がった言葉を飲み込んだ。「いつも言っているじゃなぁい。貴女は私がついていてあげるって。だから貴女も私を必要としてって。だから簡単に死に損ないなんていってはダメよ」メグ、と水銀燈が言う。「貴女と私は一心同体。心は二人で一つ。身体も二人で一人前。心が欠けても、身体が欠けても、私達はダメなのよ、メグ。だから私をもっと頼ってちょうだい、私を求めてちょうだい。ただ……ただそれだけよぉ」それだけいうとくるり、と水銀燈は柿崎めぐに背を向けて病室を出ていった。私も静かに一礼し病室を後にする。私が最後に見た柿崎めぐはただ下を向いたまま押し黙っている姿であった。「メグはね」病室を出た先のエレベーター内の沈黙を破ったのは水銀燈の一言だった。「メグは可哀想な子なんかじゃないのよ。ただ不器用なだけなのよぉ。本当は死にたくなんかないのにあんな事をいったりして」私はただ、水銀燈の話に耳を傾ける。「初め会った時、彼女の目はすべてを拒絶していたわぁ。誰一人信頼していない、自分すら信じられなかったそんな子だった」エレベーターの扉が開き、私達は歩きだす。「彼女は死に損ないと自分を表した。だけど本当は違うわぁ。彼女は生き損なっているの。ただ、普通に生きたくても生ききれない。その上、その自分でも望まない勝手な生き方で周りを、特に彼女の両親を苦しめていることが彼女にとってそれは数十倍も苦しいのよ」病院を出る。秋の肌寒い空気を私達は吸い込んだ。「だから私は彼女の力になりたいの。彼女を支えたいの。絶望している彼女を救いたいだけ」私は水銀燈を見つめた。彼女は“本当”に美しい。ああ、私は今、柿崎めぐに嫉妬しているのかもしれない。美しい彼女に愛されている柿崎めぐが羨ましいと思ってしまった。どこからか、からたちの歌が聞こえる。「……疲れちゃったわ。雪華綺晶、私の教会でお茶でも、どうかしら」空は先ほど、私達の心の奥底に蓄まっていたぬかるみのように灰色に染まっている。雨が近いらしい。『柿崎めぐ』
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