-Crossroads~雨のち晴れ~-
互いに欠かすことの出来ぬ人間。そんな者達にも等しく別れは訪れる。別れは新たな出会いというが────-Crossroads~雨のち晴れ~-月が浮かんでいる。真円というには少々崩れているが、しかし太陽の輝きを宿したそれは星々と共に夜の世界を淡く照らし、波立つ僕の心もゆっくりと静めてくれていた。いよいよ、明日。どこへ行くにも、何をするにも一緒だった僕達は、明日を境に別の道を往く。「…明日は、晴れかな」僕だけが居る部屋。呟いた言葉に返答は無い。午前1時…隣室では姉が明日へ向けての眠りについている筈だ。前もこんな風に夜空を眺めていたっけ──そんな事を考えていた。「──蒼星石、起きてますか」背後のドア、その向こう。声が聞こえた。僕と同じ声質。だけれど、少しだけトーンは高い。不安げな、声。
「…起きてるよ。入っておいで」感情を抑え、平静を保ちながらドアを見る。音も立てずにドアは開き、月明りの届かぬ空間を作り出した。おずおずと入って来る姿。僕と同じオッドアイ、僕と同じ栗色の髪、僕と同じ大きさの身体。違うのは、パジャマの色と左手に持つ縫いぐるみだけ。何歳になっても縫いぐるみを離せない、少しだけさびしんぼの姉。思わず、笑みが漏れる。「眠れないの?」僕の問いにこくりと頷く。そう、じゃあ少し話をしよう。お茶を淹れるからベッドにでも座るといい。そう言って僕は立ち上がり、小さなテーブルの上のポットを見る。ポットのお湯は99度。ティーポットは冷えている。このままでは美味しい紅茶は淹れられない。空のティーポットにお湯を注ぎ、温める。その間、ベッドに座った姉は目を伏せて黙ったままだった。やがて程よい温度になったティーポットのお湯を捨て、茶葉を入れて作法どおり。温めておいたカップから上品な香りが漂い、部屋を満たした。ソーサーに載せてカップを渡し、自分もカップを手に取って一口。うん、上々。「不安かい?翠星石」何時からか、僕は「お姉ちゃん」ではなく「翠星石」と彼女を呼ぶようになった。初めてそう呼んだとき、姉は驚きながらも「その方が身近に感じられて好きですよ」と言ってくれた。それから僕は彼女を名前で呼んでいる。僕がそう呼ぶ度に、笑顔で「何ですか?」と答える姉。けれど、今は違う。僕の質問にも押し黙ったまま、答えない。複雑な気持ちであろうことは容易に想像できる。だから僕は、彼女の言葉を待つことにした。
「…蒼星石、私は…翠星石は──」翠星石は、蒼星石を置いていくのが不安です。…ちょっと違うですね。蒼星石が居ないという事が凄く不安です。ずっと翠星石のフォローは蒼星石がしてくれましたし、逆もまた──殆ど無かったですけど──そうでした。この先、翠星石は蒼星石なしで生きていく自信が無いです。蒼星石、翠星石はどうすればいいですか?このままで、本当に──大丈夫、ですか?ぽつりぽつりと、紅茶を眺めながら言葉を紡ぐ姉。何かをやるという時は先に立って手を引くくせに、一人になると途端に不安になる。そんなところが変わらない姉に、僕はゆっくりと答えた。「翠星石。君は──彼が、信じられないかい?僕の方が、彼よりも好き、と?」ともすれば刺が含まれそうな言葉。だけど、僕はその刺を含めぬように、優しい口調を心がけて言う。「…そんなの、比べられません。どっちも好きで、どっちも大事です」「君は贅沢だね。どちらかしか取ることはできないというのに。じゃあ…彼を信じる事ができないの?」「違います。信じられないのは翠星石です。私は蒼星石が居ないときっと駄目ですから」「翠星石。それは、彼を信じていないという事だよ。 彼は君のことを支えてくれないと思う? 君が失敗したらそこで愛想を尽かすほど冷たい人だと思う?」「…そうは思いません。でも、彼は彼で蒼星石じゃないです」「そう、彼は僕じゃない。そして、僕は彼じゃない」
ゆっくりと僕は姉の隣に腰を降ろし、翠星石の柔らかな頭を撫でた。こうするといつも姉は「子供じゃあるまいし、やめやがれです」と照れながら言うのだけど、今日は違っていた。僕にされるがまま…頭を預け、寄りかかる。全く、どっちが姉だか解らない。浮かびそうになる苦笑を抑え、言葉を続けた。「いいかい、翠星石。僕の見立てだから、君の評価とは違うかもしれないけど」彼は、人の心を感じる事ができる優しい人だ。翠星石、君が困っている時はきっと僕よりも力になってくれる。僕に出来ない事を彼はできるんだ。だから、大丈夫。姉の柔らかな髪を撫でながら、静かに、しかし力強く。強がりな姉が僕にだけ──いや、きっと彼にも──見せる不安な表情。滅多に見せないそんな顔をする時は、真摯に向き合って答えてやると、言葉が良く染み渡る。暫くの間、沈黙が辺りを支配した。月明りに照らされた影だけが動いている。「…蒼星石、ありがとうです」小さな、小さな声。迷いは消えました。翠星石はお馬鹿ですね。頭を上げて笑う姉は、月明りに照らされて綺麗だった。「でも、まだちょっとだけ…不安があるです」「何?」「翠星石無しで、蒼星石は平気ですか?」
笑みを浮かべたまま問う姉。瞳に少しだけ意地の悪い光が宿っている。ああ、きっともう大丈夫だ。「うーん、あんまり平気じゃないかも」笑みを返しながら答えてやると、姉は待ってましたとばかりに「じゃあ、一緒に寝るです」と言ってきた。「一緒に暮らすのは最後ですし」「僕の温もりを覚えておきたいんだね。翠星石のえっち」「んな!え、えっちだなんてそんな事は考えてなんていねぇです!」わざと意地悪く答えてやると、案の定顔を真っ赤にする姉。こんな所がかわいいと思う。彼も、きっとこの表情が好きだろう。既に飲み乾されたティーカップをテーブルに置き、僕は姉の肩を抱いて布団へもぐりこんだ。少し暴れているが、それもいずれ収まり、お互いの「存在」を感じ始める。僕と姉。切り離せない半身同士。だけれど、僕達はそれぞれ一人。いつだったか、僕は姉の「半身」じゃない、僕は僕だと反抗したこともあったっけ──取り留めの無い思考を巡らしながら、ふわりと漂うシャンプーの香りと姉の体温に包まれて、僕はいつしか眠りに落ちてゆく。意識が暗転する直前に、「本当にありがとう」と聞こえた気がした。
「翠星石…とても綺麗だよ」今、僕の目の前には白いドレスに包まれた姉が居る。式の直前、身近な親族だけが許された時間。真っ白なそれと栗色の長い髪、紅と翠のオッドアイ、色白な肌。それぞれがそれぞれを引き立てて、理想ともいえる姿を作り上げていた。「蒼星石も着ることができるですよ。…むしろタキシードが似合いすぎです。困ったものですね」くすりと笑う姉。僕は今黒いタキシードを着ている。ドレスにしろ、とさんざ言われたけれど、僕はスカートが苦手だった。パンツスーツにするという手もあったけれど、「僕らしい」のはこれだと思い、タキシードを着ることにした。ふと窓の外を見る。快晴とはいかないまでも晴天だ。門出の日には相応しい。「さて…ちょっと失礼」「どこへ行くですか?もうすぐ式が始まるですよ」「…………お手洗いだよ」苦笑いする僕にやはり苦笑いを返す姉。手を振って、控え室を出る。
何人か、見知った顔とすれ違った。もうすぐ時間だと言われたけれど、すぐ戻るからと言って僕は教会を後にした。5分ほど歩き、小高い丘の公園に足を踏み入れる。誰も居ない、静かな公園。そこから教会を見ることは出来るけど、僕はそちらに背を向けて、遠く広がる町並みを眺めていた。僕達は、互いに「姉妹」以上の感情を持っていた。そして、それを知って「そういう関係」も築いてきた。その感情は未だに残っている。昨夜の翠星石の不安は、僕の不安でもあった。…いや、きっと僕のは「不安」ではなくて「寂しさ」や「嫉妬」、「哀しさ」だと思う。式場で二人が結ばれる姿を見たら、きっと耐えられずに泣いてしまう。翠星石の門出を湿らせる訳にはいかない…だから、僕は逃げてきた。ぽつり、と頬に水滴の感触。空は晴れているのに雨が降っている──天気雨。それは姉を祝福しながらも哀しんでいる僕の心を代弁しているようで、なんだかおかしかった。ああ、そういえば傘を持っていないや、濡れてしまう…そう思いながらも、引き返す気にはなれない。緩い雨に降られながらぼうっと町並みを眺めていると、なんだか目の前の景色が滲んできた。ああ、駄目だ。泣いてしまう。今日は泣かない、祝福してあげるって決めたのに。僕はやっぱり、君とは離れたくないよ。君とずっと一緒に居たいよ。生まれてから死ぬまで君とずっと一緒に居たいよ。ねえ翠星石、僕じゃあ駄目なのかい?僕じゃあ君を満たしてあげる事はできないのかい?僕は、君のことが────
「風邪ひくですよ、蒼星石」濡れた僕をふわりと包む感触で、思考が遮られた。なんで?今ごろ式が始まって指輪も交換している頃なのに。なんでここにいるの?「……翠星石、式はどうしたのさ」上ずりそうになる声を抑え、涙を見られないように下を向いて問う。それに対し、翠星石は事も無げに。「式なんてフケて来ちまったですよ」明るい声で、きっぱりと言ってしまった。「だ、駄目だよ!それじゃあ彼が…」「僕も一緒にフケて来たんだ、蒼星石」慌てて諌めようとした僕に、追い討ちをかけるように投げられた声。それは、僕の良く知る人で、翠星石のパートナーになる人。なんで、どうして二人して。暫く、僕は言葉を失ってしまった。
少しの静寂の後、彼がゆっくりと口を開いた。「翠星石が言うんだ。やっぱり蒼星石無しの生活は考えられないって」「そうです。やっぱり蒼星石は翠星石の大事な人です」「だ、だからって……」泣いていた事も忘れ、慌てて振り向いた僕。良く似たオッドアイがすぐ近くにあった。「…やっぱり泣いていたですか、お馬鹿」「あ………」「蒼星石、聞いてくれ。翠星石が幸せになる為には蒼星石も居なくちゃ駄目なんだ」学生の頃から変わらない、黒いフチの眼鏡の向こうに優しく輝く瞳。「…じゃあ、どうするのさ」「翠星石は考えたですよ。蒼星石も一緒に来るです」「へ?」思いもしなかった言葉。一緒に来いって、それって。この国じゃそんなのは許されてなんかいないのに。
「蒼星石は、僕の事が嫌い?」「…い、いやその。そういう問題じゃなくて」「紙切れの問題なんぞ些細な話です。提出しないで一緒に暮らしちゃいかんなんて法律はないですよ」「だからって」「それに、僕としても華やかな方が…いてっ!」「翠星石一人じゃ不満ですか、このおチビ」不意な言葉にムクレる翠星石と、それに対して慌ててフォローする彼─JUMくん。ああ、なんだ。僕と彼はどこか似ているんだ。そう思ったら、急に親近感が湧き始めた。「翠星石」「なんですか、蒼星石」「翠星石は、その…僕が一緒に居ても邪魔じゃないのかい?」頭の隅に浮かび、それが故に納得できなかった疑問をぶつけてみる。翠星石は、信じられない物を見たというような顔で答えた。「邪魔って思う方がどうかしてるです。当たり前の事を聞くんじゃねーですよ。 第一今まで邪魔だなんて思った事もねーです。ちょーっと悪戯してやろうとは思いましたけど」
僕の目を見て、翠星石は言う。心を映す瞳は真直ぐ僕を射抜いていた。でもそれは良くないという理性と、翠星石とこれからも一緒に居られるという感情のせめぎあい。翠星石の視線で理性が壊され、感情が勝利を収めた。「じゃあ、翠星石は僕達のお嫁さんだね」「はい、翠星石をJUMと蒼星石のお嫁さんにしてください」にこ、と笑って僕は言い、翠星石も微笑んで答える。タキシードも着ているし丁度良い…ああ、そういえば思い切り濡れてしまったのだっけ。困ったな、と頬を掻く僕に、翠星石はぽむと僕より大きな自分の胸を叩いて、「大丈夫、こんな事もあろうかと別の衣裳を用意してあるですよ。だから式場に急ぐです」僕の手を引いた。いつも何かをする時は必ず僕の手を引いて先に立つ。本当に、こんな所は変わらない。笑いながら僕は後をついていき、用意されていた衣裳──白のタキシードに「もしかして僕は良いように弄ばれていたのでは」という不安を感じてしまったのだけど、そこはそれ。 30分遅れの結婚式は、花嫁の両サイドに新郎が居るというちょっと奇妙な形で始まった。───continue to 「野球観戦&AVつきJUMと双子のテラアマスな新婚生活」
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