Dune
DUNE第六話「Dune」この星に生きる限り、重力からは逃れることなどできない。少しずつ離れていく空を見上げ、鳥の群れが浮かんでいるのを見た。ただ浮かんでいるのではなさそうだ。何かから逃れるように。黒い、それらより大きな鳥。あぁ、カラス。捕食者がいるんだ。しかし、数が多すぎて餌をどれにするか絞り切れていないのか。まだ、満足出来ていなさそうだ。食われれば死ぬ。食わなければ死ぬ。結局どちらも同じこと。視界は映す風景をずらしてゆく。残念、もう少し見ていたかったのに。曇り空。下界に空、上界に地面。アスファルト舗装された地面。私がさっきまで登っていた住居棟。三階ベランダの落下防止用の柵が見え、私は手を伸ばす。その手はベランダ下部の突き出しを掴んだ。体はそこを中心に回転する。私の体の重心が二階ベランダの柵を越える瞬間、掴んでいた指の力を抜く。当然、指はそこから離れ、また私の体は重力に縛られることとなる。しかし、回転のモーメントが失われたわけではなく、体は描いていた円の接線に垂直に射出される。背筋に力を入れ、体を少し弓なりに反らす。ベランダに着地し、勢い余ってガラスを蹴り、割ってしまった。前を見ればカーテンが開いていた。住人が呆然とこちらを見ている。当り前だろう。いきなり女が空から降ってきて、あまつさえ窓ガラスを割ってしまったのだから。部屋の中は、きちんと片づけられていて、彼らの性格を表しているようだった。白に統一された、清潔感溢れる部屋。物は多いでも少ないでもなく、適当な感じがした。誰が選んだのか、妻のか夫のかは分からないが、センスが良かった。今度、参考にしてみよう。私はすぐに体を翻らせ、手すりに登った。隣の家屋の屋根に飛び移ろうと、足に力を込める。足の筋肉が収縮と伸長を、跳ぶために行う。その瞬間、目眩がした。世界が、私以外の”人”を置いてゆき、音を忘れる。クソ、こんな時に。揺れる視界の中、私の足は着地したと、振動を脳へと伝える。だが、体の軸はぶれ、転がってしまう。立とうと前を見る。目の前にはあの記者がいた。私を見ずに、さっきの屋上を睨んでいる。「そこから一歩右に」と言った。私はその通りに動く。さっきまでいた所で屋根の破片が飛び散る。この“世界”では物質的な影響は反映されるらしい。そのまま、私は前へと駆ける。一歩、二歩、三歩。五歩目で踏み切る。右足で跳び、胸を張り出す。そして、手足、体のすべてをできる限り前方へと伸ばす。あと一歩分でも前へ、より遠くへと。体はエビぞりに、空を舞う。一瞬、そのままどこまでも飛んで行けそうな気がした。だが、思い通りにはならず、放物線を描いてゆく。何のぶれもなく、家屋の向こう側に着地し、また走り出す。いまだに、私以外の“人”は帰ってこない。だが、死者に導かれる。次は右、次は左、といった具合にだ。襲撃者に背を向け、顔も分からないまま逃げてゆく。10分ほど走り続けただろうか。もう追ってこれまい。撒いたはずだ。そこでやっと立ち止まり、息を整える。2、3分ほど休憩した後に、フォンブースを探す。うまい具合に、すぐに見つかった。入る前にもう一度周りを確認する。誰もいないことがわかった後に、中に入り、硬貨を入れ、電話をかける。白崎の所へだ。3、4コールほどした後にガチャリ、と音をたて、相手が出たのを知らせる。「はいもしもし、桃種商事有栖支店です」と目的の相手が出た。「アリスよ。さっき襲撃を受けたわ」受話器の向こう側で、緊張が走るのが伝わる。「どこで? 」「事務所の東、10分ぐらいのところ。完全に私を狙っていた」そう、完全に狙われていたのだ。他の誰でもなく、私が。「詳細を」私はありのままに説明した。仕事終了ののち、移動中を襲われた。大体の時間。おそらくどのあたりからつけられていたのか。敵は一人だったこと。逃亡経路。負ったけがの程度。現在の状況。「大体はわかった」「何で私のことが知られたの?どこかで情報が漏れたんじゃないの? 」一気にまくしたてる。今までこんなことがなかったのだ。色々不安になるのは仕方ない。「調べておくよ。それと、今日は来ない方がいいな。ここの場所が知られても厄介だ。 あと、これからしばらくは帰らない方がいいかもしれない。多分住所も割れていると思う。手頃なところでホテルを探しておいてくれ」と、白崎は注意し、最後に、「くれぐれも軽率な行動は控えてくれ」と残し、通話を終了させた。正確には私がうんざりして切ったのだけど。あの鳥たちはどうなったのだろうか。と思いつつ、時間を潰す方法を考えていた。足を向けた先はファミリーレストラン。一人なのに、ファミリーもあるのかなんて思う。いや、“一人”じゃなかった。目の前にはもう“一人”、男がいた。この仕事を始めて、二人目の犠牲者だ。「君は、自分を災害かなんかかと思っているのかい? 」答える気はない。「全く、よく逃げ切れたよね。かなり危なかったじゃないか」この“世界”はシュールだ。“人”はいない。だが、本来ウエイトレスが持ってくるべきものは、ゆらゆらと空を漂い、運ばれてくる。注文したストロベリーパフェを一口食べる。甘い。だが、まだ甘さが足りないんじゃないか。「はぁ。君は糖分の摂りすぎだと思うよ。体に気をつけなくちゃ」全く、こんな仕事をしている人間に対し、体を壊すな、だと?馬鹿げている。あまりに馬鹿げすぎている。いつ命を落とすか分からないのに。なら、生きている間ぐらい好きにさせてもらってもいいじゃないか。まぁ、代わりにこんな幻覚を見なくなるのなら、考えるところだが。「それはないな。だって僕らは君の脳が作り出したもの。僕らを見させているのは君自身なんだから」そんなこと、分かっている。「僕らを見づにすむように出来る方法、教えてあげようか? 」そんなもの、あるのだろうか。「バン! 」右手の人差指と親指は伸ばし、残りの三本は握る。そして、その人差し指をこめかみに突き付ける。つまりはピストルだ。その手を、撃ったかのように動かす。単純明快。死ねばバイバイ。全てとバイバイ。そんな単純なこと。「けど、これをしないってことは分かってるよ。だって僕らは君の一部なんだから」だったらするな。見ているだけで不愉快になる。「無駄なおしゃべりもそろそろウザいってか? 」そういうことだ。分かるじゃないか。幻覚のくせに。「じゃあ、そろそろバイバイ」出来る事なら、そのままバイバイ・フォーエヴァー。また目眩。そして、“人”と音が帰ってくる。あふれるざわめき。ここはこんなにも騒がしいところだったのか。残されたパフェをまた口に運びなおす。やっぱり甘さが足りない。その日はラブホテルに泊まることにした。顔を見られることもない。その点では動きやすかったのだ。一人にとってはあまりに大きすぎるベットに横たわり、今日のことをもう一度整理しなおす。だが、考えれば考えるほど分からなくなり、今はどうしようもないことだった。日は昇り、事務所へと向かう。この時ほど、周りに警戒をしたことはない。事務所のある雑居ビルにつき、細い入口の階段を登ってゆく。コンコン、と二回ノック。中から誰かと尋ねる声。「アリスです」入っていいと返された。ノブを回し、部屋へと入る。白崎はパソコンに向かい、何かを調べているようだ。ここのパソコンは機種としては新しいらしく、インターネットにも繋がっているらしい。インターネットについての知識は持っているが、いまだ活用されたことはない。そもそも、繋がっているものがまだまだ少ない、普及はあまりしていないのだ。「襲撃したのが誰か分かったの? 」開口一番、これを問うた。「いや、まだまだ分からない。もしかすると、民間のかもしれない」民間…。そうだとするとやっかいだな…。調べにくすぎる。簡単に見つかるものではない。私たち以上に水面下で動いているのだ。最悪の敵ともいえる。「特定には時間がかかりそうだ」と、白崎はもう一度言う。「じゃあ、私の情報が漏れたのはどこから? 」もう一つの疑問もぶつけた。「それも、まだ分からない。3人までには調べたんだけどね」そう言って、三枚の紙を渡してきた。それを手に取り、そこに乗せられた三人の人物について読む。二人については全く知らない人物。だが、もう一人については……。「これって、もしかして」「ご名答。今だから言うけど、二つ前の仕事の依頼主だよ。あの汚職政治家、記者の次は、僕らのことが怖いのかもしれない」「つまりは口封じね」まったく、こちらは信頼が重要だから、洩らすことなんてありえないのに。「こいつを殺せばいいの? 」「いや、まだ確証が取れてないからもう少し待って。多分、それで当たりだろうけど」仕方がない。待つか。白崎が、モニターから顔をあげ、こちらを見る。「あれ?顔色悪いよ。どうかした? 」そうなのだ。あのホテルで、またあれが起こったのだ。最近あまりに多すぎる。そのせいで、寝ていない。「単に枕が合わなかったせい。枕を高くして寝れないだけね」「……。やっぱりおかしいな。冗談を言うような子だったか?君は」しまった。墓穴を掘った。「何か隠してないか? 」私の心の奥底を覗こうとするかのように、目を細めて見てきた。嫌いだ。この感じは。寒気、怖気がする。皮膚を焦がし、身を焼き尽くす殺意とはまた違う。氷のような、いや無機的な機械の手で、身体、精神の最も弱い部分を掴まれたような。冷たさゆえ凍りつき、凍傷を起こし、火傷よりもひどく腐らせるような。気がつけば、全てを漏らしていた。あの目のせいだけじゃないかもそれない。もしかすると、誰かに知ってほしかったのだろうか。「ふむ。分かった。知り合いのカウンセラーを紹介しておくよ。腕は確かにいいから」すべてを聞いた白崎はこう言った。狂人とは、誰かに知られているから狂人なのであり、だれも知らなければ、ただの一般人となんの変わりもない。こうして、私ははれて、狂人の仲間入りを果たした。DUNE 第六話 「Dune」了
このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー と 利用規約 が適用されます。
1文字以上入力してください
本文は少なくとも1文字以上必要です。
1文字以上入力してください。