少年時代2.6
ジュンと真紅が去った事にとくべつ反応もなく、ひたすらに真紅くんくんランドを堪能しまくっているふたり。あらゆる意味でおいてけぼりにされた巴は、おなかの前に興味を満たすこと決めたようで、この御邸宅の内装にあらためて目を向けていた。「わぁ、すてき」お姫様っぽい要素に感じるものがあったのだろう。脇のベッドに負けない存在感をはなつ鏡台に心の弦を触れられて、瞳を黒真珠のごとくキラキラと輝かせ見入っている。夏の光をはじきながら映しこまれた少女の顔は、いかにも興味津々といった様子だ。鏡台はオークかなにかの木材を基本として、随所にいぶし銀の細工があしらわれたいたってシックな、だが気品と風格が香る逸品。木材の肌はなんともいえない艶があるが、その手ざわりはニスなどの溶剤を使ったものではない。おそらくカンナで表面を丹念に削ってだしたものだろう。化粧品をしまう引きだしの取っ手も、飾りと同じ銀でできている。丁寧に扱っているのか痛みはきわめて少ないが、おそらくは生み出されてから結構な齢を重ねているだろう。工芸品としての価値はいかほどか、気になるところだ。ともあれそんな価値うんぬんは関係なく、素敵なものに憧れる女の子な巴ちゃんは、座りこんで眺めたりそうっと触ったりと興味を満たすのに忙しそうだ。「くんくんブレードっ! ひっさつ!くんくんダイナミックなのー!」「なんのっ! くんくんシールドでかんぜんぼうぎょよぉ!」あちらの女の子たちも忙しそうだ。 「ふぅぅ。 ほんとスキなのね、くんくんが」どんなに素敵なものだとしても、鏡台ひとつでいつまでも時間を埋めるのは無理があったようだ。鏡台に込められた美を充分に堪能した巴は、依然としてまったく衰える気配を見せないむこうの情熱に気圧されたかのように、小尻を力なくベッドへあずけた。細くてかるい乙女の身体をしっかりと受けとめたベッドは、なるほど高級品なだけあってしなやかにスプリングを弾ませている。ほどよく沈みながらもけっして潰れない絶妙なあんばいだ。「わー、ふっかふか」タオルケットがかけられたベッドの上で、ぼふんぼふんと跳ねる巴。わりと奔放なたちなのか、ぶっちゃけパンツ見えてますけどお嬢さん、な状態もお構いなしといったふぜいで、頑張り屋さんなスプリングとひたすらにたわむれ続けている。「くんくんスーパーバーリア!」「ずるいのー! くんくんバリア2かいまでなのー!」「スーパーだからノーカンよぉ」あちらの子たちもたわむれ続けている。ぼふんぼふんぼふん ぼふぅん「んっ?」だんだん楽しくなってきたようで、ぎゅっとお尻を押し込むと弾力まかせにひと際大きく身体を跳ねあげた。と、巴がふと何かに気づいたように首を右ななめ後ろに巡らせる。よくよく注意せずとも見えたその先では、寝転がっているとおぼしき姿勢の何かがじっと息をひそめ、タオルケットを下から持ち上げていた。「ははぁ、ここにもくんくん」ぺろんと覆いをめくってみれば、そこにいたのもやはりぬいぐるみのくんくんだった。真紅のくんくんに対する入れこみたるや、眠りの中にも連れて行きたいほどらしい。それにしてもこのくんくん、年季を踏まえてたとしてもいささか縫製の具合が甘く、商品として店先に並べるにはクオリティが物足りない。サイズも小学生の巴が片手でかき抱ける程度の大きさで、例えばいま水銀燈におなかを撫でられているジャイアントくんくん(2メートル12センチ)のような、何かしらのつきぬけた変化球ぶりはうかがえない。美点よりも欠点の方がたやすく見つかる、微妙に手足や頭のバランスが悪い、ただのくんくんだ。特徴がないのがむしろ特徴なのだろうか。しかしながら、真紅にとっては何か特別なものがあるのだろう。ご主人とのふれあいの機会は相当多いらしく、幾度とない水浴びと日光浴を経験したためか綿製の肌はしっとりと色あせており、関節の隙間からは白いワタがちょっぴり覗けてみえる。 「うよ、くんくんなのー? トゥモエ見せてみせてー」さりとてくんくんに情熱を注いでいるわけではない巴さん、目ざとく駆け寄ってきた雛苺に求められては拒む理由もないようで、ハイとあっさり手渡した。くんくんソムリエールのかたわれは、受け取ったこの微妙なくんくんをまじまじと、しげしげと、ときおり首をかしげながら逆さにしておもてにして、余すまじと観察している。「んぅー? これ手づくりみたいなのー。見たことないのよ」吟味に吟味を重ねて雛苺が出した結果は、彼女のくんくんに対する知識量の自信をうかがわせるものだった。確かに、縫い目のあらも見栄えの不十分さも、貨幣価値に換算しない手づくりの品であれば納得がいく。製品につきもののタグの類がどこにもない点が、その観察眼の確かさを助勢している。「どーどー、わたしにも見せてよぉ」「やーっ! まだヒナが見てるのー!」くんくんソムリエールとしての誇りがそうさせるのだろうか、見なれぬくんくんをめぐって雛苺と水銀燈の興味がぶつかりあい、いさかいが始まった。笑いながらブレードだバリアだとはしゃいでいた先のファイトと比べると、どちらもふくれっつらをしているぶん険悪さが際立っている。引き寄せようと水銀燈が手を振れば、掴ませまいと雛苺が手中の宝を振りまわす。さながらおいしいアジのひらきを奪い合う猫のように、ベッドの隣はバタバタバタバタ2匹が張りあう戦場と化していた。「いいじゃないのぉ! ちょっとぐらいー」「んやー! ヒーナー!」「ちょっと、ふたりとも!」不穏な雰囲気にこれはよくないと感じたのだろう、仲裁せんと巴が声を張り上げる。が、もはや互いに意固地になっているのか、1メートルと離れていない音源のお叱りに気づかないはずは無いのに、対決はいぜんとしてやむ気配がない。「はーなーすーのー!」「いーやーよぉー!」くんくんの右手を捕まえて、力任せに引き寄せる水銀燈。むざむざくんくんを渡す気のない雛苺ともども、よそさまの持ち物という事はすっぱり頭から抜け落ちて、くんくん争奪戦がここに勃発した。我を忘れる興奮は、本人たちには自覚が無いのが常というものか。「もう! いいかげんに…… あぁっ!」それは、いたって当然の帰結だった。綿製の縫い糸で、しかもどちらかといえば強固でない、脆いとさえ言える縫い目で繋ぎ合わされたくんくんの関節。いくらチビッコといえ人ふたりの腕力でめいいっぱいに引っ張り合われては、こらえきれるわけもなく。ギリッ ブチィィン絞られた繊維の最後の抵抗もむなしく、あわれくんくんの右肩から先は水銀燈の手にわたった。大岡越前も目をそむける結末に、おそらくは事態がよく飲みこめていないのだろう、しりもちついた2人はただ呆然としている。体の1割ほどを失ったくんくんの目はあいかわらずのとぼけたものだが、先ほどよりもなんだかすこし虚ろに見えた。
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