少年時代2.5
真紅宅はその外貌と同じく、内の部屋のひとつひとつが広めのこしらえとなっている。おともだち4人を連れて帰りついたひとり娘の自室もまた、並外れた宅地面積を十分に生かしての大ぶりなつくりとなっていた。床がフローリングなのでわかりやすい間取りの広さの目安は無いが、畳敷きになおせば30畳分はあるだろう。部屋の真ん中には淡い黄色のカーペットが2枚並んで敷かれており、そこだけでもざっと12畳分はある。心無い人々からしばしばうさぎ小屋と揶揄される日本の住宅事情を、鼻で笑うかのような豪快さだ。「「わぁ…」」「ちょっとジュン、レディのへやをじろじろ見るのはマナーいはんよ」太陽の匂いがする丸いピンクのクッションにお尻をちょんと乗せ、好奇心の忠実な使徒として部屋をキョロキョロ見渡す巴。同じくクッションに腰をすえて、遠慮がちにだがやはり部屋を見渡しているジュン。そんなふたりを真紅はいかにもくすぐったそうに、でもどこか誇らしそうに口を波立たせながら見守っている。「また増えてるのー」そして、お三方を背にして部屋のいち壁面へ向かい合っている雛苺と水銀燈。しかしながらふたりの瞳には、真っ白い壁紙の色すらもおそらく映っていないだろう。少女らの今の興味はすっかりとごっそりと、その壁の前で座っているもの達に奪いとられていた。「すごぉい… ねぇ真紅ちゃん、これぜんぶ、くんくん?」「ええ」おとぎ話の中から運んできたような天蓋付きの大きなベッド、庭の芝の緑から空の青までひと目で収まる壁一面の硬質ガラス戸と、やまぬ興味に突き動かされてあちらこちらへ目を向けていた巴だったが、彼女が最後に行き着いたのはやはり件の壁の前だった。くんくん、とはおそらくその壁に据え付けられた大棚を陣取っているもの…どうやら犬らしいぬいぐるみ達のことだろう。服装や色を主としてひとつひとつ意匠の違いはあるものの、どこを見ているのか分かりづらいたれ目やびろんと出ている大きな舌がみな共通している。「くんくん好きってのはしってたけど… すごいなぁ」あれやこれや手に取り触ってふわぁやうにょーやら口走り、純然たる興奮状態へと陥った雛苺と水銀燈。彼女らを目の端に置いてはいるが、ジュンの注目の的もやはりほとんどくんくんズに移っていた。巴やジュンの口にしたとおり真紅のくんくん収集癖は相当なもののようで、その数たるやぬいぐるみだけでもゆうに300体を超えている。バッチやらシールやら変形ロボやら他のグッズを合わせれば、彼女のコレクションは4桁に乗るだろう。しかも、あふれかえる大小様々なくんくんたちには同一の品物がふたつとなく、みなみなその場のオンリーワンとして胸を張っている。中には首にロープを巻きつけて考え事をするようにあごに手を当てている「コウサツくんくん」なる珍妙な方が、なんかこう嫌な感じのグッタリ加減で寝転がっていたりもしているが、とにかくみなみな胸を張っている。「うよー! こ…これは! せかいに3体しかないといわれるまぼろしのブルーアイズ・ ホワイトくんくんなのー!」「く、くわしいのね…」「わわわ! マルダイの仮面探偵くんくんフィッシュソーセージに付いているシールを 256まいあつめておうぼするとちゅうせんで5名さまに当たるとくべつげんてい くんくんジャーオリジナルパジャマじゃなぁい!」「ああ、いっときやたらソーセージ食べさせられたのそれかぁ…」ちいさい身体のすべてをぷるぷると震わせながら鼻息あらぐ雛苺と、その情熱に戸惑いと感心が入りまじった声を贈る巴。興奮をひと息ではきだしながら瞳をたぎらせる水銀燈と、その解説に心いったと真紅へ向けうなずきを繰り返すジュン。わかる人には凄くわかるのだろうがわからない人にはまったくわからない感動の温度差が、空調で一定の気温に保たれいるはずの室内に漂っていた。「でもよくこんなにあつめたわね」「ええ。お父様が帰っていらっしゃるたびに、おみやげに買ってきてくださるから」「ライオンくんくんなのー、いさましいのー!」なるほど子供の財力では成しえないこのコレクションは、ひとえにお父様の子煩悩ぶりが原動力となっているようだ。巴の問いに答える真紅の目には、きっと優しいお父様の微笑みが映っているのだろう。ネコ科なのかイヌ科なのかはっきりしてほしい。「真紅のお父さんってあれだよね、しゃちょうさん」「へぇ、そうなんだ」「宇宙探偵ギャくんよぉー、わかさってなぁんだー!」口ぶりほど驚いた様子もなく、むしろ得心がいったとばかりに巴が頷く。真紅本人の風格とお家の財力の豊穣ぶりを説明づけるのに、なるほど社長令嬢という肩書きはわかりやすいものがあったのだろう。ふりむかない事さ。「なんてったっけ、え~… と… とな?」「トワイニング。イギリスの会社よ」「うにょー! くんくんメイデンだい6ドール雛くんくんなの! ぷりちーきわまる のー!」うろおぼえな言葉を引き継いでくれた真紅に向けられた、モヤモヤとしたつっかえが取れたジュンの笑顔。そうそうそれそれというひと言といっしょに直撃をおみまいされたご令嬢と、少年の横顔を眺めてその余波を受けた黒髪乙女は、部屋の冷房に負けじと代謝がとつぜん活発になってしまったのか、頬やおでこにほんのりと赤みがさしてきた。フリルたっぷりなピンク色の洋服や大きなリボン、くもりのない真っ白なドロワーズが確かにプリティーだ。顔がくんくんでなければ。「ぁ… ん~、わかんない」「こんどスーパーで紅茶コーナーを探してごらんなさい。きっと名前を見かけるわ」「くんくんメイデンだい1ドール水くん燈よぉ! いたるところがせくしーよぉ!」何度かまばたきを繰り返すと、ちょっとばかりのびやかさの足りない舌をなんとか回しながら話をつないだ巴。対する真紅はあくまで淑女のクールさと父の仕事に対する誇らしさをうかがわせつつ、何ともないような顔をして話題をこね伸ばした。右手の指で前髪をつまんで、落ち着きなくしきりにいじっているが。たゆんと柔らかくふくらんだ胸やキュッとくびれた腰もと、天を追われた神の使いのような黒い翼が確かにセクシーだ。顔がくんくんでなければ。「…じゃ、お昼をもってくるわね。ジュン、ついてらっしゃい」「ん? うん」「あなたに正しい紅茶のいれ方というものをレクチャーしてあげるわ。巴、わるいけど あの子たちのことおねがいね」「えっ…」紅茶初心者の少年を率いて自室のドアへ向かう真紅から、ぽそっと託された願い事。うにょーやらひゃーやらの嬌声を飽きることなくあげ続けているあの子たちを見るかぎり、巴の肩にぶらさげられたその任は決して軽くはないようだ。パタン…返事の色を見ることなくドアの向こうへと消えていったふたつの背中を、正確には決して振り返ることなく突き進んでいった少女の背中と去り際にちらりと室内をうかがった少年の背中を、ついに何も言えず見送った巴。小さくてまるい肩にかかった重みは、早くも彼女にエネルギーの消耗を強いているらしく、彼女の胸の奥からはしぜん排熱の呼気がこみ上げてきていた。「うにゃー! うにゅー! うにょー!」「うふふふふふふふぅ!」「はぁぁぁ…」
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