夢のつづき――かえる、ということ――
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「そおねぇ。……悪くないかも、しれないわぁ」ふっ、と。笑いを浮かべた彼女のこころをよぎっていたのは、果たして寂しさであったろうか。
人の数だけ、夢があった。これは、また違う誰かの。違うせかいで生まれた、夢の、つづき。
ああ、眠い。このまま眠ってしまっても、いいだろうか――
【夢のつづき――かえる、ということ――】
娘と二人、市場へ買い物へ出かける。戦火にまみれた世の中とはいえ、市は活気があって良い。当面の食料は確保出来そうだった。「うにゅー。今日のご飯は何にするのー?」無邪気な様子で尋ねる娘。「そおねぇ……まだ決めてないけれど。何か食べたいものはあるかしらぁ?」本当は、あまり金銭的にも楽ではなかったのだけれど。こういうところで娘を落胆させたくはない。この子の笑顔には、何度こころ潤わされてきたことか。この子が生まれる前に戦争は始まって、もう何年続いているだろう。そう、娘には、関係のない戦いなのだから――いつまでも、笑っていて欲しい。どうか、無邪気な、笑顔のまま。「うーんとね、ヒナね、お肉にはなまるのったのが食べたいのー! ヒナ、大好きなのよ!」「ふふっ、わかったわぁ。じゃあ、卵もかっていかなきゃねぇ?」手を引いて歩き出す。 束の間の平和、かもしれない。一週間ほど前に、隣国との戦争が激しくなったことを噂で聞いた。情報は定かではないけれども、噂というものは瞬く間に広がるもの。それでも、この子と二人。一緒に居られれば、今は良いのだ……無理矢理だったけれど、不安は押しとどめておかなければ。 事情をわかってしまっている大人だからこそ、子供を不安にさせるようなことをしてはいけない。
「あー!」突然、娘が私の手を振り解いて走り出す。「ちょ、ちょっと雛苺!? 一人で先に行っちゃだめよぉ!?」慌てて追いかける。一体どうしたと言うのだろうか。
「はぁ……はぁ……どうしたのぉ? 勝手に行っちゃ、めっめっ、よぉ?」「うゅ……ごめんなの……」娘の頭を少しわしわししながら、その目線の先を確かめる。「あらぁ。お人形ねぇ」市場の外れあたりで布風呂敷が敷かれていて、そこには可愛らしい人形が並べられてあった。売り物なのだろうか。「ねー! この犬のお人形、すっごくかわいいの!」娘の目がきらきらと輝く。「お嬢ちゃん。良かったら持ってみるかい」そう話しかけてきた男の姿を見て、私は驚く。
あなた……? いや、違う。年も私よりは若いようだし、面影は似ているけれども――
「これは……市場でお人形を売ってるなんて、珍しいわねぇ」話かけるつもりなどなかったが、口をついて出てしまった言葉。動揺しているのか、私は。「ええ、そうですよ。ふふ、野菜でも作れれば自分で食えるんですけど、 どうも僕はこれしか取り柄がなくて」頭を掻きながら、彼は苦笑した。そういえば、あの人も。裁縫なんて、得意だったっけ。「こちらは、娘さんですか?」今度は逆に問いかけれられる。「ええ、そうよぉ。私のかわいい、娘なの」そう。私とあの人との。かわいいかわいい、一人娘。
『君の作るご飯は、とても美味しいなあ』本当に美味しそうな笑顔で、食事を食べている様子を見ているのが好きだった。私と出逢う前は、ロクなものを食べていなかったようで。性格的に男らしくはないし、どちらかと言うと貧弱で。だけどその中にある優しさのようなものに、私は惹かれたのだと思う。 正に女の勝負は手料理。愛情こめて作ったものが、彼にも伝わったのだった。こちらからアプローチをかけて、プロポーズは結局向こうから。君の料理をいつまでも食べたい! だなんて。あの時の顔、ほんとに真っ赤だったなあ。 それからしばらくは、楽しい日々は続いた。 けれど。
『往かなければ、ならないようだ』彼に、出征要請の紙が送られてきた。想い人とは、結婚こそしていなかったが。いずれはちゃんとした形で一緒になろうと、そう契った仲であった。 おもむろに始まった戦争は、国民にとっては晴天の霹靂。多くの男が駆りだされ、戦いへ向かう事になる。もう既に戦地に赴いた者達の音信は悉く途絶え、残されたものは悲嘆に暮れていた。『こんな時に、慰めを言ってもしょうがないんだろうな……君には』『……』『戦いは激しいみたいだ。僕は……』『帰ってこれない、かもしれない』『……おばかさぁん』私は、彼の掛けていた眼鏡を、すっと外した。『ん』こうでもしなければ。私のくしゃくしゃになった泣き顔を、見られてしまう。見送る時は、笑顔でいなければ。
『本当に、おばかさぁん。こういうときは、 意地でも帰ってくる! って言うものよぉ』そうやって、おどけて笑って見せた。私がふざけて、彼が困って。そんな関係が居心地良かった、ふたり。『君は若い。まだ僕らは結婚していないし』『いい人を、見つけてくれ』『忘れ、るんだ』たまらず、抱きしめる。『わかったわぁ。あなたがそんなこと言うのなら』『すぐに忘れてやるんだからぁ!』口付ける。恐らく、これが最後。
『いってらっしゃぁい』とびっきりの、笑顔で。『いってくるよ……どうか元気で、水銀燈』
あの幸せな日々は、私の夢だったのだろうか。いや、でも。彼と愛し合った証が、今目の前に居る。ここはどうしようもないほど現実で、私達は今、生きている。
「ねー! ヒナ、この犬のお人形欲しいのー!」娘がはしゃいでいる。人形か。子供とは言っても、女の子なのだから。かわいいものの一つや二つ、欲しがって当然なのかもしれない。「そぉねぇ……」少し迷ったが、『お願い』は断りきれないことを、自分が一番良く知っている。甘やかしている訳ではないと思ってはいるけれど、全く以って親馬鹿なことだ。「わかったわぁ。すみません、これおひとつ、いくらかしらぁ?」こんなことがあっても良いだろう。娘への、ささやかなプレゼント。「ああ……ありがとうございます。 でもこれ、大分古くなってるやつなんで。 お代はいりませんよ」「えー! くれるの!? ありがとうなのー!」「ちょ、ちょっと雛苺! いや、そういう訳には……」それはあまりにも悪い。見たところ、私達以外に客はついていないようだし。「いいんですいいんです。こんなに気に入ってくれるなら、 僕も嬉しいですから」「うゅー! ありがとうなの、おじちゃん!」「な……! おじちゃん……いや、僕はまだ19で」と。人形売りの男が反論したところで。『ぐぅ~~~~~』彼のお腹が、盛大に鳴った。
「ふふ…ふふふ……! あはは……!」笑ってしまった。男はなんだか恥ずかしそうに頭をばりばり書いている。「無理しちゃってぇ。お腹空いてるのぉ?」「なっ。いや。大丈夫ですっ」明らかに、嘘。しばらく何も食べてないのだろうか。「ふふ。良かったら、今日の家に来てくださいな。 お代のかわりという訳ではないけど、晩御飯をご馳走してあげるわぁ」「おじちゃん、家に来るのー! やったなのー!」「だから僕はおじちゃんじゃないって……」おかしかった。こんなに笑ったのは、何時位ぶりだろう。
「すー……すー……くんくーん……」娘はもう眠りについた。どうやらあの犬のぬいぐるみには、『くんくん』という名をつけたらしい。食事中も手放す事がなくて、お行儀悪いからめっめっよぉ、なんて言った所でまったく聞き入れてくれる様子がなかった。本当に気に入ってしまったのだろう。今はぬいぐるみを抱いてすやすやと寝息をたてていた。
「かわいい娘さんですね」ええ、本当に。そう言って彼は、娘の寝顔を優しく見つめていた。「すみません、晩御飯ではがっついてしまって。 実のところ、三日ほどまともに食べてなくて」「いいのよぉ。娘のプレゼントのお礼なんだからぁ」
それから、とりとめもない話をした。かつての自分の想い人のこと。これまでの娘との生活。あとは、いつまで戦いが続くのかという不安と愚痴を少し。
「全く、男は勝手よねぇ。 忘れて欲しい、だなんて言うんだから」人形売りの男が苦笑する。「まあ、僕も男ですから。 そう言う風にしか思いやりを示せないことがあるのって、ちょっとわかる。 決して、あなたを想わずにそんな台詞は出ませんよ」わかっていた。あの人は、優しすぎるほどに優しい。不器用で、愚直で――出征要請が来た時も、二人で何処かへ逃げようかとも考えた。でも、それを彼が止めた。国策に反逆すれば、世間的にどのみち苦しい日々を強いられるだろう。私がそんな苦痛を受ける事を、彼は望まなかった。
「僕はまた、人形売りを続けますよ。そろそろ、場所も変えようかと思っていて」「あら、そうなのぉ?」「はい。また、ここも戦いが激しくなるかもしれない。 逃れ逃れやってきましたから」なんて言って笑う。「良かったら…… ここがいつまでも平和が続くとは限らないから。 僕と一緒に、旅に出ませんか」思わぬ誘い。「ちょっとぉ。今日初めて逢った人に対して、随分大胆なお誘いなんじゃなぁい?」苦笑してしまった。だが、それも本当に悪くないかもしれない。彼は悪い人間ではなさそうだし、人形売りとして頑張っている。雛苺も、ずいぶんと懐いていて(結局『おじちゃん』という呼び名は変わらなかった)、何より彼は、あのひとの若い頃に、似ていた。丁度、私達が始めて出会った頃の様に。「でも、どうして私達なのぉ? 人形に興味を持ったからかしらぁ?」「いや、なんていうか、その」なんだか恥ずかしそうに言い淀んでいる。
この感覚、何処かで。
「あなたの料理、美味しかったから。 また食べたいなあ、って」
この人は――
「また作って欲しいなって。そう、思ったんです」
この人は――誰なんだろう。
「そおねぇ」考えていた。顔が少し、微笑んでいるかもしれない。私はもう十分、待っただろうか。「……悪くないかも、しれないわぁ」あのひとは、もう――
「うゅー。おかあさん……」声が聞こえた。雛苺。私の……いや。私と、あの人の、娘。「そおねぇ、悪くないかもしれないんだけど、 お断りさせていただくわぁ」「そうですか……そりゃまあ、そうですよね」残念そうだ。少し心が揺らぎそうになる。でも。「ここはあのひとが、帰ってくる場所だからぁ。 待ち人が居ないと、寂しいでしょう?」「そう、ですよね。すみません、忘れてください」「まったくよぉ。まったく、女を口説くんなら、 もっと勉強なさぁい」冗談混じりで言った。それでお互い、笑いあう。そう、これでいいんだ。ここはあの人が、帰ってくる場所なのだから。
次の日の朝。彼は旅立つと言った。「おじちゃん、いっちゃうのー?」寂しそうな声で言う娘。「おじ……まあ、いいか。大丈夫、またきっと会えるよ」「ほんとー? じゃあヒナ、いい子にして待ってるね!」「そうか、ありがとう。あ、あと……」彼が私の方を向いて言う。「これ、良かったら貰ってくれませんか」差し出されたのは、人形だった。「あー! これ、おかあさんそっくりなのー!」「え……」これは私、なのだろうか。銀髪で、黒い羽のついたドレスを召した、きれいな人形。「最初、驚いたんです。自分の作った人形にそっくりなひとが、 目の前に現れたんですから」「これは、えぇと、」返答に困ってしまう。「ちょっとした思い出として、貰ってやってくれませんか」少し躊躇ったが。「わかったわぁ。ありがとう。飾っておくわねえ」私も、彼がここに居た証として。この家に人形を留めておこう。
それじゃあ、と。手を振って彼が行こうとする。。去り際、一言言い残した。「ひとつ、謝らなければならないことがあるんです」「え? 何かしらぁ?」「戦火がここに及ぶかもしれないなって行ったんですが、 あれは多分大丈夫ですよ」「え、それって――」「あなたと一緒にいきたいと言ったのは、嘘じゃないです。 それじゃあ!」
そう言って、行ってしまった。全く、これだから男は駄目ねぇ。女はいつも、待ってるばかりなんだから。さようなら、ジュン。あの人と名前まで一緒だったひと。「……おばかさぁん」素敵な夜をありがとう。笑顔で送り出したつもりだったけど、ちょっとだけ涙ぐんでしまったのは何故だろう。 さあ、不思議な一日はこれでおしまい。これからまた、二人の生活が始まるのだ――
―― 夢を、見ていたのだろう。ここの周りは、変哲もない山の中。温かい料理もベッドも、ある筈が無い。
――眠ってしまっていたのか。
恐らくは、極度の疲労。でももう、死に怯えることもない。
――夢の中でまで、泣かせてしまうなんてな。
なんて、バツの悪い。君にそっくりなひとだった。ちょっと、と言うかかなり大人っぽくした感じだったけど。今は、何をしているんだろうか。 もう、戦争は終わる。ようやく和平が締結されて、もう軍役は解除されたも同然だ。これから先、どうしよう。夢の通り、人形売りとして。気ままにやっていくのも良いかもしれない。君は喜んで、くれるだろうか。あんなかわいい子供が居たら、楽しい日々だろうなあ―― 手元には、自分の作った人形。戦いに出る前に、こっそり準備して作ったもの。 水銀燈。僕の愛するひと。どうか、生きていて欲しい。
さあ、夢を見るのは終わりだ。 僕は、僕の在るべき場所へ、還ろう――
おわり
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