Scene5:フラヒヤ山脈―ベースキャンプ―
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フラヒヤ山脈、ベースキャンプ。フラヒヤ山脈の麓を東に移動すると、そこには三方を崖に囲まれた谷底となる。南部に開けた一つ限りの出入り口も、崖に刻まれた幅の狭い道を進まねば出入りすることは出来ない。この地点は人間ですら出入りに若干の困難を伴い、また簡易式の拠点を設置すれば、残されたスペースはあまりない。だがこれほどまでにこの地点が狭く、また視界を遮るということは、裏を返せば外敵の侵入はほとんどありえない、という利点があるとも言えよう。この地点は、よってフラヒヤ山脈に狩猟に出かけるハンター達が、ベースキャンプを設営する定位置となっているのだ。「えーと、ギルドの側はちゃんとブツを用意してやがるですねぇ」緑のワンピースを着替え、全身を鎧で包み込んだ翠星石。彼女は『ゲネポスガード』に覆われた腕を動かし、丸い大型テントの横に置かれた青い大きな箱の蓋を持ち上げて、ハンターズギルドの側に手落ちがないかを確認していた。彼女がが全身にまとう鎧は、『ゲネポスシリーズ』。砂漠地帯を中心に生息するギアノスの近縁種……緑色の鱗に覆われた大蜥蜴、ゲネポスの体から作られた鎧である。隙間なく鱗を敷き詰め、それを鉄製のパーツで補強して鎧の装甲としている『ゲネポスシリーズ』。ゲネポスの鱗は、今や沈もうとしているフラヒヤ山脈の夕日の中でも、美しい緑色に輝く。その緑色の中に、過去の狩猟の思い出を見る翠星石は、続けて傍らに置いてあった鉄製のケースに手をかける。翠星石がケースの上で手を動かすたびに、ケースをしっかりと閉じるために巻かれた革製のベルトがほぐれ、その中身が日暮れの光の中に晒されようとしている。鉄製のケースに安置されていたのは、中折れ式の構造を利用し、小さく畳まれたボウガンだった。翠星石はボウガンに手をかけ、それを静かに持ち上げる。その際の動作の鈍重さは、得物が秘めた巨大な重量を見る者に暗示するだろう。がきん、という小気味のいい重厚な金属音を立てて、折り畳まれていた銃身があるべき姿に戻る。完成してみれば、全長が翠星石自身の身長を超えるほどの、長大なボウガンが彼女の両手の中に現れた。翠星石の持つこの武器の名は、『インジェクションガン』。ランゴスタやカンタロスと言った、巨大昆虫の甲殻を素材として利用したヘビィボウガンである。どちらかと言えばパーティの後方支援に有用とされるライトボウガンと違い、ヘビィボウガンは純粋な制圧力……すなわち、火力に特化された武器となっている。薬室を巨大化させ堅牢性を高めることにより、ライトボウガンでは耐えられないほどの高爆圧で弾丸を射出することを可能とした。銃身をライトボウガンのそれより延長することにより、ライトボウガンでは弾丸が失速するほどの距離でも破壊力を維持することを可能とする。しかし、その代償として求められたものは、巨大な重量。もはや銃という括りをはみ出し、「砲」と呼ばれることすらあるその銃身は、その重さゆえにハンターから瞬発力を奪った。ライトボウガンの使い手が持っている機動力は、ヘビィボウガンの使い手にはない。使用者に鋭い反射神経と的確な判断力がなければ、モンスターと戦う際にはただの足かせに成り下がるこの武器は、実に使用者を選ぶと言えよう。だがその圧倒的な火力に惹かれて、ヘビィボウガンに己の命を託すハンターも、決して少なくはない。翠星石も、そのようなハンターの1人なのだ。アイテムポーチから取り出した弾丸を薬室に滑り込ませつつ、翠星石は一人言葉を放つ。「照準は問題なし……薬室もきれいに煤が払われてますねぇ。さすが、スィドリームのメンテナンスには文句の付け所がねぇですぅ」武器の整備を一任する己の相棒、スィドリームの技術を翠星石が褒め称えた時、テントの出入り口の幕が揺れた。いつの間にか、中から聞こえてきた金属を打ち合わせる音も止んでいる。テントの中から現れたのは、翠星石のパートナーにして双子の妹、蒼星石。「翠星石、鎧を着終わったよ。ところで支給品の確認は大丈夫?」「もちろん、問題ないですぅ」翠星石にそう聞いた蒼星石が着込む鎧は、『ランポスシリーズ』。同じくギアノスの仲間である大蜥蜴、ランポスの鱗を重ね合わせて出来上がる鎧である。ランポスの持つ鱗の色が、鎧に澄んだ青色を付加し、それが鉄の補強具の銀色に美しく映える。蒼星石は胴体を守る『ランポスメイル』の背に付いたホルダーに、今両手の武器を収めようとして――。「あ、蒼星石! その前に『あれ』やって見せて欲しいですぅ!」「……『あれ』? 別にいいけれども……」翠星石にねだられるような目つきと声を向けられ、蒼星石は一瞬困惑。だが、これもいつものことと分かりきっている蒼星石は、そう長い時間困惑したままではいない。蒼星石は、右手と左手に一本ずつ構えた愛用の武器をしっかと握り……。「……それ!」かけ声と共に、それを手首を利かせて回転させる。蒼星石の手の中で、2つの鋼の車輪が生まれた。鋼の車輪は高速で回りながら、蒼星石の背に回り込む。蒼星石は、2つの刃をその背のホルダーにかけ、固定。互いを打ち合った剣の刀身が、甲高く鳴る。翠星石は、蒼星石の曲芸じみた納刀動作に、拍手でもって賞賛を送る。「やっぱり蒼星石のその双剣のしまい方、カッコいいですぅ!」「別にハンターは、カッコいい技が使えなくたっていいと思うんだけどなあ……」翠星石の言葉が少しばかり照れくさいのか、蒼星石は困ったような表情を浮かべた。蒼星石の背に差さった双剣『ツインダガー改』のギザギザの刃が、静かに赤い日差しを照り返す。双剣。それはこの大陸に存在する大都市の一つ、ジォ・ワンドレオからもたらされたという、比較的新しい武器である。真紅の……そしてかのローゼンも用いる片手剣から、この二振りで一つの武器は生まれた。片手剣は盾と共に合わせて用いられるのがハンター達の間に伝わる流儀だが、この盾を捨て、両手に剣を持つことを考えついた者が、ある時いたのだ。確かに強大なモンスターを相手にする際、どうしてもかわせない一撃をいなすことの出来る盾を捨てるのは、手痛い損失となろう。だがその代価として片手剣の二倍……時にはそれを超えるほどの手数を、双剣は手に入れたのだ。一切の防御を捨て去り、相手からの攻撃を受ける前に迅速に敵を撃破することこそ、双剣使いに求められる戦法である。双剣もまたヘビィボウガンと同じく強い癖を持つ武器ではあるが、それは決して実用性の欠如を意味するわけではない。現に蒼星石はこの双剣で、ランポスのリーダーであるドスランポスをさんざんに斬り刻み、勝利を得ている。その結果が、蒼星石の全身を守る『ランポスシリーズ』である。「それじゃあ、作戦会議といくですよぉ、蒼星石」弾倉内に弾薬を目いっぱいに詰め込み、再びそれを折り畳み背に負う翠星石は、蒼星石に大きな袋を差し出す。先に鎧の装着を終えた翠星石が分けてくれた、自身の分の支給品だと蒼星石はすぐに気付いた。蒼星石はその中身の『応急薬』や『携帯食料』、そして『携帯砥石』などを取り出す中、翠星石は早速支給品の『地図』を開く。「えーと……このフラヒヤ山脈ってとこは……寒そうな場所が多いですぅ」翠星石は『地図』に書かれた地形図と、その地形図に塗られた色彩で眉をしかめた。フラヒヤ山脈の大半のエリアを着色している水色と白の塗料。これらはそれぞれ、寒冷地と酷寒地を示す。ハンターズギルドが発行する公式の地図は、ギルドにより統一された規格や手法で作成されている。よって多少慣れたハンターであれば、このように各地系に塗られた色から、その場所がいかなる特徴を持っているかを、ある程度推測することが出来るのだ。「それに、時間帯も悪いよね。ただでさえ寒い雪山になんて、夜に来るような場所じゃない。けれど、ランペさんって人の人命がかかってるなら、次の日まで待つなんて悠長なことは出来ないしね」手早く自分の支給品を鎧下のアイテムポーチにしまい込んだ蒼星石は、やはり翠星石にならって『地図』を取り出し覗き込む。「ポッケ村の村長さんから聞いた話だと、ランペさんのオトモアイルーは、救助要請の後ですぐさまここにとって返して、ランペさんに救援物資を運びに行ったらしい。オトモアイルーが持って行ったのは『ホットドリンク』や『携帯食料』……。それぞれそれなりの量持って行ったみたいだから、それで時間はある程度稼げるはずだよ」「となると、タイムリミットの50時間めいっぱい粘ったとしても、フルフルを倒してもランペってヤローが凍え死んでました、ってオチはつかずに済みそうですかぁ?」蒼星石は渋そうな表情を浮かべ、翠星石の言葉を遠回しにとがめる。「できれば、そうであることを祈りたいね。ランペさんにはオトモアイルーもいるだろうから、孤独や恐怖みたいな精神的な問題も多分大丈夫だろう。ただ、ランペさんが雪山の寒さに耐えられる時間については、楽観的な見積もりは危険だと思うよ」思考を巡らせる蒼星石の脳裏では、3つの選択肢が揺れ動いていた。すなわち、フルフルの妨害をかいくぐりながらランペを救助し、しかる後にフルフルを排除するか……さもなくば先にフルフルを撃破し、障害を無くした上で確実にランペを救助するか……もしくは二手に分かれ、片方がフルフルを釘付けにしている内にもう片方がランペの救助を行うか。この三択の間で。そして蒼星石の考えは、すでに翠星石との話の中で導き出されようとしている。「翠星石、僕達は先にフルフルを倒そう。この状況じゃ、下手にフルフルの妨害を潜り抜けてランペさんの所にたどり着いたとしても、僕達はその瞬間に足手まといを抱えることになる。さすがに足を骨折しているランペさんに助力を求めることは出来ないだろうし、そんな状況でもしフルフルに出会ったら大変なことになるからね」「なら、二手に分かれてフルフルのヤローとランペのヤローをまとめてどうにかするのダメなんですかぁ?」翠星石は、いつも作戦を考えてくれる蒼星石のアイディアに、一応は反論を試みてみる。大抵の場合、その反論は不要なものに過ぎないのであるが。そして今回もそのご多分に漏れず、蒼星石は首を横に振った。「僕もそれは考えたけれど、止めた方がいいと思う。僕達は今回初めてフルフルを相手にするんだし、一対一の戦いを挑むのは危険が大きい。熟練ハンターなら、1人でもフルフルくらい軽くあしらえるとは聞くけれど、今の僕達にはそこまでの実力はない。万一二手に分かれた状態で各個撃破されるようなことになれば、最悪の場合僕達全員がフルフルのお腹の中だよ」蒼星石が警戒するこの危険性……それは半年前、ジュン達の失策により彼らを死の縁まで追いやった。4人のチームが二手に分かれ、それぞれがドスギアノスを各個撃破しようとした作戦を、結果的に逆手に取られて逆に各個撃破されかけたという、あの一件である。あの時のジュンよりも経験を積んだハンターである蒼星石は、その危険性に気付かぬはずもない。けれども蒼星石の下した慎重な結論に、翠星石は思わず口を尖らせる。「結局、楽観的に考えてるのは蒼星石の方ですぅ。翠星石達がフルフルを片付けるまで、ランペってヤツが生き延びてくれることを期待してなきゃ、そんな作戦は無理ですぅ」翠星石の指摘に、蒼星石は苦笑い。見事に図星を突かれる形になったわけである。「確かに、楽観的かも知れないね。けれども」そこで、蒼星石は苦笑いを払拭し、真剣な目つきで翠星石のオッドアイを見つめる。「――僕達の実力なら、これが一番妥当なやり方だと思う。どこかでこの作戦も無理が出てくるかもしれないし……いや、むしろ無理が出てくると考えた方がいい。その上で、僕はこの作戦が一番いいと思うよ。ランペさんも助けて、フルフルも狩る。僕達は両方やらなくちゃならないんだから、現実的な範囲内で多少楽観的な見積もりをしないと、どの作戦も立ち行かなくなっちゃうよ。その上で、僕達に与えられた選択肢の中でこれが一番楽観的な見積もりの少ない、現実的な選択だと思う」蒼星石のオッドアイに込められた迫力に、翠星石は少したじろいだようになる。翠星石は、回らなくなりそうな舌を必死に動かし、その意を蒼星石に伝えようとした。「あ……あの……」「……何だい、翠星石?」真剣な表情をゆっくりと崩しゆく蒼星石に、翠星石はおずおずと言葉を紡ぐ。「……やっぱり、この依頼受けなかった方が良かったですかぁ?ちゃんとフルフルを倒せたあのチビにでも任せた方が……」「そんなことはないよ、翠星石」翠星石らしからぬ弱音を、蒼星石は即答で否定する。蒼星石は、アイテムポーチに全ての必要な支給品が収まった事を確認しながら、ゆっくりとこのベースキャンプの南側に開けた斜面を下る。蒼星石の下る方向は南側……すなわち、左手である西側の夕日は、すでに光度が限界近くまで下がっていた。翠星石は、夕日の最後の残照が蒼星石を照らすのを、茫然と見つめていた。蒼星石は、翠星石に振り向くことなく、独り言のようにこう言った。「翠星石がいなければ、多分僕はフルフルに挑めるほどのハンターになる前に、挫折してただろうからね」最後の夕日のひとかけらが、はるか西の地平線の中に吸い込まれた。
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