0. Boogie-Woogie Cookin´
翌日の夕暮れになって、水銀燈は目を覚ました。全身打撲で正直、何をするのも辛いが…それでも、大きな怪我が無かったのは奇跡と言って良い程の偶然だった。途中一度、目を覚ました気もするが…どうも、その辺りの記憶がはっきりしない。まるで夢でも見ていたかのような……ともかく、何とか生き延びる事が出来た。そして…自分の様子を見るに…見ず知らずの自分を看病してくれたお人よしが、助けてくれたらしい。だからと言って、油断は出来ない。(悪い人間ではなさそうだけど…だからって、良い人間とも限らないわねぇ…)そして、そんな明らかな警戒心を露にした水銀燈を他所に…焚き火で料理を作っている女性はニコニコとご機嫌な笑みを浮かべていた。 0. Boogie-Woogie Cookin´ 「はい、天使さん」女性は楽しそうに笑いながらそう言い、水銀燈に皿を差し出す。「ミルク粥作ったの。食べてみて?」水銀燈は、体の痛みもあるが…それ以上に警戒して、手を伸ばさないでいた。その様子に女は、暫く考える素振りを見せたが…やがて水銀燈の横にやってきて、地面に座る。「私はめぐ。ただの旅人よ?ね?怪しくなんてないでしょ?」そう言いながら、ミルク粥をスプーンに掬って差し出してきた。「私は…天使なんかじゃないわよぉ…」水銀燈は少し顔をしかめて目をそむけるが…「あら?だって、あなた空から降ってきたんですもの。それに、綺麗な髪…。きっと天使さんよ」めぐは相変わらずご機嫌な表情で答える。髪。銀髪のせいで、魔女と呼ばれ、悪魔と陰口を叩かれてきた。その髪を褒め、自分の事を天使と呼ぶ人間。警戒を解くわけにはいかない。そう思いつつも…内心、揺れる。「こんな真っ黒で、ボロボロの天使なんて居る訳無いじゃないのぉ…」水銀燈は小さく呟くが…そんな呟きにもめぐは楽しそうに答えてくる。「ふふ…ほら、すねてないで…一口だけでも食べてよ」わざわざ治療しといて、料理に何か仕掛ける…そんな面倒な事をする理由は、無い。水銀燈は自分にそう言い聞かせながらも、スプーンと、それを差し出すめぐの顔を交互に窺い… めぐはそんな水銀燈の仕草に、「お腹がすいてるけど、遠慮してるのね」と勘違いし、さらに料理を手に笑顔で近づいてきた。水銀燈は……ついに根負けして、ミルク粥を食べる事にした。と言っても、めぐがスプーンを差し向けてきてるので、口を開くだけだが。あーん、と開けた口に、めぐがスプーンに乗った粥を入れてくる。そして、もぐもぐと咀嚼する水銀燈に向かって、めぐは相変わらずの笑みを向ける。「…お味はどう?」「……最悪」「でしょ!?」めぐがケラケラと楽しげに笑う。「何でか知らないけど私って、いっつも料理失敗しちゃうのよ」「よく他人にそんなもの食べさせようと思ったわねぇ…」水銀燈が不貞腐れた表情をする。「そお?栄養はバッチリだし、天使さんに元気になってもらうには一番だと思うわよ?」めぐは相変わらず、楽しそうな顔でそう言ってのける。「とにかく、一生懸命作ったんだから、ちゃんと食べてね?」めぐは水銀燈の前に、不味い粥が入った皿を置く。水銀燈は今度は自分で粥を掬い、口に運んだ。…やはり、酷い味に変わりは無いが…だけれど…「…とんでもない不味さねぇ…」「うーん…一体、何がいけないのかな…?」だけど、不思議な温かみが、そこからは伝わってきた。(よりによって…変な人に助けられたわねぇ…)水銀燈は心の中でそう悪態をつくも…気が付けば、自分の頬が少し持ち上がっている事に気が付いた。―※―※―※―※―二人が食事を終え、めぐがその片付けを終えた頃…太陽はすっかり地平線の彼方に沈んでしまった。めぐが熾した焚き火の近くに、水銀燈は膝を抱えるように座り込む。…これから、どうすれば良いのか…町を追われ、行くあても無く…生きる術すら見当たらない。そんな水銀燈の横に、めぐが体を寄せて座ってきた。「…ねえ天使さん…天使さんは…何であんな所から落ちてきたの?」「…天使じゃなくて、水銀燈よぉ」 答えをはぐらかす水銀燈に…めぐは何かを察した。誰一人、崖から落ちた水銀燈を助けに来てない事。あんな夜中に、一人で荒野に出ていた事。そして…帰る場所について、未だに一言も言及してない事…。どんな事情かは分からないが…めぐは、水銀燈も一人ぼっちなんだと気が付いた。「ねえ…もし良かったら…私も一人旅には飽きちゃったし、一緒に旅でもしない?」そう言い、煙草に火をつける。水銀燈は少し考える。どこか、知らない町まで。それまでは一緒に居ても良いかもしれない。それでどうする?その町で、どうやって糊口を凌ぐ?結局…その答えは出ない。「煙草吸ってると…長生きできないわよぉ…?」水銀燈は無理やり話題を変え、めぐに背中を向けてそう呟く。めぐは…どこか寂しそうな表情を一瞬見せ…やがて静かに微笑んだ。暫く二人並んで座っていたが…不意にめぐが、体を少しずらしてギターに手を伸ばす。「素敵だと思わない?どこまでも自由な…そんな旅をしてみるのも…」…目を瞑り…小さな、静かな…綺麗な声で歌を紡ぐ。 「――からたちの――花が咲いたよ―― ――白い――白い――花が咲いたよ――」崖から落ち、意識を失って生死の境を彷徨ってる時…どこからか聞こえてきた歌…まるで眠りに落ちる瞬間のような…静かな気分になる歌…(――…この歌は…あの時聞こえた……)まるで水面に浮かんだ泡が消えゆくように…水銀燈は、不思議と自分の心から警戒心が薄れている事に気が付いた…。ふと、めぐはギターを弾く手を止める。「水銀燈は…これからどうするの?」水銀燈は膝を抱えたままモゾモゾと動き、背中を向けたままめぐに近づく。「…続き…歌って…」めぐは背中越しに少女の鼓動を感じながら…少し、微笑んだ。―※―※―※―※― 太陽が昇り、再び沈み…そして東の空がまた明るくなってきた。 水銀燈の怪我もすっかり回復、とはいかないが、それでも歩ける程には回復した。「うん。大分良くなってきたみたいだし…どこかに行きましょうか!」そう言い、めぐは水銀燈の格好を見る。…出会った時のまま…つまり、ボロボロの修道服。「どこか…そうね、町を目指しましょ」そう言うめぐに、水銀燈は視線を向ける。ブーツカットの、裾の広がったズボン。ズボンと上着の袖からは、いかにも西部劇なヒラヒラしたものが伸びている。そして、背中に背負ったギターと…時代遅れのウインチェスターライフル。一目見ただけで、変わり者と分かるが…それに付いて行く気な自分も、傍から見れば変わり者なのだろうか。心の中でため息を付く水銀燈を他所に、めぐは咥えていた煙草を指先でピンと弾く。煙草がクルクルと空中で回り…地面に落ちる。そしてめぐは、煙草の先が指す方角を眺め…「さあ、行き先も決まったし、さっそく出発しましょう」馬は荷物で一杯な為、ひたすら徒歩で荒野を行く。容赦なく照りつける太陽が、旅に不慣れな水銀燈の体力をジリジリと奪う。途中何度か休憩を挟みながら…それでも、目指す方向に進む。 「ねぇ…本当にこっちに町なんてあるのぉ…」水銀燈がぼやく。「…うーん…ちょっと待ってね…」そう言い、めぐが地図を広げる。「あ!うん、大丈夫。明日には着く…かな?」「本当に大丈夫なんでしょうねぇ…」途中水銀燈は体力の限界を見誤り、何度か脱水症状に見舞われるが…それもめぐの甲斐甲斐しい世話ですぐに回復した。そして歩き続け…太陽が再び地平線にかかり始め…「今日はここまでにしましょうか。どこか場所を探して、キャンプにしましょ」めぐの一言で、水銀燈の旅の初日は終了した。―※―※―※―※―枯れ草を拾い、持っている道具で焚き火を作る。水銀燈が熾したばかりの焚き火の側でぐったりしてると…「ねえ水銀燈。晩御飯、何にしようか?」相変わらず元気なめぐの声が聞こえてきた。水銀燈は、これまでのメニューを思い出す。 何故かは知らないが…本人すら何が悪いのか気付いてないが…めぐの料理は不味い。ある意味、これは才能だと認めざるを得ない。慣れない長距離移動で疲労の溜まった体で、そんなめぐの料理を食べる。正直、想像しただけで、ゾッとする。水銀燈はなけなしの体力を振り絞り、立ち上がり…「ねぇ、めぐ…今夜は…私が作るわぁ…」「あら?なら、お願いしちゃおうかな?」そんな気も知らないで、めぐは嬉しそうな声を上げた。水銀燈はやれやれといった感じで食材を一瞥する―――…あての無い一人旅を続けていただけあって、食料は豊富だ。それなのにどうして…あんなトンデモ料理が出来るのだろう…心の中で盛大にため息をつきながら…改めて食材を眺める。……自分も料理なんてした事が無いと、気が付いた。「とりあえず……あらぁ?コレは…?」食材の隅に、見慣れぬ小さな容器が転がっているのが目に留まった。「……牛乳…にしては…容器が小さいわねぇ…」食材の中に紛れていたのだから、変な物ではないだろう。そう考え、それをちょっと飲んでみて……「!!!!!」水銀燈は、小さな容器を片手に、その場に固まった。 不味かったのではない。逆だ。美味い。美味すぎる。口の中でまろやかに広がる甘み。優しさを凝縮したような口当たり。体にも良いと、本能が叫びを上げる。―――これを使って料理を作ろう―――夢見るようにうっとりとした視線で、水銀燈はそう決意した。……「めぐぅ、出来たわよぉ」暫くして、そう言う水銀燈の声が焚き火の傍から聞こえてきた。「うん、今行くわ」そう返事して、めぐは馬にブラッシングをかける手を止める。「ふふふ…我ながら、大成功だと思うわぁ…」水銀燈は思わず笑みを浮かべながら、そう言う。示す先には…鍋の中には肉と野菜。そして…グツグツ煮えたぎるヤクルト。めぐの頬がピクっと痙攣した。 (何が!?何が『大成功』なの!?ドッキリ大~成~功~と同じ類の『大成功』って事!?)だが、水銀燈はそんなめぐの表情に気が付かない。「さぁ、めぐ…私がよそってあげるわぁ」そう言い、めぐの皿にヤクルト煮を盛りつけた。めぐは少し青い顔をしながら…恐る恐る、それを口に運ぶ。…これは酷い。かつて無い衝撃が口に、喉に、腹に響く。不味い。確実に不味い。とことん不味い。クリティカルに不味い。世界の終わりを料理で表現するなら、まさしくこんな感じだろう。水銀燈はご機嫌な表情で感想を聞いてきた。「…お味はどうかしらぁ?」その顔からは、いかにも自信が溢れている。「…ゲロみたいな味ねえ…」どんより顔のめぐが膝の上に皿を置き、水銀燈に視線を向ける。「私の料理より酷いとは思わなかったわ…」「何よ何よぉ!めぐの料理よりはずっと美味しいはずよぉ!」そう言い水銀燈は、自分の作ったヤクルト煮を口に運ぶ。…確かに、不味かった。 二人して、ヤクルト煮を食べて青ざめた互いの顔を見る。「……」「……」「……プッ…」「…ふ…ふふふ…」「はは…あはははは…あなた…何ってモノ作るのよ水銀燈」「あははは……何よぉ…斬新で素敵じゃなぁい…」いつ以来だろう…こんなに笑ったのは…いつ以来だろう…こんなに楽しいのは…いや…ひょっとすると、これが初めてかもしれない…二人の笑う声が、どこまでも澄んだ星空に響いた―――― ⇒ see you next Wilds...
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