「紅い川が流れる国」
川が流れていた。その道は完全には舗装されておらず所々に石が転がっていたが、たまに通る馬車や人間の足には問題無く役割を果たしている。川が流れていた。道は二本並んでおり、その国へ向かうものと出て行くもの。そしてその間に、川が流れていた。国へと向かう道に、白いシャツに黒いコート、分厚いブーツを履き帽子を頭に被る少年が歩いている。「ジュン、やっぱりこの川…」「うん。まさかとは思ったけど、間違いない」ジュンと呼ばれた少年が慎重に川に近づき、指を浸して口に入れる。「どう?」「ああ、やっぱりだアリス。これ、紅茶だよ」ジュンは声を弾ませながら答え、二人はその紅い流れを暫く眺めていた。川が流れていた。紅い、紅い、紅茶の川が。第四歩「紅い川が流れる国」―どうかな?…僕のカラダだ ―良かった。カラダが無ければ旅など出来ないからね…ハダカだ―うむ。出来たのはカラダのみだからだ。さて、身の回りのモノを揃える前に、君のパートナーを紹介しよう…帽子だ―そう。帽子だね。…何か思うところがあるかな?・・・―いや…いい。ではその帽子を被ってごらん?もしかしたら、しゃべりだすかもしれないよ。…君が、一緒に行きたいと願う人が…しゃべった「えっと…旅の者なんですけど、入国を希望します。僕はジュンでこっちがアリス。日数は決まってませんけど、そんなに長くはならないと思います」「よろしくー」2つの道が始まるその広場は人がたくさん集まっていた。馬車で人を連れて来る者出て行く者、端で数人で座り込む者。そしてジュンとアリスのように入国審査を待つ者。 ただ、人こそ多かったが、会話はろくにされていなかった。「…その腰のモノは?」その広場の暗い雰囲気に負けぬよう元気に挨拶した二人には目もくれず、門番の審査官はジュンの腰のベルトに下がっているものを見ながら言う。「ただのナイフですけど…持ち込めないんですか?」ジュンの横で入国審査を受けている誰もが荷物を丁寧に検索され、ボディチェックをされていた。「いや…構わない。そこで荷物をもらったら入国していいぞ」「あ、はい」「どうもー」横で急に始まった口論を無視して、二人は自分達の荷物を抱えて門をくぐり抜けた。その国の建物や道はレンガや赤土を固めたものが多く、全体的に紅い色に染まっている。二人が入国したのが夕方だった事と、すぐそばを流れる川が紅いのでその色合いをさらに深めていた。 「見る分にはいい国なんだけどねー」ジュンの頭の帽子、アリスが口を言う。「なんと言うか…皆さんピリピリしてない?」「うん…」大通りには人も店も多く出ていたが、声があまり聞こえない。馬車の車輪の音と買い物をする人の会話が細々と通りに響いていた。「あまり、気持ちのよい国じゃないな」「見る分にはいい国なんだけどねー」アリスが早めに宿を取るよう勧め、ジュンもそれに応じる。適当な店の人に宿の場所を聞くと、「うーん…今はどこもいっぱいだと思うよ」「開いている宿は無いんですか?」その人は頭を巡らせて、「あー…あるにはあるが、行ってみるかい?」「はい、お願いします」店の人に言われた通り歩くと、この国の東の端に位置する宿を見つける事ができた。「ボロい、汚い、なんか出そう」アリスがこれ以上無いくらいの不機嫌な声で、言った。「仕方ないよ。この雰囲気で道端に野宿してたら何されるかわからないし。確かに部屋も空いてそうだ。じゃ、入るよ」「いや~!臭いが移る~!」店の中は予想を裏切らない様子で、ロクに掃除もしてないのか枯れ葉が落ちている。さらには、店主も本を顔に被せて寝ている始末だった。なんとか起こして泊まりたい旨を伝えると、鍵を放り投げてまた眠ってしまった。「な…なにさあれ!あれが客に対する態度!?」鍵に書かれていた番号の部屋を探していると、アリスが怒鳴った。「まあ…ね。でもお金とられなかったな」アリスが再び怒鳴る。「どうせ部屋だって掃除してないんだろうしご飯だって出ないんでしょう!これでふっかけた代金言ってきたらぶん殴ってやるとこだよ!ジュンが!」「勝手に喧嘩売らないで」どうやら目的の部屋は二階のようなので階段を上ると、一人の男が立っていた。腰に拳銃を下げた、体つきのいい男だった。「そう言ってやるな嬢ちゃん。どうせこの店ももうすぐ潰れるんだ」「え?」軽く会釈をして通り過ぎようとしたが、脇を抜ける時に男が声をかけてくる。「見たトコあんた旅人だな。まあこんな宿に泊まるハメになったよしみで忠告しといてやるが、今この国でそんな風に武器をぶら下げない方がいい」腰のホルダーからピストルを抜いて指で回しながら続ける。「こんな時に自分のエモノを見せる奴はよほど腕に自信があるか…」鮮やかに空中に投げたピストルを指にからめ、再びホルダーへと流し込んだ。「トーシローだけだ。絡まれる前に隠しておきな。俺が見るに、おたくは後者だろう?」「そーで~す」アリスがからからと答えた。「あっはっは。しかしそんな旅人がどうして今こんな国に来たんだ?観光かい」「それもありますけど、この国のお城を訪ねようと」「城?」ジュンの言葉に男は眉間にしわを寄せた。「はい。あちこちの国を回って、その国のお城を訪ねているんです」男はまたしばらくジュンを見つめていたが、「そうかい…なら忠告が増えたな。まあ今あの城に入るのは無理だろうが、明日の夜の12時には城の近くにゃいない方がいい。じゃなあ」そう言い残して自分の部屋に入っていった。「なんなんだろうねー」「なんなんだろうね」ジュンが汚れた雑巾をバケツの水に浸し、絞る。「いい景観の国なのにピリピリしてるし、ごっつい銃を持った男には忠告をうけるし」「休むはずの宿では掃除をさせられるしね」ジュンがやれやれ愚痴を漏らす。「仕方ないじゃない。あのまま寝転んだら私達真っ白になっちゃうじゃない」「まーね」床が拭き終わったので、今度はアリスをかける台の掃除に取りかかった。「…で、どうするの?」アリスが聞く。「何が?」「お城。行くの?」ジュンはすぐに答えた。「まあ、一応はね。ただあの男の人も嘘を言ってる感じじゃなかったし、明日の朝に行ってみて、入れれば夜になる前に帰ってこよう」綺麗になった台にアリスを載せ、うやうやしく訪ねる。「ご感想は?」「ま、及第点をあげましょう。でも…明日の夜に何があるんだろうね?」「何があるんだろうね」ジュンはそう言って、白くならない程度に掃除をしたベッドにドサッと横たわった。「疲れたから寝る。お休み」「お休みー」しばらくして、「…あ!ちょっと、私の手入れはー!?」そうアリスが叫んだが、答えたのはジュンの寝息だけだった。『ほら、今度あのお店行こう!』『まだ行くのかよ…』『あ!ほらこれ見てよ!カッコイイと思わない?』『別に』『絶対似合うって!よし、私がプレゼントしてあげよう!すみませーん、これくださーい』『お、おい…』太陽がまだ地平線から顔を出し始めたな朝方、ジュンがもそりと体を起こした。それに気付いたアリスが声をかける。「あれ?随分お早いお目覚めね。悪い夢でも見た?」ジュンはゆっくり部屋を見回して、「今…誰かいなかった?」「誰って、誰よ?」「…誰だろう」アリスが呆れたように言った。「はいはい寝ぼけてるのね。顔を洗うか、私を被って朝のお目覚めソングを聞くか選びなさい」ジュンは少し考えて、「…寝直す」「オイコラ」それから今度は太陽がしっかりと登って街に人が行き来し始めた頃、ジュンは再び目を覚ました。アリスが後ろで何か説教地味た事を言っているのをシャワーの音で防ぐ。 自分の準備が出来た後はアリスの手入れにかかった。昨日うっかり忘れていた事をどやされ、いつもの二倍の時間をかけされられた。「よし…じゃあ早めにお城に行ってみよう」「あー、ようやくこのボロから出られる…」薄暗く活気の無い東の市街地から中央へと出ると、この国は入国した時とは別の色合いを見せていた。蒼い空と日の光に照らされた紅い街並みが、夕日と一体化した時とは裏腹に強いコントラストを放ち、生き生きとした印象を与えてくる。「見る分には…なぁ」「見る分には…ね」昨日よりもギスギスとした空気の中、国の北の高台に位置する城へと向かう。途中で道を聞こうかと思っていたが、その城から流れる川がその役目をはたしてくれた。「今は…普通の川よねぇ」「でもあの時は確かに…あ!アリス!」ジュンが城の方角、川の上流を見て叫ぶ。「うわー…」ジュンの視線の先から徐々に紅い水が流れてきて、あっという間にジュンの立っている所を過ぎ川全体を紅く染めてしまった。「うん、しっかりと紅茶の香りがする」「綺麗ー。でも、もったいない。何かの風習でもあるのかな」アリスは何となく言ってみただけだったが、「…違うみたいだ」「え?」ジュンが街の中心、川の下流を見て呟いた。そこには川の周りに人が集まり、川に石を投げたり罵倒したりと険悪な光景が広がっていた。「…川から離れて、遠回りに城に行こう」「賛成。でも、城に着いても歓迎されないに一票」「…とりあえず、行くだけ行ってみるさ」二人は川の近くの本通りからはずれた脇道に入り、を伝って川と平行に進んで行く。進むにつれ、川を睨む人は減り、兵隊が増えていった。その道を抜けると、芝生が茂るなだらかな丘の上に大きな城が現れた。古風でも豪華な雰囲気の立派な城だった。「…やっぱり。ほら、見てアリス。あそこの建物から紅い川が出来てる。あそこより上流は普通の川だ」「だね。…で、それはそうと、城に入れてもらえないに一票」「…僕も入れようかな」その城の城門は堅く閉ざされ、何人もの兵隊が立ち、厳重な警戒がしかれていた。とても、観光の旅人を迎え入れるような空気ではなかった。「でも、行かなきゃ始まらない」「お、お兄さん。男だね」ジュンは城門に向かって歩き出した。すぐ帰ってきた。「駄目だったね」「わかってたけどね。さて、どうする?帰る?」ジュンが少し考えてから、答える。「そうだな…ちょっと城の周りを歩いてみよう。このまま帰るのはなんだか癪だ」「はいはーい」その国の北側は、殆どが城の敷地で占められていた。城より北側は森になっていて、それを山が囲って自然の城塞となっている。その森の中へ、ジュンとアリスは入って行く。時折見回りの兵隊がいたが、アリスがすぐさま発見してくれたのでやり過ごすことが出来た。やがて二人は城の後ろ側の芝生にたどり着いた。日の当たる場所にには洗濯物が吊され、食糧庫も見える生活臭のある場所だった。「あ、あそこに空いてる窓があるじゃない。一丁忍び込んでみるかい?」「ここまで来て言うのもなんだけどさ、それは不法侵入だよ」二人がその風景を眺めていた時、「あの…」「「うひゃあ!」」突然後ろから声をかけられた。「ご、ごごごごめんなさい!マズいとは思ったんですがそのそのお城に入りたくてつつつい…!」ジュンが土下座で弁明の言葉を唱えていると、その声の主が言った。「えっと…先程、お城を訪ねたいとおっしゃった方ですよね?」「え…あ、はい」ジュンが恐る恐る顔を上げる。長い金髪を後ろに丸め、エプロンを下げとナプキンを被った少女がこちらを見ていた。「私はホーリエと言います。このお城の侍女を勤めさせて戴いております」「あ、えと…僕はジュンで…」「私がアリス。よろしくね、ホーリエさん」二人の挨拶を受けて、ホーリエが言った。「あの、お二人はどうしてこのお城に?」「えっと、僕達は色んな国を回ってその国のお城を訪ねるんです。だから、何かお話が出来ればなーと…」それを聞くと、ホーリエの顔がほころんだ。そして、「で、では、その…お二人にお嬢様に会っていただけないでしょうか!私がご案内しますので!どうか…どうかお願い致します!」そう必死に訴える少女を、二人はぽかんと見つめていた。案内された城は、その外見に負けない豪華さを持つ装飾に彩られていた。広く輝く廊下を歩き、ホーリエは一つの扉の前で立ち止まった。そこでホーリエはノックをして、中にいるであろう人に告げる。 「失礼いたします」ゆっくりと扉を開け、二人を中に招く。ホーリエが最後に中に入り、「お嬢様、お客様がお見えになっております」澄んだよく通る声で告げると、「お客…誰なの?」部屋の奥、ジュン達がいる所からは死角になる場所から上品な声がした。「旅のお方だそうです。お嬢様とお話がしたいとの事ですので、お連れしました」「そう…」その時、ジュンは自分が息を呑んだのを強く感じた。自分の目の前に現れたのは、左右に結った金髪を揺らし、紅のドレスを身に纏った、お人形という表現が一番合う少女だった。 「ご機嫌よう。この城の主、真紅よ」それからジュンと真紅の二人は、ホーリエが仲人となりたどたどしくも会話を交わし始めた。一方のアリスはと言えば、ジュンの頭の上で頑なに沈黙している。もっとも、会話がアリスに降られる事は無かったが。 「…では、真紅さんは世界中の紅茶を集めているんですか」「ええ。リーフだけではなく、沸れ方から保存方法も調べて試して…ホーリエ」「はい」ホーリエは素早く席を立つと、本棚から紐でまとめられた紙束を持ってきた。「そこに、今までの詳細が書かれているのだわ」「うわ…」見せられた数百枚は有ろうかという束の一枚一枚には、手書きでリーフの種類や沸れるまでの過程、その時のコメントがびっしりと書き連ねてあった。ジュンが一通り眺め終わってホーリエに紙束を返すと、ホーリエはそれを大きい本棚にびっしりと敷き詰められた紙束の間にそっと戻した。「凄い…真紅さんは本当に紅茶が好きなんですね」「ええ…そうね」真紅が少しはにかみながらカップに口をつける。そして、少し目を見開いた。「ホーリエ、この紅茶の詳細を持ってきて頂戴」「はい、ここに」差し出された紙を引ったくるように掴み、目を通す。「…おかしいのだわ。本当にこうやって沸れたの?」「はい、お嬢様。間違いございません」ホーリエが言った。「でも…違うのだわ…この感じはあの時に近いのに…気温?湿度?前沸れた時はこんな味はしなかったのに…何が違うの?何が起きたの?」喘ぐように呟く真紅に、ホーリエが言う。「お嬢様、何かジュン様にお話ししたいことはございませんか?」「ちょっと待って頂戴。…ああ、そうだったわね。ジュン、申し訳ないのだけど急用が出来てしまったの。今日のところはお引き取り願えるかしら。ホーリエ、ジュンをお見送りしなさい。何か粗品をお付けして」 矢継ぎ早に言った後、真紅は部屋の奥へとそそくさと引っ込んでしまった。「…はい、お嬢様」「・・・」そしてテーブルには、呆然とするジュンとホーリエと、微かな寝息を立てるアリスが残された。「申し訳ありません。こちらから招待したのですが…」「い、いえ…別に」仕方がないので帰る事にしたジュン達を、ホーリエが案内する。一度通った道なのだが、広く入り組んだ城内では案内無しではすぐに迷いそうだ。「そーそー。可愛い女の子とお話しできたしねー」不機嫌な声で、アリスが言った。その折、不意にホーリエが歩きながら話し始めた。「…今、お嬢様は昔飲んだ紅茶を探しておられるんです。三年程前になりますが、このお城にある男の方が訪ねられました。背が高くて金髪の整った顔立ちの方でした。 その方をお嬢様はとても気に入り、旅の方でしたが無理を言って一週間ほどこのお城にお泊めになったんです。その時にお二人で飲まれた紅茶をお嬢様は最高の紅茶と評され、その方が去った後でああやって試行錯誤を繰り返し、その味を再現しようとしているのです」前を歩くホーリエに、ジュンが推し量るように訪ねる。「え?でも…ここで出した紅茶なら…すぐに見つかるんじゃないですか?沸れ方だって沸れた人に聞けば…」「はい。その通りです」ホーリエははっきりと答え、足を止めた。「ですが、ダメなのです。また、今お嬢様が行われている方法でも、あの時の味を再現することは出来ません。ですから…これが私からの、精一杯の恩返しだったのですが…」 最後の方は声が小さくてジュンには聞き取れなかった。「でも…もう時間がありません。ジュン様、アリス様」そこで、ホーリエは二人の方へ振り返えった。「お願いがあるのです。お話しだけでも、聞いていただけないでしょうか」「おう、帰ったか。城はどうだった?」お昼を少し過ぎた頃に宿に戻ると、昨日の男がロビーでタバコを吸っていた。ジュンは首を振って答える。「あれほど文字通りの門前払いを受けたのは初めてです」男は豪快に笑った。「ま、兄ちゃんも運がいい。一応は城を見れたんだからな」「と言うと?」男はタバコを深くすって煙を吐き、「今日の夜、この国は革命が起きるからさ」静かに言った。「革命、ですか」「ああ。あんたも紅い川を見たろ。あれがこの国の人間の怒りの焦点さ。ありゃ紅茶なんだが、あの城の奴はむしり取った税金で大量の紅茶を買ってはああやって捨てちまう。そのせいで農作業にも深刻な影響が出てるらしい。なのにその保護も対策もなしときたもんだ。 この東側が廃れてるのも、そのあおりを受けたせいなんだと。だが、それも今日までの辛抱だな」拳銃を抜いた男を見ながら、ジュンが聞いた。「あなたは…この国の人じゃないですよね?」「ああ。おれはコイツさ」男はジュンに一枚紙切れを差し出す。「…懸賞金?」「この国の外でたむろしてる柄の悪い奴らがいただろう。それも同じだ。唯一の王家の血を引く娘の首に、ピュリス金貨百枚だとよ。ボロい商売じゃねぇか。殺すと値が半減するが、それでも五十だ」 その紙には真紅の写真が貼られ、その下には値段が記載されている。「とまあそう言うワケだ。この国連中、今度は自分達が“もっと紅い川”を流してやるぞって息巻いてやがる。余計な流れ弾に当たらんうちに国を出るんだな。んじゃ、あばよ」 男は拳銃をホルダーに戻し、宿を出ていった。「はぁ…」ジュンが昨日自分が掃除したベッドに横になり、息をついた。「迷ってる?」その横に置かれたアリスが聞いて、「迷ってる」ジュンが答る。そして聞いた。「アリスはさ…どうして欲しい?」少し間を置いて、アリスが言った。「言っていいの?」「ああ。これは…僕だけの問題じゃない」「そう…じゃあ言うわね。ジュン、今すぐこの国を出て」「・・・」「私達はあの城の人達に義理も恩もないのよ。それにこれは革命で、強盗とか略奪とは違う。ただの旅人の私達が同情するのは筋違いでしょ。それに…」アリスは続ける。「どんな理由があったって、ジュンの命が危険に晒されるなら、私は断るよ」長い沈黙が流れた後、ジュンが言った。「…ありがと」「いーえ。でもね、最後はジュン次第だよ」「え?」「前に役割の話ししたの覚えてる?私の役割はジュンの頭の上で旅のお供をする事。どの道を歩くかは、ジュンが決める事。私はそれについていくだけさ」ジュンが少し驚いた顔をする。それから笑って言った。「ありがと、アリス」「いーえ。馬鹿ジュン」その後ジュンはアリスよろしくと言って、布団に潜っていった。夜の10時。夜も更けて街も静かになりだした頃、その国の北東の狭い街路道を足早に歩く人影があった。その人はさらに脇道を縫うように進み、やがて一つの古い小屋の前に到着すると、ドアを二回、三回、二回と叩き、「セロイン、アッサム、ダージリン」と、小声で呟いた。すると、ゆっくりと鍵が開き、ゆっくりとドアが開いたのでその人は素早く中に入る。その部屋にはすでに人が一人いた。初老の、黒い執事服を着た男だった。「ありがとうございます…ジュン殿、アリス殿…」「お礼と謝礼は、全てが終わった後にしてください」「そうそう。私達のせいで失敗するかもしれないんだよ?」それでも初老の男は震える声でお礼を言って、部屋の中央の床に取っ手を差し込み、引いた。「それでは…参りましょう」「はい」「はーい」四角く外れた床の下にあった階段に三人は入っていき、やがて、床は閉じた。その地下通路はとても粗末なもので、かなり足場が悪く進むのに時間を要する。それでも出口までたどり着き、ゆっくりと頭上の扉開くとそこは城の裏側の芝生の近くだった。 「こちらです」執事が二人を先導し、城の中へ入る。夜更けな事もあったが、その城の中はとても静かだった。ジュンは足音をなるべく立てないように歩いた。そして執事服の男は一つのドアの前で止まる。飾り付けもされていない、ありふれた質素なドアだった。「どうぞ…」ジュンとアリスが中に入る。部屋も特に高級なモノは無く、ありふれた家具にありふれたモノが置いてあるだけだった。そしてそこに、長い金髪を左右に結って、紅のドレスを纏った、お人形のような少女が優しい顔で古びた木の椅子に座っていた。 ジュンは少しうつむいた後、顔を上げて言った。「とても…綺麗です。…ホーリエさん」「ホント。お姫様みたい」アリスの言葉に少女は笑い、「ありがとうございます…ジュンさん。アリスさん。本当に…ありがとう…」先程の執事が体に荷物を巻き付け現れたのを見て、ホーリエは立ち上がった。左側の壁にかけられていた絵画を外し、中のレバーを引くと、反対側の壁が少し動く。「行きましょう」開いた壁の隙間を抜けると、美しい装飾の施されたドアの前に出た。煌びやかで気品のあるドアだった。「ホーリエ?入るのは構わないけれど、ノックくらいなさい」静かにその部屋に入ると、真紅が背を向けて机に向かっていた。羽ペンで何かを書いている。「お嬢様、お話しがあります」「もう夜更けよ。明日にするのだわ」「いいえ、今すぐ」少しきつめの言葉に怪訝そうに振り向いた真紅は、目を限界まで開き、口を開け、体を震わせて、持っていたペンを落とした。「お嬢様。お判りになりましたね」身分の低い侍女が主人の服を着ているという状況は、迅速かつ的確に意図を伝えられると執事は言った。その通りだった。「あなたに仕えられた事を幸せに思います。どうか、お嬢様の一番の紅茶を見つけてください。私は、お嬢様と飲む紅茶が一番好きでした」「あ…あ、あ…」「お別れです。お元気で」「ホー…!んぐっ!?」声を上げそうになった真紅を執事の男が押さえ、体ごと持ち上げて扉へと走る。「さらばだ。ホーリエ」「ばいばい…おじいちゃん」四人は素早く元の部屋へ移動し、執事の男は真紅をジュンに預ける。壁のレバーを逆に回すと、真紅の寝室への壁は閉じ、今度は床下の扉が開いた。「私が先に行きます。ジュン殿はその後から。姫様を頼みますぞ」「はい」ジュンは大人しくなった真紅を背中に背負う。「頑張れー、ジュン」「ああ」四人がその階段を降りた後、音を立てずに扉が閉じた。その部屋に残ったのは、暗闇と静寂だけになった。「ジュン殿、姫様をこちらへ…」「はい。よっ…」四人は城から通じる地下通路を抜け、城から離れた北の森の中に出た。「ふー…」「お疲れ様です。もう少し北の方に馬が止めてありますので、まずは…」執事の男の言葉は、大きな爆発音によって遮られた。ジュンが時計を見る。ちょうど12時だった。「始まりましたな…急ぎましょう」執事の男が静かに言う。「はい…」ジュンが地面にへたり込んでいる真紅見た。その表情は前髪に隠れて伺う事はできない。「いきましょう。真紅さん」そう言って、彼女を再び担ごうとした時、「ジュン殿!お逃…」パーン。ジュンの耳に、執事の途切れた叫びと、乾いた発砲音。そして、「じいやぁあああ!!」頭から血を流す執事にすがりつく、真紅の悲鳴が聞こえた。「おや、誰かと思ったら。不思議な事もあるもんだな」「貴方は…」拳銃を構えて森から姿を表したのは、ジュンと同じ宿に泊まった、あの男。「ふむ…理由と過程にも興味はあるが、今はビジネスの話しが先だな」男が一歩前へ出る。「これも縁だ。今すぐここから去れば、撃たんと約束しよう」「…いやだ…」「ジュン!無理よ!逃げましょう!」アリスが叫んだ。男は静かに頷く。「うむ、賢い判断だ。その腰の後ろに隠したナイフでは俺は殺せないものな。行くなら早くしろ。他のヤツが来たら面倒だ」「もう…いやなんだ…!」「ジュン!」アリスが叫ぶのと同時に、後ろの城から花火が上った。それは、夜空に美しい光の円を描く。「ホーリ、エ」ジュンが、震える声で呟いた。「うわあああああ!!」「ジュンー!!」パーン。パンパンパンパン。城から聞こえて来るのが花火から歓声の叫びに変わった頃、少し離れた森には三人倒れている人間がいた。一人は頭から血を流す執事。一人はジュン。一人は、体中から血を流し仰向けに倒れた、賞金稼ぎの男。「う…あれ…」「ジュン!大丈夫!?」茂みに倒れ込んでいたジュンが体を起こす。「うん。でもどうして…」ジュンが振り向いた先、横たわる執事の横には、両手で拳銃を握りしめた真紅がいた。「…真紅さん…」「みんな…私のせいで死んだわ」「それは…」「ホーリエも、じいやも、私を守ろうとした兵達も。みんな死んでしまったわ」「…移動しましょう。ここは危険ですから。向こうに馬がいるらしいので、そこまで…」「結構よ」真紅が言った。「私事に巻き込んでしまったわね。ごめんなさい。でもこれからは、私一人でも大丈夫なのだわ。王家の人間として、務めを果たします」それから横たわる執事を見て、「与えられた務めを果たせなかった、私の言える事では無いけれど…」「でも…!」「お願い」真っ直ぐこちらを見据える真紅に、ジュンは口をつぐんだ。「もうこれ以上、私の犠牲にならないで」それからジュンは歩き始めた。城でも馬がある場所でもない方角へ。しばらく歩き、城が木で見えなくなった頃、背中の方で一発の乾いた銃声が響いた。「・・・」「ジュン…」「…行こう」ジュンは少し立ち止まり、また、ゆっくりと歩き始めた。「ジュンー、もうお昼だよ」「ああ…そうだな」「何か食べなよ。3日も食べないのはさすがにマズいと思うよ」「ああ…そうだな」「旅…続けるんでしょ?」ジュンは自分と一体化したかと思えたベッドから起き上がり、「ああ…そうだな」身支度を整えて、その部屋を出た。ジュンが止まっていた宿のある場所は『道の駅』と呼ばれる、たくさんの道が交わる所に自然と出来た集落にあった。ジュンとアリスはあの国から1日歩いてここにたどり着き、ジュンは倒れ込むようにまる1日眠った。そして今日が3日目。この間、ジュンは水以外何も口にしていない。 「う…!」適当な食堂に入った途端、料理の匂いに誘われ猛烈な空腹感がジュンを襲った。胃がギリギリと痛たむ。とてつもなく痛かった。すぐさまジュンは店主にパンと一番早く出来る料理を頼んでテーブルにつく。先に出されたパンを、ものの数秒で食べきった。「はあ、はあ…死ぬかとおもった」「当たり前でしょ。ジュンは生きてるんだから」ジュンを水をコップに注いで、一気に飲み干す。「ぷはぁ…。そうだよな…生きてるんだもんな」ジュンが運ばれてきた料理を溜め息混じりに噛み締めている時、一人の女性が店に入ってきた。その女性はくすんだ灰色のローブを纏い、ショートカットのくすんだ金髪を揺らしてジュンのテーブルの向かいに座った。「あ」アリスが何が言った気がしたので仕方なく料理から顔を上げると、「あ」ジュンの口から、ミートソースを絡めたマカロニパスタが落ちた。「ご機嫌よう。いえ、今は違うわね…久しぶり?それとも、こんにちは?かしら」「真…紅さん…?」「あららービックリ。死んだと思ってた」アリスがハッキリ言うと、真紅は笑った。「そうね。真紅は死んだのでしょう。あの日に、ホーリエとじいやと一緒に」真紅はやってきた店の人に、パンとスープと紅茶を頼んだ。「私はちゃんと自分に向けて引き金を引いたわ。それは、確かに射的は苦手だったけれど…まさか10センチ先の的を外すとは思わなかったのだわ」ポカンと口を開けて見つめるジュンに笑ってから、真紅は言った。「私は昔、あの子…ホーリエと入れ替わって遊んだ事があるの。下町に買い物しに行った事だってあるのよ?洗濯もお掃除もしたし…ただ、嫌いだった射的の授業をあの子に押し付けていたら…ふふっ。わからないモノね」 ジュンがなおもポカンとしているので、アリスが聞く。「それで、これからどうするの?」「そうね…今の私には何も無い。家も、家臣も、財産も無くして、威厳も捨てたわ。さて、こんな私に何が出来るのかしらね?」真紅が自嘲気味に笑った時、頼んだモノが運ばれてきた。その中の紅茶を一口飲み、「まったく…沸れる温度も低くければ、リーフ自体も安物ね。とても紅茶とは呼べる代物では無いけれど…」頬を伝った雫が、テーブルに落ちた。「とても…美味しいと感じるのだわ…涙が出るくらいに…」∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽探しモノは何ですか?手分けして探せば、見つかりやすくなるでしょう。探しモノは何ですか?無くしたモノなら、案外近くにあるかもしれません。探しモノは何ですか?それは、本当に探しているモノですか?∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽∽真紅はジュンに渡されたハンカチで顔を拭う。「まぁ…そう、ゆっくり考えるのだわ。あの国の王女は死んでしまったけれど、私は生きているもの」そのハンカチを丁寧に畳んで、ジュンに返した。「ホーリエさんは、アナタに一番の紅茶を見つけて欲しいと言ってました」ジュンが言って、真紅が頷く。「ええ…私と飲んだ紅茶が一番だったとも。でも…今の私に見つけられるかしら」「できますよ」ジュンは最後のマカロニを口に運んで言った。「だって、その紅茶、とても美味しいんでしょ?」真紅は再び紅茶に口を付け、「ええ…酷く、最低なくらいに…美味しいのだわ」食事が済むと三人は食堂を出て、たくさんの道が伸びる交差点へと歩いていく。途中、豪華な装飾を施された馬車が、真紅の横を走り去っていった。「とりあえず、私は近場の街で働き口でも探すとしましょう。世話になったわね」小屋から自分の馬を引き出し、真紅はそれにまたがった。「いえ、別に」「そーそー。ジュンが居なくても大して変わらなかったよ」真紅は軽く瞼を閉じる。「それでも…ありがとう。そして、さようなら」真紅は安っぽいローブを風になびかせ、馬に乗って去っていった。その後ろ姿をしばらく見ていた後、アリスが聞いた。「あの子、大丈夫だと思う?」「大丈夫だろ。あれだけお金もってるし」「へ?」ジュンが素っ頓狂な声を出したアリスに言う。「あの時自分が着てた服と執事さんが持ってた宝石類に、あの男の所持品を全部。馬も一頭じゃなかったハズだから、そいつを全てかっさらって売りさばけばかなりの値段になるはずだ。…さっきお金払う時に見えた」 「はぁ~…、あ!なら私達に少し分けてくれてもいいじゃない!私達の謝礼でしょー!」ジュンは小さく首を振る。「いらないし受け取れない。真紅に引き金を引かせた時点で僕の仕事は失敗だ。さっき僕等と話してたのは依頼された真紅じゃないんだよ」「なんだかなぁ。ま、ジュンが生きてるだけ良しとしましょうか」「そうそう。だから…」ジュンが交差点かに背を向けて、道の駅の街並みへと歩きだした。「ん?どこ行くの?」「別の店で食べ直す。まだお腹がすいて死にそうなんだ。僕はまだ死にたくないからな」「あ、そ」二人は別の店に入って料理を頼み、席についた。そして食事中に取り出したハンカチにくるまれていた小さな宝石を見て、ジュンは追加の料理を頼むことにした。
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