『水銀燈の溜息』
『水銀燈の溜息』あるところに鬼女と呼ばれた、誰よりもか弱い少女がいました。あるところに暴君と呼ばれた、誰よりも心優しい女の子がいました。背後には黒々としたオーラを纏い、常に口元には妖しげな笑みをたたえ、そして鋭利なナイフ、否。血に塗れた妖刀の如き目で他者を見据える。さらに彼女の年齢と国籍に似合わない、類稀にして魅力的にして妖艶な外見がそれに拍車をかける。そのたたずまいは『近づいてきなさい。八つ裂きにしてあげるから』と言わんばかりの狂気に包まれている。それが水銀燈という少女の、印象であった。人は皆、幼い頃から『外見で人を判断してはいけません』と習ったことだろう。だけれど、彼女の外観は、人々に云十年(もしくは十云年)かけて手に入れた、教訓を無視させるだけのインパクトがあった。『こいつはやばい。食われる』と。彼女が通る場所は、ならず者さえ道を空け、傲岸不遜なおば様たちもひれ伏し、お偉い政治家すらも脇に避ける。彼女の謙虚でおとなしく、たおやかな一挙一動一投走は、すでに暴力の香りさえ、帯びていた。本人にその気が全く以ってなかったとしても。ひとたび彼女に睨み付けられれば、狼も足を竦ませ、獅子も尻尾を巻いて逃げ出すことだろう。だが、そんな彼女の実態は、これは一体どういうことだろう。草花を愛で、小さな動物や虫すらも踏み潰さないように生活し、日々勉学に勤しみ、募金箱を見つけたならば躊躇なく百円玉を投入し、子供向け人形劇を熱心に視聴し、自分の外見を鏡で見ては溜息をつくという、ごく普通の(というにもいささか純情すぎるか?)心優しい乙女なのだった。暗闇の中、水銀燈は自室のテレビを眺める。学校でも、家庭でも、彼女は殆どだれとも話すことはない。否。誰も、彼女に話しかけない。彼女が話しかけたとしても、徹底的に避ける。人形師であり、最大にして最愛の理解者である父親は、現在海外で個展を開いている。しばらく、少なくとも今日は帰ってくることはない。彼女が真っ暗な自室でひとりっきりで見ていたのは、『動物』が主軸に置かれているバラエティ番組だった。水銀燈は明滅する画面に憎悪の念を込めに込めて、睨みつけている。・・・ように見えるが、どうやら普通にぼーっと眺めているだけらしい。彼女の視線の向かう先にいたのは、鮫。鮫の目は、ぎょろりと周囲を見渡してはいるが、全く何も映していない、淀んだ目。荒々しく口元から飛び出した乱杭歯。そして巨大な体躯。テレビから音声が流れる。濁りのない、女声。『こちらの鮫はシロワニと言って、外見はご覧の通り凶暴そうで、まるで人食いと言わんばかりですが、 人を襲うことはまれであり、むしろ人懐っこく、おとなしい性格をしているそうです』真っ暗な自室で、テレビ画面だけがちらちらと光る。水銀燈の釣りあがった目じりから、ほろりと何かが伝い落ちた気がした。彼女の心のうちなど、誰にも知りようはない。紅い瞳が、ほのかに濡れている気がしないでもない。・・・乙女に対し、詮索というのは無粋である。この話題はこれくらいにしておく。目を擦るような所作をしたのち、水銀燈は毛布を被る。ほどなくして、そこからは、荒く、艶っぽい息遣いが聞こえてくる。乱れた呼吸の中から、彼女の呟く声も聞き取る事ができる。毛布の内の彼女の肢体が、もぞもぞと蠢いているのが、シルエットではっきりとわかる。これが彼女の日課である。風呂に入り食事を摂り勉強をしテレビを眺めた後、ソレを行う。別にいやらしい事ではない。きっと、誰しもがそれをしたことがあるはずだ。恥ずかしがるようなことではない。誰もが通るであろう道であるはずだ。人形遊びである。毛布の中で人形たちを仲良く遊ばせていただけである。気付けば、彼女は幼少の頃から高校生である今日まで、日にこの遊びを欠かしたことがない。水銀燈には、悪女の如き風貌とオーラにより、友達と呼べる人間が、いない。『友達』と呼べる存在への憧れ。長く永い孤独による一人遊びの発達。それらが、今の彼女の行動を作り出していた。見れば、毛布の中のぬいぐるみたちは、楽しそうに跳ね回り、遊んでいる。水銀燈の貌も、獲物を嬲り、愉しむ肉食獣のように歪んだ笑みをたたえている。・・・ように見えるが、きっと素直に楽しんでいるに違いない。彼女の素顔を、素直な心を、見ることができる人が現れる日は、来るのだろうか。我々は唯々祈るばかりである。続くかどうかは、わからない。期待すればいいのかもしれない。
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