Scene4:ポッケ村―集会所―・その2
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そして、時はその翌日まで戻る。ポッケ村、集会所。先ほどまでジュンの座っていたテーブルには、今や4人の人間と4人のアイルーが集結していた。緑のワンピースと白い頭巾を着けた少女、翠星石。青いズボンと白いブラウスの少女、蒼星石。赤いドレスをその身にまとう、真紅。彼女らを前にして、ジュンは明らかに偏頭痛にでも苦しめられているような渋い表情を見せる。彼の足元では、奇声を上げながら4人のアイルーがくんずほぐれつして、ある植物の実を奪い合っている。その光景は、さながら赤と桃色と緑と青のビー玉がぶつかり合い、しっちゃかめっちゃかに乱反射して弾け回るようにも見えよう。「らめぇ! それはあたちの分なのぉ!」「ベリーベル! あなたにまだこの味は早うございますわ!」「こらホーリエ! ドサマギであたしの分け前を取るんじゃないわよ!」「そういうスィドリームこそ、私の分の『マタタビ』に手を出してるのはどういうことですか!?」転げ回るアイルー達……あれから真紅もホーリエを急遽呼び出し、結果として4人に増えたのだが……の、乱闘も同然の『マタタビ』の奪い合いに、ジュンはたまらずその足を引っ込めた。そのままテーブルの下に足を投げ出しっぱなしにしていたら、そのまま足を引っかかれたり噛まれたりされかねない。ジュンは、思わず胃の辺りをかばうようにして腹をさする。(つくづく、今日は厄日だ……!)悪態を口には出さないものの、そうやって静かに毒づくジュンには、いまだ話は良く見えてこない。だが、それでも今日こうして出会うことになった翠星石と蒼星石は、真紅の知り合いであることは容易に察することが出来た。先ほど真紅はこの2人に対し、我に返るや否や「この場で立ち話もなんだから」と話を切り出し、追加の軽食と飲み物、そして4人のアイルー達には大好物の『マタタビ』を振る舞ったのだ。もちろん、料金は全額ジュンのポケットから拠出、という提案を以って。ジュンは無論反論したが、「あなたはレディに料理のお金を出させるの?」と詰め寄られ、最後には脛蹴りをもらって強引に同意させられたのだ。当然のごとく財政状況が火の車のジュンは、脛に受けた痛みと財布に受けた痛みで涙目になりかけたが、さすがにそれを見かねた蒼星石は、何とか真紅を説得。自らも会計を半分持つと言い出し、結果的に辛うじて会計は割り勘に持ち込んだ。それでも、ジュンの懐はすでに次なる狩猟で報酬を受け取らねば、食事を一食注文することすら厳しいほどの、お寒い状況となったことには変わりないのだが。「……というわけで、雛苺は今この村にはいないわ。じきに帰ってくるでしょうけれども。それじゃあ、お互いに事情を話し合いましょう。あなた達は何故、今日この村に?」雛苺が今この村にいない事情を説明し終えた真紅。ジャガイモの揚げ物をつまみながら、話の口火を切る。「……その前に、僕達が自己紹介する方が先じゃないかな?真紅がこの村で見つけたパートナーの……ジュン君だったっけ? 彼のことも教えて欲しいな」だがそれに「待った」をかけたのは、蒼星石。ジュンは彼女の良識のある態度に関して、真紅に爪の垢を煎じて飲んで欲しいものだ、と胸中で愚痴をこぼす。蒼星石の見た目は、まったく見れば見るほど少女ではなく、少年と言った方がふさわしい。ジュンが彼女のことを辛うじて女と察せたのは、そのブラウスの胸部を持ち上げる2つの控えめな膨らみゆえであった。蒼星石の体が女としての成長を遂げつつなかったら、あるいは本当に――。そして蒼星石の隣に座る、翠星石という少女。彼女ら2人の容貌は、まるで互いを鏡映しにしたかのようにそっくりである。赤と緑のオッドアイ。その左右が逆であることさえ無視すれば、2人の容貌は完全に一致するだろう。そんな事を考えながら、ドドブラリンゴのジュースに手を出したジュンは、真紅の声ではたと我に返る。「ジュン、2人が自己紹介を求めてるわ。さっさと自己紹介しなさい」「え? ……ああ、分かったよ真紅」ジュンは自分でも、この受け答えがぶっきらぼうな口調だったことを感じた。その刺々しい物言いに、蒼星石は張りのない声で詫びを入れる。「ジュン君……いきなり食事を振る舞ってもらっちゃってごめんなさい。本当は、僕らの側が全額出しても良かったくらいなんだけど……」「たかが4人分の食事の料金を出し渋るなんて、ケツの穴の小さい男ですぅ」「翠星石! いくら割り勘でも、食事代を出してもらってその言い方は……」翠星石の発言に、蒼星石は思わず眉を歪めかける。真紅の「翠星石、レディがそんな下品な言い回しをするものでは……」などという指摘を背景音楽に、ジュンはジュースの入ったカップを音を立ててテーブルに置き、その後両手をスクラムさせてテーブルの上に置いた。「ジュン・サクラダ。遥か東の海の島国、シキ国の出身だ。『ジュン』って呼んでくれればいい。得意な武器はライトボウガン。以上」愛想も何もあったものではない、自己紹介であった。ジュンのこの素っ気のない自己紹介に、呼応したのは翠星石。「伝説のハンター、ローゼンの義理の三女、翠星石ですぅ。隣の蒼星石は、翠星石の双子の妹ですぅ」「よろしく、僕は蒼星石。ローゼンの第四子ってことになるのかな。翠星石は、僕の姉さんにあたる」ジュンは、もう一度目の前の2人を一瞥して、その容貌を確認する。「なるほどな……やっぱり双子だったか。どうりで顔つきが同じだと思ったよ」「でしょう? 彼女達2人は、私達ローゼンメイデン6人の中で、唯一本当に血の繋がっている姉妹同士なのだわ」真紅は、ポポの乳をたっぷり使ったロイヤルミルクティを喉に流し込みつつ、翠星石の自己紹介を補完する。彼女らローゼンメイデンは、ローゼンの養子というだけのことはあり、原則として血の繋がりはない。ローゼンは失踪する前、ハンターとして大陸全土に狩猟の旅を行っていたのだが、その方々で彼が目をかけ引き取った孤児達が、現在ローゼンメイデンと呼称されている彼女らである。ローゼンが彼女らに語ったところによると、翠星石と蒼星石は、ローゼンが旅先でたまたま見つけたポポ車の中にいた、臨月の妊婦が生み落としていたらしい。ポポ車はモンスターに襲われ全壊し、中に乗っていた翠星石と蒼星石の両親と思しき男女は、無残にも殺されていた。だがその母の胎(はら)からはへその緒が二本零れ落ち、それが泣きじゃくる2人の女の赤ん坊に繋がっていた。殺された彼女が、死に際に最後の力を振り絞って生み落とした双子が翠星石と蒼星石、そして双子をその場で救助し養子に迎え入れたのがローゼン、というわけである。「ふーん、随分とまたドラマチックな生まれ方をして来たもんだな」ジュンは他人事のように、えらく無感動な口調で真紅の説明に感想を付ける。「ちなみに巷では、ローゼンメイデンは6人ではなく7人いるという噂もあるらしいけれど、根も葉もない与太話ね。5年前に雛苺を養子に迎え入れてから、お父様は1人の養子も迎え入れることなく消息を絶ったのだから」真紅は口内でロイヤルミルクティを存分に転がしてから、静かに飲み込んでそう発言した。「で、その首にかけたペンダントの正体は、確か真紅が話してた『ローザ何とか』ってやつか?」翠星石と蒼星石の首には紐がかかり、それが彼女らの着衣の下にまで続いている。それを見て、ジュンは独り言のように言う。「そういうことですぅ。これが、翠星石達のお父様が残してくれた贈り物ですぅ」翠星石は、胸を張ってジュンの推論を肯定。そのペンダントの紐を摘み上げた。「ほら、蒼星石も見せてやるですぅ。本当はテメーみたいなヘボそうなハンターに見せるものではないですけど、真紅の相棒ってことで特別公開ですぅ」「本当は、あまり見せるようなものでもないけれどね」蒼星石はそうとだけ言って、そっと着衣の下から赤の宝石を取り出す。からり、という硬質な音を立てて、それはテーブルの上に置かれた。『ローザミスティカ』。幾多もの「竜」と、そして「龍」を屠り、流されたおびただしい血より生み出された結晶。集会所の窓から漏れる太陽の光と、暖炉で燃える火の明かりを受け、虹色の光が弾けた。三つの光輪が、一同の目に静かに映り込む。そのきらめきは、さながら光そのものに命が宿っているかのごとし。「……よく見ると、意外と綺麗なんだな」ジュンは思わず漏らした嘆息と共に、3つの光の中に命を見たような錯覚を感じる。「意外も何も、これほど美しい結晶はそう簡単に見られるものではないわ」真紅はジュンの間の抜けた発言に、冷淡に対処する。「僕達のお父様によると、これはお父様が長年の研究の末錬金術を使って生み出したらしい。通常の調合を行っただけでは、こんな不思議な宝石を生み出すことは出来ないんだって、僕達は聞いた」「さすが翠星石達のお父様ですぅ。ただ強いだけじゃなくて、頭も良かったんですぅ」静かにこの結晶の出自を語る双子の少女らに、ジュンは懐疑的な声を上げた。「錬金術ねえ……あんな役に立たない技術で、こんな物が本当に出来るのか?」だが、ジュンのその懐疑の念は、ある意味において当然のものと取れよう。錬金術……それはハンター達にとって、単なるほら話ではない。ある特殊な防具をまといその力を借り受けるか、さもなくばハンターズギルドが限定販売しているある書物を使えば、可能となる特殊な調合である。錬金術をマスターしたハンターは、特殊な調合術で一度焦がしてしまった肉を元の生の肉に戻したり、毒性のある魚から毒抜きを行い、たちまち食用に適するように変質させたり、そういった一見魔法としか思えないような信じられない調合を行うことが出来る。だが、世の中何事にも裏というものはあるのだ。「ボク達ハンターの発明した錬金術って技術は、結局調合術の一系統に過ぎないんだ。確かに『眠魚』に『げどく草』を混ぜ込んで、毒抜きをして食用の『サシミウオ』そっくりに変えることは出来る。けれども、それは元々の『眠魚』の魚肉それ自体が食用になるからで、『げどく草』は魚肉に含まれてる、催眠作用のある毒を排除してるだけに過ぎないんだ。鉄は鉄だし金は金。鉄の中に金は含まれてないんだし、鉄が金に変わったりするわけはない。ましてや不死の霊薬だの賢者の石だの、その手の本によく出てくる話はナンセンスもいいところだろ」ジュンは腕組みし、実につまらなそうな表情を浮かべて結論を告げた。蒼星石は苦笑いで、ジュンの言質を控えめに肯定する。「それに、錬金術自体準備に手間ひまかかるわりに、そこまでいいものを作り出すことは出来ないからね。確かに、ジュン君がそう思うのも不思議はないかも」「それに……ちょっといいか?」ジュンは腕組みした両手をほどき去り、その手を静かに伸ばす。その先にあったのは、テーブルに置かれた真紅のローザミスティカ。ジュンのやぶからぼうな行いに、真紅は思わず声が跳ね上がる。「ちょっと……何を……!?」「何でもない、ちょっとよく形を見てみたいんだ。別に取り上げたりはしない」そうは言ったものの、ジュンは最終的にローゼミスティカに手を触れることを断念した。下手に手を触れたら、その瞬間鞭のようにしなる金髪を食らいかねないほどの形相を、真紅が浮かべていたためである。ジュンは代わりに、眼鏡をその鼻梁から取り除き、テーブルに置かれた3つのローザミスティカに顔を近付ける。翠星石のローザミスティカ。蒼星石のローザミスティカ。真紅のローザミスティカ。それを順繰りに見回し、ジュンの両の目が左右にあわただしく動く。それを5回は繰り返しただろうか。ジュンは何らかの事実を確信した様子を匂わせながら、一同に問う。「一つ聞いていいか?お前たちが持ってるこの3つのローザミスティカ……どう見てもくっつけたら、パズルのピースみたいにぴったりお互いがはまるみたいだぞ。これは一体どういうことなんだ?」「「「!!!」」」真紅は、目を瞠った。翠星石は、息を呑んだ。蒼星石は、その口を結んだ。ジュンは、3人の態度の豹変ぶりを知ってか知らずか、更に自身の観察できた限りの情報を問いかける。「おまけにこのローザミスティカ、結晶の内部に妙な模様が入ってるじゃないか。結晶の中に閉じ込められた泡か何かか? しかもこれ、何かの文字みたいに見え――」「済まないねえ、真紅はいるかい?」その頬やこめかみに一筋の汗を浮かべていたローゼンメイデン3名は、突如としてかかったその声の方に、弾かれたように首を向けた。ジュンもまた、一瞬遅れて3人にならう。集会所の入り口には、またも人影が立っていた。人間の背丈にしても、アイルーの背丈にしても、あまりに低過ぎるその背。人影の正体が、この村の村長である竜人のオババであることに一同が気付くのと、オババが厳粛に物を言ったのとは、ほとんど同時だった。「真紅……オヌシを名指しで、たった今緊急の依頼が入ったよ」「私を……名指しで?」真紅は疑問符を浮かべながらも、そのローザミスティカのペンダントを着衣の下にしまいこむのを、忘れはしない。普段は蒼天石の元で、焚き火をしながらうたた寝を楽しんでいるオババが、珍しくこの集会所にやって来た――それだけでも、かなり異例の事態である。オババは、しずしずと一同の腰掛けていたテーブルに歩み寄る。オババの醸し出す雰囲気に、テーブルの下のアイルー4人すら、その動きを止めていた。オババの手の中で丸められた羊皮紙が、真紅に向けて手渡されていた。真紅はそれを受け取り、開く。真紅はその羊皮紙の上部に書き込まれた文字を見て、顔面が蒼白になった。「『雪山に潜む影』――!? まさか、『あいつ』がまたも現れたっていうの!?」すでに頬を伝う汗は一筋のみならず。汗が滝になりかねないのではないか……それほどにまで真紅は発汗する。それも、暑さや恥ずかしさや気まずさといった理由の汗ではないことは、よほど鈍感な人間でもなければ勘違いのしようがあるまい。オババは、穏やかながらも真剣味を十二分に滲ませて、言葉を続ける。「実を言うと、今回の依頼はちょっと事情が複雑でねえ。トラブルを避けるために、今からワシが依頼主から聞いた限りの事情を説明させて……」「嫌よ! 『あいつ』の相手は絶対に嫌!!」真紅は叫び、頭を抱える。それはさながら、脳裏にこびり付いた悪夢が再び蘇ろうとしているのを、必死に押さえ込んでいるかのように見えよう。「じゃが……さっきも言った通り依頼人はオヌシを指名で……」「そんなの関係ないわ! 『あいつ』の相手をもう一度するくらいなら、ハンターなんて廃業した方がまし!絶対に『あいつ』だけは嫌ぁ!!」真紅のその声に、再び一同の座るテーブルに集会所中の視線が集まる。ジュンは真紅のその態度に呆れ返りながら、彼女に説得を試みる。「あのなあ……お前もどうしてそこまで『あいつ』を毛嫌いするんだ?確かに『あいつ』は不気味な姿だってことは認めるけど、噂に聞くクイーンランゴスタ……特大サイズのランゴスタに比べれば、まだ許容できる範囲……」「許容できるはずないでしょう! この鈍感!!」ジュンをその一言で罵倒し、真紅はそれきり口を噤んでしまった。がたがたとテーブルの端で震える真紅。ジュンは肩をすくめ、オババの方に向き直る。真紅はさておき、といった様子で、ジュンはオババの深刻な様相に調子を合わせ、話しかける。「真紅が名指しってことでしたけれども、依頼の内容はボクが聞いちゃまずいことですか?もしボクで良ければ、真紅に代わって真紅の相棒のボクが話を聞きます。ひとまず、事情を説明して下さい」その背をかがめるジュンは、オババの目線に己の目線を合わせた。それはまるで、子供の話を聞くために腰をかがめる大人の動作を思わせたが、この場合に限っては、それはジュンがオババに抱く敬意の現れである。オババは、静かにその手に持ったステッキで床を二、三度小突いた。「ああ、いいよ。この依頼は真紅を名指しで出された、とワシはさっき言ったけれども、もうちょっと厳密に話そうかねえ。正確に言えば、今回の依頼主が希望している条件は、『出来れば真紅・雛苺の両者に依頼したいが、どちらかのみも可。この二名より腕前の優れたハンターも一応可』……そういう、妙なものなんじゃよ」オババの難しげな物言いに合わせ、ジュンも顎に手をやって一つ唸ってみせる。「それは……確かに妙な話ですよね。ふつう狩猟を依頼する側が、ボク達みたいな半人前のハンターを指名してくるなんて、そうそうザラにあるような話でもないですし。ボク達がローゼンみたいな名の売れたハンターだったなら、名指しの理由は分かりますけど」考え込むジュン。杖の頭を両手で包み込むオババ。そして、ジュンとオババの会話を聞き逃すはずもない、翠星石。翠星石は、しばらく黙り込む2人の会話の輪に入り込み、続きを催促した。「で、それで依頼の具体的な内容はなんなんですぅ?話の内容によっては、翠星石達が真紅とそこのチビに代わって、依頼を受けてやってもいいですぅ」「ボクの名前はジュンだ! チビじゃない!」ジュンは即座に言い返し、翠星石に訂正を求める。翠星石は、もちろんそんなジュンの言い分など聞いてないかのごとくに、オババに再び問いかける。その依頼の具体的な内容は、何なのかと。オババは、こくりと頷いて翠星石に応ずる。「それじゃあ、今回の依頼の内容を言おうかねえ。オヌシ達にこなしてもらうのは、二つ。フラヒヤ山脈のどこかで遭難した、ランペという名の女ハンターの救助……それから、『稀白竜』フルフルの狩猟。これを、一度にこなしてもらいたいんじゃよ」「人命救助とモンスター狩猟を、同時にですか!?」ジュンは、眼鏡の向こうの黒い瞳を丸くした。オババは、淡々とその続きを述べてゆく。「ああ、そういうことになるね。まず、この依頼が来た背景を説明させてもらうよ。今日の朝方、ワシのところに1人のアイルーがやってきたんじゃ。そのランペという女ハンターのオトモアイルーがねえ」オババは、最近ハンターズギルドが採用した新制度を口に上らせ、事態を説明した。オトモアイルーとは、本来給仕や食事係として雇われることの多いアイルーの中でも、ハンターと共に狩猟に出ることを許された、特に勇敢なアイルーのことである。本来ならば己の主人であるハンターに寄り添っているはずのオトモアイルーが、たった一人で村に戻って来た……それだけでも、異常事態を予感させるには十分過ぎる。「それで、どうなったんですか?」翠星石に合わせるようにして、蒼星石もまたオババ達の会話の輪に参加する。「ふむ……それで、そのオトモアイルーは、一通の手紙を持ってワシのところに来たんじゃ。その手紙はランペなるハンターが書いたもので、そこには救援要請があったのじゃよ。『フラヒヤ山脈で素材の採取を行っていたが、その際に誤って足を骨折し、立ち往生した。しかも悪い事に、フラヒヤ山脈にフルフルが出現したのを目撃してしまった。フルフルの追跡を逃れながら、自力で下山するのは困難と判断。このオトモアイルーのみを下山させ、ポッケ村にフルフルの出現を通報するのを兼ねて、救援を要請した次第である。救助に向かったハンターには、ハンターズギルドを仲介して正規の料金を払う準備がある。出来ればこの依頼は、ポッケ村で破竹の勢いでイャンクックを狩るまでこぎつけたと噂される、真紅と雛苺という名のハンターに依頼したい。出来れば両者に依頼したいが、どちらかのみも可。この二名より腕前の優れたハンターも一応可』、とね」オババは、普段多くの言葉を進んで語りはしないその舌を、十二分に活用して説明を行う。ジュンは、この複雑な背景を耳にしても、混乱しているような様子はまるで見られない。深く首を縦に振り、事態を把握したようである。「なるほど……。要するに、フルフルの出現とそのランペって人の遭難が偶然重なって、事態が複雑になっているってわけか。フルフルが村のポポ達を襲ったりする前に、ランペって人が目撃して通報してくれたのは、ある意味不幸中の幸いかも知れないな」「不謹慎かも知れんが、ある意味そうかも知れんのう。そろそろ村のポポ達も繁殖の時期を迎える。できる事なら、被害を一切出さずに速やかにフルフルを退治して欲しいところじゃな。というわけで、この依頼は異例だけれども、ハンターの救助とモンスターの狩猟を一気にこなしてもらいたいねえ。雛苺は今村にはいないけれども、真紅とジュンは二ヶ月前……クルプティオス湿地帯に向かう直前の依頼で、雛苺やトモエと共にフルフルを狩っておったな?確かにこの依頼、困難ではあるじゃろうが、今のオヌシ達なら十分こなせるはず。申し訳ないが、時間の差し迫った依頼じゃから、受けるかどうかをこの場で決めたもらいたく――」「絶対に嫌よ!! 私は受けない!!」真紅は声の震えを必死で抑えながら、悲鳴のように依頼を拒否する旨を叩き付ける。ジュンは、真紅の態度に怒りを覚えていいのか呆れていいのか、まるで分からないといった様相で脱力。「あのなあ真紅、どうしてそこまでフルフルを毛嫌いするんだ?確かにフルフルは気色悪い見た目なのは認めるけどな……」「それだけじゃなくてあの形が品性のかけらもないじゃない!?あんな奴に対して雛苺はともかく、トモエは鼻息を荒くして斬りかかっていったのも最低よ!!」「そりゃ、鼻息も荒くなるだろうさ。あの時トモエは、『鉄刀』を『鉄刀【禊】』に鍛え上げてもらった直後だったんだし。ハンターなら誰だって、新しい武器の試し斬りの時は興奮するだろう?」「そういう問題じゃないってさっきから私は言ってるのよ!!」「さっきも何もそんなことは一言も言ってなかったじゃないか……ったく」徹頭徹尾、断固拒否。そんな真紅の態度で、ジュンの腹は決まったらしい。ジュンは振り返り、申し訳なさそうにオババにその意志を告げた。「ごめんなさい、オババ様。相棒の真紅がこんな調子じゃ、ちょっとボクも依頼を受けるわけにはいきません。確かにボク達は一度フルフルを狩ってはいますけれど、依頼を安請け合いするわけにもいきません。他のハンターに依頼をお願いします。今体の空いてるハンターの中にも、ボク達より熟練した人はいますよね?人一人の命がかかってるなら、なおのことボク達より腕のいい人を――」「だったら、翠星石達の出番ですぅ」ばん、と自身の胸を叩く音。翠星石は親指で自分のことを指しながら、ずいと身を乗り出してオババにアピールする。「翠星石達も、今から三ヶ月前にイャンクックなら倒してるですぅ。フルフルくらい、ちょちょいのちょいでヒネってやるですぅ」「オババ様……でしたっけ? 一応、その証拠にギルドカードを提出しておきますね」胸を張る翠星石の下では、蒼星石がそっと一枚の木の札を差し出す。オババはその木の札を静かに受け取り、懐から取り出した老眼鏡をかける。その木の札にかかれた情報をざっと概観するまで数秒ばかり。オババは、納得した様子を滲ませて首を縦に振る。「なるほど……確かに、これくらいの経歴なら、オヌシ達はフルフルに挑戦する資格を十分持っておるじゃろう。オヌシ達が真紅とジュンに代わって依頼を受けるのに、何の問題もあるまい」オババは、蒼星石にならって翠星石から提出されたギルドカードもまた合わせて確認し、その許可を出す。ハンターズギルドに登録されているハンターなら、必ず所持しているこのギルドカード……そこには、これまでそのハンターが行ってきた狩猟の経歴や名乗ることを許された称号が、所狭しと記載されている。ハンターとしてのランクが上がれば上がるほどこのギルドカードに載る情報は増え、そして木の札も銅や銀……最終的には、金にまでグレードアップする。ギルドカードは、そのハンターの実力がどれほどのものなのかを判断する上で、有益な情報の一つとなるのだ。「……けれども、一つだけ心配なことがあるとすれば、オヌシ達はフルフルを相手に戦うのが、今回初めてということじゃな。確かにオヌシ達にはフルフルを相手に狩りを行えるだけの実力はあろう。じゃが、それはフルフルを狩れる事と同じではないのは分かっているかい?」オババは、胸を張って依頼を受ける意志を示した翠星石の顔を、静かに覗き込む。翠星石の答えは、それでも変わりない。「問題ないですぅ。翠星石と蒼星石のタッグなら、どんなモンスターにだって負けないですぅ」「……なんて言ってる奴に限って、死体になって戻って来るんだけどな。最悪の場合、死体すら戻って来ないかも知れないぞ」ジュンは最後のドドブラリンゴのジュースを飲み干し、そのカップをテーブルにことりと置く。「相棒の真紅がフルフルにビビッてるくらいで、『狩りに行けません』なんて言ってる臆病者のチビに言われるまでもねえですよぉ、そんな事」ジュンの皮肉がかった言い方に、挑発で反駁したのは翠星石。カップを未だ握っていたジュンの手に、にわかに力が入る。「ボクにはチビじゃなくてジュンって名前がある! 覚えとけ!!」険悪な雰囲気が漂う中、蒼星石は困ったような表情を浮かべて翠星石に自重を求める。真紅はとうとう目元を潤ませながら、「フルフルは嫌!」と呟き続けている。テーブルの下では、4人のアイルーがふと思い出したように、『マタタビ』の取り合いを再開していた。
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